419.屋外風呂と護衛
死闘を繰り広げた大地に、湯煙が白くたなびいている。
点在する九頭大蛇の首、氷柱に囲まれる本体――そんな中に二つの巨大な浴槽があった。
魔物討伐部隊員の土魔法持ちによって作られた、できたてほやほやである。
グイードはそれを感慨深く眺めていた。
浴槽の水はグリゼルダや隊員の水魔法持ちが入れた。
それを勝利宣言直後に到着した、部下で魔導師のシュテファン、そしてヨナスが、火魔法で加熱することになった。
オルディネの民は、風呂の温度に細かい。
この場においても、王城の大浴場と同じく、片方の浴槽は熱め、もう片方はぬるめと希望された。
ヨナスが熱い方を担当したが、これまで湯を作った経験が少なかったためか、加減違いの煮え湯ができあがってしまった。
グイードはすかさず大きめの氷を入れ、風魔法持ちのカークがかき混ぜ、隊員鍋は回避した。
そうして、無事な兜を使ってかけ湯をし、隊員達がとっぷりと湯に浸かっているのが今である。
池のように広い浴槽も、これだけ隊員が入ると狭く見えた。
だが、入り心地はなかなかいいらしい。
「じつに、いい湯ですなぁ……」
「ああ、骨身にしみる……!」
「最高ですね!」
皆がくつろぎに表情をほどいていく中で、一人、暗い言葉を吐いている者がいた。
「……いい死に場所を見つけたのに、生き延びてしまい、残念だ……今度こそ、戦場で華々しく散れると思ったのに……」
「レ、レオンツィオ様?」
「はい、解毒!」
エラルドが浴槽外から手を伸ばし、レオンツィオの後頭部へ、文字通り魔法を叩き込んだ。
「この中で九頭大蛇の血を飲んだ方はありませんかー? 弱毒ですが、いろいろとおかしなことを言い出す可能性があるので、危なそうな方、お近くの方は手を上げてくださいー!」
彼のその言葉に、けたけたと笑い続ける仲間の横、手を上げた隊員がいる。
他にも互いを確認しあい、複数が手を上げた。
九頭大蛇の血を飲んだ者は、ヴォルフの他にもそれなりにいたらしい。
「道理でレオンツィオ様がおかしいことを言うわけですね」
「レオンよ、安心せよ。まだこの先も戦いはあるぞ」
「――失礼しました。毒に酔っていたようです」
湯を片腕ですくい、顔に叩きつけたレオンツィオが笑顔を浮かべる。
周囲がそれにほっとしていた。
あのままダリヤが残らなくてよかった――グイードは素直にそう思う。
服を脱いだ隊員達の多くは、火傷で皮膚がただれ、数多くの傷を負っていた。
すぐにエラルドが治癒していたが、それでも彼女は我が事のように痛みを感じただろう。
十人いたら十人が戦闘向きではないと判断するであろうダリヤ・ロセッティは、その身に魔物討伐部隊の騎士服をまとって、自分より早く戦場へ駆けつけていた。
まったく、予想がつかない魔導具師である。
なお、セラフィノに関しては、後でじっくりゆっくり話し合うつもりだ。
「おお、やはり大剣持ちの上腕二頭筋はカーブが違うな」
「そちらも大盾持ちにふさわしい、見事な大胸筋ではないですか」
浴槽近くで森の警戒をしているため、隊員達の声が耳に入ってくる。
騎士団は身体管理も仕事のうちなので、当然の内容かもしれない。
「ランドルフ、硬っ! お前、背筋凄いな! 男は背中で語れを地でいってる……」
「いいなぁ、俺も鍛錬してるんだが、背中側にはなかなかつかなくてな。腕はこの通りだが」
「先輩はそうおっしゃいますが、腕もしっかりしていますし、全体の均整が取れています。自分は軸足に力をかけすぎるのか、左右の太さがそろわず……」
「走り込みが足らん、走り込みが!」
「走り込んだら足が細くなる俺はどうすれば?!」
話題が偏っているような気がするが、確かに艶やかでしっかりした筋肉というのは、騎士らしくかっこいいものだ。
それに魔導師も模擬戦の後は魔法談義になることが多い。
きっと似たようなものだろう。
「俺は鍛錬も頑張っているつもりですし、一生懸命食べてるんですが、どうして筋肉がつかないんでしょうか?」
「魔力に回るんじゃないか? あの風魔法、滅茶苦茶凄かった!」
ちょっとだけ口を尖らせた緑髪の青年の肩を、ドリノが叩いている。
しかし、やはり青年は不満そうだ。
「レオンツィオ様もすごく鍛えていらっしゃるんですね……」
「お褒め頂き、ありがとうございます、カーク殿。鍛錬の甲斐がありました。ただ、グリゼルダほどではないのですが」
「え?! グリゼルダ副隊長! ちょっとご一緒に風呂はいかがですか?」
突然叫ばれたグリゼルダが、不思議そうに振り返る。
彼は今、倒れた八本脚馬にポーションを飲ませている最中である。
「カーク、副隊長の仕事の邪魔をするなよ」
「はい……筋肉の付け方を伺いたかったのですが……」
