二十八話 『あーん』は予想外です
「それならどうするんだよ……みすみす下級騎士に落ちろっていうのか!?」
声を荒げるギルバートにアーチェスは肩をビクつかせるが、無理なものは無理なのだとはっきり口にする。
しかしその瞬間、ギルバートの表情は恐ろしいほど歪み、勢いよく右手が振り上げられた。
──パシン!!
「…………きゃっ!!」
左頬を打たれたアーチェスは体が吹っ飛んで床に倒れると、痛みに耐えながら上半身だけ起き上がり、打たれた頬を抑えながらギルバートの顔をちらりと見る。
自身を見下ろすその姿は、恐ろしいほどに冷たく、婚約者に向けるものではなかった。
「ギルバート様……っ」
「どうして金がないんだ!! 金がないと俺は降格させられてしまうんだぞ!? ことの重大さが分からないのか!!」
「別に下級騎士でも良いではないですか……! 私は別に貴方様が降格されても変わらず愛して──」
「黙れアーチェス!! お前のその浮ついた感情で俺は偉くはなれないんだよ!! そんなこと言ってる暇があったらさっさと金を──」
「…………?」
急に話すのをやめたギルバートを、アーチェスは食い入るように見つめる。
ニタァッと笑みを浮かべたギルバートの表情に、流石のアーチェスでも背筋が粟立った。
「ああ、そうだよな。無いものは仕方ないよな」
ギルバートはそう言いながら片膝を突くようにしてしゃがみ込むと、床に倒れているアーチェスの顔を覗き込む。
アーチェスは再び肩をビクつかせると、また打たれるのではないかとギュッと目を瞑るが、痛みがやってこない。
叩くつもりではないのかとそろりと目を開けると、力強く抱き締められていることに気が付いたのは、ギルバートの手がアーチェスの背中を優しくぽんぽんと叩いたときだった。
──良かった……機嫌を直してくれたのね……。
このときアーチェスの精神は、ギリギリを保っていた。
初めはギルバートはとても優しく、盲目になるほど愛したアーチェスだったが、最近では冷たく、今日のように手を上げられることだってある。
それでも、アーチェスはセリスを傷付けてでもギルバートと添い遂げたいと思ったのだ。それほどに愛したのだ。
──だから、いくら冷たい目で見られようが、殴られようが、これは因果応報なのだと。アーチェスはそう思うことによって、自身の精神をギリギリのところで保っていた。
けれどそれは耳元で囁かれたギルバートの言葉により、瓦解していくことになる。
「アーチェス、セリスを上手く呼び出してくれないか?」
「ど……どうしてですか……?」
「あいつを高級娼館に売るんだよ。それで金を作る」
「何をっ、何を言っているのですか……っ?」
──ガラガラガラ。そんな音が耳元で聞こえた気がした。
アーチェスはギルバートに好意を持ち、その思いを伝え、あまつさえ婚約者になってからというもの、人生でこれ以上がないくらいにはセリスに対して罪悪感を感じている。同時に、幸せになって欲しいとも思っている。
そんなことを言える立場ではないことも重々承知だけれど、願うだけならば構わないだろうと。
だからアーチェスは自分が傷つくことに対しては、再三だけれど因果応報だと思っているので構わなかった。
──けれど、セリスは違う。
セリスは自分の婚約者を奪われてでもなお、アーチェスの幸せを願ってくれた。
そんなセリスを呼び出し、高級娼館に売ってお金にするだなんて──それも生活や誰かのためではなく、ギルバートが降格しないためにだ。
アーチェスは元から頭が良くないし抜けたところは多い。初めての恋に歯止めが効かなくなって、セリスを傷付けた口で何を偉そうにとも思うけれど。
優しい義姉をこれ以上、苦しめるようなことだけはしたくなかった。
「お義姉様にそのようなことはさせません……!! ギルバート様いい加減にしてくださいませ!!」
「アーチェスのくせに生意気なァ……!!!」
「キャァァア!!!」
ギルバートが立ち上がると同時に思い切りアーチェスの髪の毛を掴む。
痛みと恐怖で叫び声を上げたアーチェスの部屋の扉が、バタン! と大きな音を立てて開いた。
「何をやっているの……! その手を離しなさい……!」
アーチェスの叫び声を聞きつけた母が部屋に入ると、喧嘩と言うには度が行き過ぎている光景に、どう反応したら良いものか分からなくなる。
唯一分かることといえば、いつものほほんとしてギルバートにべた惚れだったアーチェスの瞳が、ギルバートに対して怒りをはらんでいることだ。
「お母様聞いてください! ギルバート様がお金のためにお義姉様を娼館に売るから呼び出せと……!」
「……!?」
「そんな方と家族にはなれませんわ!! 私は何をされたって構いませんが……お義姉様を巻き込むつもりでしたらこの婚約は──」
「黙れえええええ!!!」
アーチェスが何を言おうとしていたのか見当はつく。父親にそれだけはされるなと言われていたことだ。
けれどギルバートには、ここでアーチェスに頭を下げたり、義母に泣きながらお金の工面を頼み込んだりするような可愛らしさはなかった。
──キィン……と、鞘から刀が抜かれる音に、アーチェスと母の瞳は恐怖に染まる。
ギルバートは「死にたくないよなあ?」と脅し文句を吐き捨てて、二人にある命令を下すのだった。
◆◆◆
森の巡回の次の日。夕食のときだった。
配膳を終えたナーシャは「ごっはん〜」と言いながら席に着くと、直後に隣に座るセリスを見て、カチャンとスプーンを落とした。
「あらあら」と言いながら、トレーをテーブルに置いたミレッタがそのスプーンを拾い顔をあげると、視界に入ったセリスに、ミレッタもカチャン、とスプーンを落とすことになるのだった。
「ジェドさん……いくらなんでもこれはやめませんか──って、もぐもぐ……」
「美味そうだな。これ、セリスが作ったのか?」
女性陣が目を点にして食事が手に付かない中、団員たちの反応は様々である。
テーブルに伏せて現実を見ないようにするもの、逆に食い入るように見つめるもの。ハーディンは何とも言えない顔をしながらも、流石に今はスプーンを落としたナーシャの気持ちが分かるようで突っかかることはなく。
「むむ……見てられん……」と言いながら目を逸らすウィリムの先には、あーんをしているジェドと、おずおずと口を開くセリスの姿があった。
「確かに何でもしますとは言いましたが……これはっ、もぐもぐ……」
「律儀に食べるあたり真面目だな。あと可愛い」
「…………。ごくん。そろそろご容赦を……」
「だめ。セリスが言ったんだろ? 助けてもらったお礼に今日から三日間は俺の言うこと何でも聞くって」
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