2-24『安心して騙されろ』
俺の突然のカミングアウトに、驚いたのはピトスではなく、むしろ横に立つフェオだった。
彼女はきょとんと目を見開き、ぽかんと口を開けて俺の顔を見る。面白い表情だった。
「せ、七星旅団……? あんたが?」
「まあ一応。元、という但し書きはつくけど」
「うぇあ?」
言ってはなんだが、ものすごい間の抜けた反応を見せてくれるフェオである。
締まらない、という気もするが、これでいいと思う自分もどこかにいた。意外な発見だったので、それを教えてくれた彼女には感謝しておくこととする。
「あ、あの有名な? 姉さんが昔、助けられたっていう……?」
「そこまで驚いてくれると、俺としても言った甲斐があるね」
秘密は自分から暴露していくスタイルだ。
というか別に秘密というほどのモノでもないと言えばない。あえて隠しているというよりは、言ったところで誰も信じないだろうし、あとは単に面倒だったという程度の話だ。
実際、レヴィや学院長は知っているわけだし。シャルに至っては、それ以上に知られたくない俺の秘密を握っている。
七星だということが知られた程度ならば「すごい」で済むが、魔法使いの弟子だと知られたら、たぶん捕まる。
「え。じゃあ、さっきの子、メロとか言ってたけど……」
「ああ、そっか。そういえば隠してたっけ」
わざわざ偽名を使わせたのに、そういえば素で忘れていた。
まあ、ここまでの条件が揃ってしまえば、言わずとも気づかれていた可能性は高い。《紫煙の記述師》が印刻使いだということは広まっていたし。フェオはともかく、ほかの連中には時間の問題だったろう。遅かれシルヴィア辺りは気づいていてもおかしくない。
「メロ=メテオヴェルヌ。《天災》って二つ名のほうが通りはいいかな。元同僚だよ」
「…………」
愕然とするフェオだった。俺ひとりならともかく、メロという疑いようもない本物がいれば、信用性も増すようだ。
いやまあ信じられなかったらそれはそれで、とも思っていたけれど。
要は目の前の、ピトスにさえ告げておければそれでよかった。
「――――…………」
そのピトスはといえば、俺の言葉に微塵も驚いた様子を見せなかった。
どうやら普通に気づかれていたみたいだ。俺は少し、セルエの擬態を見習ったほうがいいかもしれない。奴の猫被りは完璧である。
まあ今さらだ。俺は肩を揺らし、不遜に宣う。
「せっかく暴露してみたのに、無反応なの? さすがにちょっと悲しくなる」
「いえ。まあ、知ってましたから」
「……あ、やっぱり?」
ピトスは失笑した。
「あれだけの実力を見せておいて。その上、メロ=メテオヴェルヌと親しげに話す人間に、何もないと思うほうがおかしいでしょう」
そりゃそうか、と納得する俺であった。
つまりばれたのはメロが悪いのであって、俺自身に責任はないことが証明されたのだから。
んなわけがない。
「実力なんて大して見せてないだろ。昔の俺は、これでももう少し強かった。自分で言うのもなんだけど」
「ええ。伝説と呼ばれる魔術師が、わたしの知るアスタさん程度だとは思いたくないものですね。世の冒険者もがっかりです」
「……そう言い切られると、それはそれで悲しくなっちゃうなあ」
確かに残りの六人と比べられたら、俺如きそれこそ物の数ではないだろうが。
魔術師というのは、本当に上と下で実力が隔絶しすぎている。七星旅団に限らず、上位の魔術師は基本的に人間をやめている。その時点でそもそもおかしい。
とはいえ――化物退治は、むしろ人間の領分だろうが。
「ただ言わせてもらえれば、『気づいてた』はこっちの台詞だよ」
「……何が、でしょう」
「お前ら強すぎるって話。いくらなんでも異常だよ――明らかに」
