2-06『依頼』
「――というわけで、《魔学発明狂》ことエイラ=フルスティだ」
何が『というわけ』なのかは自分でも知らないけれど。
向かい合うふたりの間に立ち、俺は片手でエイラを示しながらそう言った。
今いるのは、学院の外れにある魔学系の研究、実験施設棟だ。そこにある研究室のひとつを、エイラはほとんど私物化していた。
もちろん、セルエとは違い完全に無断だ。無断というか、学院側の黙認がある以上は、公然の勝手とでも言ったほうがいいのかもしれないが。
実力主義――。
その絶対方針に則り、結果を出した人間の主張はある程度まで認められる。
「そりゃまた、ずいぶんな紹介の仕方じゃないのさ」
俺の言葉にくつくつと、どこまでも愉快そうにエイラは笑う。普段から嫣然とした微笑を絶やさない奴ではあるが、慣れてくるとその笑みにも種類があるとわかってくる。
今の笑みは、本気で楽しんでいるときのそれだ。新しい玩具を見つけた、という昂奮が溢れている。もう少し穏やかに笑ってほしいものだ。
「とまれ、ご紹介に与ったエイラだよ。学院じゃ、よく発明狂と呼ばれるがね」
世俗にあまり感心のない彼女は、つけられた二つ名にもさして思うところはないらしい。
もし二つ名で呼んでくる奴がいれば、俺ならそいつの口を物理的に塞ぐまでは枕を高くして寝られないと思うのに。
「よろしく、エイラ」
メロは笑顔で手を差し出す。これで基本的に懐っこいので、誰とでもすぐ打ち解けられる奴なのだ。
まあ懐いたと思ったら離れていき、かと思えばまた近づいてくる――まるで野良猫を思わせる気紛れさも同時に併せ持っているけれど。
個人主義者なのだ、根本的に。
だからこそ――きっとエイラとは気が合うだろう。
「で、こっちがメロ=メテオヴェルヌ。紹介はいるか?」
先ほどとは逆の腕で、今度はメロを示しながら訊ねる。
「いいや、さすがに要らないさね」
エイラは失笑。立ち上がってメロの握手に応えた。
「いくらアタシでも、あの《天災》の名前くらいは知ってるさ」
「そう? なんだか照れちゃうな」
照れるよりは恥じるべきだと思うんだけど。
世界規模で《天災》なんて呼ばれて、それが嬉しいものなのだろうか。
微塵も共感を抱けない。
「いやいや、あえて光栄さね。メロと呼んでも?」
「もちろん! エイラは……作り手かな。マイ姉と気が合いそう」
「《辰砂の錬成師》のことかい? 七星旅団のトップと比べられちゃあ、アタシも形なしさね。アタシは同業者をあまり尊敬しないけれど、それでもかの錬金術師だけは尊敬に値すると思ってるのさ」
「マイ姉も喜ぶと思う。なーんか、おんなじ空気を感じるんだよね。マイ姉とエイラ」
「褒め言葉として受け取っておくさ。アタシは同業者をあまり尊敬しないけど、違う才能を持っている人間は素直に尊敬するのさ。メロのようにね」
「んふー、ありがとっ」
さっそくのように打ち解けるメロとエイラ。まあ、読みは当たったと言っていい。
現状、この学院でメロと真っ当にやっていけそうな人間が、俺にはエイラくらいしか思いつかなかった。
……つまりはまあ、真っ当な人間じゃ無理だから。戦う人間にも無理。
レヴィなんか見た日には、たぶん飛び掛って襲うと思う、この馬鹿は。
「――それで? なんの用さね、アスタ」メロとの握手を終えてエイラが言う。「まさかアタシに、メロを紹介してくれるためだけに来たんじゃないんだろう?」
「なんだよ、信用ないな。たまには研究室に顔出せっつったの、お前のほうだろ?」
「生憎と、アタシは面倒な腹の探り合いに付き合うつもりはないさ。そういうのはレヴィとやるんだね」
「アイツと探り合いなんざ、それこそ御免だよ。寒気がする」
大袈裟でなく俺は身震いする。
その手のやり取りでレヴィに勝てる自信がない。初めから白旗を振っておく覚悟だ。
エイラは満足げに笑みを零して、それから言った。
「それで、お望みなのは仕事かい?」
俺は首肯して答える。
「ああ。なんかあるんだろ、俺に頼みたいような仕事が」
「こう言っちゃなんだが、こうもあっさり請けるとは思ってなかったよ」
「手っ取り早く金が欲しいんでな。仕方ない。嫌々だ」
「……ま、アンタに頼めるなら否はないけどさ」
「なんだよ?」
「もう少し、言い方ってモノがあるだろうに」
そんな風に苦笑するエイラへ、俺は肩を揺らしてこう答える。
「世捨て人が、そんなこと気にするとは知らなかったね」
「そいつぁ勉強不足さね。アタシは世を捨ててない」
「ほう?」
「ただ少しばっかり、歩く速度が速すぎるってだけなのさ」
噛み殺すように笑うエイラを、メロは愉快そうな表情で見つめていた。
そうかい、そんなに気に入ったかい。
なんだか俺は、会わせてはならないふたりを会わせてしまった気分だよ。
※
