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セブンスターズの印刻使い  作者: 白河黒船/涼暮皐
第三章 魔競祭事件
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3-24『捜索、対策、模索』

 目が覚めたら、すでに時刻は正午を遥か回っていた。

 借りている安宿の一室で、フェオ=リッターは寝台ベッドから跳ね起きて呟く。


「――……最悪。寝坊した……」


 もともと、朝には弱いたちだ。姉のシルヴィアもそうだから、これはたぶん遺伝のせいなのだとフェオは思っている。

 あるいは、先祖から受け継いだ吸血種としての性質が影響しているのかもしれない。


 ――吸血種。

 彼らは夜を往く血族だと言われている。他者から血を吸うことで魔力を奪い、それを夜という神秘の下で大幅に増幅させる、真紅にして漆黒の支配種。

 などと言われてみたところで、代々が脈々とその血を薄めていったリッター家において、今代の子孫であるシルヴィアとフェオには、吸血種の特性などほぼ受け継がれていないのだが。遠縁に当たるフルスティ家に至っては、もはや完全に人類種だ。


 それでもシルヴィア曰く、フェオには「私よりずっと吸血種の特性が戻っている」のだとか。

 正直、自覚はまったくないし、先祖返りだなんだと言われても困惑するだけだった。

 これで何か吸血種らしい特異能力のひとつでも――身体を霧に変えるとか、血を吸った相手を眷属として操るとか――使えれば、まだしもよかったのだが。

 その手の能力は、少なくとも今のフェオには使えない。


「……もうこんな時間。朝ごはん、食べそびれちゃった」


 壁掛けの魔時計に目をやって、ぼんやりと呟く。

 とはいえ、さして反省はしていなかった。もし今日が試合の日なら失態では済まされないが、組み合わせの関係上、フェオの試合はまだ明日である。特に問題はない。

 どうせ、勝ち進んだところでレヴィ=ガードナーと当たるときには負けるという契約なのだから。つまり一日目の出場者とは絶対に当たらないため、試合を見学する必要はない。


 ……本当は、もちろん観戦に行く予定ではあったのだ。

 同年代の魔術師たちが、いったいどの程度の実力を持っているかは気にかかるところだ。あの迷宮での一件以来、学院生に対する嫉妬交じりの反感はなくなったフェオだが、かといって興味まで失ったというわけじゃない。