勘違いしそうになってしまうが、普通の魔術師なら迷宮なんて十五層も潜れれば充分すぎるほど実力者扱いなのだ。迷宮の最下層に易々と足を踏み入れられる冒険者など、そう何人もいるわけじゃない。
まして学生だ。魔術師として、本来なら完成にはほど遠いところだ。
そんな奴らが本職さえ凌ぐような実力を持っていて、それを《才能》などというひと言で片づけられるものか。
俺でなくとも、何かあると考えるほうが普通だろう。
目の前の少女は、いったいどこで修羅場を潜ったのやら。気になるが、今は措いておくべきか。
「異常だなんて……そんなことを、アスタさんに言われたくありません」
ピトスは俯き、静かに、しかし明確に声を震わせていた。俺の言葉が、彼女にとってなんらかの逆鱗を踏んだらしい。
それでよかった。俺は何も戦って彼女を叩きのめしたいわけじゃない。
ただ、騙してやろうと画策しているに過ぎない。
その方法に、仕方なく喧嘩という手段を選んではいるけれど。好き好んでやっているわけじゃない。ほかに方法があれば、是非とも教えてもらいたいくらいだ。
「ま、その辺りは意見の別れるところだと思うけど……別にいいか」
「貴方にはわかりません、アスタさん。貴方はきっとものすごく努力して、その力を手に入れたんでしょうね」
「何それ。もしかして褒めてる?」
「ええ。ですが、だからこそアスタさんにはわからない」
「…………」
「――だってわたしは、生まれたときからこうだった」
刹那、気づけば目の前にピトスがいた。
おそらくは俺の喉元を狙った膝が、すぐ目の前に見えている。
「……!」
彼我の距離を、たった一回床を蹴っただけで詰めるピトスの動き。その鋭さに俺は反応さえできなかった。これをただの身体強化で為したというのだから、本当に常軌を逸している。
だが――そこまでだ。
彼女はそこから動かない。否、動けなくなっている。
ピトスの身体は、俺を穿とうとした姿勢で、そのまま空中に静止している。
まるで天井から吊るされた操り人形のように、重力を無視して宙へ留まるピトス。
無論、自力で浮いているわけではない。
「……っ!」
ピトスの表情が驚愕に染まっていた。
不意打ちを、まさか防がれるとは考えていなかったのか。だとするなら甘い。俺は相手の想像とは違う選択肢ばかり選んで生きてきた魔術師だ。決して才能に恵まれなかった俺が、それでも海千山千の怪物どもを相手取ってきた――それが戦い方であり、生き方だから。
速かろうが見えなかろうが、そんなことは一切関係がない。来るとわかっているものを防げないようでは、七星旅団の名が廃る。
今、彼女が動かせるのはせいぜい顔くらいのものだろう。
「拘束魔術……ですか」
やがて、なぜ自分が動けなくなっているのか、それに気づいたピトスが言葉を作る。
俺は頷き、ピトスには向けないように煙を吐く。喫煙者はマナーを守るものだ。
ネタを明かす台無しな手品師が如く、彼女の問いに答えた。
「ああ。俺の目の前に、ヒトが通れば自動で起動する魔術を設置しておいた。いくらなんでも、魔力より速くは動けないだろ」
「……いつの間に? って訊いたら、それも答えてくれるんですか?」
「もちろん」俺は笑ってみせる。「答えは煙草の煙だ。――これでも、《紫煙の記述師》だから」
恥ずかしい上に、手の内をばらすような異名。本気で名乗るメリットがなかった。
なにも火の軌跡だけが文字を描く道具じゃない。煙草の煙そのものに魔力を通して、ルーン文字の形を取らせればいい。俺はそれだけで魔術を用いることができる。
印刻魔術の弱点のひとつが、《文字を書かなければ起動できない》ことなのは事実だ。それは魔術発動までの遅さを意味すると同時に、書いた文字を見られることで、どんな魔術が使われるのかある程度まで見破られてしまいかねないということまで意味していた。