――学院の中で、最も有名な学生は誰か。
そう問われたとき、おそらく大半の人間はレヴィ=ガードナーの名を挙げるだろう。
学院を束ねるガードナーの血族であり、その成績は堂々の学年主席。あるいは学院の歴史を紐解いたところで、彼女に比肩する魔術師が何人いたことか。
その実力はすでに一流と呼ばれる魔術師に匹敵、どころか上回っており、あとは経験さえ積めば間違いなく歴史に名を残す魔術師へと至るだろう。
少なくとも学生の枠は完全に超えている。一度だけ見た彼女の本気は、それこそ冒険者の最高峰――メロにさえ届かんばかりであった。
メロ=メテオヴェルヌを《神さえ想像できなかった天災》だとするのなら、レヴィ=ガードナーは《神が創造した最高の天才》だ。
しかし。もし質問が少し違っていたら。
――学院の外で、最も有名な学生は誰か。
そう訊ねられたとき、学生たちは揃って別の名前を挙げるだろう。
そう、レヴィの名声は未だに学内で留まるものだ。その実力に反して、彼女は決して名が売れているというわけではなかった。
七星旅団のメンバーのように名を隠しているわけではなく、単に実際的な活動をほとんど行っていないことがその理由だ。
ガードナーの名前が、ある意味でマイナスに働いているのかもしれない。学院へと縛られてしまうからだ。
だからレヴィは無名だった。冒険者としてほとんど最高峰の名声を持つメロとは、それこそ比較にもならないほどに。二つ名もあることにはあるが、あくまで学内で呼ばれているだけの非公式なものである。
彼女が世界に名を轟かせるまでには、もう少しの時間が必要だろう。
では、ならばいったい誰が学外で最も高名な学生なのか。
もちろんメロは除いての話だ。
普通に考えれば、学生のうちから本職の世界に名を通す人間は少ない。なんならいないほうが当たり前だろう。
だが天は、同じ世代に固めて天才を創り出した。歴史が千年ずれようと、この奇跡の配剤は再現されないとさえ言われている。
ウェリウスやシャル、ピトスたちもその中に入るだろう。
だがこの三人ではない。彼らの才能はまだその芽を完全には出していなかった。
もう、言うまでもないだろう。
――エイラ=フルスティがその答えだった。
彼女にとって《魔学発明狂》など数ある二つ名のうちのひとつでしかない。むしろ学内でしか使われないそれは、二つ名というより愛称というべきだろうか。
若き《魔導武器職人》、《銀の魔装技師》、《魔創美術家》、《兵装の申し子》……その異名を挙げればきりがないほどだ。
そりゃ羞恥心もなくなることだろう。恥ずかしすぎて俺なら引き籠もりになる。
彼女は魔具、すなわち魔術的な加工の施された道具の製作において、凄まじい技量を所持している。
その名声は凄まじく、世界各地から彼女への注文が殺到するレベルである。ベクトルは違えど、彼女も紛うことなき天才の一角であることに違いない。
こと依頼の人気度に限って言えば、その名声はメロをも超えるだろう実績を、彼女は現時点ですでに残している。エイラ=フルスティ製作の道具、ということがひとつの価値基準として機能しているわけなのだから。
特に、彼女が創る魔術兵装――武器は人気が高かった。冒険者が持てば、それだけで五層は深く潜れるとさえ言われているのだから、はっきり言って常軌を逸している。
異常と言ってもいいくらいだ。
開発と製造――研究者と技術者両方の側面に、彼女は才能を発揮しているのだから。
――天才。
その言葉の持つ本当の意味を、ある意味で最も強く体現しているのが、エイラ=フルスティという魔術師なのかもしれなかった。
※
「――ちょうど、おあつらえ向きの案件があるさね」
意外にも整理の行き届いた研究室の中で、エイラは机から一枚の紙を取り出した。
それをこちらに向けて、おざなりに飛ばしてくる。
「おい、仮にも依頼書だろ」
「細かいことを気にするねえ……ま、ともかく報酬は弾むよ。行ってくれるなら助かるね」
「……」
言われ、俺は溜息をついてから手元の紙に視線を下ろした。
背中に飛び乗る形で、メロが紙を覗き込んでくる。重いからどいてくれないかな。
「なになにー……運び屋かあ。場所はタラス迷宮前で、相手は――《銀色鼠》?」
わざわざ読み上げるメロを背中に負ったまま、俺は視線をエイラに向ける。
「しかしまた珍しい依頼を請けたな、エイラ」
降って湧いた疑念を言葉にする。
天才の常なのか、ぶっちゃけ人格がアレ(比喩的表現)なエイラが、好むような仕事じゃない気がする。
そしてこの女は基本的に、興味ないことはやらない主義だ。
「魔剣処理を十本分に……鍛造まで一本? 相当手間だろ、珍しい仕事請けたな」
普通の武器に、あとから魔術的処理を施して魔剣化する――面倒な上に、初めから魔剣として製造するより機能が劣る場合が多い。非常に厄介な仕事だ。
