24話 わんこと勝負
薄暗い部屋の外では、雨が飽きること無く屋根を叩き続けていた。休日となれば聞こえてくる子供の声も、今日ばかりは静かなものだ。
「せっかくの休みなのに、雨で残念じゃない?」
「べつに?」
でしょうね、と半ば予想していた答えに私は肩をすくめる。後ろのベッドで横になったネコさんは、気怠そうに欠伸をしていた。
「どうせ出かける予定もなかったんだから、天気が何でも関係ない」
「そうだけどさ、気が滅入るとかない?」
「天気一つで左右されるなんて惰弱な気」
「そこまで言われる謂れは無くない!?」
「何と言おうとそれが事実。弱さを認めるのだ弱者よ」
クッションを抱いて眠たそうな声で言ってネコさんはまた欠伸をする。完全に猫と行動が変わらない。
それはそれとして、私がせっかく来たというのにその態度とは。眺めに来たのではなく遊びに来たのだから、もう少しこう、構ってもいいと思う。
「一人で時間も潰せないとは……これが孤独を恐れる現代の若者か」
「ネコさんだって『構ってもらわないと死ぬ』って勢いで擦りついて来る時あるじゃん」
「無いし」
「あーりーまーすー。前だって部屋に来るなり飛びついてきて『寂しかった』って囁いてイダダダダ!? すいません嘘言いました!」
ったく、とネコさんは毒づき耳を引っ張っていた手を離す。
ちょっとした冗談でそんな照れなくてもいいのに。そう思ったが、思っただけで口には出さない。愚者でも経験には学ぶのだ。
私は、ネコさんの髪を撫でながら尋ねる。
「今日は昼寝をする日?」
「そういう日。雨の音が心地よい」
「……じゃあ、私もそうしようかな」
「……なんで私を押すの?」
「床に寝ろなんて酷いことを言わないと信じてるよ」
半分くらいは言いそうだなと思っている私の目をじっと見つめていた彼女は、小さく息を吐くと体をずらして一人分のスペースを作ってくれた。
ありがと、とお礼を言って私は寝転ぶ。お互いの背中が触れ、少し離れてからもう一度触れ合う。支え合うようにしながら、目を閉じた。
止むこと無く規則的に聞こえる雨音。隣に並ぶネコさんの呼吸とその度に微動する背中。枕からはシャンプーと髪の匂いがした。
それに抱かれるように身を任せ、体の力を抜いていく。後は訪れる睡魔に身を任せ――身を、任せ……。
「暇だってー。まだ眠くならないよこんな時間じゃ」
「……軒先を貸したのを後悔しそう」
ネコさんは、背中に引っ付いた私の手を鬱陶しげに払って言う。
「そんなこと言われてもさー遊ぼうよー」
私も負けじと腕を回して剥がされまいとふんばる。せっかく遊びに来たのに寝て過ごすだけなんて勿体ないじゃないか。
「じゃあ、ほら、しりとりしようよ。せめて寝るまででも」
「楽しいの、それ」
「ネコさんとなら楽しいよ」
「……はぁ、一回だけね」
気怠げながらもネコさんはやる気を見せてくれた。やっぱりこういうところが優しいのだ。なんだかんだ言っても私に付き合ってくれる。
「じゃあ、しりとりの『り』から」
「リンカーン」
「やったー私の勝ち……ネコさん? 今の練習だよね? ほ、本番行ってみよ?」
「リンカーン記念館」
「ネコさん? 私をバカにしてないかね?」
「バカにはしてない。からかってはいる」
「ネコさん!」
ネコさんの肩を掴んで無理やりこちらへ向かせる。案の定、口元を意地悪そうに吊り上げていた。なんだか負けた気分がして、馬乗りになって彼女の頬を引っ張ってみる。が、ニヤついた笑みは剥がれそうもなかった。
「もうー……そうやって私で遊ぼうとする」
「その方が面白いから」
「私の意思はどうなの……じゃあ、次の勝負で決着だから」
「そういう話だった?」