だが《紫煙》ならば、その弱点をカバーすることができる。
不定形の煙は、相手にどんな文字を刻んでいるのかを悟らせない。揺らめきの一瞬でも、文字の形を取ればいいのだから。どの状態が、どの文字になっているのかなど、たとえルーン文字全てを暗記していたところで判別できまい。
俺とて伊達や酔狂で、煙草を吸っているわけではないのだ。きちんと戦術の一環として用いるからこその紫煙である。
「あの時点で察しがついてたなら、俺相手に煙草を持たせたのは悪手だったと格好つけさせてもらおう」
「よく言いますね」ピトスは冷笑した。「アスタさんは、わたしが絶対に止めないと、知っていたから出したんでしょう?」
……うわ、ばれてる。俺は苦笑いを隠せなかった。
決闘を重んじる魔術師は、たとえ敵対する相手であれ、名を交わし合うまで絶対に相手へ攻撃しない。名の意味を信仰する術者だからこそ、騎士以上に騎士道精神に溢れていると言えた。
その決まりを、ピトスは破らないと踏んでいたのだ。
もしも問答無用ならば、初めから俺たちへと攻撃していただろう。それをしない時点で、非情に徹底し切れているわけがない。
要するに性格の問題だ。ピトスはあまりにも優しすぎる。
その優しさは――つけ入る隙だ。
「あれだけ格好いいこと言っておいて。その割に、やることが結構せこいですよね」
言われてしまった。
ちょっと恥ずかしい。
俺は吸っていた煙草を口から外し、横合いにぽいっと投げ捨てた。
これでいいだろう、というわけでもなく。
「では余裕ついでにもうひとつ――なぜ、わたしが直接攻撃してくるとわかったんですか」
どこか皮肉げな台詞で、しかし無感動にピトスが呟く。
俺は、その問いにも正直に答える。
「読んでたからな。――ピトスが、強化魔術を使ってくるだろう、って」
「どうして。アスタさんの前で、強化魔術を使ったことはないと思いますが」
「前にオーステリアの地下に潜ったとき、自分で言ってたろ。あの合成獣に一撃与えたって」
「……ああ。やっぱり、あのときにばれてたんですか」
淡々と口にするピトス。口調からは感情の色が完全に排斥されている。
その意味をどこかで理解しつつも、俺は答えを述べていく。
「アレに攻撃できる時点で、直接戦闘に向いてないなんて大嘘バレバレだろ。あとはどうやって攻撃したかだけど、いくらなんでも、あの合成獣を前に単独で魔術を成立させるのは難しいだろうからな――ほかの手段だ。治癒魔術師なら人体にも詳しいだろうし、肉体を強化して直接攻撃したってのが妥当だろうっていう、まあそんな当て推量。別に根拠はなかったけど」
しいて言うなら経験か。
どうにも、戦いのときのピトスは普段より愉しそうに見えてしまう。
それだけ余裕のある人間が、まさか戦いを苦手とするとは考えにくい。その程度の、いわば勘だ。
大人しい見た目をして、その実、彼女は獣に近い。
「隠しごとはするものじゃありませんね、お互い」
苦笑するようなピトス。しかし、その様子にはやはり感情の気配はなかった。
彼女はまだ、自身の裡に本心を秘め隠している。
それを引き出せないうちは、彼女を騙すことなどできないだろう。
騙すことを、受け入れてはもらえない。
「そろそろ、腹を割って話してくれないかな。俺だってほら、いろいろと明かしたんだからさ。次はピトスの番だろう?」
「知りたければ、力尽くで聞き出してみてはいかがですか。アスタさんも一応、男でしょう」
「一応ってなんだ、一応って」
「いえ別に。ただ、わたしが簡単に諦めると思うのなら間違いですよ。確かに殺すつもりはありませんが、それ以外のことは知りません」
