6-39『エピローグ/最終決戦』
崩れていく小さな体を、俺は両腕で抱き留めた。
「メ、ロ……?」
「――――」
答えはない。その体に力はなく、そして瞳には光がなかった。
重いと感じることさえできない理由は、その肉体からすでに魂が抜けているからなのか。
「お、おい……っ」
抱き留めていた軽い体が、淡い光に包まれていく。
そして直後、メロの体が溶け出すように、粒子となって消えていく。
「な……に、が……?」
呆然とする俺の背中に、そのとき衝撃が走った。
「――しっかりしろ、アスタッ!」
「っ……!」
レヴィの声と、そして叩かれた背中の痛みで呼吸の仕方を思い出す。
そうだ、呆然としている暇はない。頭の奥にある魔術師の冷静な感覚が、思考を回転させ始める。
メロの遺体が消え去ったことに関しての考察はあとだ。俺は正面の男を見据えた。
「うん。……いいね。実にいい顔が並んでいる」
穏やかな、どこまでも色のない口調だった。人畜無害な雰囲気で、捉えどころがない。
だが俺はその男の顔を知っていた。
銀髪に金眼。この国の王族と、ちょうど逆の性質を持つ容貌。二十代くらいの、驚くほど若く整った姿。
七年前――俺がこの世界に来たばかりの頃の印象と、いささかの差もない。
「……エドワード=クロスレガリス、だな」
「そうだね。名前を覚えてもらえているとは光栄だよ、アスタ=プレイアスくん」
あくまでも威圧感のない、穏やかな青年といった雰囲気を彼は放つ。
だが、その魂はすでに永い時を過ごしている。人間と同じ尺度で考えることすら難しい相手だ。
「それとも、一ノ瀬明日多くんと呼ぶべきかな?」
「……必要ねえよ。お前だって、その姓はこっちに来てからのものなんだろ」
「ああ、それはそうだ。今となっては懐かしい話だけどね。地球のことはもはや、想い出と呼ぶのも難しい」
「…………」
「そしてレヴィ。君もまたよく生き残ったね。まったく嬉しい話だよ」
よくもぬけぬけと言えたものだが、それが本心に聞こえてしまうのが恐ろしいところだろう。
敵意がなく、悪意がなく、善意ですらないにもかかわらず空虚さに色を見てしまう。
「仮にも、うん。娘だからね。生き残れるならそれに越したことはないよね」
レヴィは、これを聞いてどう思うのだろうか。
少なくとも彼女は、動じた様子もなく言葉を返す。
「……空っぽの台詞を吐くわね」
「はは、それもそうだ。結局のところ、ぼくにとってはどちらでも構わないからね」
「…………」
「でも嘘を言っているつもりは、ぼくにはないよ。そこはわかってもらえると嬉しいかな」
軽く肩を竦め、こちらの反応を彼は待った。
何も答えない俺たちは、すでに臨戦態勢になっている。
エドワードは薄く笑って言った。
「――寂しいね。では、ぼくはこの辺りで失礼するよ」
「ここで逃がすと思ってるのか?」
「追ってきたいなら好きにするといい。止めたいなら止めればいい。――どちらでもぼくは構わない」
「…………」
「この世界はどうせ詰んでいる。ぼくはぼくの好きにするさ」
――それじゃあ。
と、ただそのひと言を最後に《日輪》の姿は消えた。
前触れもなく、瞬きほどの間もなく、まるで初めからいなかったかのように。
彼は、そのまま逃げ去った。
「……消えやがった」
「裏側に入ったってわけね」
止めようもない。
そういう運命だから変えられないとでも言わんばかりの早業だ。
――さすがに格が違う。
「どうする? 今すぐにでも追うって手はあるけど」
レヴィは言った。確かに、レヴィの開式なら入ることはできるだろうが。
「無駄だろ、行き先がわからない。裏側でどうやってあいつの居場所を探すんだ」
