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セブンスターズの印刻使い  作者: 白河黒船/涼暮皐
第二章 陰謀の迷宮区
35/308

2-13『魔術講義Ⅰ』

 ――密会の内容はさておき。

 現状、特段の問題があるかといえば正直、何もないわけで。俺、シャル、フェオの三人は揃って迷宮に潜ることとなった。

 見送りをする、というガストに引き連れられて、俺たちは無人の管理棟へ向かった。


「――もうひとりの嬢ちゃんはどーしたんだ?」

 途中、訊ねてきたガストに、俺は笑顔でゴリ押しの誤魔化しを返す。

「気紛れな奴でして。気が乗らないらしいです」はっはっは。

 笑って言い切ってしまえば、案外これで疑われずに済んだりする。

「そーかい……そういや、確かあの嬢ちゃんだけ学生じゃねェんだったな」

「ええ」まだ、というだけの話だが。

 ここは嘘ではない。嘘は極力つきたくなかった。

「ま、なら仕方ねェわなァ」

 実際、特に掘り下げることもなく、ガストはあっさり納得してくれた。

 なぜかシャルが醒めた視線でこちらを見てきたものの、そこには特に触れないでおく。

 いいんだよ。嘘も使いようだから。極力使う気はないけれど、ほかに選択肢がなければ使う。

 だからそんな目でこちらを見ないでほしいと思う。


 間抜けなことを考えながら管理棟(という名の小屋)を抜ける。

 冒険者になった当初、俺はこの手の、許可証ライセンスなしで入れる迷宮が多いことを疑問に思っていた。なら許可証ライセンスなんて意味ないじゃないか、と。

 結局、実際には迷宮がどうのというより、迷宮外で実力を示す身分証としての意味のほうが強いということなのだ。偽証が不可能な以上、身分証としての信頼性は高い。

 管理局にとって、迷宮へ立ち入る冒険者を制限するのは、あくまで慈善事業ボランティアというのが建前だった。人口の多い地域には管理局を置いても、僻地にまでは手を回せない。そんなところへ実力もなく突っ込んで、自殺する魔術師の面倒まで見ていられるほど人材は余っていなかった。

 何より儲からない。ハネる上前さえ回ってこない場所では、いくら慈善事業ボランティアを謳う管理局サイドも仕事にならないということだ。

 その時点で慈善事業ボランティアでもなんでもないが、元より王立の組織だ。仕方ない部分もあるだろう。


 これでもオーステリアの街が近いため、まだそれなりに規模があるほうだろう。これなら何人か交代で局員が常駐していてもおかしくないとは思うが、中にひと気はないようだった。

