20. 北部へ 後日談(2)老エルメ卿ふたたび
「的中!」
初冬。
ダヴィネス城の弓技場。
並んで弓を構えるのは、ダヴィネス領主夫妻のカレンとジェラルドだ。
今日は、カレンの鍛練にジェラルドも付き合っていた。
カレンは、初めてジェラルドが弓を構える姿を見た。
ジェラルドも騎士なので、もちろん一通りの技術は体得しているが、専ら剣を振るい弓を放つことはまずない。
しかしどうだ、ひとたび弓を構えれば、まるでど真ん中しか存在しないように的を射る。
ジェラルドの弓幹は、体格に合わせた長弓で、かなり遠い的に届く。ゆえに力を要するし、難しい技術も必要だ。
だがジェラルドは、久しぶりだというのに的を外さない。
シャツに胸当て、大きな弓幹を構えて、逞しい腕で力強く弦を引く。
深緑の瞳は鋭く光り、的の中心に狙いを定める。
ジェラルドの一矢目を見たカレンは、驚きとともにあまりの勇姿にぼーっとしてしまった。
「レディ」
「……」
「レディ?」
「…はっ、はいごめんなさい!」
「お次はレディです」
ジェラルドに見とれてぼーっとしていたカレンに、第5部隊の古参の騎士が声をかける。
ジェラルドはカレンの様子にクスリと笑う。
カレンは誤魔化すように、コホン!とひとつ咳払いをした。
…だって、カッコいいんだもの…
ひとつ息を吐いて集中すると、弓を構えて一矢放った。
「的中!」
「さすが、エルメが太鼓判を押すだけあるな」
ジェラルドが嬉しそうに感心する。
「エルメ卿からいただいた、この弓幹のお陰です」
「ふむ…その弓幹を見ると、嫌でもヤツを思い出すが…」
と、ジェラルドは弦を引くと次の一矢を放つ。
「的中!」
「…ヴィトを譲り受けたのは、あなたが居て、その弓幹があったからだ」
と、背後を振り向く。
カレンも振り向く。
そこには、老エルメ卿とアンジェリーナ、そしてヴィトと名付けられた小さな狼犬が遊んでいる。
いかにも平和的な光景に、カレンとジェラルドは顔を見合わせて笑った。
*
「…そうか、ヴァン・ドレイクの倅がのぅ…」
弓技の鍛練を終えたカレンとジェラルド、そしてエルメ卿は、第5部隊の詰所に居た。
北部でのヴァン・ドレイクのこと、その息子がカレンの弓幹に気づいたことを話す。
エルメ卿は遠い目をしていた。
「レディに差し上げた弓幹は、儂がカシャ・タキにおった頃のものじゃて」
「先々代を射たという?」
ジェラルドが聞く。
「そうじゃ」
エルメはジェラルドの目を見て頷きながら答えた。
カレンは、譲り受けた弓幹にそんな過去があったことに驚いた。
エルメは、赤ん坊の頃に北部の山間に捨てられ、カシャ・タキに育てられた。
一族の中で分け隔てなく育てられはしたが、血の結び付きを重要視する風習の中で、自分はカシャ・タキではない事実を知ったという。
エルメは、北部戦線が膠着していたある日、先々代の辺境伯を射ることを条件に『本物のカシャ・タキにしてやる』と言われ、単身敵中に乗り込み、失敗した。
わずか7歳だったという。
子供ながらに捨て駒にされたことを知り、故郷を失ったエルメはヤケになったところを、弓術の高さを買われ、先々代に説き伏せられたうえ、ダヴィネス軍へ入ったとのことだった。
「先々代は、見た目はジェラルドとよう似ておった…つまりはかなりの男前じゃて」
と、茶目っ気たっぷりでカレンを見た。
カレンは静かに微笑む。
「あの頃の辺境は常にどこかで戦いが繰り広げられておってな。キナ臭い日常じゃった。儂は当分、かつての敵へ寝返った事が後ろめたかったが、ええか悪いか、日々の戦いがそれを忘れさせたの」
エルメは、戦地で射って射って射まくり、戦うごとにカシャ・タキへの郷愁を忘れた。
「はじめは儂を警戒しておったダヴィネス軍も、段々と儂の功績を評価してくれたんじゃて」
カレンとジェラルドはエルメの話をじっと聞く。
「特に先代とは年も近うて、よう気にかけてくださった。第5を任すと先代に言われて、儂はここ(ダヴィネス)へ骨を埋める覚悟を決めたんじゃて」
ダヴィネスの第5部隊は、エルメ仕込みの弓技で、戦場ではなくてはならない存在となった。
今では知ってか知らずか、エルメの出自をどうこう言うものは、ただの一人もいない。
「まあしかし儂も年を取った。最近、カシャ・タキでの幼い日々を思い出すことが多くての」
と、目尻の皺を深くした。
「狼犬の子犬っこ…あの金の目は懐かしいの」
カレンとジェラルドは、何も言葉を発せなかった。
ジェラルドも、ここまで詳しいエルメの話は初めてだったらしい。
「おっと、しんみりさせたの、すまんすまん」
エルメは目をくるりとさせ、剥げた頭のてっぺんを撫でた。
「親父は、お前をとても信頼していた。ともすれば剣技に偏りがちな騎士にも、弓技の鍛練を怠るなとよく言っていたしな…」
「ホッホッ…儂は先代のお陰でここに落ち着けた。所帯も持ったし今じゃかわいい孫もおる。感謝しとるよ」
エルメは、ダヴィネス城の元メイドと結婚している。