「……アスタならどうにかできるんじゃないの?」
「無茶言うなよ。それより、今はほかに考えることが――」
そのときだった。
「――アスタくんっ!」
声が届く。振り返れば、街のほうから駆けてくる五人分の人影があった。
いちばん前にいるのはピトスだ。その後ろにはフェオ、シャルとアイリスに、そしてウェリウスの姿もある。
「っ……お前ら、無事だったか……!」
「無事って、別に私たちは地上に残ってただけだし」
答えるフェオ。それから首を傾げて、
「てか、アスタたちこそいつの間に戻ってきたわけ?」
「まあ裏技でちょっと」
「裏技って――」
「いや、そんなことより言うことあるでしょ」
目を細めるフェオを遮り、シャルがこちらを見た。
「状況は?」
「……とりあえずレヴィは連れ帰った」
「みたいだね。いやあ、さすがはアスタだ」
「ウェリウスちょっと黙ってろ。――さっきまで、ここで」
「……七星旅団の人たちが戦ってたんでしょ。それはわかってる」
シャルは小さく言う。――やっぱりか。
つまり、それが示す事実は。
「……全滅ってワケだ」
黙っていることはなく、ウェリウスははっきりと言葉にした。
俺は顔を伏せる。メロが最後に言い残した言葉が、脳の裏側でリフレインしていた。
どうする。俺はこの状況で、いったい何をすればいい。
「アスタくん。――お姉さんから言伝を預かっています」
考え込む俺に、ふとピトスが言った。
俺は思わず目を見開く。
「姉貴から……?」
「はい。まずは伝言――『やることはわかってるでしょう?』」
「…………」
「『わかっているなら大丈夫。やってもやらなくても、あとは好きにしたらいいんじゃない?』――だそうです」
「姉貴の奴……勝手なことばっか言いやがる」
らしい言葉に、苦笑いが零れた。
だが、そう言われたらもうどうしようもない。
少なくとも、こんなところで沈んでいる暇はなかった。
「……《月輪》の奴は、この盤面を作りたがってたんだろうな……」
迷宮で出会ったときにはもう、こうすると決めていたのではないだろうか。
それで俺が折れることを期待したのか、それとも。いずれにせよ腹は決まっている。
「伝言はそれだけか?」
ピトスはこくりと頷く。
「はい。伝言は」
「なんだ、含みがあるな?」
「ええ。伝言のほかに、預かっているものがもうひとつ。――シャルさん」
「ん」
視線を向けられたシャルが、懐からあるものを取り出した。
それは、純度の高い手のひら大の魔晶だ。凄まじい魔力が込められている。
質がいいなんてものではない、最高級クラスの逸品。五大迷宮でもここまでのものが見つかるかというほどで、それこそ一国の宝物殿に安置されていてもおかしくない。
「す、すげえな……すげえが、これがどうした?」
「さあ? アスタに見せればわかる、って話だったけど」
シャルは言う。だが、普通にまったくピンと来なかった。
これを使って武器でも作れ、とかいう話だろうか。錬金魔術師である姉貴なら、確かに持っていてもおかしくない。魔術品を作るための、ある意味で最高質の鋳塊になり得るが……俺にその手の技術はない。
姉貴じゃあるまい、俺が使うならそれこそ魔力電池にでもしてしまうほうがいいと思うが……。
「貸してもらってもいいか?」
「はい」
シャルから魔晶を受け取る。
加工の痕跡はなく、自然のままのものだろう。
……だからなんなのか。
本当に単なるプレゼントだとは、さすがに思えないのだが……。
……。
五大迷宮でも見つけられないレベルの最高純度の魔晶、か。
こんなもの、世界にそういくつもない。これひとつしかないかもしれないレベルだ。
――どこにあった?
