2-14『大型魔物』
シャルに追いつくと、ちょうど彼女が数体の魔物を撃破した瞬間に遭遇した。
擬似的な肉体が魔力へと還元され、光の粒子となって飛び散っていく。
幻想的といえば、まあ幻想的な光景ではあるだろう。元が醜悪な姿をした魔物であることを無視すれば、だが。
しかし――実に鮮やかな手並みだ。レヴィやウェリウスの影に隠れているが、彼女も十二分に学生の範疇を超えている。
彼女がどんな魔術を得意としているのかは知らない。というか、どんな魔術もたいていは苦手なく平均的にこなしているのだ。融通が利くようで実は戦術の幅が超限られているルーン魔術師の俺と違い、彼女は本当の意味で万能的だった。
「――ちっ」
と、こちらに気づいたシャルは、露骨に舌打ちをしてみせた。
フェオが面食らい、俺は苦笑でもって彼女に応える。
「いきなり酷いな」
「もう少し遅く来ればよかったのに……なんでこのタイミングで来るかな」
「早いに越したことはないだろ」
言って、それから横目にフェオを窺う。
こちらに敵意を向けているのはずっと変わりないが、迷宮に入った当初より態度が硬化してしまったフェオだ。これは俺の失策だろう。
とはいえ、その分わずかにこちらの話を聞いてもらえるようにはなっている。
思い返してみれば、彼女は俺の唐突な魔術講義を一応は聞いてくれていたわけだし。
律儀というか真面目というか。思ったほど悪い性格ではないのかもしれない。
「降りるんでしょ。早く進も」
シャルの言葉に頷きを返し、俺たちは下へと進んだ。
このパーティなら、とりあえず十層くらいまでは余裕と見ている。
さて、どうか。
※
――本当に余裕だった。
と、言うほど気楽だったわけではないけれど。
迷宮も十層になれば魔物の攻撃力は正直、カンストしている。いや、もちろん実際はしていないが。
要するに、人間が一撃受ければほぼ間違いなく死ぬ威力に至っているという意味だ。
防ぐか避けるか。そのどちらかが成功しなければどんな冒険者も普通に死ぬ。
魔術師はその攻撃力の高さと比べて、生身の防御力があまりにも低すぎるからだ。
たとえば戦略級と評される魔術師ならば、一度の魔術で一軍を滅ぼすとさえ言われている。だがそれだけの攻撃性能を持つ魔術師であっても、たとえば低級冒険者の初級魔術とか、どころか適当なナイフのひと突きでも生身に受ければ余裕で死ぬ。
魔力を身体に通せば肉体の性能は上昇するが、それで肌が鉄のように硬くなるわけではないのだから。単純な身体強化だけで、人間としての限界を超えることはない。
十層より先ともなれば、一瞬の油断が即、死に繋がるのだ。余裕に感じられるのは、そうでなければそもそも進むことなどできないからである。
ただ実際、本当に気楽ではあった。味方が優秀だったからだ。
前衛にフェオ、後衛にシャル、斥候に俺。パーティバランスは完璧と言える。
自負が大きいだけあって、フェオの実力はなかなかのものだった。
腰に提げた二対の剣のうち、一方だけを抜いて彼女は振るう。
オーステリア迷宮よりは通路もずっと広いため、直剣を使うには問題ないらしい。印刻による索敵で先制して情報を教えれば、たいていの魔物はフェオが一閃で下していた。
連携というほどの連携は取れていないが、意外にも彼女は、戦いの場で立場や私情を持ち出してくるようなことはなかった。戦い方もまっすぐで雑念を感じない。
あるいは、一層で交わした会話がいいほうに傾いたのかもしれなかった。
充分に強い。同年代の冒険者としては、世辞抜きでトップクラスだろう。
華やかとまでは言わないが、堅牢で隙の少ない剣の技術。おそらく相当な訓練を積んだのだろう。
