第21話 尊厳がなければ忠誠はない
ちょっと体調を崩していたので書き溜めが減っています
『君は誰だい?』
僕が光信を送っても返事はなく、暗い海水のヴェールが応えるだけだった。
仕方なく光信でなくタコ・シェルに装備されているライトを点ける。
活動時間が減るので点灯は推奨されないのだけれど僕の位置と敵意がないことを示すぐらいはできる。
ライトに照らされたのは…なんとタコ・シェル!
白い潜水服に包まれた八本の脚。透明なバイザーを持つヘルメットから覗く2つの大きな目と頭。
この星で僕以外のタコを見るのは初めてだった。
鏡がないので、なるほど僕はあのように見えているんだ、と奇妙な納得感がある。
客観的に見ると、あんまり可愛くはない…。
『なんだ、ご同輩じゃないか。ここは君の担当エリア?』
僕の光信に対して、ご同輩からの答えはなかった。
うねうねと腕足を動かしながら体色をわずかに変えている。
あの色は、怒りだ。このタコは怒っている。
なぜだ?
『なんだい。僕も指示された通りのエリアを調査していただけなんだ。そんな怒るなよ』
せっかく会った同族だ。できるだけ仲良くしておきたい。
そんな僕の平和主義で事なかれ主義は、一瞬で覆された。
バチン!
痛い、と思ったら体が水中で回転していた。
この痛みと衝撃には憶えがある。
ライトを横切ったのは、イルカだった。
ウィリーではないことは、色でわかった。
一瞬だけあった目は、ぞっとするほど悪意に満ちていた。
体色もずっと黒いし背ビレが少し右に曲がっている。
『あいさつかい?ウィリーより乱暴だね』
僕がウィリーの名前を光信で出したことが意外だったのか、攻撃はやんだ。
ご同輩のタコと新参のイルカの間で忙しなく光信が交わされているのが見える。
『…どうする?』
『見られたよ…』
『知り合いは面倒が…』
光信の会話は完全に影になっていないと横から見えてしまうのが欠点だね。
特に暗闇では、静かな部屋で大声で叫ぶぐらいには漏れて見える。
ちょっと物騒な会話をしているね。
違法薬物の取引現場を見られたわけでもないだろうに…。
僕は防衛本能に従って、そろりそろりとライトの光量を絞りながら離れていった。
急にすべての明りを消したら、それが引き金になって暴力沙汰に及ぶかもしれない。
僕がタコに転生して初めて接する粗暴で剣呑で暴力的な雰囲気だった。
彼らの決意が嫌な方向に固まる前に、深々度カプセルにたどり着きたい。
『来るな!来るな!来るな!』
という遠くからの繰り返し光信の警告を背にして、僕は這々の体で深々度カプセルに貼り付いた。
ほんと、いったい何だったんだろう?
僕は何に関わっているんだ?
それで僕はなんとかかとか、今日の労働を命からがら終えたわけだけれども、試練はこれで終わらなかった。トラブルっていうのは寂しがりだ。やってくるときは必ず道連れを多くして群れをなしてやってくるのだね。
僕がいつも深度21000メートルの冷たい暗闇で泳ぐたびに持たされていた四角いセンサー入りの箱を覚えているかい?
あの箱が、何かの異常値を発見したらしいんだ。
『オクト、この箱に何かをしましたか?』
『いえ、特に…』
なんとなくだけれど、深海でご同輩や他のイルカに会ったとこは、まだ黙っていた方が良い気がしたんだよね。
彼らは良くないことをしているかもしれないけれど、それが僕にとって良くないことかどうかはまた別問題だからね。
奴隷労働を強いてくる御主人様にご注進する理由はないだろう?
忠誠を期待したいなら、まず自由時間とおやつとAW口座を完備してくれないとね。
|ノーリスペクト・ノーロイヤリティー《尊厳のないところに忠誠はない》だよ。
『それで異常値とはなんですか?』
もしもイルカに殴られたときのベクトル変化とかだったら、それは僕のせいじゃない。
それにイルカに叩かれるのは初めてじゃないので、ことさら異常値呼ばわりはしないだろう。
『リン酸塩水塊を発見した可能性があります』
『リン…なんですって?』
半機械化人は頭が人間なのだから、もう少しわかり易く説明してください。
僕は賢い頭足類だけれど、知識は足りない系タコなので。