 あるいは今は銀色鼠シルバーラットが陣取っているからこそ、ほかの冒険者の姿がないのかもしれない。

 オーステリアから馬車で一日かからない以上、ここを稼ぎ場にする冒険者も少しくらいはいるだろう。

「…………ん?」

 自分で考えていて今、何か物凄い矛盾を感じたような気がした。

 だがその正体に思い至るよりも早く、ガストの声に思考を遮られてしまう。


「んじゃま、せいぜい気ィつけろよ?」

 ひらひらと手を振るガストに、俺はふと疑問に思って訊ねた。

 このときにはもう、そちらに思考を取られていた。

「ガストさんは来ないんですか?」

「あ? ああ、俺ァいろいろ、まとめ役として仕事があっからよ。攻略パーティにゃ入ってねェのさ」

 意外にもこの男、戦闘ではなく補佐や経営方面の役どころに就いているらしい。

 まあ戦う人間は手足に、それを使う人間が頭になるのは当たり前の話だが。冒険者のクランとなると、やはり団長や幹部級の魔術師のほうが強いことが多かった。

 風体や人格はともかく、そういった意味でも意外な事実だろう。


「それでは、行ってきますので」

 告げた俺に対し、ガストは愉快げに笑んで親指を立てた。

「ああ。フェオが足ィ引っ張ったら済まねェな」

「なんでわたしなのよっ!」

 聞いた途端、案の定だがフェオは怒りの反応を見せた。

 わかりきっていたのだから、ガストも火に油を注ぐのは止めてほしいものだ。

 彼女はこちらを指差して大袈裟に怒る。

「こいつらのほうが足を引っ張るならわかるけど! わたしだってプロなんだから!!」

「そーやってすぐ意地ィ張るから言ってんだよ。迷宮ん中で信頼し合えないようじゃダメなことくれェ、おめェならわかってんだろ?」

「こんな奴ら、信用できるわけないじゃない」

「ならなんでおめェ、ひとりで組むなんて言い出したんだよ……」

「信頼できない奴ら相手なら、それこそほかのみんなと組ませられるわけないじゃん」

「メチャクチャだぜ、オイ」

 また言いたい放題に言ってくれるものだ。ガストも副団長ならブレーキくらいかけてほしい。

 俺はともかく、ウチのシャルさんがおキレになられるから、そろそろ自重してもらえないかなあ。

 横で口角を引き攣らせているシャルを見ながら思う。彼女も初対面のとき、俺へいきなり魔術を放ってくるくらいのことは平気でしたものだが。

 もう忘れたのだろうか、あの一件。


「ま、上手くいくようなら是非、次はウチの若い連中に魔術を教えてやってくれや」

 ガストが俺に言い、けれど返答はフェオがした。

「そんなこと必要ないし、つーかあり得ないから」

「おめェにゃ言ってねェよ」

「はは。まあ僕が教えられることなんて、ほとんどないと思いますけどね」

 爽やか装って俺は言う。あのレヴィに『寒気がする』とまで言わしめた表情だ。

 きっといい笑顔になっていることだろうと自賛する。

「あんたたちは何もしなくていいから。わたしの後ろに隠れてれば」

 吐き捨てるように宣うフェオに、

「ま、お手柔らかにね」

 とだけ告げて、俺たちは迷宮へと足を踏み入れた。



     ※



 ――タラス迷宮。

 推定深度は約五十層クラスの中規模迷宮。迷宮における《規模》とはこの場合、迷宮全体の大きさではなく、一層ごとの広さを指して言う。出現する魔物の強さは、おおむね深度ふかさ×規模ひろさだ。

 オーステリアと違いほとんど攻略がなされていないため、地図のようなものは基本的にない。聞いた話、危険な罠などは少ないものの、現れる魔物が少し強めだということから冒険者には敬遠されがちだったのだという。


「さて、何層くらいまで進むつもりでいる?」


 一層を進みながら、俺はフェオに訊ねた。

 今回は、余程でない限り彼女の指示に従うつもりでいる。学生の身分ゆえに、本職には遠慮しようという腹積もりだ。

 実際、フェオもそこそこ実力は持っていそうなので、ある程度は信頼できると思う。

 おそらく、彼女は姉のシルヴィアと同じく前衛型の近接魔術師だ。腰に剣を二本提げており――エイラに依頼したものだ――歩き方が一定の武術を修めた人間のそれだった。

 この世界の格言に《魔術師は隠れずとも目立たず、武芸者は隠れてなお目立つ》というものがある。魔術師は自身の技量、すなわち魔力をある程度は隠せるが、武芸者は立ち居振る舞いのひとつひとつが本人の強さを示す指標になっているとか、まあそんなような意味だ。