剣の製作者がエイラだという事実を抜きにしても、《銀嶺の氷華》ことシルヴィア=リッターの妹という事実は伊達じゃないらしい。
気になるのは、なぜ二刀を佩いているのかという点だ。
現状、フェオは一刀しか振るっていない。もう一刀は予備で持ち出しているのだろうか――そんなわけがないだろう。
どうやら、彼女は双剣を操る戦闘方法を取るらしい。
対人に強そうな戦種だ。正面から一対一で戦うのは、俺も分が悪いだろう。というか、下手したら普通に負ける気がする。
伝説の集団の一員――なんて肩書きを持ちながら、その割にかなり情けない俺だった。
まあ、だから秘密にしているわけだが。
一方のシャルだが、こちらの安定性は言うまでもないだろう。
剣を主武装とするフェオは、相性の上で苦手な敵というものがどうしても存在する。
たとえば硬い石の身体を持つ土人形系や、剣を腐食させる粘性獣系の魔物などだ。通路が広い分、蝙蝠型など宙を飛行する魔物に剣を当てるのも難しくなっている。
というか飛行型の魔物を刃物で斬り捨てまくる人間など限られたバケモノくらいだ。
ともあれ、そういった前衛が苦手とするタイプの魔物は、シャルが一撃で下していく。土人形を魔弾で破砕し、粘性獣を火炎で蒸発させ、蝙蝠種の群れを風の刃で切り刻んだ。
……戦術の幅が驚くほど広い。
ひとつひとつの魔術は、そこまで驚愕するほど技術が高いというわけではない。最大練度の六、七割といったところだろうか。それでも完成度としては充分、実戦に耐え得る。
ましてその練度を保った魔術を湯水のように選んで使えるのだから、たとえるなら彼女は《歩く魔術の教本》とでも表現したところだろうか。
フェオもまた、シャルが操る魔術の多様性には驚きを隠せないようだった。
彼女は、どちらかと言うと外に出す魔術が苦手であるらしい。
というのも魔力の扱い方には二種類があって、要は《自分の内部で使う》か、《自分の外部で使うか》の二択である。
前者は九割までが身体能力の強化に使われる。肉体に魔力を流し込むことで、自身の身体能力を強化する技法。ただこれだけでは普通、魔術という表現をなされない。もちろん《身体能力を魔力で書き換えている》以上、魔術の一種であることに変わりないのだが。まあ慣習だ。
魔術とは主に後者を指す。自身の肉体の外側へと、術式を通して魔力を放出した結果が――その発露が世間で言うところの魔術だ。
一般的に、女性は前者の《循環魔術》が、男性は後者の《放出魔術》がどちらかと言えば得意だとされているが、これはあくまで個人差の域を出ない。
実際、シャルは女性だが充分に放出魔術を得意としているし、逆に俺は印刻魔術を除く放出魔術を一切使えない。
結局は、個人の才覚次第だろう。
ちなみに俺が何をしていたかと言えば――索敵と罠の発見、解除である。
地味と侮るなかれ。
迷宮の危険と聞けば、とかく魔物の存在だけが取り沙汰されがちではあるが、年月を経て凶悪化した罠の数々だって危険なことに変わりはない。
むしろ動き回って気配のわかりやすい魔物よりも、迷宮自体と同化している罠のほうが危険だとさえ言っていいだろう。中には《踏んだ瞬間に棘がズドン!》みたいな、完全に致死性のトラップも存在している。その解除を担う優秀な斥候役は、慣れた冒険者に引っ張りだこだったりするのだから。
……まあ、戦闘においては完全に空気だったことは否定しない。
単純に、出る幕がなさすぎるのだ。
「……またあっさりと十層まで着いちまったなあ」
苦笑しながら呟いた。勘違いしてはならないのだが、本来、迷宮を進むのはそう簡単なことじゃない。
こうもあっさり進めてしまうことのほうが異常なのだ。
実際、七星旅団での初陣は、なんと第四層で負けて逃げ帰ってくるという散々なものだったのだから。