 ただ、昨日はあまりにも眠るのが遅すぎた。

 ほとんど明け方まで、フェオはオーステリア中を彷徨っていたのだから。


 理由はもちろんひとつだけ。

 昨日、シグウェル=エレクから聞いた言葉のせいだ。

 ――七曜教団。

 姉の命を、銀色鼠シルバーラットの仲間の命を狙ったクラン。

 そのひとりがこの街に訪れていると聞いて、フェオはいても立ってもいられなくなった。


 もし、あのとき迷宮にアスタたちが訪れていなければ。銀色鼠シルバーラットだけがあの罠にかけられていたら。

 きっとフェオは死んでいた。

 たぶん――最愛の姉であるシルヴィアも。


 連中の存在を知って、それでも大人しくしていられるほどフェオは大人にはなれない。なるつもりがない。

 義侠心ではない。正義感なんて持ち合わせていない。

 フェオにあるのは単純な復讐心と憎悪、そして何より不甲斐ない自分に対する怒りだけだ。

 その結果、フェオは当て所なく街中を捜し回って、けれど情報のひとつさえ掴めず宿に戻ってきてしまった。

 自分でも間抜けだとは思うが、それでも、何もしないではいられない。

 無力を嘆くのなんて、もう御免だから。


「……はあ。学院に行こ……」


 誰にともなくそう零して、身支度のために服を脱ぎ始める。

 窓から見えるオーステリアの空は、昨日より少しだけ、雲が増えているようだった。



     ※



 学院に向かうと、当たり前だがすでに魔競祭本戦は始まっていた。

 ちょうど第四試合が始まるところらしい。会場にいないフェオの元にも、実況役の女子の声が届いてくる。

 もちろん、試合を観戦している余裕などない。


 しかし、件の《水星》――ドラルウァ=マークリウスを捜すにしたって、手立てとしては手当たり次第にそこら中を歩き回って目視で捜す、以外の方法が思いつかない。

 昨日、その方法の不毛さは充分すぎるほど思い知った。さすがに同じ轍を二度踏むのは馬鹿げているという自覚がフェオにもある。

 今日はちょっと、違う捜索方法アプローチを考える必要があるだろう。


「……いや、それはわかるんだけど……」


 思わず呟いてしまう。ほかの方法とやらがまったく思いつかないからだ。

 ――とりあえず、魔力という面から探るのはアリだろう。

 相手は変身魔術を使うと聞いている。その場合、わずかにだが魔力的な違和感を身に纏うことになるのだとも。

 しかし、魔術師が正面から見ても簡単には気づけないレベルの異常だ。いくらなんでも遠隔で察知する魔術なんて存在しない。仮にあってもフェオには使えない。


 やっぱり、手当たり次第に捜し回る以外にないのだろうか。

 いや、それじゃ結局、やってることが変わらない。

 ああでもこうやって迷ってる時間がそもそももったいないし――。

 思考がドツボに嵌まっていくフェオだった。


「ああもう、なんで変身なんてしてるのよ……!」


 思わず罵倒してしまう。

 しかし、それを口に出したことが、あるいはいい方向に働いたのだろうか。

 そのとき――フェオの脳裡に天啓が舞い降りた気がした。


