445.豚肉の生姜焼きと山芋のグラタン
コミカライズ『服飾師ルチアはあきらめない』(臼土きね先生)第14話が配信となりました。
どうぞよろしくお願いします!
「じゃあ、俺は馬場の連中とこれを頂きますんで、できるだけごゆっくりどうぞ!」
緑の塔の前、買い込んだ物を運び終わったドナが、いい笑顔で言った。
後ろの馬車には、屋台で買った食事や果実水がたっぷり積まれている。
昨年、緑の塔近くにできた馬場は、スカルファロット家の運営だ。
ヴォルフが緑の塔にいる間、ドナはその馬場で待機しているという。
馬場の者達にもドナにも世話になっているからと、ヴォルフが差し入れを山と渡したのだ。
ドナはスキップするかのような足取りで、御者台に戻っていった。
その後は一階から二階へ荷物を運び、ヴォルフと共に台所に立つ。
「なんだか、緑の塔に帰って来たって感じがする……」
自分の隣、ぼそりとつぶやいた彼に思い出す。
九頭大蛇戦の直後、『ダリヤと緑の塔に帰る』と言われた。
あれは受けた毒のせいだが、彼にとって緑の塔が安心できる場だというのがうれしかった。
そして今日、まるでここに帰って来てくれたようでうれしい。
ダリヤは笑顔を抑えつつ、食材を揃える。
最初に取りかかるのは山芋のグラタンだ。
「山芋ってこんなに滑るんだね……」
山芋の皮むきに挑戦するヴォルフが、眉間にしわを寄せている。
外側を布巾で包んで左手で持ち、右手で皮むき器を使っているのだが、ぬるぬるする表面は刃が滑りやすい。
代わろうかと申し出てみたが、真剣な表情で最後までやると断られた。
皮を剥いた山芋を輪切りにし、布巾に包んで麺棒で叩いてもらう。
グラタンにはすりおろしてもいいのだが、ダリヤは食感が残る方が好きなため、半つぶしほどでお願いした。
ヴォルフがその作業をしている間、ダリヤはホワイトソースを作り、ベーコンとチーズを切った。
そうしてできあがった具を、深皿に入れ、オーブンにかける。
その後は、青菜を茹でながら、ヴォルフにあさりの味噌汁の作り方を教えた。
彼は覚えが早い上に手際がいい。
この分だと、遠征の料理でも活躍しそうである。
そこまでで区切ると、テーブルセッティングをし、本日のメイン料理を作り始める。
コロンとした春キャベツの外葉数枚を外し、薄黄緑色の葉をスライサーで千切りにする。
柔らかな春キャベツなので、スライサーの刃が引っかかりやすい。
ヴォルフに慎重に進めてもらうことにした。
彼の横、ダリヤはすりおろし生姜に醤油、砂糖、東酒などでタレを作り、精肉店で少し長めにスライスしてもらった豚肉を焼く。
さらにタレを絡めて焼き、大皿に盛ってできあがりである。
湯気の立つ皿をテーブルに運んだ後、ヴォルフにワインを開けてもらうことにする。
白い木箱に入ったそれは、グイードからの贈り物だ。
だが、蓋をぱかりと開けたヴォルフが、なぜか動きを止めた。
「……兄上は、一体、何を……?」
困惑の呟きに、蠍酒のようなワインでも入っていたのかと気になった。
「どうかしたんですか、ヴォルフ?」
「いや、その、ワインの銘柄が……」
取り出されたのは少しだけ透明度のある赤いワインだ。
白いラベルを見れば、金色で『二人の世界』と書かれていた。
一瞬、恋人達が飲むワインのようだと思ったがふりきった。
酒は名前ではない、味である。
「……きっとおいしいワインなんだと思います」
ダリヤはそう答え、話を打ち切った。
料理が冷める前にと言い交わし、取り急ぎ乾杯に進む。
今日の乾杯はヴォルフにお願いした。
「九頭大蛇戦の勝利を祝い、ダリヤの献身に心からの感謝を、乾杯!」
「――勝利を祝い、ヴォルフの、隊の皆様の無事に心からの感謝を、乾杯!」
最初の声がうまく出てこなかった。
ヴォルフが無事に帰ってきた。そして、ここで再び乾杯できた。
口には出せないが、それを神様に感謝しよう――そうして飲んだワインは少しだけ辛く、酸味がある味だった。
食事が進みそうなそれは、グイードのねぎらいなのかもしれない。