もっとも、初めての攻略にいきなり超難度迷宮を選ぶほうが馬鹿だっただけだろうが。
生き残ったのが奇跡だった。
「んで、どうする? 進むか?」
俺はフェオへと訊ねた。判断は基本、彼女に委ねている。
フェオは、どこか暗い面持ちで、迷宮に入る前とはまるで異なった様子で答える。
「……進む。十一層は大部屋だし、少なくともそこまでは」
「ああ……この迷宮、大部屋があるのか」
「そう。土人形系の大型魔物がいる」
端的に頷くフェオ。彼女の言う大型魔物とは、迷宮にときおり存在する、ほかの魔物とは一線を画した強さを持つ魔物のことだ。
迷宮の層には、たまに一層ぶち抜きか、それに準ずる広さを持つ大部屋の層が存在することがある。
迷宮がひとつの巨大な結界であることを考えれば、その大部屋はいわば《結界内結界》とでも表すべき空間だ。魔力はその内部だけで循環し、そのせいで本来は小分けに魔物と化すはずの瘴気が、さらに歪められただ一体の魔物に変貌を遂げる。
彼らが大型魔物と呼ばれるのは、総じて体格が大きい傾向にあるからだ。絶対ではないが、部屋が広い分、現れる魔物も巨大化することが多い。
その身に込められた魔力の量は、当然だがほかの魔物より遥かに強大なため、本来の層より軽く十層以上は先の強さを持つ。その上、結界内結界及び魔物自体の性質ゆえに倒してもまた復活してしまうのだ。
だから、いわゆるボスのいる迷宮は、攻略目的でない冒険者からは敬遠される傾向にあった。ただでさえ強いくせに無限に復活する上、巨大さの影響からか魔力の構成が乱雑になるのだろう、質のいい魔晶を落とす確率が実は低かった。はっきり言って嫌われモノ以外の何物でもない。
魔物の強さをランクで別けたとき、それはそのまま大きさで分類される。
すなわち小型、中型、大型の三種類だ。それぞれ普通、番人、首領を意味しているわけである。
地球にあるようなゲームと違うのは、強い魔物が必ずしもいいアイテムを落とすとは限らない、という点だろう。
ゲームみたいな迷宮がある癖に、その実ちっともゲームらしさなど存在しなかった。
「三人で勝てる相手なのか?」
訊ねると、フェオはこちらへちらと視線を寄越し、それから首肯した。
「たぶん。わたしは行ったことないけど、姉さんに聞いた限り強さとしては二十層程度だって言ったたし……あと、あんたら割と、思ったより使えるし」
――そりゃどうも。
などとは言わずに考える。
「大型級にしちゃ弱いな。確かに勝ちも計算できる」
「いいんじゃない? 腕試しにはちょうどよさそうだし」
言葉に、シャルが呟くよう応じた。こちらも割とやる気らしい。
彼女の言う通り、大型級の魔物と戦う主な目的は、冒険者の力試しがほとんどだった。
いつ行っても同じ場所に、ほぼ同じ強さで現れる魔物は、ある意味でノーマルな魔物より対応しやすいとも言えるからだ。
しかも必ず一体しか出現しない。二十層に行って二十層の魔物と戦うより、十層で二十層級の魔物と戦えるほうがずっと楽だろう。
「そんじゃまあ、行ってみるか」
俺たちは、軽い気持ちでボスへの挑戦を決めた。
別段、油断していたわけでない。
無理そうなら、さっさと逃げればいいだけだ。
と――そう思っていたくらいである。
※
その判断を、俺はボスの姿を見た瞬間に後悔した。
十一層へ降りた直後、感じた魔力量の異常さに思わず頭を抱えたくなった。
目の前には屹立する高い壁――否、壁に思えるほど巨大な土くれの人形。
巨大な、そして醜いヒトガタだった。たとえるなら、土色をした方塊状の石材を積み重ねて作った人形といった感じか。その胸の中央には、血のような紅に染まる巨大な魔晶。つまりは、これが土人形の心臓というわけだ。