「それならゴッフレード様に伺ってきたらどうだろう? 大変しっかりしたお身体をお持ちだ」
「そうします!」
ざばりと上がったカークが隣の風呂に移り、ゴッフレードの元へざばざばと進んで行く。
筋肉への憧れは、苦手の熱い風呂も平気にさせるらしい。
「筋肉を付けたい? 私は身体を大きくしたいなら、牛乳と小魚、卵の白身、赤身の肉を多めに、肉の脂身とパンは少なめにと、若い頃に教わったが……」
「え、パンは駄目なんですか?」
「夜更かしや寝不足もよくないと言われるな」
筋肉には、食物と睡眠も密接な関わりがあるらしい。
つい聞き入り――その後に斜め前を見ると、森を警戒するヨナスが目に入った。
その暗褐色の騎士服はドラーツィ家からのものだ。
一体どれぐらい付与を重ねているのか、気になるほどの出来映えである。
本人にもよく似合っており、鍛え上げた体躯がよくわかる。
「……鍛錬、か……」
指先が、つい己の脇腹に向いた。
王都に戻ったら、自分ももうちょっと鍛錬を増やす方がいいかもしれない。
あと、牛乳と小魚と脂身の少ない肉を多めに、パンを減らすか――
そんなことを考えつつ視線を動かすと、浴槽の端にヴォルフの姿を見つけた。
今まで見つけられなかったのは、体育座りで背中を丸め、顎まで湯船につけているからだろう。
もしや気分が悪いのか、心配になったグイードは、弟へ声をかける。
「ヴォルフ、エラルド様に解毒してもらったそうだが、もう平気かい?」
こくり、自分にうなずいたヴォルフは、口を開かない。
顔が少し赤いのは、温まりつつあるせいか。それとも――
真面目な話、かなり血を流したようだ。温まっても寒気があるのかもしれない。
と、そこへ自分を呼ぶ声が聞こえた。
ヨナスが自分の指示を確認したいらしい。
グイードは弟を気にしつつも、そちらへ移動した。
兄を見送り、両手で顔を覆ったヴォルフは、お湯に深く沈む。
「ダリヤに抱きつこうとするなんて……兄上に氷魔法が欲しかったと愚痴るなんて……エラルド様には、九頭大蛇の血は特殊な毒だって言われたけど、俺って……俺って……」
ぶくぶくと口元に泡立つ音を、誰も聞き取ることはできなかった。
「来客だ、魔導師と騎士が複数――」
ヨナスの言葉を聞きながら、グイードは土壁へ向かう。
慣れた気配に、近づく者が誰かすぐわかった。
「有事により特例! 王城騎士団魔導部隊より参戦の――」
息を乱して駆けてきた魔導師達、それに続く国境警備隊の騎士達は、土壁を抜けてすぐの場で、全員硬直した。
目の前に信じがたい光景が広がっていたからだろう。
真っ平らな大地にごろごろ転がる九頭大蛇の首、白い氷柱の中、凍りつく本体。
湯煙を上げる巨大な浴槽二つ――そこに魔物討伐部隊員達が入り、話し声と笑い声を交差させている。
勝利したのは一目でわかるが、周囲を見ても倒れている者は一人もいない。
ポーションにも余裕ができたので、一部の騎士が八本脚馬や緑馬に飲ませている。
もしゃもしゃと薬草煎餅の咀嚼を終えた八本脚馬にいたっては、転がる九頭大蛇の頭を前足で蹴ろうとして止められていた。
「まったく――少しは残しておけなかったのかい、グイード?」
最初に硬直を解いたのは、白髪交じりの朱の髪を持つ女性だ。
その橙の目が、恨めしげに自分を見る。
身に着けているのは王城魔導師の黒いローブなのだが、表面に黒糸で魔法陣が刻まれている完全戦闘用、手にしているのは赤光りする黒の長杖である。
どう見ても休暇の装いではない。
「ダフネ副長、私が来たときにはもうすべての首が落ちていました。私はセラフィノ様の依頼で本体を凍らせただけです」
嘘はついていない。
功は魔物討伐部隊にある。自分はただ惰性で進む九頭大蛇の体を凍らせただけだ。
ちょっと気合いが入りすぎ、父から持たされたスカルファロット家の長杖、その水晶に閉じ込めた稀少な魔核を割ってしまったが――
叱られることはない、そう言い切れた。
「国境警備隊の皆様には、周囲の警戒と警備をお願いしてもよろしいでしょうか?」
「了解致しました!」
国境警備隊の騎士達が、フィールドに散っていく。
森から九頭大蛇の死骸を狙う獣が出てこないとも限らない。安全に越したことはないのだ。
「グイード、あれはどのぐらい保つ?」
自分の隣に来た魔導部隊の副隊長は、一段声を低くする。
その橙の目が見ているのは、九頭大蛇の本体である。
「半日は触れるものすべて凍るかと思います」
「ならいい。前回の記録では、たった一晩で九頭大蛇の死骸の三分の二がなくなった。夜警の騎士もどうにもならなかった。獣にワイバーンまで来たとか、運の悪さに輪をかけてね」
