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セブンスターズの印刻使い  作者: 白河黒船/涼暮皐
第二章 陰謀の迷宮区
45/308

2-23『紫煙の記述師』

「――で」

 と、俺は言った。周囲の視線を集めるよう、あえて大仰な態度を装って。

 実際、格好つけて出てきたはいいものの(格好がついていたかどうかは別の問題として)、今いったいどういう状況になっているのかがちっとも把握できていない。

 形だけを見たところ、シャル・フェオ組とピトスが向かい合っているような形になっている。


 ……いや、なんでだよ。

 としか言いようがないと思うのだがどうだろう。

 こちらを睨むピトスの足元には、血に濡れて横たわるシルヴィアの姿。遅かった、と断ずるよりは、あえて間に合ったと表現しておきたい。

 どうやら、まだ息はしている様子である。

 わずかに胸が上下しているし、一見したところ目立つ外傷もない。断定はできないが、まだ助かる範疇のはずだ。

 この世界に来てからというものの、俺は死体を見慣れすぎてしまっていた。

 生者と死者の違いくらい、遠目にだって判別がつく。


 ――嫌な慣れだと思うけれど。


「いったい、これはどういう状況なわけだ?」

 俺はシャルに向かって問うた。いちばん答えを返してくれそうだったからだ。

 彼女は小さく嘆息を零すと、それから静かに言葉を作る。

「……わからない。彼女が、ここから先にわたしたちを通すつもりがない、って」

「いや、別に通らなくていいんじゃないか?」

 ほかの五人はともかく、彼女たちはまだ助かりそうなのだから。

 この期に及んで、下に潜る必要はない。メロのお陰であの土人形ゴーレムも突破できるわけだし、さっさと帰ればいいだけではなかろうか。

 ……というかむしろ、何を措いても早く帰らなければならないはずだ。

 地上の様子が気になる。

 銀色鼠シルバーラットの中でも、地上に残っている若い連中には、言ってはなんだが俺たちのような戦闘力を望むべくはないだろう。

 思えば、あの野営地キャンプに子どもしかいなかったことが、今となっては作為的ですらある。それを偶然だと考えるのはもはや難しい。

 最悪の想像を、思い浮かべないわけにはいかなかった。


「ほら、さっさと帰ろうぜ?」

 俺はピトスに向き直り、粗雑な軽薄さを態度に張りつけて言う。

 そのことに、意味があるとは思わなかったけれど。単に形として表しておくべきだと思っただけだ。

 彼女はきっと応えない。その双眸に宿る輝きの意味を、俺はよくよく知っている。

「……わたしは、帰れません」

 果たして、ピトスはそう呟いた。

 想像した通りの、それは拒絶の言葉だった。

「わたしのことは放っておいてくださって構いません」

「そうは言っても。……シルヴィアさんはどうなんだよ?」

「彼女は、あとでわたしが必ず地上まで帰します」


 ――彼女シルヴィアは。

 なら、自分ピトスは?