「そうだ……そこまでずっと変身していられるなら、魔力の量がかなり多いってことだよね」


 一回使えば、そのあとずっと変身したままでいられる――なんて、さすがにあり得ない。

 最低でも変身している間は、ずっと魔力を消費し続けるはずだ、と思う。ならば、それがどれほど消費の少ない魔術だったとしても、持ち主には相当の魔力量が必要とされるはずだ。

 魔力の多寡を調べる探査系魔術ならば、フェオにも使うことができる。

 本来は冒険者が、迷宮で強い魔物を避ける――あるいは求める――ために使う術式なのだが、それをこの場で応用できれば、あるいは《水星》を捜し出すことができるかもしれない。

 もちろん魔物と違い、魔術師ならば自らの魔力を隠すことくらいは造作もない。ただ魔力の出力口を閉じれば済む話だからだ。

 だが、今もなお変身魔術を使っているのならば、フェオの魔術に引っかかる可能性はある。


 ――光明が見えた。

 その発見に、思わず顔を明るくするフェオだったが、実のところ彼女の論理は穴だらけだ。

 第一に、《水星》だって別に常日頃から変身し続けているとは限らない。不要なときは魔術を解けば済む話であって、当然ながらその状態ではフェオの探査にかからない。

 常時変身している、というところからして、すでにフェオの先入観だった。

 そして第二に、では仮に変身している状態だとして、いったいどの程度の魔力量を基準にするべきなのかという問題だ。魔力量が多い、という時点でフェオの推測だったし、仮にそれが的中していたとしても、当然ながら《水星》以外にも魔力量が多い人間はいくらだっている。

 ただでさえ学生や教師は数が多いし、何より来客には歴戦の冒険者がいくらだっている。その中からひとりひとり当たっていては、日が暮れたって捜し終わらない。

 そもそも――そんなに単純なことならば、誰であろうシグウェル=エレクが気づかないはずがなかったのだ。


 ということに、このときのフェオは気がつかなかった。

 そのことを――その時点で、果たして運命と呼ぶべきなのだろうか。

 心理的に追い詰められた状態だった。一度試せばすぐに気づいた。それら諸々の要素を無視したところで、フェオがこのとき、その魔術を発動したことには大きな意味があった。

 それさえ運命と呼ぶのなら、果たして世界は、どこからどこまでを定められているのだろう。

 神ならぬフェオはそれを知らない。

 知る者があるとすれば、それは――きっと三人の魔法使い(イプシシマス)を措いてほかにはいない。


「――地を這う鼠よ同胞はらからを捜せ、汚濁の中を喜んでおどれ――!」


 地面に片手を突き、フェオは探査魔術を詠唱する。

 近場では、それに気づいた数人の魔術師がぎょっとしたように振り返ったが、害がないものだとわかるとすぐ興味をなくした。

 迷子を捜しているとでも思われたのだろう。

 このとき、フェオは感知する魔力量をかなり多めに見積もっていた。最低でもフェオの三倍以上――フェオ自身、魔術師としてそれなりの魔力量を持つため、これに引っかかる人間などそうは存在しないだろう。


