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恋のほのお  作者: 桃山城ボブ彦
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第64回~昭和44年8月18日「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」(1)


「せっかくのお誘いやけども一哉はねぇ……なんや今日は大貫さんところのお嬢さんと集会に行くいうて今朝方出ていったんですよ」


「ああ、大貫さんと……。そうですか、いや、わかりました」


「ごめんなさいねえ帰省してせっかく電話してくれたいうのに。あの子もホンマあんな運動にばかりかまけて……帰ってきたら波多野君から電話あったと言うときますね」


「いやいや、また電話さしてもらいまっさかい……ほな、失礼します」


 通話を終えて受話器を置くと、自宅の壁にそっと手を置いて夕方の虫の音にでも耳を傾けるしかすることがなくなっていた。予想し、分かっていたこととはいえ、「その時」がやっぱり訪れたことを知らされたのだから。今から殴られるぞ、横っ面を張り倒されるぞ、と覚悟していたとしても殴られる痛みは大して変わらない。

 遅い帰省のついでにどこかでコーラを飲みながら三人で積もった話でも、などという考えは甘かったのだろうか。いや、それ自体は日を改めれば簡単なのだろうが。


「分かっていたことなんやけどなあ」


 自嘲の笑いがでる。が、何のための笑いだというのか。

 僕は「役者」になることをあれほど拒否したくせに、結局はそこに行きついてしまったのだ。距離や外面を言い訳にし続けた僕は今、どこにいるのだろう。


 電話が、今度は自ら音を鳴らしはじめた。コーラが三本ばかり入った雑貨屋の袋を冷蔵庫に放り込んでいた僕は、また廊下の中ほどの電話台へと舞い戻らなければならなくなる。


「もしもし……芳村ですが……」


 おっとりとした声で語りかけてきたのは近所の大学生からだった。なんということはない関係の相手からの電話だった。でも、今日に限っては救いの声のように聞こえる。おケイが石堂の下へ去ったことで世界から人が消えたような錯覚を覚えようとしていたからだ。


「ああ、芳村さん。どないしました?」


 僕は喜びを必死に隠しながら、一方ですがるように受話器にむさぼりついた。


「なんや波多野ご本人かいな。いきなりやがお前今晩は暇か?」


 受話器の向こうから遊ぶことに関したら人後におちない大学生の声が響く。


「ええ、たった今ヒマになったところですわ」


「ほうかほうか……。いやナ、さっき車で通ったら雑貨屋から出てきたお前見てナ……帰省しとったんやな……。実は今晩元町でパーティーをやるんやが男が足りひんねや。来るか?」


「パーティー……ですか?」


 思わず怪訝な声が出る。芳村さんと遊んだことは幾度となくあるが、それは全て男ばかりでのものだった。ギターを弾いたり、ブルー・フィルムを観たり、といった空間には女の子はいなくともいいのだ。

 しかし……パーティーとなるとそうもいくまい。


「せや、格式張らないやつをな。サマージャケットなんぞいらん。ジーンズにシャツでええ」


 こちらの気持ちも知らず、芳村さんは会の詳細を語り始める。


「はあ」


 僕は受話器を少しだけ耳から話してみた。芳村さんの誘いに魅力を感じ始めている自分を少しでも制しなければならない。


 恵子が好きなのだ。どうしようもなく、好きなのだ。こちらがどんなに奥手な人間だったとしても、斜に構えていたとしても世界の誰よりもあの少女に惚れ込んでいたのだ。恵子がこの世にいるのに他の女の子と冗談のうちにでも遊ぶなど出来る訳がないじゃないか。


「せや。あとお前、向こうで女の一人でも出来たか?」


「まさか! そんなんとてもとても」


 しかし、電話の相手はそんな葛藤など知る由もない。彼はただただ、愉快な、そして人を鋭く射抜いてくる言葉で僕を夜に引き寄せようとする。僕の心のうちを知る人間は……石堂だけなのだ。


「なんや、しょむないやっちゃなあ」


 呆れたような甲高い声がした。


「まあ、そんなお前に朗報や。今日はええ女もぎょうさん、来よる。涙、ちょちょぎれるデェ」


「……一体、どういったパーティーなんです?」


「パーティーに理由がいるか? 適当に女と遊ぶだけや。上手くいけば寝る。それ以上にオモロイことあるか?」


 呆れたような通話相手の口調にじれったさが混じり始めた。芳村さんが、僕の想いを知っているならばこうも性急に答えを急かさないだろう。


「波多野は生真面目だからナ。少しは美人と話したり、まあ楽に物事かまえなアカンで」


 これが最後通牒だな、という感触があった。どんな時でも煮え切らない返事は好まれない。イエスかノーか、答えねばならないときが来た。


 石堂ならどうしただろう? 彼なら恵子と付き合っていなくても二言目には断っただろう。恵子がいる現在なら尚更だ。

 でも、僕は違う。恵子はもうあのエネルギーの塊のような男になびいてしまったのだ。僕はどうあがこうとあの子の友人以上の存在には最早なりえない。

 ……新しくやり直しをしなきゃならないのだ。もう、ピエロではない。誘惑に抗えなかったからといって批難をされるいわれなどどこにもありはしない。楽になったっていいのだ。


 僕は耳をべったりと受話器に、そして唇を唾液がつくほどにまで送話口へ近づけた。


「ありがたいお話でビックリですわ。行きますわ……何時からで?」


 我ながら軽薄な声だと思った。


「ああさよか。七時半から、会費は三千円や。三十分したらお前ンとこに車で迎えに行くわ」


 芳村さんの抑揚のない声が返ってきて、通話が終わった。受話器を置きながら、取り上げた時よりも心は少しだけ楽になっていた。いつまでも恵子と石堂を仰ぎ見ているだけでは前には進めないと気づきだしたなら、これまでのような息を潜めるような感情とは違う感情を覚えることは決して悪くない。