「叩きのめしてでも地上に戻すと?」
「必要ならば。多少の怪我程度、治せば済む話でしょう。死ぬよりは遥かにマシなはずです」
「ずいぶんな自信だね。そりゃメロと比べれば格は落ちるだろうけど、俺も一応、かつては伝説と呼ばれたひとりなんだぜ? これでも」
「もちろん、わたしはアスタさんが弱いだなんて思ってません。ただ――」
――わたしだって、まだ負けてはいませんから。
直後、硝子の砕けるような音がした。
俺の用意した不可視の拘束が、ピトスによって破られたのだ。
……マジかよ。と、俺もさすがに戦慄する。
理屈も理論もあったものじゃない。彼女はただ膂力だけで、俺の魔術を強引に破壊していた。
無論、読むというのなら。
それだって俺は読んでいた。
ピトスはそのまま床に着地すると、その脚で今度は俺の足元を狙ってくる。
地に手をついての足払い。俺は咄嗟に飛び上がることでそれを回避したが、こと肉体の運用でピトスに敵うはずもない。
宙で身動きできなくなった俺を、立ち上がったピトスの掌が襲った。
咄嗟に腕を十字に構え、俺は防御の体勢を取る。だが彼女はそんな足掻きを完全に無視して、両腕の上から俺を打った。
どん――と空気が振動する。防いだ左腕が、みしりと不快な軋みを発した。
「――――が、」
まるで大砲にでも撃ち抜かれたかのような衝撃を受け、俺の身体がそのまま吹き飛ばされる。
――左腕が、逝った。
その認識にわずか遅れて、「ぐ、ぎ――ぁ」猛烈な痛みが肉で骨で神経で暴れる。ああマジで折りやがった。涙が出る。けれど仕方ない、腕の一本くらいならくれてやれ。
だが追撃は終わらない。
吹き飛ばされた俺の身体を、追い抜くようにピトスが跳ぶ。――嘘だろオイ。
彼女は俺に並んで壁を蹴り、空中で身を翻して反転、俺を越して天井を次は蹴り抜いた。
宙を吹き跳ぶ俺に向かって、ピトスが上から降ってくる。
落とされたのは踵だ。天井を蹴った加速と、吹き飛ばされた俺自身の加速。その両方の威力が合わさった足が突き刺されば、意識は軽く刈り取られる。つーか下手したら死なね、これ?
それは困る。
だからその踵落としを――俺は死んだ左腕で受けた。
「が、っ、ぎあああああいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!」痛い痛い痛いいいいいい!
折られた腕が今度は砕けた。弾けた。つーか死んだ。死、痛、ぐあマジかよこれ腕死んだ。
痛すぎて、そこに腕があるのかわからない。あるのは痛みだ、痛みしかいない、腕から痛みが生えている。「いぎぎぎぎ」気がする、取れたのか、腕が、腕、腕取れた気がする腕がああでも安いもんだ腕の一本くらいなら思えそう思え死体ならそれこそ身代わりにしろ。
まだ右腕なら生きている。
俺は左腕を犠牲にして、右腕でピトスの足首を掴んだ。
「ば――っ」そんな声を耳にした気がしたがわからない。
仰向けで宙を飛ぶ俺は、左腕を代償に得た勢いのままに、空中で身体をうつ伏せの向きに変える。その半身を捻る動きに、足を掴まれたピトスは巻き込まれ、結果としてそのまま地面へと叩きつけられる。
ピトスが下に――俺が上に。
まるで彼女を組み伏せて、抱き合うような形で墜落していた。
「――――――――ッ!!」
反射的に、ピトスは俺を押し退けようと腕を伸ばした。
攻撃というにはお粗末な、嫌々をする子どもみたいに理屈のない動き。
それを俺は――三度目の正直! 意味不明!
またしても左腕に受ける。
「ぎっ――――あああああがががあああがががぎぎぎぎぎぐぎがっ」
もう駄目だもう取れた確実に死んだ腕が死んだ痛むくらいならむしろ死ね!