 探査には、けれど引っかかる存在がひとりだけあった。

 ――それもすぐ真横にだ。

 フェオは咄嗟に飛び上がって横を向く。まさか、こんなすぐ近くにいるなんて思わなかった。

 探査に引っかかった存在を、思わずフェオは凝視する。

 相手側もまた、自分がかけられた魔術には気がついたのだろう。振り向いて視線をフェオに落とす。


 男だった。《水星》は女性だと聞いてたが、しかし変身で性別を偽れるとも聞いている。安心する要素にはならない。

 彼は無表情にフェオを睥睨すると、しばらくしてから彼女に近づいていく。

 歩いてくる男を見ながら、フェオは自らの失敗を悟った。

 なぜなら、男に変身魔術がかかっている様子がなかったからだ。

 つまりは大外れ。フェオは単に、礼儀知らずにも見ず知らずの相手へいきなり魔術を仕掛けたということになる。


「……す、すみませんっ」

 咄嗟にフェオは頭を下げた。探査程度は大した問題にもならないが、いきなり魔術をかけたことは事実だ。気分を害してしまったかもしれない。

 能力の低い魔術師ならば気づかないレベルの魔術だが、魔力量を高めに見積もった時点で、かかる人間には気づかれる可能性もあったということだ。

 幸いにも、男は特に気にした様子もなく頷く。

「いえ、別に構いませんよ。少し驚いただけです」

「も、申しわけありません……」

「ああ、いえ。魔術に驚いたわけじゃなくて、それがふたつあった(丶丶丶丶丶丶)ことに驚いただけですので」

「ふたつ……?」

 きょとんと首を傾げるフェオだが、まさか訊けるわけもない。

 むしろ、相手の男のほうが口を開いて問うた。

「誰かお捜しですか?」

 意外に紳士的だった。見た目からは、そんな感じを受けないのだが。

 白髪の男だ。額を出すように髪を後ろ向きに纏めている。身長は高く無表情で、少し威圧的な外見ではあったが、話し方はかなり丁寧だ。特に怒っている様子もない。

「えっと……はい、そんな感じです」

「よければ話を聞きますよ? あるいは、学院の運営本部を訪ねてくださっても」

 男は、なぜか親身になって話を聞いてくれる。相変わらず表情筋はピクリとも動かないが、言葉遣いは丁寧だ。

 フェオは少し驚いて、それに気づいたのか、男は右腕を見せる形で少し動いた。

 そこについている腕章には、フェオも見覚えがあった。昨日、紐くじの店でも見た、オーステリア学生会の役員であることを示す証だ。


「学生会……の方だったんですね」

「ええ。――庶務の、クロノス=テーロです」


 柔らかい物腰で男――クロノスは名乗る。

 その身に、隠すことさえしない莫大な量の魔力を宿しながら。



     ※



 凄まじい魔力量だ。だが、それに触れるのは失礼だろう。

 事情を話すべきか迷うフェオだったが、結局、その機会はすぐ失うことになった。

 魔競祭の会場の方角から現れた人影が、大きく声を発したからだ。


「もう! 何をしているんですか、クロノスくん!」


 名を呼ばれ、クロノスがその方向に視線を向ける。つられてフェオも振り向いた。

 声の方向からは、ひとりの女子が小走りでこちらに駆けてくる。

 長い亜麻色の髪を流した、華奢な体格の女子だった。かなり整った容姿をしているが、少し焦っているようだ。


「捜しましたよ、もう! 勝手に本部からいなくならないでください……捜索に借り出されるの私なんですからねっ!!」

 駆け寄ってきた少女が、息を切らして膝に手を置く。

 クロノスは特に悪びれることなく、「ああ」と頷きながら言った。

「だからふたつあったんだ」

「……なんの話ですか?」

「いや。それより何か用かな、スクル」

「え、ええ。ちょっと第四試合で問題が。出場者のレフィス選手が大怪我を――」


 そこで初めて、スクルと呼ばれた少女はフェオに気がついたらしい。

 一瞬だけ怪訝そうな表情を見せたが、すぐに頭を下げると、フェオに向かって名乗った。


「初めまして。フェオ=リッター選手ですね。クロノスが何か?」

「あ、いえ! ちょっとご迷惑をお掛けしてしまっただけで……あの、どうしてわたしのこと」

 首を傾げるフェオに、スクルは「あっ」と口許に手をやった。

「名乗りもせずに失礼しました。私はスクル=アンデックス、学生会で書記を務めさせていただいている者です。仕事柄、出場選手のことは把握しておりますので」

「ああ……それで」

「ああ……選手だったんだ」

 フェオとクロノスの言葉が被った。彼はどうやらフェオを知らなかったらしい。

 スクルは呆れたようにじとっとした視線をクロノスに向けるが、すぐかぶりを振って続ける。

「とにかく! これからちょっと話し合いになりますので、クロノスくんも来てください」

「……でも、僕これからちょっと人と会う用事が」

「ク、ロ、ノ、ス、くんっ!」

「わかった。行くよ」

 しぶしぶ――というにはやはり無表情で頷くクロノス。スクルのほうは慣れているのか、特に気にした様子もない。

 そのまま去っていこうとするスクルに、フェオは思い切って声をかけることにした。

 さきほど、何か不穏なことを彼女が言いかけていたからだ。


「あの! すみません、何かあったんですか」

「……ええ」スクルは立ち止まり、フェオに向き直って言う。「第四試合の参加選手が、対戦相手によって意識不明の状態です」

「そ、それは――」

「ルール上は問題ないのです。戦いである以上、事故の可能性は出場の前提ですからね。しかし、対戦相手のオブロ選手の攻撃は明らかに過剰でした。これからそのことについて、運営側で話し合うことになります。場合によっては組み合わせの変更もあり得ますので、フェオ選手も含んでおいてください」