「そう言われてもな。俺も一応、お前の護衛を請け負ってここに来てるわけだし」

「依頼したのはわたしじゃありません。こちらのことはお構いなく。自分のことは、自分でどうにかできます」

「なるほど。――実に、冒険者らしい台詞だ」

「……」

 俺の軽口に、彼女は言葉を噤む。下手な誤魔化しは通用しそうにない。

 なら俺も、そろそろ軽佻浮薄な態度を改めるべきだろう。

 俺は――ピトスに訊ねる。


「お前。もしかして、死ぬつもりか」

「――どうでしょうか」


 ピトスは、感情の一切籠もらない笑顔でそう言った。

 肯んじたようなものだった。

 背後で、シャルとフェオの息を呑む気配がする。ただ今はそちらに目を向ける余裕がない。

 メロはといえば口を挟むことなく、ただ成り行きを見守るに留まっている。

 彼女は決して馬鹿じゃない。だから考えることはあるはずなのだが、それ以前にこういうとき事態へと口を挟む性格をしていない。

 要するに興味がないのだろう。

 七星旅団セブンスターズ時代から、ある種の淡泊さを持っている女なのだ。


 となると必然、この場で口を開く存在が俺以外にはいなくなる。

 だから、というわけではないが、俺は彼女に問いを投げた。


「なら訊くことはひとつだ、ピトス。――誰に、何を吹き込まれた」

「――――」

 問いに彼女は答えない。ただ、わずかな動揺を隠しきれていなかった。

 だが考えてみれば当たり前の話ではあろう。

 彼女とて、何も初めから死ぬためにこの迷宮を訪れたはずはない。考えが変わった理由など、外部から――誰かから何か吹き込まれたとしか考えられまい。

 そして、そんなことをする誰か(丶丶)に心当たりはひとつだけだ。

 俺はそれを口にする。


「――七曜教団の連中から、何か言われたな?」


「…………」

 やはり彼女は答えない。今度は反応さえしなかった。

 しかしこの場合、問いに反応しないこと自体が、もはや答えと変わりない。違うなら違うと、ここは言っていい状況だろう。

 それをしないのは、つまり俺が当たりを引いたからに他ならない。

 生憎とこの手の駆け引きならば、ピトスよりは俺が勝っている。伊達にレヴィを相手取っていないという話だ。


「答えろ。奴らに関しては、生憎と俺たちも他人事じゃいられない。何を言われた?」

「……言えません」

 ピトスは首を振る。どうもこの角度からは踏み込めそうにない。

 今、彼女の前にいるのはシャルとフェオに加え、俺と、何よりメロがいる。いくらなんでも、この四人を向こうに回して戦いになると考えるほどピトスは馬鹿じゃあるまい。

 シャルとフェオのふたりを同時に、この場へ足止めしていたのだ。学院での評価と違い、彼女が直接戦闘に長けた魔術師であることは疑いようがない。

 というか、実のところ俺はその事実を知っていた(丶丶丶丶丶)

 俺が元七星旅団(セブンスターズ)であることを隠しているように、彼女もまた自身の戦闘能力を学院には隠していた。そこには何か理由があるのだろうと、俺も触れないようにしていたのだが――この際だ。悪いが暴かせてもらうとしよう。


「まさかお前、俺たち四人を前にして、それでも勝てるつもりなのか」

「……いえ、きっとできません。それでも、皆さんにここから先へ進んでもらうわけにはいかないんです」

 彼女はあっさりと自らの不利を認めた。

 その上で重ねて言う。

「ですが、お願いします。どうか、この場から帰ってください。貴方たちまで死ぬ必要はないんです。お願いします、地上に戻ってください……!」

「お前も一緒に戻ればいいだろう。この場に残ろうとする理由はなんだ」

「わたしのことは、放っておいてくださいって言ってるじゃないですかあ……っ!!」


 ピトスが、叫んだ。

 身を切るように悲痛な声で。懇願するように哀れな表情で。

 ピトス=ウォーターハウスは願うように喉を荒立てる。


 ――何をだ。考えろ、俺。

 彼女はいったい、何を願ってここに立っている。


「……メロ」

 と、俺は横合いに立つ、かつての仲間に声をかけた。

 彼女はあっさりと、軽く首を傾げて答える。

「ん、何?」


「――さっきの魔術で下の層に降りてくれ」


 言葉に、最も驚愕を露わにしたのはピトスだった。

「な――!?」

 驚きを潰すように、メロが笑いながら言う。

「別にいいけど。どして?」

「待ってください!」

 叫ぶピトスを無視して続ける。

「たぶん、下にピトスを唆した奴がいるから。――俺の代わりに、ぶっ飛ばしてきてくれ」

「待ってください、駄目です、そんなことしたって勝てるわけないんです。殺されちゃう! だからわたしがここで――」

「とまで言わしめる奴だ。元七星のお前でさえ、勝てない相手がいるらしい」


 たとえば脅されているのだとして。

 それでも、メロの姿を見れば、普通なら《助かった》と思うところだろう。

 だがピトスは、俺たちの姿を見てなお絶望の中にいた。


 ――つまり、この先には俺たち五人全員を敵に回しても、それでもなお勝てる存在がいるということだ。

 数がいる、わけではないだろう。ならば質だ。

 ピトスをここまで絶望させる魔術師が、この先で俺たちを待ち構えている。


「……なるほど。それは――面白いね」

 言葉に、メロが口角を歪ませる。

 その酷薄な笑みに、ピトスのほうが絶望していた。

「そんな……っ」

「――わかってんじゃん、アスタ。あたしもそろそろ骨のある相手と戦いたくて。いや、単独ソロの冒険者じゃ最強とは言われてるけどさ、そろそろいい加減、全魔術師の中で最強に格を上げたいと思ってたんだよねー。その障害が下にいるなら、うん、止められたって行かなくちゃだよね?」