「なんっ、でぇ……っ」
文字通り目と鼻の先で、苦悶に歪んだピトスの表情が確認できる。もはや攻撃の意思さえ削がれたらしい。
俺は左腕の痛みを必死に堪え、完全にないものとして振る舞ってみせる。死んでも表情は変えない。叫びはまあ、この際だ、仕方なかったとしておこう。
「どう、ぎっ」痛すぎて舌噛んだ。「……どうした、ピトス。もう終わり、か?」
ピトスは動かない。
彼女の表情には涙が浮かんでいた。でもたぶん俺も泣いている腕が痛すぎる。
触覚が痛覚に支配され、腕の存在さえ認知できない。
それでもなんとか左腕を動かそうとする。ぐぎげ。
「あ――んっ」
直後、ピトスが何やら噛み殺すように奇妙な声を上げたのが、俺の耳まで届いていた。
しかし意味はよくわからない。かかずらっている場合でもない。
ともあれ、この状況ならピトスも簡単には動けまい。いや、ピトスほどの身体能力があれば、俺を押し戻すことくらいは簡単だろう。
だが、ピトスにはもうそれができないはずだ。
理解しただろう。彼女に、俺を殺すことなどできない。どころか傷つけることさえ抵抗があった。そのために腕を犠牲にしたのなら、なるほど確かに安いくらいだ。
戦いを好み。
しかし、傷つけることは心底厭う。
それが彼女の内包する矛盾。だから初めからわかっていた。
殺さずに追い払う――そんな前提は、俺が自分の身体を犠牲にした時点ですでに成り立たなくなったのだ。治せばいい。この腕、果たして治るかね。
治癒魔術師の彼女だからこそ、治せない傷というものを知っている。治癒は決して万能じゃない。
彼女には――初めから勝ち目なんて存在していなかったのだ。
「俺たちの、勝ち……だな」
直後、俺の背後からひと筋の刃が通り過ぎる。
それは俺の顔の横を通ると、ピトスの首の横めがけて床に突き立った。
歪んだ刃。だがそれでも、ヒトの肉体を斬るには十分だろう。
俺の背後には、フェオが立っていた。
ピトスは「……嘘」愕然とした表情でフェオを見る。
当然だろう。なにせピトスは、フェオのことなどまるで忘れていただろうから。
「……ヒトには話せって言っておいて、自分は隠しごととか。本当に信じらんないよ……!」
ピトスが呆れたように憤慨の言葉を発する。
まあ、その点で今さら悪びれるつもりもないのだが。初めから騙すと言ってあるわけだし。
そう――つまり俺は、フェオの存在をこの場から《隠蔽》したのだ。
俺はただ煙草を投げ捨てたわけじゃない。それを使ってすぐ横にいたフェオに指示を出し、同時に彼女の存在を魔術で《隠蔽》した。ちゅーかこの俺が迷宮の中だろうが煙草のポイ捨てなんてするかっつーの。ポイ捨て、ダメ、絶対。
もちろん、あの男が使うほど完璧な術式ではない。
だが紫煙は気体であり、その匂いはヒトに、質量は空間に充満し、作用する。ピトスの意識を俺に向けている間くらいならば、フェオの存在を隠すことも難しくなかった。
ルーンにはそのもの、《秘密》と呼ばれるものがあるくらいだし。
これで存外、隠すことは苦手じゃなかったりする。
ともあれ、フェオはその隙にシルヴィアと、ついでに折れた剣を回収、ピトスの意識の外側から詰める手筈だった。
どうやら、シルヴィアも無事ではあるらしい。
「……馬鹿じゃないですか?」
と、ピトスが言った。それは彼女が始めて告げる、俺に対する罵倒だった。
これで本心を引き出せるのなら、まあ悪い展開じゃないと思う。
「いや、馬鹿だよ。絶対馬鹿だよ、アスタくんは。こんな、腕を捨てるような真似して。本当に壊れたら――魔術でだって治せないのに」
「それは困るな。ちゃんとお前、責任取ってくれよマジで」
「……それって」
「超がんばって治してくれ。正直、痛すぎて気絶しそうなんだ」
「…………あり得ない。本物の馬鹿だよ、アスタくん」
「うるせえ」と俺は笑う。「それで。話す気になったか、何があったか」
途端、ピトスは口を噤んだ。まあ力尽くでとは言ったものの、この程度で口を割るほどの決意なら、初めから独りで死のうとはしないか。