「今なったの。ええとじゃあ……よし、先に恥ずかしがった方が負けゲーム!」
「随分頭悪い……単純なネーミング」
「暴言はセーフってルールは無いからね?」
「で、どういうルール?」
まだ言いたいことがあったが、間髪入れずに訊ねられては答えるしか無い。こういう間のとり方がズルいっていうか……いや、今はいいか。
ともかく、私は脳裏に浮かんだルールを整理しつつ口に出していく。
「ルールは簡単。行動や言葉で相手を恥ずかしがらせて我慢できなかった方が負け」
「『我慢できなかった』の定義は?」
「えっと……相手の顔見られなくなったら」
「ふぅん。まあ、いいよ。どうせ私が勝つし」
「どっからそんな自信が出てくるのか。こういうのはネコさんのが――」
「わんこ」
上半身を起こしたネコさんは、そのまま私の頭を抱き寄せる。それにつられて体も彼女の体に重なるように倒れかかった。互いの距離は一気にゼロとなる。
突然のことに声が出ない私の耳元の髪を優しく払いながら、ネコさんは顔を寄せて、
「好きだよ」
くすぐるような小さな声で、だけど確かにそう言った。
「なっ、あっ、いっ?」
「顔真っ赤……ふふっ、可愛い」
混乱する私を追い込むが如く続けざまに二の矢が放たれる。思わず顔を背けかけ、慌てて両手で頭を抑える。
これはネコさんの策、不意打ちで最大火力を叩き込み無力化する作戦。自分が言われれば負けるから先んじた電撃攻撃。それは、わかっている。
「わ、私も……ネコさんのこと、好き……」
「ん、ありがと」
余裕があれば二番煎じのオウム返しでは堪えない。だから、少し頬を染めるだけで私の頭を撫でる事もできている。それは、わかっている。
だけど、彼女は好き嫌いを偽らない。勝負に勝つためとしても、その言葉は嘘じゃない。だから、
「……ズルい」
「お互い様。そっちもこうする気だったんじゃない?」
「うっ……それは……その……」
「単純なんだから。負けを認める?」
私の両肩に腕を回したネコさんは、気遣いすら感じさせる優しい声で訊ねる。けどそれも、わたしをからかって楽しんでいるんだろう。逸らせず見続けるしか出来ない顔は、確かに笑っていた。
「ま、まだ負けてないし……」
「へえ、まだ噛みつけると?」
「か、噛んだりなんてしないよ!?」
ネコさんが口にしたのは、挑発とすら言えない売り言葉。なのに、私は裏返った否定の声を上げてしまっていた。
「……?」
「あっ……」
怪訝な顔でこちらを見るネコさんに、失敗を悟る。それをバレまいと視線を彷徨わせてしまい、首筋へと向けてしまったのが次の失敗。
そこに印があるわけない。あるわけないというのに、あの時触れた肌の感触が唇に蘇ってしまう。
「わんこ?」
同時に蘇った熱で顔は焼けるように熱い。心臓の鼓動は、止まっているのか動いているのかわからない。指先だけが感覚を無くしたように冷たい。
もうこれ以上は駄目だ。ネコさんから顔を背けようとした時、
「……噛み付く」
何かに気がついたネコさんは、自信の首筋に手を触れさせ、記憶を反復するように撫でる。その手が、ぴたりと止まった。
「……わんこ。この間のは、そういうこと?」
音が出そうなほど一瞬に顔を朱に染めたネコさんに、私は俯くように頷き答える。
「…………その、出来心というか。ちょっとした独占欲というか」
「……! そっちのが……よっぽどズルい」
両手で顔を覆い隠したネコさんは、消え入りそうな声で言う。そのまま顔を俯かせ、何も言わない。私も、何を言えば良いのかわからず、それでも何か言った方が良い気がして、
「……わ、私の勝ち……だね」
絞り出した声に対する返答は、それでいいという自棄じみた声と軽いパンチだった。