 所詮は格言なので絶対に正しいわけじゃないが、まあその理論で言うならフェオは結構強いと思う。魔術師としてはともかく、近接戦闘者としては。


 今回は別に目標もない。しいて言うなら実力をフェオに見せることだが、シャルはともかく、俺はそこまで乗り気というわけじゃなかった。

 そもそも見せるほどの実力がないとも言えるし。

 印刻術ルーンなんて骨董魔術を見せようものなら、もう何を言われるかわかったものじゃない。


 ただ、個人的にはこの迷宮の最下層に興味がないわけでもないのだった。

 五大迷宮のひとつを踏破して以来、《迷宮》という建造物に対する見方が少し変わっていた。もしかすると、この迷宮にも何か参考ヒントになるものがあるかもしれないが――。

 まあ、望み薄ではあるだろう。

 適当に稼いだら、さっさと帰りたいというのが正直な本心だ。依頼料と迷宮の稼ぎを足し合わせれば、家賃や生活費はしばらく心配しなくて済む計算だった。


「は? 行けるところまで行くに決まってるでしょ」


 だが悲しいかな、それを許さない女がひとりいた。

 言うまでもなくフェオだ。

 その瞬間、シャルがぴくりと反応していたが、どうやら堪えてくれたらしい。何も言わずに黙っていた。

 代わりに俺が返事をする。


「進みすぎると、先行部隊に追いつきかねないからな。ゆっくり進んだほうがいいだろう」


 少し前に入ったパーティが戦った分、魔物の数は減っている。やがて自然に再生するものの、すぐ直後に通るパーティは先行パーティより楽に進めるということだ。

 まあ別に最前線まで進むつもりなどさらさらないのだが。そうやって奥でバッティングすることは、できれば避けたいのも本心だった。

 だがフェオは、こちらを見下すような視線で軽く言う。


「は? そんな簡単に姉さんのパーティに追いつけるわけないじゃん、馬鹿?」

「…………」

「姉さんの部隊は前線から始めてるんだよ? 急いだってそうそう追いつけるワケ――」

「――ちょっと待て」

 聞き捨てならない言葉を聞いて、俺はフェオの言葉を切った。

 思わず語勢が強くなってしまったせいか、彼女は少し怯んだ姿を見せる。

 構う余裕などなかった。即座に問う。

「今、なんて言った?」

「な……何、が」

「前線から始めた、ってところだ。どういう意味だ?」

 実際、疑問には思っていた部分ではあった。

 というのも普通、迷宮の攻略は一度に行うものだからだ。十層まで進んでは戻り、次は十五層まで進んで戻る――というのを繰り返すのも、ないとは言わないがあまりやらない。時間も費用もかかりすぎるからだ。

 五十層の迷宮なら、食料なども含めて持ち運び、極力一度の挑戦アタックで攻略を成功させようとする。前回はその層まで進めたからといって、次に同じ層まで到達できるとも限らないし、往復の手間がかかりすぎてしまう。まあ当然、規模や難易度次第でもあるのだが、あれほど自信満々だったシルヴィアが金と時間のかかる安全策を取るとは考えづらい。

 しかし、ならばなぜ攻略パーティの一員であるシルヴィアが地上にいたのか。

 その理由を俺は、エイラに依頼していた荷物ぶきを受け取るためだと考えていた。より強い武器を持っていたほうが、より楽に迷宮を攻略できるのは道理だ。

 そう考えて、彼女たちは一度だけ引き返してきたのだと思っていた。

 だがフェオは困惑しながら続けて言う。

「いや、だって転移の魔具があるし……」

「転移の……魔具?」

「う、うん。一点の座標を記録して、その場所まで移動できるっていう指環が」

「は――?」

 俺は呆然と口を開く。隣のシャルもきっと同様だろう。

 なぜなら俺は今、絶対にあり得ない話を聞いたからだ。

 そう、本来なら転移魔具など、この世にはあり得ない(丶丶丶丶丶)。それは現代魔術では再現不可能な、いわゆる《喪失魔術ロストロジック》で製作された魔具アイテムでのみ可能なものだから。

 例外として考え得るのは迷宮の遺産だが、転移魔術系統の遺産は全て管理局が――ひいては王国が情報封鎖している。オーステリアの迷宮入口にある転移石盤もそのひとつだが、しかしフェオは指環と言った。