「……僕たちも選手なんだし、運営側の話には加われないんじゃ」

「それでも! その場にいなくていい、というわけではありませんよ、クロノスくん」

 茶々を入れるクロノスを一刀両断したスクルは、頭を下げてフェオに告げる。


「そういうわけですので、申しわけありませんが私たちはこれで。クロノスに何かご用事でしたら、のちほど運営本部をお訪ねください。首に紐をつけて繋いでおきますから」

「……本気じゃないよね?」

「それはクロノスくん次第ですっ!」

 そんなやり取りを最後に、ふたりは魔競祭のステージの方角へと帰っていった。

 慌しい展開にフェオは首を捻るが、さすがに教団とは関係ないだろう、と判断して考えを打ち切る。

 それから、改めて今度はどうしようかと思案し始めたところで――。


「……あれ……?」


 フェオは知り合いの姿を目にした。

 アスタ=セイエルだ。彼が、どこかに向かって足早に歩いているのを見つけた。

 それだけなら大した問題じゃない。

 だがアスタの表情は真剣で、普段の気の抜けた様子が消えている。そう急いでいるわけではないようだが、同時にどこか余裕がないように見えた。

 なんだろう、と疑問に思ったフェオは、それからふと気がついた。

 ――アスタは元七星旅団セブンスターズだ。

 そして、この街には今、七曜教団の連中が現れている。

 ともすれば、アスタがどこかへ向かっているのには、その辺りが関係あるのかもしれない。確証はないが、彼の表情を見るに、あながち外れていない気がした。


 迷った末に、フェオはアスタを尾行することに決める。

 あるいは彼ならば、教団のことについて、何かを知っているかもしれない。



     ※



 アスタを追っていくと、やがて学院施設のひとつである試術場に辿り着いた。

 フェオも予選の会場として使った、結界で覆われた広い敷地だ。

 こんなところに、いったいなんの用なのだろう。フェオはそう疑問する。魔競祭の期間中は、予選を除いて閉鎖されているはずの場所だと聞いていた。

 結界がある以上、そもそも入れるはずがない。

 疑問しながら遠巻きに窺っていると、アスタはなぜか懐から煙草を取り出した。燐寸を使って着火すると、それを口に咥えて煙を吐く。


「…………」


 まさか、単に煙草を吸いにきただけなのだろうか。

 呆れながら、もう声をかけようかと思ったところで――ふと、アスタが試術場の結界に片手を触れた。

 逆の手で咥えていた煙草を取ると、彼はその手を軽く振るう。

 瞬間――試術場の結界がその存在を揺らがせた。


「……うっそぉ……」


 そのままあっさりと結界に侵入するアスタを見て、思わず呆然とフェオは呟く。

 今、試術場の結界は、まるで二重になったかのようにブレ(丶丶)ている。おそらくアスタは術式を改変したのだろう。

 だが他人が構築した結界をあとから変えるなんて技、普通ならまず不可能だ。それが簡単なら結界の意味がない。

 張った者と書き換える者に大きな実力差があるか、もしくは他人の術式へ強制的に介入できるほど抜きん出た魔術の技術を持つか。そうでもなければまず不可能だ。

 学院の結界は、教師が数人がかりで構築したとされる万全の術式だった。魔競祭の試合を、観客がすぐ近くで観戦できるのは、客席にも同じような結界が施されているためである。


 それを――あの男は煙草一本で、しかも数秒で突破した。

 意味がぜんぜんわからない。

 いや、確かに破壊ができないなら改変するしかない。それはわかる。わからないのは、なんでそんな真似ができるのかという点だ。

 さすが術式構成力に長ける印刻ルーンである、と流してしまっていいのだろうか。

 マイナーだから知らないだけで、この程度のことは印刻ルーン魔術師なら余裕なのだろうか。

 そうでも考えなければ、ちょっとやってられなかった。


「……まあいいや。もうなんか、深く考えるほうが馬鹿らしい……」


 呟き、思考を振り払ってからフェオはアスタを追いかける。

 今の状態なら、フェオも結界の中に入れるだろう。気づかれるかもしれないが、別に悪いことをしているわけではないし、というか悪いことをしているのは向こう(アスタ)なのだし。今さら気にする必要はあるまい。

 フェオは、なんとなく慎重に、気配を殺して結界に近づく。

 この辺りは、一応とはいえ本職プロの冒険者として当然の嗜みだ。魔術を使われるならばともかく、五感だけで察知することはアスタにもできないだろう。


 結界の中を覗く。アスタは、試術場の中心辺りで奥を向いて立っていた。

 懐から、彼は何か石みたいな物を取り出す。手のひら大の魔晶の原石だった。そこから感じる色濃い魔力で、かなり上位の迷宮からでなければ産出されない一級品であると知れる。

 水晶みたいに透明な魔晶がふたつ。

 アスタは、そのうちの片方を無造作に放り捨てると、もう片方を左手に持って胸の辺りに押し当てた。

 口に咥えた煙草を、アスタはなぜか、ふっと地面に吹き捨てる。

 なぜ、と首を傾げるフェオの目の前で、煙草が放物線を描いて地に落ちる。


 ――その刹那。

 膨大な魔力の奔流が巻き起こった。


「……なに、これ」

 思わずフェオは呟いた。しかし、もう口以外は動かない。

 足が竦んでいた。視界が滲み始めている。いつの間にか全身が震えていた。

 純粋で、なんの色にも染まっていないただの魔力。それだけがただ目の前にあって、それだけが心から怖ろしい。

 ただ《強大》であるという一点が、それだけでフェオを震え上がらせるほどの暴力となっている。瘴気のような邪悪さは感じないのに、あまりにも量が多すぎて、根源から恐怖を喚起されてしまう。


