7-02『決戦前夜Ⅳ』
「……ふぅ」
と、小さく息をつく金髪の美丈夫の周囲にそのとき、人影は存在しなかった。
学院都市オーステリア中央部に位置する広場。
無人のその中央で、ウェリウス=ギルヴァージルは軽く髪を掻き上げる。
優雅、という形容が似合うその様子は、見る者がなくとも貴族らしくあろうとする、実に彼らしい在り方だろう。
たとえ見る者があっても、その額に滲む汗に気づかないかもしれない。
もっとも。
「大したもんだね、本当に」
「――っ」
彼のほうも、また今の自分にかけられる声があるとは予想していなかった。
彼にしては珍しい、驚きを素直に滲ませた表情。
それが向く先に立っているのは、ひとりの少女であった。
長髪を柔らかに流す、ウェリウスと並んでも劣ることのない美貌。
それを作りものめいたと表現するのは礼を失した行為かもしれないが、確かに高価な人形めいた美しさがある。
レヴィの亜麻色の長髪も可憐だが、彼女の銀髪もまた学院では密かに人気なのだったことを本人は知らないだろう。
今ではその髪の色も、黒が交じったものになっている――それも悪くないと、ウェリウスは思っているのだが。
「やあ、シャルロットさん。驚かされたよ」
「何その呼び方、今さら……別にシャルでいいけど」
言って、それからくすりと少女――シャルロット=クリスファウストは表情を緩めた。
さきほどとは違う種類の驚きで目を見開くウェリウスに、シャルは肩を竦めて。
「いや、ごめん。疲れてるトコとはいえ、ウェリウスの目を誤魔化せるレベルの隠形に成功したんなら、ちょっと嬉しくて」
「ああ……そういうことか。納得」
「ちょっと前、野生の勘とやらで隠形を見破られたことがあってね。あれ以来、実は密かに練習してたんだ、気配の消し方」
思い出したのか、苦虫を噛み潰したような渋面を一瞬見せるシャル。
それが、かつてタラスの迷宮へ向かうアスタを追って、メロに見破られたことを言っているのだとウェリウスは知らなかったが、ともあれ。
「なるほど。僕としては落ち込んでみるところかな?」
「ま、あんた集中してたからね。でも、あの七曜教団の《木星》ほどとは言わなくても、ウェリウスにも一応通用するレベルならひとまず完成だ」
「ははは……恥ずかしいところを見られたな。誰もいないと思ってたから」
「ま、住民の多くは避難しちゃったからね……こうなると、この街でも静かに感じられる」
「それでも普通に過ごしてる人もいる辺り、さすが冒険者の街って感じだよね」
静けさに満ちる、現在の迷宮都市オーステリア――。
シャルもウェリウスも、この街に来て以来、見たこともない静けさが新鮮に思えた。
「精霊との対話でしょ、今やってたの。さすがは元素使い」
「そうだね。思えば周りで元素魔術を多く使うの、シャルさんくらいではあるか」
「レヴィやピトスだって一応使ってると思うけど……まあでも確かに」
それも珍しい話ではある。
元素魔術は冒険者に非常に人気だ。
魔術師ではなく、厳密には精霊が魔術を使っているのが元素魔術だからだ。持って生まれた適性――すなわち十大属性の精霊との相性次第で、非常に簡易に扱える魔術である。
制御の大半を精霊に任せるという性質上、咄嗟の使用に優れ、質の減衰が少ない元素魔術は、戦闘向きとして重宝されている。
もっとも、元素魔術が最も使われている場所は実のところ家庭だというのが魔術師によくあるジョーク――結局は生活に使われているという笑い話だ――とはいえ。
多くの元素魔術氏は、精霊の存在をほんのわずかにしか知覚できない。
せいぜい気配程度。
ここではないそこに位置する隣人と、厳密な意味でのコミュニケーションが図れ精霊術師は稀である。
まして、それが十大の全てともなれば。
「まったく……実力を隠して学院に潜り込んでたのは、アスタじゃなくてウェリウスのほうだよね」
「いやいや。僕なんてせいぜい、物語序盤に主人公に噛みついて倒される噛ませ貴族さ」
「どの口が言ってるの?」
「――そういうシャルだって、秘密をもってここに来ていた」
「私は、ほら、アレだから。壮大な秘密を隠したミステリアス美少女で売ってたから」
「どの口が言ってる?」
お互い言い合って、顔を見合わせてふたりで吹き出す。
貴族らしくも美少女もないが、同じ学院に通う友人らしいのだからそれがいちばんだ。
「そんな私たちが、この街で会うことになったってのも……奇跡的な話だったのかもね」
「どうだろうね。天下のオーステリア学院なら、あり得る偶然な気もするけど」
「……冒険者の街、か……ね。ウェリウスって冒険者志望なの?」
「うん?」
シャルから唐突に訊ねられた将来の展望。
質問の意図を探ろうとして、けれどその無粋をウェリウスはすぐに仕舞い込む。
友人との雑談に、特別な意味を見出す必要などないのだから。
「そういえば、ここに来る前は冒険者だったんだっけ?」
「ん……まあそういう仕事をしてたこともある、って程度だけど。普通の人間みたいな家族の思い出とか、幼少期の記憶とか……そういうの、私は持ってないから」