 十人以上の人間が余裕持って乗れるだけの面積がある石盤だが、それは利便性以前に、そもそもあれより小さくすることが技術的に不可能だからこそのサイズだ。石盤の転移術式は魔術陣によって制御されているが、それを指環サイズまで圧縮するなんて管理局にできるはずがない。まず魔術陣そのものが解読されていないのだから。

 加えて考えるなら、指環のような装飾品アクセサリの形を取る魔具は、総じて身につけた人間のみが術の効果範囲である可能性が高い。つまり、ひとつにつきひとりしか使えないということ。

 それは銀色鼠シルバーラットが攻略パーティ分の七個、指環を確保している可能性があるという意味に繋がる。

 おいおい。……冗談じゃないぞ。


「どこで手に入れたんだ、そんなもの」

「ガストさんが、どこからか手に入れてきたのよ……七個あったから、だから攻略パーティも七人で組もう、って姉さんが」

「…………」七人分の指環を入手したのではなく、逆に指環が七個だからパーティを限定していたのか。

 いや、違う、そうじゃない。問題はそこじゃない。驚愕に負けて現実逃避している。落ち着け俺。

 重要なのはあくまで、その魔具アイテムの話だ。

「聞いてないのか、どこでそんなものを手に入れたのか」

「き……聞いてないけど。それがどうかしたの?」

「どうかしたに決まってんだろ! 純粋な物質の空間転移は喪失魔術ロストロジックだぞ、そんな術式の刻まれた魔具が七つも手に入るなんて常識的に考えてあり得るか!!」

「そ、そんなすごいものなの、あれ……?」

「すごいなんてモノじゃないって言ってんの!」

 俺に続いてシャルまで叫ぶ。学院で真っ当に魔術を学んだ人間にしか、ともすればこの異常性は伝わらないのかもしれない。

「ひとつ売れば王都に豪邸が余裕で建つわよ! 七つもあれば、子孫まで一生遊んで暮らせるっての!」

「そ、そんなに凄いモノなの、あれ!?」

 金銭価値による表現がわかりやすかったのか、ようやくフェオにも事態の異常性が伝わった。

 理論はともかく使えればいい、という実践主義者ばかりの冒険者はこの辺りが弊害だろう。


「――この際だ、少し説明するから聞け」

 俺はフェオにそう告げた。この際、彼女には理解してもらったほうがいいだろう。

 言ってからシャルに目を向けて、

「すまん。ちょっとの間だけ周り頼むわ」

 まだ一層だ。シャルひとりでも余裕でお釣りが来るだろう。

 だがそれでも彼女一人に魔物の相手を任せることには変わりない。そのための謝罪だったのだが、意外にもシャルはあっさりと頷いて言った。

「いいよ、わかった。ちょっと試したいこともあるし」

「……いいのか?」

「だからいいって。迷宮では、アスタに従うことにしてるから」

「…………」

「そうしろって、レヴィに言われたのよ」

 苦笑するシャルの表情に、翳りのようなものは見られない。


 俺は未だに、彼女との距離を測りきれていない部分があった。

 いろいろあって、結果としてなあなあになってしまってはいるが、彼女と俺の関係性に微妙な部分が多いことは、初めて会話をしたあの日にわかっている。

 あれ以来、俺たちは深く込み入った会話をしていない。それがいいことなのか、それとも単なる逃避なのかはわからない。いや、おそらくはきっと後者だろうが。

 それでも、今日まで俺たちが衝突せずにいられた理由は――もしかすると、レヴィが裏で手を回してくれていたからなのかもしれない。


「ったく、アイツはいないところでも恩を売ってきやがる……」

 索敵に発ったシャルの背を見送りながら、負け惜しみの如く俺は呟く。

 それで精いっぱいだった。

「何言ってんの?」

 フェオにそう突っ込まれて我に返る。「なんでもない」と、そう答えた。

 かぶりを振って彼女に向き直り、俺は片手の人差し指を立てて言う。