 ――この魔力が、魔術師の体内にあるのならば怖くない。

 たとえば、さっき会ったあの学生会庶務クロノスだって、総量ならばこれに匹敵する魔力を所持していただろう。

 問題は、それらが形となって外に出ている点だ。

 魔術師には魔力量の限界以外に、出力量の限界が同時に存在する。持ち得る全ての魔力を一度に外へ出せる魔術師なんて存在しないし、そんなことをすれば最悪死ぬ。

 今のアスタは――つまりはそんな状態だった。


 時間にすれば、わずか数秒のことだった。おそらく十秒もかかっていまい。

 それだけのことが、しかしフェオには永遠とさえ感じられていた。

 ふと気づけば、目の前の魔力が収束して消えていく。アスタのいる位置、その一点に魔力が集まり――そして、炸裂した。


「――ご、あ……っ!」


 発生した暴風に曝されて、アスタの身体が後方へと吹き飛ばされる。そのままの勢いで地面に叩きつけられば、骨の一本くらいは折れるだろう。

 フェオは咄嗟に身体を動かす。あの恐ろしい魔力が消えた以上は動ける。

 自身の魔力を足に集中させ、フェオは撃ち出されたようにアスタが吹き飛ぶ方向へ回った。自分の身体をクッション代わりにして、飛んで来たアスタを受け止める。

 そのままふたりで吹っ飛んで、ずるずると地面を滑っていった。

 互いに怪我がなかったのは、フェオの受身が優れていたお陰だろう。


「な、何やってんの!? 馬鹿!? ていうか大丈夫!?」

「う――あ、フェオ……か? なんで、こ――」

 アスタが口を動かし、それから盛大に血を吐いた。

 思わず硬直するフェオ。アスタの負傷は前にも見たが――吐き出す血の量が不味い。

 明らかに肉体へ、あるいはそれ以外のどこかへ異常をきたしている。

 アスタは咳と血を口から吐き出しながら、震える手で懐から何か小さな薬のようなものを取り出す。それを口に投げ入れると、そのままひと息で丸呑みにした。

 反動でまたしても噎せ込むアスタだったが、しかし吐く血の量は減っている。次第に落ち着き始めると、荒れた息を整えながら口を開いた。


「……あー。あー……びびった。死ぬかと思った……」

 何もかもこちらの台詞だ、とフェオは思う。

「い、いったい何をして……」

「あー……あれ。てかフェオ……? なんで、いるんだ?」

「そ、それは今はどうでもいいでしょ!」

 咄嗟に誤魔化す。実際、論ずるべきはそこじゃないだろう。

 アスタもそれは同感だったのか、特に突っ込まずに頷いて答えた。

「……そう、だな。いや助かったよ、ありがとう。今ちょっと本気でやばかった。まさか、ここまで難しいとは……保険かけてなきゃマジでヤバかったな。セルエに言っといてよかった……まあ、でも手応えはあったし、よしとするべきか……」

「何、言ってんの……?」

「……ひとり、ごと。つーかすまん、今どくわ……」

 アスタはゆったりと立ち上がる。

 本調子ではないようだが、とりあえず、自力で立てるくらいには回復しているらしい。「血ぃ吐きすぎたな。レバーでも喰うか」などとふざけたことを宣っている。


「なんか助けてもらっちゃったし、どうだ? これから一緒にメシでも行く? 奢るけど」

「……………………」

「……ごめん。確かに今のはないと自分でも思った」

 しまったなー、とばかりに頭を掻くアスタ。

 今しがたの行為にではなく、フェオに見つかったことしか反省していないらしい。

 とはいえ、フェオが怒鳴りつけるのも何か違うという気はする。いろいろと迷った挙句、彼女は単に訊ねてみることにした。

 わからないのなら、訊いてしまえばいい。


「……何、してたの……?」

「まあ、なんというか、呪い対策実験的な感じ?」

「呪い対策って……解けたの、呪い?」

「んにゃ。むしろ逆」

「逆?」

「うん。まあ、この方法自体は昔から思いついてはいたんだよね。ただ、こうなる予測はついてたし、そもそもひとりじゃできないし。……下手したら死ぬし。今まで試さなかったんだけど、まあ、今後いるかもしれないし? 今のうちに実験しとこうかなー、みたいな」

 饒舌に、しかも早口にアスタは語る。

 どうにもばつが悪いらしい。そして何より、肝心なことは何ひとつ言っていない。

 フェオは先ほどと同じような台詞を、今度は少し強い口調で問う。


「――で、何してたの?」

 アスタは渋面を作ったが、フェオが引かないのを悟ると諦めたように溜息をついた。

「わかったよ……見つかったから教えるけど、ただし絶対に誰にも言わないでくれ」

「……言わないわよ」ていうか言えるか、こんなこと。

 呆れるフェオに、けれどアスタは割と切羽詰った様子で答える。

「うん。マジで黙ってください。お願い。特にピトスとアイリスには絶対に言わないで」

「わかったってば」

「……ならいいんだけど」

 ほっと息をつくアスタであった。そんなにピトスが怖いのだろうか。

 疑問には思うものの、突っ込んでは話が途切れると判断してフェオは黙る。

 それに先を促されたアスタは、渋々と言った風に語り出す。


「実は――」



     ※



 それを聞いて、フェオが抱いた感想はひとつだった。

 いや、いろいろ思うことはあったのだが、それを簡潔に纏めるならひと言で済む。

 すなわち、


 ――この男は絶対に頭がおかしい。

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