「しかし、レディに差し上げた弓幹は余程の旅好きじゃて。どうか末永う可愛がってやっておくれ」
「…はい。必ず」
「あとは…ジェラルドよ」
と、エルメはジェラルドに向き直る。
「カシャ・タキの男はしつっこいぞ。レディを決して離さんことじゃて」
本気とも冗談とも思える口調だ。
「…それはヤツにも言われたさ。言われなくともだがなっ」
ジェラルドは毒づく。
老エルメは、フォッフォッと、さも楽しげに笑った。
弓技場から帰る道すがら、カレンはジェラルドに尋ねる。
「エルメ卿は…ここへ来て、お幸せだったのでしょうか…」
「そうだな…それはエルメにしかわからないな。戦いに翻弄された人生だが、私はエルメが居てくれることに感謝したい。弓技の覇者としてだけの存在ではなく」
「…人生って、自分ではままならないものですね…」
ジェラルドは横に並んで歩くカレンの横顔を見る。
伏し目がちの薄碧の瞳が、少し悲しげだ。
ジェラルドはふいに立ち止まると、カレンの腰を引き寄せ、向かい合わせにした。
「ジェラルド様…?」
カレンはジェラルドの胸に手を置き見上げた。
「あなたは、ここへ来て幸せ?」
突然の質問にカレンは瞬間驚いて、目をぱちくりとさせた。
しかしジェラルドは至って真面目なようだ。
深緑の瞳は強い光をはらみ、真っ直ぐにカレンを射ぬく。
「はい、幸せです。とても」
カレンは薄碧の瞳を煌めかせた。
「…あの時、ヤツと一緒に行ってしまうかと思ったぞ」
“あの時”とは、中庭でヴァン・ドレイクと遭遇した時のことだ。
…しつこいのはヴァン・ドレイクだけではないわよね…。こんなところも似てるわ。
「私、そんなにフラフラしていますか?」
カレンは少し意地悪くジェラルドに問う。
「そうではない!そうではないが…」
ジェラルドは珍しく慌てる。
カレンはふふと微笑み、ジェラルドの頬を両手で包むと、軽いキスをした。
どこまでも透き通った薄碧の瞳がジェラルドを映す。
「私はどこにも行きません。私の人生はあなたの隣にあるもの。それに…」
カレンはジェラルドの耳に口を寄せ、ヴァン・ドレイクに言われた言葉を囁いた。
- ヴェガのような男の精を一度でも浴びれば、決して逃げられはしない -
「!」
ジェラルドは目を瞠き、まじまじとカレンを見る。
「…カレン、まだ日が高いが…誘ってる?」
カレンはカッと頬を染める。
「誘ってません!」
ぐっとジェラルドの胸を押したが、びくともしない。
それどころか、ジェラルドは笑いながらカレンを抱きすくめた。
「確かに間違っていない…初めてヤツを認めてやろうかと…ほんの少しだが思ったぞ」
「ジェラルド…」
次いでジェラルドはカレンの耳元で低く甘くくすぐる様に囁く。
「私はいつでも…すぐにでもあなたを抱きたい」
「! ジェラルド!」
「!?」「!?」
二人は同時に足元を見た。
そこには、金の目をした子犬が後ろ足で立ち上がり、前足を二人の足へかけ、舌を出している。
「…ったく、前言撤回だ」
ジェラルドはため息を吐くと、まだ小さな狼犬のヴィトを片手で抱き上げた。
「やはり狼犬はカシャ・タキに忠実なのか…?」
ジェラルドは顔をヴィトに寄せる。
「ふふっ、まさか」
カレンはジェラルドの言い様がおかしくてたまらない。
「ヴィト~!あ、父しゃま、母しゃま~」
子犬を追いかけて、アンジェリーナがティムに付き添われて走って来た。
「そら、お前の友達だ」
ジェラルドは子犬をアンジェリーナに手渡した。
「…ヴィト、いい匂い…」
アンジェリーナは手渡された子犬に顔をくっ付けて、深呼吸している。
…そう言えば、ヴァン・ドレイクは冬の匂いがしたわね…。
カレンは北部でのことをふと思い出した。
もしかすると、もうヴァン・ドレイクに会うことは、無いかも知れない。
でも彼は確かに、目の前の小さな子犬以上に大きなものをくれた。
ジェラルドは「よっ」と言い、子犬のヴィトを抱いたアンジェリーナを抱き上げ、片腕に乗せた。
アンジェリーナはキャッキャとご機嫌だ。
「カレン」
ジェラルドはもう片方の手をカレンの腰へ回す。
カレンはアンジェリーナごとジェラルドを抱き締める。
これ以上の幸せなんてないわ
カレンはアンジェリーナへ、次いでジェラルドの頬へと口付けた。
「足りない」
「アンジェも足りない~」
カレンは苦笑しつつも、夫と娘へと次々にキスを追加する。
欲しがり屋の父娘は同じ深緑の瞳で、今日もカレンを困らせる。
お読みいただきましてありがとうございます!
辺境の瞳~南部へ北部へ~ は完結です。
お読みくださった皆様、本当にありがとうございました。
このシリーズは一気に書き上げたので、以降の番外編は予定しておりません。
なお、〈辺境の瞳〉シリーズの第三弾として、~続・カレンとジェラルド~ を【読み切り】の形で、明日以降投稿の予定です。
引き続き、お楽しみいただけたら幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。
2024/06/03 鵜居川みさこ




