444.本屋と市場
コミカライズ『魔導具師ダリヤはうつむかない』(住川惠先生)第33話「紫の二角獣と焼き魚」、コミックガーデン最新号・MAGCOMI様で掲載となりました。どうぞよろしくお願いします。
凱旋の日はガブリエラや商会員達と食事をした後、ヴォルフに送られ、塔に帰った。
流石にここまでの疲れが出たらしい。翌日は昼まで起きられなかった。
起きてからは荷解きをし、服やシーツなどをまとめて洗濯業者に出す。
買い出しに行かなくてはと思ったが、ぴかぴかの冷蔵庫には、卵と牛乳とチーズ、ベーコン、カット野菜などが一通り入っていた。
『お疲れ様! 何かあったら気軽に呼んでね。 ルチア』
そう跳ねるような文字で書かれたメモが、クルミパンと一緒に冷えていた。
ありがたく頂いた後、お世話になった国境警備隊の女性騎士に礼状を書く。
国境警備隊や宿には、魔物討伐部隊の方で礼をするので不要とのことだが、警備はもちろん、着替えから細々とした生活用品までお世話になったので、彼女にだけはお礼を伝えておきたかった。
なお、最後の署名部分で、男爵の綴りを間違えて書き直すことになった。
そんな昨日を経て、本日はヴォルフとの約束の日である。
一緒に本屋へ行き、その後は市場を回る予定だ。
約束より早い時間に準備を済ませてしまったので、一階の仕事場で時間をつぶすことにする。
とはいえ、ランプブラックのワンピースに白いシャツ、どちらも汚したくはない。
魔封板に魔力通しの練習でもしようか――そう思ったとき、大きくいななきが響いた。
「え?」
気になってドアを開けば、すでに馬車が止まっていた。
御者台には、スカルファロット家庭番のドナが座っている。
もしや、自分が約束の時間を間違えたのではないか、ダリヤは鞄をつかみ、外へ駆け出す。
目の前の馬車からは、ヴォルフが飛び出てきた。
「すまない、ダリヤ! ちょっと早く着いてしまって……」
「ロセッティ会長、準備がまだでしたら、どうぞご遠慮なく!」
ヴォルフとドナに気遣われたが、すでに準備は終わっていたので問題ない。
「道がすいてたんですか?」
「いえ、ヴォルフ様がとても早くから準備してたんですよ」
「ドナ!」
ヴォルフが名を呼んだが、彼は笑って続ける。
「王都は九頭大蛇戦勝利でわき立ってるじゃないですか。お祝いなんかも多いんで、ここまで来るのに時間がかかるんじゃないかと思ったんですが」
「そうだったんですね」
気遣ってもらったことに感謝しつつ、ダリヤは準備を終えていたことを告げる。
そうして、馬車に乗り込んだ。
最初に向かうのは書店だ。
三階建ての黒いレンガ造り、二枚開きのドアを通ると、店内が大きく変わっていた。
「紙の本が増えたね」
ヴォルフの言う通り、一階に羊皮紙の本がなくなり、すべて紙の本に変わっていた。
薄い本が増え、並ぶ冊数も増え、さらにありがたいことに、お値段も大幅に安くなっている。
これは紙の普及ともう一つ、印刷機の普及だ。
金属の印刷機は隣国エリルキアで開発され、オルディネ王国にも広まっているという。
本は一気に身近になり、以前より店内の客も多くなっていた。
それでも、本を大切に扱うのは前と同じである。
ヴォルフと共に布手袋をつけると、時計回りの順路を進んでいく。
本棚の前の小机には、新刊が大量に積み上げられていた。
赤い表紙の本は流行りの恋愛小説らしい。
宣伝のカードに、『身分を超えての恋! 涙なくしては読めない、この純愛!』と大きく書かれていた。
涙なくしては、ということは悲恋ものだろうか。
物語はハッピーエンドがいい派のダリヤとしては、ちょっと手を出しづらい。