「豚肉の生姜焼きが最優先です。冷めない内に食べてくださいね」
本日のメニューは、豚肉の生姜焼きと山芋のグラタン、青菜のおひたし、アサリの味噌汁だ。
デザートはソルトバタークッキーを準備してある。こちらだけは朝一番で焼いておいた。
前世の感覚からいうと和洋折衷であるが、今世でこだわることはないだろう。
「今日はこの生姜焼きで、キャベツを包んで食べたいと思います」
焼きたての生姜焼きで、細く千切りにしたキャベツを巻いて食べる。
固いキャベツの時には、お湯をかけるか、ちょっと湯にくぐらせることもあるが、本日のものは柔らかさがあるので必要ない。
白米と共に食べるのが最高だが、オルディネに出回っている米は、細長くサラサラとした感じだ。一度試してみたのだが、前世のせいか組み合わせ的にいいとは思えなかった。
湯気の立つ生姜焼きで、薄緑の千切りをくるりと包む。
しっかり口を開けて齧り付けば、肉のしっかりした味わい、生姜の風味、醤油と砂糖の独特のあまじょっぱさ、その下から、旬の春キャベツのふわりとした甘さ、しゃくしゃくとした食感が現れる。
総合的においしい。肉と野菜が同時に摂れ、加えて、体重を気にしなくていい、完璧な一品だ。
生姜焼きと春キャベツはやはりよく合う――そう思って向かいを見れば、ヴォルフがひたすらに咀嚼していた。
美味しいものほど咀嚼回数の増える彼のことだ、おそらく気に入ったのだろう。
ようやく味わい終えると、彼がこちらを見る。
その金色の目は、子供のように輝いていた。
「これ、王城の定番メニューに欲しい」
「あの、それはどうかと。作るのはともかく、東ノ国の調味料は慣れていない方が多いので……」
隊の遠征練習会でも、味噌の風味が苦手だという隊員が一定数いた。
醤油も味噌も東ノ国の調味料だ。
食べ慣れていないのも好みもあるので、定番メニューには難しいのではないかと思う。
あと、輸入品なのでちょっとお高い。
「とりあえず皆に食べさせて布教してくる。その後で、スカルファロット家の定番メニューに推薦してくる」
「どれだけ気に入ったんですか?」
「ものすごく……!」
拳を握って答えた彼に、後でタレのレシピを書いて渡すことにした。
兵舎の食堂、遠征用コンロで夜食を作ってもいいそうだし、酒の肴やお腹が空いた時にはいいかもしれない。
また、スカルファロット家の料理人に、話題のひとつに作ってもらうのもありだろう。
そこからはひたすらに生姜焼きでキャベツを包んで食べた。
皿をカラにすると、再び台所に立ち、追加の豚肉を焼き、タレを絡める。
熱々の肉でキャベツを巻く方がおいしいという食い意地、いや、食のタイミングを重視した料理法である。
追加のキャベツは、ヴォルフがスライサーで削り、大皿に山を作ってくれた。
肉を焼いては千切りキャベツをくるむ、二人でそれを三度繰り返すこととなった。
「豚肉の生姜焼きって、すごくおいしいけど、忙しいね」
「違うと思います……」
その途中、山芋のグラタンも仕上がった。
こちらはヴォルフがオーブンからテーブルまで運んでくれた。
熱々の山芋のグラタンは、芋らしい甘さとチーズとベーコンの塩みがちょうどよい。とろりとほっくりの食感が交互にくるのが楽しかった。
青菜のおひたしには醤油、アサリの味噌汁は当然味噌を使ったが、ヴォルフはどちらも好みだったらしい。
ちょっと残念だったのは、砂吐かせ済というふれこみのアサリの一部に、砂が残っていたことだ。
やはり、家で砂を吐かせる時間をとった方がよかったようだ。
ヴォルフには謝ったが、ダリヤのせいじゃないし、気にならないと言って、残さず食べてくれた。
二本目のワインは、彼の好きな白の辛口を開けた。
食後は二人で片付けをし、きれいに拭いたテーブルに、ワインとソルトバタークッキーを載せ直す。
「ああ、家でダリヤに贈る本を準備したって、兄上が。次にコルンバーノ達へ剣の付与を教える日に、君に渡す形でいいかな?」
「はい、それでお願いします」
妖精結晶の眼鏡の作り方を教えたお礼として、魔導書を頂く予定だ。
