50-5
荷物を部屋に置いてロビーに戻ってくると、受付に先ほどの少女フレデリカが立っていた。
しょぼんとした様子。
あの後も母親に叱られたのが明らかにわかった。
俺の気配を察した彼女と目が合う。
しかし、目が合ったのはほんのわずかの間だけで、フレデリカは「なーんだ」といったふうに、すぐに目をそらした。
「やあ、フレデリカさん――でいいんでしたっけ?」
「そうですよー。人のいい冒険者さん。ちなみにー、私に『さん』はいりませんからー。歳も近いっぽいから普通のしゃべり方でいいですよー」
「そ、そうか……。わかったよ、フレデリカ」
目を合わせようともせず、髪をいじりながら、心底どうでもよさげに返事をするフレデリカ。
「冒険者さん。あなたの名前は、えっと――」
「アッシュ。アッシュ・ランフォードだ」
そう答えた瞬間、フレデリカの目がかっと見開かれる。
「ランフォード……苗字……。王族の人?」
「さすがに王族じゃないな。貴族だよ。一応は」
「貴族でもすごいです……」
フレデリカの尊敬のまなざし。
見開いた目をきらきらとさせている。
態度が一変したが、なにが彼女をそうさせたんだ……?
「貴族の人が冒険者になるんですねー」
「いや、俺みたいな人間はたぶんまれだろうな」
「お金持ちなんですか? おっきなお屋敷に住んでるんですか?」
「そ、そうだな……。普通の人と比べたら恵まれた環境で育ったと思う。大きな屋敷にも住んでたけど、今は仲間たちと旅をしている」
「かっこいいです……」
フレデリカはカウンター越しに俺の顔をじっと見つめてきていた。
むずかゆい……。
貴族の家に生まれただけで、俺自身は特別でもなんでもない――わけでもないが、尊敬されるような人間ではない。
「突然ですが、アッシュさん」
「うん?」
「私と結婚してください」
「へ?」
「アッシュさん。私と結婚してください」
本当に突然の求婚。
唐突すぎて俺は呆然としていた。
都会で流行りの冗談か?
「な、なんでいきなり結婚なんだ……?」
「私の夢なんです。お金持ちの貴族の人と結婚して、毎日ぐーたら過ごすのが」
がくり。
……呆れた。
知り合って間もないにもかかわらず、フレデリカがどういう人間なのかよくわかった。
「毎日毎日、こんな宿屋で働かされて、もううんざりなんですー。貴族のお嫁さんになって、おいしいお菓子を食べながらのんびりと暮らしたいんですー」
「……残念だが、俺の父は厳しいぞ。ランフォード家の一員になったら、領地の農作物や商いの取り仕切り、近隣の貴族との社交、魔物討伐のためにがんばって働かないといけないぞ」
「ならやめますー」
即答。
フレデリカの顔が無気力で不愛想な表情に戻っていた。
「私ー、『がんばる』って言葉が一番苦手なんですー」
だろうな。
ため息をつくフレデリカ。
「楽して暮らしたいなー」
天井を仰ぎながらそうつぶやいた。
「……とりあえず、外出するからカギ預かってくれ」
「はーい。いってらっしゃいませー」
やる気のない声で俺は見送られた。