横のヴォルフも、妖精結晶の眼鏡の下、ちょっとだけ眉を寄せている。
二人ともそのまま横を通り過ぎた。
少し進み、ヴォルフが足を止めたのは、実用書、交際術のコーナーだった。
話術、礼儀作法、手紙の書き方など様々に並んでいる。
目立つところでは、男性や女性との付き合い方の本などもあった。
宣伝のカードを見れば、スマートなデートの誘い方、贈り物の選定方法、プロポーズの例などらしい。
こういった恋愛ハウツー本は前世でもあったように思うが、ダリヤは読んだことがない。
読む必要性にかられたことがないというのが正しいが。
「何か気になる本はありますか?」
「いや、ちょっと探しているところ……」
答えたヴォルフが、そのまま視線をさまよわせる。
彼が探しているのは、おそらく話術の本だ。
国境から帰ってくる中で、彼は赤鎧として宿場町の役職のある方々と食事をすることが多かった。
どんなふうに話していいか迷う、そう馬車でため息をついていたのを覚えている。
それに、スカルファロット家は侯爵家になったのだ。参加する祝いの席などで、さらに必要になるだろう。
「ヴォルフ、大変だと思いますが、頑張ってくださいね」
「あ、うん……」
背負うものは重いらしい。金の目を伏せてうなずかれた。
その後は上の階に上がり、エリルキア語の辞書を購入した。
すでに持っているものよりだいぶ厚く、単語数が多いものだ。
魔物図鑑に関しては隣国の方がくわしいものがある。
魔物の出現しやすい地理的条件や弱点など、オルディネの本にはない記述もあり、かなり驚いた。
ただ、わからぬ単語があったり、細かな表現が読み取れなかったりすることが多いので、そのための辞書だ。
学生時代、エリルキア語は苦手だったが、魔導具師の知識に関わる以上、気合いを入れるしかない。
「これも、一緒にお願いします」
追加で店員に願ったのは、ガラスケースの中にあった本だ。
とても薄いが、お値段は金貨五枚。
以前であれば手が届かなかったそれを、迷った末に買うことにした。
「ダリヤ、何か興味のある本があった?」
横の棚を見ていたヴォルフに問われ、ダリヤは本を包んでいた布を取り外す。
「はい。これ、鷲獅子の研究書なんです。素材としてもまだまだわかっていないことが多いので、参考になるかもと思いまして」
言いながら、ぱらりとページを開く。
残念ながら、学術的言い回しで半分位しか読めない。
「鷲獅子か……『きらきら光る物に興味を持ちやすい』って、鷲に近いかと思ったら、烏みたいで意外だね」
「ヴォルフ、もしかして、すらすら読めます?」
「すらすらではないけど、大体は。専門用語は辞書がいるけど」
ここに最高の教師がいた! ダリヤは勢い込んで願う。
「ヴォルフ、私では半分しか読めないので、わからないところを教えてもらえませんか?」
「もちろん。ダリヤの手伝いができるならうれしい」
自分が願ったのに、本当にうれしそうに笑まれてしまった。
甘えることになってしまうが、鷲獅子の生態や素材については、やはり知りたい。
うまくいけば、次か、その次の魔剣制作に活かせるかもしれない――
ダリヤも笑顔になりつつ、本屋を後にした。
次に向かうのは市場である。
店を左右にした通路は人であふれていた。
店先に積み上げられた鮮やかな野菜の山、売り台の上、氷と共に並ぶ魚貝類、吊り下げられたブロックベーコンにソーセージ、ちょっとだけ焦げ目のあるいい香りのパン――
売り込みの声や話し声、笑い声が混じり、祭りを思わせる活気である。
いや、実際、そうなのかもしれない。