 この上なく傲慢な台詞である。

 だが、それがメロ=メテオヴェルヌという人間の在り方だ。


「死ぬなよ」俺は告げる。「……あー、ほら、なにせ煽ったの俺だからな。それで死なれちゃ、あれじゃん? なんか俺が殺したみたいになるじゃん。それは嫌だから絶対やめてくれ」

「普通に最低の台詞吐くよね、アスタ」

 呆れ顔のメロだった。余計なこと言わんでほしい。

「うるせえ黙れいいから死ぬな」

「んにゃ、いんだよいんだよー」メロは嫌らしく笑った。「あたしはそれ、ちゃんと照れ隠しだってわかってあげてるから。いやー、理解のあるいい女だなー」

 俺はメロの尻を蹴り飛ばした。

 いいからはよ行け。

「いったいなー、もう、乱暴なんだから……これ痴漢だよ責任取れんのかよお嫁に行けないよ、よよよよよ」

 妄言を撒き散らしつつも、さすがに状況は理解しているメロ。

 彼女はそこで、ふと後ろのふたりに目を向けた。

 片手を挙げ、術式を起動させると、それから彼女たちに向けて訊ねる。

「君らはどうする? 一緒に来るなら連れてくけど」

「待てメロ、それは――」

「いいからアスタは黙ってて」

 ぴしゃりと俺の発言を封じるメロ。本当に、こちらの思う通りになど動いてくれない奴だ。

 ゆえの《天災》だと言われればそれまでだったが。


「どうすんの? 帰るんなら術式で送ってあげるけど、一緒に来るなら今決めて」

「――わたしは行く」

 果たして、シャルが答えた。そう答えると俺は確信していた。

 だからあえて、彼女たちには触れなかったというのに。

「足手纏い扱いされるつもりはない。何が起こってるのかわからないけど、わたしだって、依頼を請けてここに来てる」

「いいね。んじゃそっちの、えっと、なんだっけ? そう、フェオは?」

「わたしは……」一瞬だけ逡巡し、それからフェオは首を振った。「わたしは、行けない」

「そっか。それじゃ上に戻る?」

「……ううん、それもしない。わたしはここに残る」

 言葉を紡ぐフェオを、俺は見ないでいた。視線はあくまでピトスに向けている。

 その口調を聞いているだけで、フェオの意志が理解できてしまったから。

「姉さんを残してはいけない。正直わたしもワケわかんないけど、でも、だとしても姉さんを助けるのはわたしがやることだから。――アスタだけには、任せておけない」

「だよねー」メロは笑った。「アスタはすぐ、女の子を小さく見るんだから。馬鹿にしすぎだよね。呪われてる雑魚魔術師の癖に、何様って感じ」

「……言ってくれるね」

「言ってないよ。何も言ってないようなものでしょ、こんなの」

 ――言いたいことなら、ほかにもいくらだってある。

 言外に主張するメロに対し、俺のほうが言葉を失ってしまう。

「……なんだよ?」

「別に。――変わったな、と思うだけ」背中合わせのメロの表情が、目にせずともはっきりわかっていた。「いや、変わってないのか、ある意味で。これは単に戻っただけだ」

「……お前」

「助けるとか助けないとか、そんなこと言ってるから迷うんだよ。アスタにできるコトなんて、口先で騙って偽って誤魔化すことくらいでしょ――なら、騙してあげればいいじゃんか」