「――魔術の講義をしてやろう」

「は?」

「まず訊くが――魔術ってのはなんだ?」

「な、何言って……」

「いいから答えろ」

 有無を言わせるつもりはない。多少は理解していてもらわなければ、こちらの質問さえ通らないからだ。

 迫力勝ち、とでも言うか。フェオはしばし胡乱げに表情を歪めていたが、やがて答えた。

「――現実世界の法則を、魔力で書き換えるってことでしょ」

「その通り。意外だな、知ってたのか」

「何それ、馬鹿にしてるの?」

「いや。学院では最初に教えることだが、たいていの冒険者はそれさえ知らないからな。むしろ感心したよ、その通りだ」

「…………」


 世界はひとつの絵画であり、同時にひとつの文章である――。

 魔術師の共通理解だ。

 それは世界の法則を表現したものであり、世界は全てその通りに動いている。その通りにしか動かない。

 その世界法則の一部を、強引に捻じ曲げる――書き換えることを指して《魔術》と呼ぶのだ。

 魂魄は魔力をインクとして精製し、精神で形作った術式の通りに、肉体を筆記具として世界の法則を書き換える。あらゆる魔術はこの過程プロセスを経て成立する。

 自らの意に沿わない世界ものがたりを、好き勝手して強引に書き換えてしまう身勝手な存在を指して――俺たちは傲慢な読者まじゅつしと呼んでいる。

 いずれ、作者かみにならんとして。


 火を熾す魔術でたとえよう。

 何もない空間に炎の絵を描き込む――これが魔術だ。そこに詳しい火の定義を文字で書けば書くほど炎は強く存在を増していく。熱いモノ。赤いモノ。燃やすモノ――と。

 だがいくらラクガキを増やそうと、それは本来、そこにはあり得なかったものだ。強引な書き換えは世界という用紙そのものを歪ませる。歪みは自ら修復しようと自己を復元し、元の何もなかった空間に戻っていく。それが魔術の終わりだ。

 描くたびに、書くたびに消されていくと思えばいい。それに書き込み続けるインクがすなわち、魔力なのだ。

 だが、ヒトが描ける絵は、書ける字は決まっている。


「魔術には《できる範囲》が明確に決まっている。魔術は鍛えればなんでもできる神秘の技なんかじゃない。できないことは絶対にできないんだよ」


 火や水といった自然要素を生成し、意のままに操る元素魔術エレメンツ

 一定範囲の空間に別個の法則を持たせるなら結界魔術バリアー

 特定の道具が持つ機能を捻じ曲げ、追加や拡張をする錬金魔術アルケミー

 術式を文字に肩代わりしてもらい、限定的ながら様々な効果を発揮する印刻魔術ルーン――。

 無論、これ以外にも数多くの魔術が存在するが、そのどれもが、根本のところでは同じコトしか為していないのだ。

 すなわち、それが《法則の書き換え》である。

 世界という絵画を描き換える感覚センスと、世界という文章を書き換える理論セオリー。相反するふたつの才能が同時に必要とされるからこそ、魔術は難しいのだ。

 歪みが大きくなる魔術であればあるほど、本来の法則から外れる現象であればあるほど、魔力を多く消費するし、魔術は難しくなっていく。


「そして、だからこそ現代魔術で再現できる領域の外側にあるモノは、価値が高くなる」


 それが――《喪失魔術ロストロジック》だ。

 過去には存在し、しかし現代までは継承されなかったとされる魔術。

 魔術は長い年月を経て衰退し、かつては《神の奇跡を再現する技法》とまで言われた魔術のほとんどが現代においては失われいてる。たとえば《転移》や《飛行》、《読心》や《未来視》といった技術を今、魔術で再現することはできない。それを可能とする魔術師が存在しないという理由で。例外は迷宮ダンジョンから出土する遺産魔具レアアイテムくらいのものだが、これは迷宮それ自体が一種の喪失魔術ロストロジックであるという以上の意味を持たない。

