86-2
その晩、『ブーゲンビリア』の明かりが消されて暗くなった時刻、俺はランプを片手に廊下を歩いていた。
夜の闇に包まれた廊下は暗く寒くて怖い。
いかにも幽霊が好みそうな雰囲気だ。
「幽霊、出ませんねー」
俺の隣を歩くフレデリカが小声で言う。
彼女はチェック柄のパジャマを着てスリッパを履いている。
「フレデリカ。明日、学校は?」
「ありますがなにか」
「もう寝ないと寝坊すると思うぞ」
「えー、普段はまだ起きてる時間ですよ」
俺は眉間にしわを寄せる。
そんな夜ふかしすると身体に悪いぞ、と言いたくなる。
だが、都会の少女はこれくらい夜ふかしはするものなのかも。
幽霊をさがして宿を徘徊する。
風呂場、物置部屋と調べて次は食堂。
昼間は宿泊客でにぎわっている食堂はがらんとしていて静まり返っている。
厨房も覗いてみようとしたそのとき――ガタンッと大きな音がした。
「ひゃあっ!」
悲鳴を上げて抱きついてくるフレデリカ。
食器棚の戸がひとりでに開いたのだ。
異様な現象はそれだけにとどまらなかった。
開いた食器棚から次々と皿が飛び出してきて宙を舞いだしたのだ。
幽霊の仕業か!
俺はフレデリカを抱きしめて彼女をかばう。
無数の食器はダンスをするかのようにぐるぐると宙を舞っている。
魔法で退治する――としても、幽霊の姿自体はどこにも見当たらない。
「アッシュさん! なんとかしてくださいー!」
「くっ……。幽霊! やめるんだ!」
しかし幽霊のいたずらは止まらず、それどころか宙を舞う食器が俺たちに向かって飛んできた。
俺は魔法を唱えて魔力の障壁を展開する。
飛来してきた皿が障壁に衝突し、ガシャンと音を立てて割れていく。
フォークやナイフが何度も障壁を突く。
こんなつつかれた程度では障壁は破られないが、障壁を消すこともできない。
俺とフレデリカは障壁の内側に閉じ込められてしまった。
「魔法でやっつけてくださいよー」
フレデリカは俺の胸に顔をうずめている。
――返して。
女性の声がどこからともなく聞こえてくる。
――彼を返して。
幽霊の声が広い食堂に反響する。
――私の彼を返して!
次の瞬間、ボーンと時計が音を鳴らした。
時計の分針が頂点に達したのだ。
ボーン、ボーン……と時計は現在の時刻と同じ数の音を鳴らす。
すると、空中を舞っていた食器たちが重力の影響を受けて一斉に落っこちた。
いくつもの皿が同時に割れる音が響く。
障壁をつついていたフォークやナイフも床に落ちていた。
「幽霊がいなくなった……?」
障壁を解く。
時計が鳴りやんだ食堂には再び静寂が訪れていた。