 その言葉が、どうしてだろう。

 俺の胸中にすっと染み入って溶け込んだ。

 メロは苦笑して小さく呟く。

「ま、わざわざ学院に入学した甲斐はあった(丶丶丶丶丶丶)かな、って感じだね」

 彼女は明確な言葉を口にしない。だが、言いたいことはわかっていた。

 俺も、今となっては思い出さざるを得ない。

 ――七星旅団の四番目セブンスターズ・ザ・フォース

 かつて間抜けな俺のために、迷宮で命を落とした彼女のことを。


 彼女に救われて。そして彼女に呪われて。

 それでも俺は、あのときから一歩たりとも成長できていやしない。

 けれど――だから、だからこそ。


 今ここで、せめて俺が――ひとりくらい助けたいと思うのは傲慢なのだろうか。


「それじゃあ、ここは任せたよ、アスタ」

「……ああ。下は任せたよ、メロ」

 言葉を発する。俺はいつだって言葉しか使えない。

 それを費やすことを恐れて、かつて喪ったものがあったというのに。

 俺は一歩だって成長してやいなかった。

「シャルも。仕事は交代だ、ピトスは俺がなんとかする」

「…………」シャルは答えない。

 俺は懐から取り出した煙草に、ルーンを使って火をつけた。

 俺を知る魔術師なら、真っ先に止めなければならない魔術媒介であるのだが。

 目の前のピトスは、動くことができないでいた。

「だから、ピトスは俺がどうにかするから。お前は、姉を助けろ――フェオ」

「……言われるまでも、ない」

 なら構わない、と俺は言葉にせずに首肯する。

 今さら、偉そうなことを言えた義理じゃないのはわかっているけれど。


 ――俺が今からやることを。

 果たして、彼女は許してくれるのだろうか――。


 人間ヒト他人ヒトを助けるなんて、そんな思考はきっと罪だ。

 自己満足の陶酔で、傍迷惑な害悪。正義の味方はこの世にいないし、情けはヒトのためにならない。やらない善なら、やる偽善よりずっとマシだろう。

 けれど――それがどうした。

 誰かを助けることが罪になるのなら、それを背負えばいい話である。

 英雄にはなれない。

 俺は罪人で構わない。

 いつだって、俺は誰かに助けられて生きてきた。


 ――俺は魔術師トリックスターだ。

 なら、救うことはできずとも、騙すことならきっとできる。


 メロとシャルが、魔術で階下へ消えていく。

 俺はピトスへ向き直り、煙草を突きつけるようにして宣言した。


「まあ、そういうわけだから。さっきは格好つけたけど、やっぱり俺は、誰かを助けるなんて口に出すことはできそうにない」

「…………」

「だから、お前から俺に求めてくれ。俺がお前を助けるんじゃなく、お前が自分から俺に助けられてくれ」


 下らない言葉遊び。というより、それはきっと言い訳でしかないのだろう。

 ――ただそれも、学生らしい青春だと思えば、まあ悪くない。

 思い返せば、我が親愛なる義姉あねは、そのために俺を学院へと送り出したはずだ。

 俺たちはただの学生だ。決して英雄なんかじゃない。

 ならば――せめてそれらしく、恥ずかしい台詞を口にしよう。


「俺がお前を騙してやる。だからピトス、お前は安心して俺に担がれろ」

「何を――何を言って……」

「戦おうって、そう言ってんだ。俺が勝ったら、お前は俺に救済だまされろ。これは、そういう決闘だ」

「メチャクチャなこと、ばっかり……っ」

「いいから名乗れよ。魔術師の決闘……いや、喧嘩に、名前の交換は不可欠だからな」

 彼女の言葉に取り合わず、俺は自分の言葉だけを押しつけ続けた。

 この時点で、すでに記述かたりは始まっているから。

「――お前の名前を、教えてくれ」

 気取った発言である。もう顔から火が出んばかりの思いだった。

 しかし、表情を変えるわけにはいかない。

 俺もピトスも、魔術師である以上は気取って当然だ。魔術師という人種ほど、イメージ大事に格好つける者はいない。幻想と神秘を司る魔術師だからこそ、その概念イメージさえ軽視できない。

 そして俺は、ピトスが挑まれた決闘から逃げられないことに気づいている。

 果たして――彼女は名乗った。


「オーステリア学院所属、ピトス=ウォーターハウス」


 だから俺も、恥じらいを捨てて名乗りを返す。

 ここでその名をばらしても、別に構わないと思ったから。


「元七星旅団セブンスターズ。《紫煙の記述師(レトリックスター)》アスタ=プレイアス」


 ――参る。

 と、俺は同級生ともだちと喧嘩する。

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