歪にヒトのカタチを模した人外。その巨大極まりない図体に反し、大気を叩き壊さんばかりの速度で振るわれる腕は、凶器など通り越して余裕の兵器認定である。
試しに、という感じで俺は手持ちの魔晶を土人形向けて投擲してみた。
「――《太陽》」
そして、印刻に込められた意味を解放する。
強大な熱源、すなわち生命力を表し勝利を意味する《太陽》のルーン。
それを単純に解放することで、俺は熱の魔術に変えていた。解釈の単純さゆえに効果は低いが、それなりに簡単に発揮できるので重宝するルーンのひとつだ。
弧を描き飛んだ魔晶が、遥か六、七メートルは高くに位置する土人形の胸へこつっと当たり――そして爆ぜた。
発生したのは爆音と土煙だ。魔晶が火球に姿を変え、爆発の攻撃と化したのである。
太陽と表現するには小さすぎる火球だが、起こした爆発にはそれなりの破壊力が秘められていた。二十層程度までの魔物なら、どれほど硬かろうと軽く一撃で爆散せしめる自信はあった。
だが――、
「……ほぼ無傷だったね」
呆れ交じりなシャルの呟きが、爆音のあとに俺の鼓膜を揺さぶった。
言葉通り、土人形には傷ひとつついていなかった。紅い魔晶が脈打つように魔力を発し、その周囲の石の身体には、わずかな焦げ痕が慰めのように残っているだけだった。マジかよ。
一応、単一のルーンとしては《雹》に次いで威力があるルーン攻撃だったのだが。その分、同時に消費も少なくないから連発もできない。……参ったね。
「防御力高いなあ、おい」
俺は現実逃避の呟きをした。軽く三十層クラスの防御力はあるだろう。
――話が違うんですけど、ねえ?
騙されたのかと一瞬だけ思ったが、そんなことをする意味はフェオにないだろう。
事実、彼女もまた驚愕に目を見開いている。
「嘘……」
顔を青褪めさせているフェオの姿が演技なら、俺は魔術師を引退してもいい。
「どうするよ、逃げるか?」
俺は肩を揺らして訊ねてみる。答えは、シャルから返ってきた。
「無理みたいだよ。後ろ」
「あ?」と俺は振り向いて、「……あー」直後に納得した。
なぜなら背後の、今しがた降りてきた階段が石で封鎖されていたからだ。
境界の部分に、先ほどまでは確実に存在していなかった石の壁がある。それが部屋と階段を綺麗に隔てていた。
色と質感を見るに、たぶん土人形の仕業だろう。石の分際で石を操るとは。やってくれる。
「……特殊能力持ち。上方修正、四十層級」
小さく呟いた。本当にもう、話が違いすぎるんですけど。
「まだ何かあると思う?」
首を傾げたシャルに、俺は一瞬だけ逡巡して、それから気づきを口にした。
「どうかな……ああ、いや、あるわ」
「何?」
「さっきの焦げ目が直ってる。再生機能持ちだ――文句ないな、五十層レベル」
「うわ。思うんだけど。アスタ、実は呪われてたりするんじゃないの?」
「失礼な」
この状況を俺のせいにされても困る、と思いつつ地味に否定はしなかった。
実際、呪いを受けているのは本当のことなのだから。
――さて。どーしたもんかね、これ?
「ま、どうにでもなるか」
考えて、それからかぶりを振って俺は呟いた。
シャルもまた小さく溜息をつき、それから応じるように言う。
「そうね。なるようになるでしょ」
そんな俺たちを、フェオは幽霊で見るかのような表情で振り返る。
――信じられない。そう表情に書いてあった。
ただ実際、まだこの程度ならどうとでもなるとは思っている。この程度は絶望に値しない。ぜんぜん日常茶飯事だ。それはシャルにとっても同じだろう。
なぜなら――その答えをシャルが言う。
「――あの合成獣よりは、まあ遥かに弱いでしょ」
まあ、そういうことだった。