「…………」
「それでも生きていくには先立つものが必要で、それを稼ぐために私ができたのって、結局のところ魔術しかなかったから」
「そうか。僕が冒険者になるときは、先輩としてパーティに誘わせてもらおうかな」
特段、憐みや慰めを言語化はしなかった。それが不要だと知っている。
冗談めかしたウェリウスの言葉に、だからシャルも笑みで応じて。
「なるの?」
「どうかな……実のところ、僕の実家はその生き方を選んでも怒らないとは思うんだ」
「え、長男でしょ?」
「とはいえ養子だ。まあ跡取りを期待されてるのはそうだろうけど、できれば僕は、家はきちんと血を継いだ妹に継いでほしいと思ってる」
「……、えっうそ。ウェリウス、妹いたの?」
「実はいたのさ。ネリムって名前でね。お転婆だけど、かわいい妹なんだぜ」
「世界でいちばん似合わない台詞!」
「普通に酷いな……ははっ」
肩を竦めてウェリウスは苦笑。
これも自ら好んで作ってきた人格のせいなら望むところか。
そんなことを考えつつ、ウェリウスは訊いた。
「それで? そういうシャルは何か具体的な将来の展望が?」
「……それ、ないと思って訊いてない?」
「どうして君らは僕を腹黒扱いするのかな……。これでも、いつも授業をひとりで聞いてる君を、それなりに心配していた僕だよ」
「そういうところなんですケド」
じとっとした目を向けるシャルだが、ウェリウスは堪えた様子もなく受け流す。
少なくとも、アスタほど容易に口で勝てる相手ではないだろう。
いや、あの兄もあの兄で、屁理屈を言わせれば一流なのだが――なんてことを思いつつ。
「……でも、そうかも。やってみたいことはいろいろあるけど、実のところ具体的なことは何も考えてないってのが正直なところかも」
「やってみたいこと?」
「うん。あ、それもあんま具体的に何かってわけじゃないんだけど……私、自分で何かをしたいって考えて、それをやってきたことってほとんどないから」
「…………」
「こう、なんか……自分探し? 的な……というか」
「…………」
「な・に・そ・の・目っ!」
「いやははは」
「貴族がそんな誤魔化し笑いするなぁ!」
頬を赤らめて噛みつくシャルを、笑顔で受け止めて。
ふと、思いついたことを零すように、ウェリウスは言った。
「それなら、全部が終わったら一度ウチに来るかい?」
「……はえ?」
「僕の家族に紹介しようと思って」
「ほぁええぇぇぇ?」
――それって、それって……つまり、どういう……!?
突然の、まったく想像すらしていなかった誘いに、シャルの全身が熱くなる。
にもかかわらず、普段とまったく変わった様子のないウェリウスに、なんだか腹の立つ思いを感じながら次の言葉に身構える彼女へ、彼はあっさり。
「うん。何をするにしろ、ウチの実家とコネクションを持っておくと安心だよ」
「――――――――」
「シャルの実力なら問題ないしね。よければ後ろ盾に……シャル?」
「……ぬぁんでも、ぬぇー……」
「え、でも、なんか――」
「うるっすぇーっ!!」
ごにょごにょ言いながら赤い顔で顔を伏せるシャルだった。
――そんなふたりに、ちょうど近づいてくるひとつの人影があって。
「あれ。シャルに……後ろはウェリウスか? どうした、まだ起きてたのか」
「ん? アスタじゃないか」
「――――っ!?」
ちょうどシャルの後ろから、アスタが姿を現したのだ。
ばっと振り返るシャルの表情を、背後から歩いてきたアスタが見て、
「ん? どした、シャル。なんかすげえ変な顔してる――」
「ちょやぁっ!」
「痛ったい、なんで急に殴ってくるの!?」
「うっさいこんの、ばかあにっ!!」
「はあ!? 理不尽すぎる! なんで一日に二度も殴られなきゃ――」
「ん?」
「二度?」
「あ、やべっ」
ふと零された、アスタの失言。
なんだかんだそれを的確に拾うシャルとウェリウス。
しばらく無言になって顔を見合わせる三人の中、口火を切ったのはアスタだった。
「……さて、明日は忙しい。今日はもう帰って決戦に備え――」
「いやあ気になるなあ。何があったんだい、アスタ? 僕は非常に興味がある」
「…………なんのことかなウェリウスくん?」
「なんのことって……ねえ、シャル?」
「そうだね、ウェリウス。私も妹として非常に気になるなあ」
「シャ、シャルまで何言って……」
狼狽えるアスタ。そんな様子を見て、ふたりは。
「……どっちだろう」
「どうなんだろうねえ?」
「どっちもじゃないって可能性は……」
「あ、そこ見る?」
「いや、わかんないけど」
「難しいところだね」
「お前らいつの間にそんな仲よくなったの!?」
夜は更けていく。
明日に待ち受ける決戦は、否応なくタイムリミットを縮めていた。
それでも、あるいは最後になる可能性もあるこの夜を。
どうでもいいような、取るに足らない、あまりにも日常的なことに使えていることは。
――きっと、しあわせなことだった。