それはグイードも知っている。
九頭大蛇戦の少ない記録にあったことだ。
「前に酒を飲んだ者が、たまたま九頭大蛇の死骸運搬の者でね。その場で九頭大蛇を食べた痕はなかったそうだよ」
「――とても興味深いですね」
「せっかくの貴重な素材がもったいない。今回は、九頭大蛇の血一滴も渡さない。もし出てきたなら、獣も魔物も『それ以外』も、すべからく倒そうじゃないか」
糸切り歯をむき出しに、ダフネが笑う。
ゆらりと流れる熱い魔力に、グイードは部下として一応の願いを告げる。
「利用できるものは有効に利用したいのですが」
「選別は任せたよ、グイード。私が焼き焦がす前にしておくれ」
「承りました」
中隊長というものは、難しい任務ばかり振られるものだ。
自分はスカルファロット侯爵となったので役を降りることもできるのだが、興味深い話が聞けるならしばらくこのままでいた方がいいだろう。
「土魔法持ちは森の前に土壁を作っておくれ。一カ所、八本脚馬が通れるほどの隙間を空けて」
「わかりました!」
答えた魔導師達により、森側には土壁が作られていく。
隙間を空けるのはそこを出入り口にするためだ。敵が誘われてくることもあるかもしれないが。
「では、私は右側へ参ります」
「左側は私だね。グイード、もし壁を越して森まで焼いたら凍らせておくれ」
「ほどほどでお願いします、ダフネ副長」
国有数の高火力を持つ上役は、途端に不機嫌な表情になった。
「嫌だね。狭い王城で加減しろと言われ続け、外にはろくに出られない。ようやく休暇をとって出てきたら九頭大蛇はもうぶつ切りで転がっているとか、この国は火魔法使いの活躍の場がなさすぎる!」
本音がダダ漏れである。
隣のヨナスにも聞こえたわけだが、彼は咳一度で耐えた。
「はあ、九頭大蛇の黒焼きを楽しみにしていたのに、夢がなくなったよ。いっそ引退して冒険者にでもなろうかねぇ……一緒にどうだい、グイード?」
「魅力的なご提案をありがとうございます。ですが、私は最愛の妻がおりますため、女性とパーティが組めないのです」
「青い坊ちゃんが、ずいぶんと貴族男になったじゃないか」
その言葉は聞かぬふりをする。
王城に入ったばかりの頃の模擬戦では、ダフネに攻撃が若すぎると笑われたものだ。
もっとも、いまだに勝ち星が足りないが。
「しかし、ずいぶんといい眺めだねえ……」
その感嘆の声に、グイードもヨナスも相槌が打てない。
視線の先、魔物討伐部隊員達が風呂で笑い合う姿がある。
その肌色度の高さに関して、上役であり、先輩魔導師であり、淑女である彼女になんと言えばいいものか。
「誰も倒れていない戦場で、戦士達が素で笑い合う、これ以上の眺めはないよ」
「ダフネ副長……」
彼女の年代は、前回の九頭大蛇戦の凄惨さ、その被害の大きさを知っている。
それをようやく思い出した。
「さて、屋外風呂もいいけれど、迎えが来たらすぐに送り出しだ。魔物討伐部隊は皆、疲れているだろう。今日は宿で熟睡してもらわないと」
「そちらの護衛にも人数を割きますか?」
「ああ、それは大丈夫だよ。たまたま手空きの傭兵が多くいて、こづかい稼ぎに手伝いにくるところだ。そのまま魔物討伐部隊の宿の警備を頼めばいい。推薦状もある者達だから、安心して任せておける」
国境近くのこの街には、傭兵ギルドの支部がある。
近年、戦のないオルディネにおいては、傭兵は護衛役であることがほとんどだ。
貴族や商人などの護衛、屋敷の警備、旅の守りなどを引き受けている。
国境大森林近くは、街道でも魔物が出てくることがあるので、出番も多いだろう。
傭兵で推薦状もあるということは身元も腕も確か。
そんな者達が守ってくれるなら、魔物討伐部隊員が熟睡しても心配はない。
それだけをこの短期間で揃えられることには、驚きしかないが。
「ダフネ副長、流石の腕の長さですね」
「私の腕はそこまで長くないよ。どこぞの魔女の仕業に決まってるじゃないか」
『魔女』、それだけで誰を指しているのかはわかる。
公爵家の魔女、オルディネの魔女――そう呼ばれるのは、アルテア・ガストーニ前公爵夫人だ。
ガストーニ公爵家は、風の魔石を扱うと共に、強い風魔法の使い手が多いことで有名だ。
傭兵ギルドにも帆船を貸し付けているというつながりも聞いており――確かに、その腕はとても長いらしい。
「御執心のようだねえ、『黒の死神』に。魔女を踊らせるなんて、なかなかしたたかな弟じゃないか」
アルテアは、確かにヴォルフと交流がある。
王城で何かあればすかさず手を伸ばしてくれる程には情もある。
だが、一つだけ違う。
グイードは心からの笑みで答える。
「いいえ。とても素直で、黒い子犬のようにかわいい弟ですよ」