 それ以上の神秘となると、もはや《不可能法則ロストロウ》になってくる。《死者蘇生》や《時間旅行》、《完全錬金》や《無の有化》、《理由律否定》といったレベルの話だ。

 こうなるともう、魔術師メイガスではなく魔法使いイプシシマスの――言い換えるなら神の領域だ。今回は関係がない。


 問題なのは、よりにもよって喪失魔術ロストロジックの中でも《転移》が関わっていることだった。

 半月前の事件の折、俺は転移魔術を用いる魔術師の存在を確かめている。その誰かが本当に喪失魔術ロストロジックの再現に成功したのか、それともあくまで魔具による限定再現なのかはわからないが。

 また転移だ。しかも指環とまで来ている。管理局でさえ転移の術式は石版を丸ごと複製するのが限度だというのに、それよりさらに小さい魔具を使う技術力は完全に常軌を逸していた。

 無論、何ごとにも例外はある。王国は転移系魔具が迷宮から出土した場合、絶対に提出せねばならないと法を定めているが、逆を言えば自ら申し出なければバレないということでもある。

 黙ってさえいれば、だから転移の指環を迷宮から持ち出すことは不可能じゃない。そんな冒険者が、どこかにいた可能性は、低いけれども否定はできない。

 だがそれを、苦労して手に入れた魔具を――銀色鼠シルバーラットに渡した?

 いやいや。


「――絶対にあり得ないんだよ、そんなモノは。少なくとも一介の中堅クラン如きが、持っていていい代物じゃない」


 俺は真顔で言い切った。

 この場合は断言してしまって構わないだろう。きな臭いにも程がある。

 いったいどんなルートで手に入れたのか。

 間違いなく言えるのは、確実に世間で公表できない出どころだろう。

 それをガストが知っているかは……怪しいところか。騙されたか担がれたか、いずれにせよ、冒険者の無知を狙われたと見る線がいちばんありそうだ。

 ――迷宮から出てくる品なら、そんな凄いモノがあってもおかしくない。

 冒険者の認識なんて、せいぜいその程度だった。


「だから――どうしたっていうのよ」


 一方、フェオは視線を下げてそう言った。

 頑なな声音だった。俺の一方的な物言いが気に食わなかったのかもしれない。

 それで構わないだろう。現状、最低限を認識してくれていれば。


「なんの根拠もないのに、勝手なこと言わないでよ……っ」

「本当に、出どころに心当たりはないんだな?」

 あえて無視して俺は言った。フェオは、何も答えなかった。

 現状、特に問題があるというわけでは確かにない。

 だが状況があまりにも怪しすぎるのだ。何を怪しめばいいのかも定かじゃないのに、不自然だけが尽きず湧いてくる。


 実際、難しい状況ではあった。

 たとえば何かよからぬことを企んでいる輩がいるとしよう。そいつらが、故あって銀色鼠シルバーラットに転移の魔具を提供したとしよう。

 ――で?

 という話でしかなかった。だからどうした。そこになんの問題がある。

 何もないではないか。そう告げられてお終いだ。

 所詮は中堅クランにちょっかいかける意味がわからないし、かけ方さえ中途半端だ。

 それを言うなら、先月に俺たちが絡まれた理由さえ定かではないけれど。あの事件と、今回の話を繋げて考えている俺が間違いなのだろうか。

 わからなかった。根拠が足りない。思考が行き詰っている。


「……行くか。シャルが戦ってる」


 結論を出せず、俺はそれだけを言って歩き出した。

 フェオは後ろから、何も言わずについて来る。完全に態度を硬化させてしまった。

 駄目だ。結局は俺の責任じゃないか。

 このザマで、いったい何を解決できるというのだろう。


 ――何も、わからねえよ。

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