「皆、九頭大蛇戦勝利にかこつけて飲み食いしたいだけですよ。俺も含めてですが――それより、お二人ともはぐれないでくださいね。この人波だと、夜犬を放つわけにもいきませんから」
後ろをついてくるドナに、そう言われた。
ここからは歩き、人波に紛れる形である。確かにはぐれたら大変だ。
「ダリヤ、その、はぐれないように――」
「ありがとうございます。お借りします」
ヴォルフがコーヒーカップの取っ手のごとくその腕を脇で固めてくれたので、遠慮なくつかませてもらう。
国境からの移動中は鍛錬が減っていたはずなのに、腕はがちがちに硬い。
自分の柔らかい腕の肉を、もう少し鍛えねばと思ってしまった。
「何から買おうか?」
「野菜、お肉、お魚の順でお願いできればと」
鞄の中、氷の魔石は持ってきているが、鮮度を考えてそう答えた。
本当は九頭大蛇戦勝利祝いに、腕によりをかけ、居間のテーブルを埋め尽くすほどに料理を並べようと計画していた。
だが、ヴォルフから一緒に料理をしたいと願われた。いろいろと覚えたいのだそうだ。
彼は出会った当時よりずっと料理がうまくなっている。
遠征で『黒の死神』から『黒髪のシェフ』と呼ばれる日が来るかもしれない。
もっとも、料理に関してはドリノがはるかに上で、絶対に追い越せないのだという。
『ドリノは卵二個、片手で同時に割れるんだ!』、笑顔でそう力説され、納得した。
「春キャベツがおいしそうですね」
「よし、買おう! あ、この青菜、すごく緑だね」
「それ、おひたしによさそうです」
野菜を吟味していると、台の向こう、店員が身を乗り出す。
「お二人さん、山芋はどうだい? おいしく疲労回復、滋養強壮に!」
「一本お願いします」
ヴォルフの疲れはまだあるだろう、そう考え、即座に頼んだ。
その後も店を回り、魚介と肉を買い込む。
途中、軽食として屋台で串焼きと揚げパンを食べ、エールを飲んだりもした。
おいしく味わっていたのだが、一番喜んでいたのはドナである。
「次から護衛に俺を指名してくれませんか、ヴォルフ様! 何でもしますから!」
エールを一気飲みした彼に両手を組んで願われ、ヴォルフが了承していた。
そうして買い込んだ山をヴォルフとドナが背負い、馬車に戻っていく。
途中、人の流れが一カ所に固まり、迂回せざるをえなくなった。
その先は雑貨店、何か追加の荷が入ったらしい。
「九頭大蛇を倒した魔物討伐部隊の絵、入荷しました!」
店員の声に、ヴォルフがけほりと浅い咳をした。
商人はもちろん、絵師も仕事は早いらしい。
店員が持ち上げる絵が、ちらりと見えた。
黒髪で赤鎧の騎士が、剣を九頭大蛇に向けている。
騎士は筋骨隆々で、立派な髭がついていた。
「あれはユドラス先輩なんだろうか? 俺なんだろうか?」
赤鎧で黒髪はヴォルフ、先輩のユドラスは黒に近い緑髪だが、二人とも髭はない。
お土産や記念の絵というのは、やはり『それっぽさ』が優先されるらしい。
再び歩き出し、最後に向かったのは塩と砂糖の店である。
購入するのは箱入りの氷砂糖だ。ずっしりと重いそれは、果実酒に使う予定である。
「今年は柚子酒の他に、ベリーで酸味の強いものがあれば漬けてみようかと思いまして」
春のベリー類は、甘いものと酸っぱいものの差が大きい。
酸味が強いのに当たったときはアルコールと氷砂糖を入れて果実酒にするつもりである。
そう説明すると、ヴォルフが目を丸くした。
「ダリヤは、果物をすべて酒にできるんだね……」
「いえ、果物全部はできませんし、お酒は最初からお酒ですから」
彼の相変わらずの言い方に笑みながら、馬車に乗り込む。
そうして、緑の塔に帰ることにした。