魔導具に関するものか、それとも水魔法・氷魔法の理論や解説だろうか。
今からとても楽しみだ。
「あと、領地の銀蛍は六月末ぐらいから七月が見頃だって、兄が。その辺りに行ってみない? ドナのお勧めは屋敷近くの夜犬の飼育場で、かわいい子犬がいることが多いって」
「どちらも楽しそうですね」
そこからは銀蛍の鱗粉が衛兵の夜警用魔導ランタンの塗料になること、夜犬の散歩が新人騎士の鍛錬になることなど、交互に話を重ねていく。
久しぶりに塔で話す楽しさに、いつもより早いペースで酒が進んだ。
それなりの時間を話し込んだ後、ヴォルフが窓に目を向けた。
見えるのは星が瞬く夜空、天気が悪いわけでもない。
けれど、彼は区切るように言った。
「ダリヤ、今日もありがとう。俺はそろそろ帰るよ」
「え、もうですか?」
思わずそう返してしまった。
いつもであれば、まだ共に飲んでいる時間だ。
もしかして体の調子が悪いのか、そう思ったが彼の顔色は悪くない。
むしろ珍しくお酒が回っているのか、ちょっとだけ赤い。
「いや、あまり遅くなってもいけないから……」
「あ、そうですよね」
考えてみれば当たり前である。
ヴォルフはようやく本邸でグイード達とくつろいで過ごせるようになったと言っていた。
国境から帰ったばかりなのだ。
家族との時間を邪魔してはいけないだろう。
ヴォルフが帰ってしまうのが寂しい――
そう思うのは、まだ話し足りないからか、酔いが回っているのか、今は考えないことにする。
ダリヤは見送りのために立ち上がった。
塔を出て、門の手前まで来ると、ヴォルフが足を止める。
「じゃあ、また明後日、王城で。そのときに予定のすりあわせをして、都合がいいときに家に来てもらえばと。ああ、もちろん、その日はちゃんと迎えに来るから」
「わかりました。お願いしますね」
彼はそのまま門の外に出ると、ダリヤが先へ進むのを片手で制す。
そして、そのまま門扉を閉めてしまった。
その行動に戸惑っていると、門の向こう、とても真面目な表情を向けられた。
「『ロセッティ男爵』の安全のため、門はここで閉めさせてください」
ヴォルフはいきなりそういう、からかいできたか!
しかし、ここのところ男爵男爵と言われまくり、少しは自分も耐性がついたのだ。
酔った頭を回しつつ、ダリヤは貴族向けの笑顔を全力で作る。
「お気遣いをありがとうございます、『スカルファロット様』」
丁寧な口調で会釈すると、ヴォルフは思い切り眉を寄せた。
「ああ、やっぱりその呼ばれ方は嫌だな……ダリヤが遠い感じがして……」
からかった直後、そんなに切なさと悲しさを山盛りにした表情と声を作らないで頂きたい。
心臓に悪い。
そして、こんなときだが約束を二つ思い出した。
遠いのが嫌だというのなら、ここは思いきり近さを主張しようではないか。
緑の塔を帰る場所の一つだと思ってくれたのだ、ここではもう爵位の壁も取り外そう。
ダリヤは内で気合いを入れ、いつもの笑顔に戻して続ける。
「ヴォルフ、二人のときはこの口調で話していいのよね。家ではなるべくそうするから。あと、アンダーシャツを追加した分、次に来るときに持ってきて。背縫いをしたいから」
「……ああ! どちらもぜひ、お願いします!」
一気に言い切ると、ヴォルフに全力でうなずかれた。
彼の方が丁寧な口調になってどうするのか、そうは思ったが、心配なのはそのままらしい。
「もう夜だし、君の安全のため、門は閉めていて。念のため」
「ええ、わかったわ。ヴォルフも気をつけて」
「ああ……じゃあ、また!」
門の向こう、ヴォルフがいつものように笑う。
その金の目に月光が映り込み、とても美しい。
たくさんの約束に満足し、ダリヤは門の内側から彼を見送った。
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いつもうれしくありがたく読ませて頂いています。
申し訳ありません。来週は親族の祝事のため、お休みを頂きます。
一週空けて再開予定ですので、どうぞよろしくお願いします。