 まさか、女と寝るなどということはないだろう。知識はあってもそんな蛮勇はない。ビールを呑んで可愛い子相手に冗談をいえたら今はそれでいいのだ。僕は一番上等なシャツとジーンズを取りに階段を昇りながら、この近所の住人に深く感謝するしかなかった。



 ブルーバードは国道二号線を夕陽を追うようにして走っていく。この近辺で建設中のハイウェイのためだろう、居合わせたミキサー車や砂利をいっぱいにしたダンプ・カーを縫うようにして、たくみにギアを入れ替えながらハンドルを操る芳村さんは、スピードを上げれば上げるほどに無言になっていく。


「こなくそ……こなくそ……」


 この人がスピード狂だとは知らなかったな、と感じた。もっとも、この車に同乗したことは何度かあったが、近所のごくわずかな距離ではそんな本性をうかがい知る事は出来なかった。


「こなくそ……よぉあないで運転免許取れたのぉ! なぁ、波多野!」


「はあ」


 生返事とともに僕は助手席のシートに身体をうずめた。聞きたいことがあったが、今は芳村さんに何も話しかけない方がいいだろう。そうでなきゃ身が持たない。


 それにしても恵子以外の女の子とマトモに会話する、遊ぶだなんて機会はいつ以来だろうか。信号をきっかけに芳村さんに話しかけようと思いつつそんなお題を頭に思い浮かべる。だが、程なくしてそれが無意味であることに気がついた。

 この数年は恵子と石堂との行動が全てだった。価値のある空間にはいつも二人がいた。それ以外の記憶など分かったものではない。だからこそ僕はそんな貧しい思い出から逃れようと今、願っている。昨日は昨日、今日は今日だ。僕は自らを納得させるべくゆっくりと頭をふった。


 石屋川あたりで信号が車の行く手を遮ってくれた。不機嫌そうにライターでタバコに火を点けようとするドライバーに、僕は些細にしてずっと温めていた質問を行う。


「今日のパーティーって、他、誰か僕でも知っとるような人、来たりしますか?」


「ん?」


「いや、別にどっちゃでもええんですがね。大勢の人が来るなら芳村さん以外にも顔見知りがいた方がやりやすいかなあ思うて」


「ふむ……」


 芳村さんは少し虚空を見上げ、それからゆっくりと一名の名を挙げた。


「せやな。……今晩はアメリカ帰りの福村が来よるな」


「福村さん……ですか」


 その名を口にする時に微かな躊躇を覚えた。長い髪から見え隠れする陰気な目で、全ての物事を小馬鹿にし、全ての人物に激しく嫉妬を抱くあの男が来るというのか。


「なんや、()()()アイツ苦手か? クセが強いやっちゃからなあ」


 わずかなためらいの雰囲気を芳村さんは敏感に察知した。彼もいうほどはあの小男と親しくないらしい。


「ハハ……」


 共感を覚えることを誤魔化しながら僕は相槌を打つ。嫌味な存在がその場所にいることなどは別にいい。彼には久しく会っていないし、こちらのことなど覚えていないかもしれないのだ。


 でも、石堂の横顔がチラチラと脳裏に浮かぶことは気持ちのいいものではない。福村さんの顔を見ると、きっと僕はかつてその本性を知りながら幼なじみに伝えなかったことへの後悔にもにた気分に包まれてしまうことになるはずだ。あの時福村さんの正体をキチンと伝えていたら、違う今日があったのだろうか。

 昨日は昨日、今日は今日などではなかった。結局、僕の侘しい心はどこかで政治集会に行っているであろう二人の男女から離れられやしないというのか。


「でも……言っておくけどな波多野、いくら気ぃ悪うさせられても福村に手ぇ出すなよ」


 信号が変わり、車を発進させはじめた芳村さんがポツリと言った。


「いや、そんなことは……。しかし、なぜ?」


「今晩のスポンサー。アイツの親父さんの会社や」


 芳村さんは続けて、大阪に本社がある日本有数の重機会社の名前を挙げた。


「学生が豪華なパーティーやろうとしたらどうしても後ろ盾が必要でな……そういう時、アイツは便利な存在なんよ。電話一本でビールからウイスキー、フランス・ワイン、それどころか寿司やビフテキまで手配してくれよる」


 乾いた笑いと共にブルーバードのスピードが再び上がり、やがて摩耶のインターチェンジからハイウェイへと入っていく。


「へぇ……」


 何度目かの生返事をすると、僕はまたシートに倒れこんだ。あの男にそんな人のいい面があったとは。

 しかし、それは十中八九仮面だ。おそらくだが、芳村さんは福村という男をひねくれた割に御しやすい有用な人間だとでも思ってるのだろう。でも、福村さんはそんな本心などとっくに看過しているのではないか? きっとあの京都の男は、愛想笑いで害意と軽蔑をひたかくしにして芳村さんに接し続けていたのじゃないだろうか?

 そんな推理がもし当たっていたとしたら、彼は僕などよりも数等上の「役者」だということになる。だが、恋に負けたから演技をしているこちらなどとは違い、何が悲しくて不自由ない存在でありながら殆どすべての世界に対して演技を続けねばならないというのだ。

 

 暗澹とした気分が漂ってきた。一体今日これから、なにが起こるというのだろう。楽しい時間など本当に用意されているのだろうか? 僕は無性に家に帰りたくなった。

 だが、煌煌とヘッドライトを灯したブルーバードは埠頭の巨大なクレーンのシルエットを横目に、神戸の街のギラギラとした夜景と一体になっていこうとする。

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