この世界のあらゆる迷宮を探しても見つけられないかもしれないもの。
それがもし本当に、この世界ではない場所にあったのならば。
「……これで産地を特定しろ、ってのは無茶振りが過ぎるんじゃねえのか、姉貴?」
信頼されたものだ。だが、思いついてしまえばほかにないと思えてくる。
まったく、最後の最後に決め手になるものが魔晶とは。まったく面白いところから引っ張ってくるものだ。
――実に冒険者らしく、相応しい。
「たぶん、これがあった場所が《日輪》の隠れ家だな」
「――わかるの?」
驚いた顔でこちらを見るレヴィに、頷きを返す。
「いくら日輪だって、あんな魔力流の中で普段から過ごしてるはずがない。なら拠点がある。結界を構築してあるんだろう――おそらくだが、これはそこで産出されたものだ」
どこをほっつきまわってるのかと思えば、姉貴の奴。
こんなものを、最後に遺してあるとはやってくれたものだ。
「この魔力を辿れば居場所を見つけられる。――《日輪》の居場所に強襲を仕掛けられるってわけだ」
「……なるほど。普通にヒントを遺したら気づかれる。けど、そこにあって当然のものを利用するなら気づかれない。そして、こんな無色の魔力で場所を逆探知するなんて荒業――アスタにしかできない、か」
「日輪ならわかってても無視しそうだがな。でもまあ、ノートたちが気づけば止められる。姉貴なりに考えた結果だったんだろう」
「どうするの?」
レヴィの瞳を軽く見て、俺は笑った。
「今から突っ込む――と言いたいところだが、さすがにその余裕はねえ。一日待とう」
「――私も行くわよ」
レヴィは当然のように言った。
まあ、探知するにしても移動が便利になるレヴィは来てくれるなら助かるところ。
俺はそのまま、現れた五人に振り返って。
「お前たちは――」
「――ん」
きゅっ、と服の裾を掴まれる。
アイリスが、何かを主張するように俺を見上げていた。
……わかってるよ。
「手伝ってくれんのか?」
「……もち」
ぶい、とピースサインを作るアイリスの頭を、俺は軽く撫でた。
まったくいい妹を持った。
「お前らはどうする? 言っておくが片道切符だぜ、帰ってこられる保証はない」
脅すように俺は言ったが、こいつらがここで引くとは思っていなかった。
現にピトスは言う。笑顔を浮かべて、いつも通り――彼女らしい芯を持った強さを見せて。
「なら、わたしがその保証になります」
「……ピトス」
「ハッピーエンドを見せてくれるんでしょう? それまで、離すわけにはいきませんよ」
「……ま、お兄ちゃんだけじゃ頼りないってもんだからねー」
応じるようにシャルも言った。
「仕方がないから、私もそれ手伝ってあげる」
「私も。――今の私なら、きっとアスタの力になれるから」
フェオも言った。
それを受けるように、最後にウェリウスが笑って。
「――決まりだね? リーダーは君だ。せいぜい僕らを上手く使ってくれよ」
「は、任せろ。お前にはいちばん強い敵を回してやるよ。――何が出るか知らねえけどな」
――それに……。
と、その先は言葉にせず瞳を閉じる。
この場に、みんなの亡骸は遺されていない。
ならまだ希望はある。もし月輪が殺害より封印を優先したのなら、すなわちまだ復活の目はあるということだ。
その可能性は決して低くない。
決戦の場が裏側になる可能性が高いことが理由だ。キュオの例からもわかる通り、姉貴たちなら裏側でも自己を保ちかねない。月輪の狙いがそれを防ぐことにあったのなら、逆説、まだみんなを救い出せる可能性はあるということ。
犠牲はいらない。魔術師とは我を通す生き物だ。
なら無理でも無茶でも無謀でも、最高のハッピーエンドを求めてやろう。
「集合は明日。一日休んで疲れを癒して、《日輪》の本拠地に乗り込む」
全員の顔を見回して告げる。
俺、レヴィ、ピトス、ウェリウス、シャル、フェオ、アイリス。
なんの因果か、人数は奇しくも七人ぴったり。
なら勝利など遥か昔から決まっている。
――七人揃えば、最強だからだ。
「やるぞ。最終決戦だ。――俺たちで、運命を全部書き換えてやれ!」
というわけで第6章『運命を超える意志』終了です。
次回、第7章――及び最終章。
『セブンスターズの印刻使い』