だがまあ――それでも彼女は動きを止めたのだ。
その意味は、たとえ勝手な判断だろうと、俺が汲み取らなければ嘘だ。
「まあ心配するなよ。俺はそこそこ強いだろ? たいていの相手になら勝てる。実際、お前も倒してみせた。ていうかメロもいるし。冷静に考えてみろ、これだけ揃えば魔法使いにだって勝てる」
「そんなになってまで……よく言えるね。アスタくんのほうがよっぽど異常だよ。結局、格好いいこと言ってフェオさんに頼ってるし」
「独りで戦うような奴、それこそ信頼するもんじゃないぜ。周りを上手く使えるほうがいいに決まってるだろ、当たり前だ」
トンデモ理論を、さも当然のように俺は言ってのける。
ヒトを騙すとはそういうことだ。これも騙り。それでいい。
「それに、少なくともお前より強いことは証明されただろ。お前じゃ俺にゃ勝てん。違うか?」
骨折られたけど。そしてピトスは無傷だけど。
勝ちは勝ちだ。そういうことにしておく。
あまり納得いかないのか、いくぶん不満げにピトスは頷いた。
「まあ、そういうことにしてもいいけど……」
「なら、それはつまりお前の判断より、俺の判断が正しいってことだ」
「……え、ええぇ……?」
「うるせえいいんだよ間違ってるから負けるんだ。勝ったほうが絶対的に正しいのが世の仕組みなんだよ」
「むちゃくちゃ言うよね、アスタくんは」
「無理も通せば道理っつってな。なんでもいいんだよ、結局」
要は解釈だ。それを見て、何を信じるかが問題だろう。
実際にできるかどうかなんて、そんなことは知ったことじゃない。
七星旅団の――否、お前の友人の、アスタ=セイエルは強いから。
だから、お前は俺を信じろと。信じて騙されて担がれろ、と。
俺はそれだけをピトスに訊いている。
いや、それさえ本当は違うつもりだった。少なくとも俺はそう思っている。
傲慢かもしれない。ただの勘違いなのかもしれない。
それでも、これは俺だけが望んだ展開ではないはずだ。
「……まあ、お前は優しい奴なんだろう。普通なら、自分だけ死のうとなんてまず思わない。なんとしてでも、自分だけでも生き残ろうとするのが本当だろう。よく堪えたな」
「やめてよ」組み伏せられたまま、ピトスは首を振る。「わたしは――わたしは、そんな、いい人間じゃない」
「何言ってんの、別に褒めてないから」
「え……」
「実際のところ、ピトスがどうして死のうと思ったのかなんて知らないしね。まあ大方、『お前さえ死ねばほかの奴らは助けてやる』とでも言われたんだろうけど。言わせてもらっていい? そんな言葉、信じるほうがどうかしてるぞ。嘘に決まってるだろ、んなもん」
「あ、上げてから落とさなくてもいいじゃんか……っ」
「いいや、まだ言い足りないね」
そう――それでも。
俺には、彼女が初めから「助けてほしい」と叫んでいるようにしか見えなかったのだから。
ならせめて、言葉くらいは費やせなくてどうする。
「初めから素直に『助けてほしい』と言ってれば、こんな面倒な真似しなくて済んだのに。まったく面倒臭い女だな、お前は。レヴィやメロよりずっと面倒なレベル。大人しい顔して隠しごと多いし、一度決めたらぜんぜん考え変えないし、あとなんかほかにも面倒な事情抱えてそうだしな。お前と戦うの嫌いだろ。だからさっき怒ったわけだ。――ならそう言えよ、言葉を使って。肉体言語なんざ今日び流行らん」
「そ、そこまで言いますか……」
「でも、やっぱり優しいよ」
「――――ッ!」
騙されるということは、つまり相手を信じるということだ。
それを求める以上、俺はピトスに対して根拠を提示しなければならなかった。
それが、この下らない喧嘩の意味なのだから。
「そもそも治癒魔術なんて才能はな、誰より優しい人間にしか開花しないものなんだよ。七星旅団にもひとり治癒魔術師がいたんだが、あいつも優しい奴でな……あ、いや性格は悪かったけど。まあ根拠はそんなとこだ」
「それ、根拠って言えるの……?」
「言えるさ。ふたりとも――俺の友達だ。優しい奴の周りには、いい友人が集まるものなんだよ。俺とかな。――だから安心しろ。いいかよく聞け、安心しろ。俺は強い」
「アスタ、くん」
「答えろ。死にたいのか、それとも生きたいのか。生きたいなら俺の手を取ってくれ。いややっぱ手は取らないで痛いから。あれだ、代わりに言葉にしろ」
「助けてって言えば……助けてくれるの?」
「ああ。だから安心して騙されろ」
だから俺は、繰り返してもう一度告げるのだ。
欺瞞でも。錯誤でも。ただの勘違いした痛い奴でも構わない。
俺は英雄ではないけど、それでも彼女のともだちだから。
「――俺が、お前を助けてやる」
そして、ピトスは。
仕方ないな、と小さく笑った。
「わかった。アスタくんに、騙されてみるよ」
※
とまあ、ここで終わっていれば青春万歳とか適当なこと言って流せたのだが。
ふと、背後のフェオが、小さな声で俺たちに言った。
「盛り上がってるところ悪いんだけどさ」
「ん?」
「アスタ。あんた、自分の左腕がどこにあるか、そろそろ気づいたほうがいいんじゃない?」
「はあ?」
いったいどういう意味だろうか。
確かに腕は痛み続けているが、かといって取れているわけでもなかろうに。
俺は首をかしげ、その流れで視線を自分の左腕の先へとやった。
俺の左手は、ピトスの右胸を鷲掴みにしていた。
「――うぉえい?」
口からヘンな声が漏れた。フェオのことを言えた義理じゃない。
ピトスはやけに愉しげに苦笑して、こちらへ向けて小首を傾げてみせる。
「ようやく気づきましたか、アスタくん?」
「え……おお、ああ、済まん」
咄嗟に立ち上がって、俺はピトスから退こうとして、「うお」そのままばたりとピトスに向かって倒れ込んだ痛え。
「ちょっ……アスタくん!?」
彼女の胸に、腕が完璧に吸い込まれている。心から申し訳ないと思う。のだが、
「すまん、腕、かなり、やば」
「ええっ!?」
片言になってしまった。そして完全にピトスを押し倒している。
とはいえ仕方ないと言わせてもらいたい。なにせ痛覚以外の感覚が死んでるんだ。これは無罪に違いない。
「――えい」
と、ピトスが俺の左腕を、なんとそのまま胸に抱え込んだだだだだだ痛い痛い痛い!
そこまで怒ってるのか、と慌てるも一瞬、俺は何か暖かく柔らかな感触を腕に覚える。
いや別にピトスの胸の話ではなく。
意外とあるなあ、とかそういう話ではなく。
痛めた腕に、柔らかな魔力が流れ込んできていた。ピトスが、俺の腕を治癒してくれている。
……まあ正直、助かった。
メロたちを追うにせよ、もはやこの負傷では足手纏いにさえなれないだろう。
加えて言えば魔力もいい加減やばい。あと一回、魔術を使えるかどうかの瀬戸際である。
俺は礼を言うべく口を開きかけ、
「――アスタくん」
その発言を、先んじて言葉を作ったピトスに封じられる。
彼女は悪戯っぽく微笑むと、俺に向かってこんなことを言う。
「気持ちいいですか?」
「え、ああ。さすが治癒魔術は――」
「胸の話です」
「…………」絶句した。
あれ。このヒト、やっぱりかなり怒ってる……?
「まさかあれだけ触っておいて、謝るだけで済ませようなんて思ってませんよね?」
「ど、どうせよと」
おかしい。俺は彼女に怪我まで負わされているというのに。
あ、いやまあ、それは騙した時点で手打ちなのか。治療もこうして受けている。
……じゃあつまり、胸を触った分はこれ清算されてないのか?
確かに今もなおセクハラ続行中だが、正直言って感触なんて微塵も感じないし、不可抗力ということで情状酌量の余地があるような……ないのか?
まるで沙汰を待つ罪人の如き気分を味わう俺に、彼女はあっさり、笑顔を見せてこう告げた。
「――責任は、取っていただけるんですよね?」
――騙されていたのは、もしかして俺のほうじゃないだろうか。
と、俺はそんな風に思ってしまった。
現実逃避だった。