それを十本分も作って、さらに一本を新しく創るとは。なんだかエイラらしくない。
「お前が魔剣みたいな普通の武器を創るとはね。つーか依頼で武器創るなんざ滅多にしないだろ?」
「仕方ないさね。《銀色鼠》の団長はアタシの従姉なのさ」
「身内か。なるほどね」
「ま、その分きっちり、お代は多めに頂戴してるからね」
「はあん。そら抜け目ないことで」
――しかし、《銀色鼠》と来たか。
確か、どこかで名前を聞いたような気がするのだが。
黙り込んで思索に耽る俺。
すると、その沈黙を勘違いでもしたのか、エイラがこんなことを言った。
「あたしだって普通の仕事もするさ。何、まだあのコトを恨んでるのかい? ねちっこい男は嫌われるよ」
「そういうレベルじゃなかっただろ、あれ」
口元を引き攣らせる俺だった。思い出すのも恐ろしい事件を思い出してしまう。
なんの話かわからないからだろう、首を傾げてメロが問うてくる。
「どゆこと?」
「いろいろあってな。一度、エイラが俺のために武器を創ってくれることになったんだ」
「……それの何が悪いの? よかったじゃん。エイラ、武器創るの上手いんでしょ?」
「俺は剣を頼んだんだよ、剣を」
「……で?」
「――筆記具が来た」
メロが無言になった。エイラは腹を抱えている。
いや、まったく笑い事じゃないのだが。
「でかいペンだったな。普通に剣一本と変わらないサイズで、実際にペン先が攻撃に使えた。まあ尖ってりゃ当たり前だが」
「何それ面白い」
本気で言っているからタチが悪い。俺は続ける。
「んで凄いのは、魔力を染料に変えてルーン魔術として起動できることだった」
本当に、編み込まれた術式だけ見るのなら完全に天才だ。
そのベクトルが間違っていることさえ考えなければ。
「そのペンな、文字をひとつ書くと、それが勝手に増幅されるっていう機能がついてたんだよ」
「……どゆこと?」
「たとえば《火》をひとつ書くとする。それで俺は火を熾すわけだが、あのペンを使うと、文字が勝手に十数倍くらいに重ね書きされて火力が跳ね上がるんだよ」
「いや……すごくね?」
感心したようにメロは目を見開く。
だが、そう便利なモノなら俺だって困らなかったのだ。
「問題は、それがまったく制御できないという点だ」
「――そっか。ルーンの複数制御って、凄い難易度高いんだっけ」
そう。十以上のルーンの多重起動なんて荒業は、呪われる前の俺ですら未知数の領域だ。
「当然、勝手に消費魔力まで十数倍に膨れ上がってな」
「あ」
気づいたメロが失笑する。そう、魔力を制限された俺が、そんなに大量の魔力を放出したらどうなるのか。
答えはひとつだ。
「――俺は全身の毛細血管がブチ切れて、血を流しながらそのまま気絶した」
それを聞いて。
メロは――思い切り大笑いした。
「あ――あははははははっ! お、お腹痛っ……ひひひひひぃっ!?」
「笑いすぎだろ、おい……」
「いやもう、だって傑作だよそれ……っ! くくっ、エイラ面白すぎ」
「お褒めに与り光栄さね」
「褒めるなよ……」
結構マジで大怪我だったんですけど。
いや、ルーンの特性も呪いのことも伝えてなかった上、特に機能を確認もしないで起動した俺が完全に馬鹿だったのだが。
まあ、きっと気絶した俺に誰かが治癒魔術をかけてくれたからなのだろう、特に大事には至らなかった。
学院にもそう使い手はいないし、今思えばピトスが助けてくれたのかもしれなかった。今度確かめて、そうならお礼を言っておこうと考えた。
ともあれ、この話はひとまずいいだろう。
「依頼は、剣十一本を《銀色鼠》の団長まで運搬。これでいいか」
「ああ。《銀色鼠》からの依頼内容はそれで構わないよ。報酬は金貨で五だ。破格だろう?」
確かに破格の代金だ。だが、にやりと頷くエイラが気になった。
「何か、引っかかる言い回しをするな。回りくどい探り合いは嫌いなんじゃなかったのか?」
「そんなつもりはないさ。ただ、ついでと言っちゃなんだけど、アタシからの依頼も請ける気はないかい?」
「……なんだって?」
頬を引き攣らせて俺はエイラに問う。
トラウマが蘇るようだ。
「言っておくが、実験兵装の被検体にはならんからな? あんなん命がいくつあっても足りない」
「そっちも頼みたいけどね――違うよ」
エイラの声音が、いくぶんか真剣な空気を纏っている。
どうもきな臭い話のようだ。
彼女は言った。
「依頼したいのは――護衛さ」
「……護衛?」
「ああ。というのも、《銀色鼠》がね、どうも今、優秀な治癒術師を探しているらしい。心当たりはないかと訊かれたのさ」
「……それで?」
「アタシはピトスの名前を出した。アタシの紹介ならってことで、先方からピトスに打診があったのさ。――『迷宮攻略をメンバーに加わってほしい』って」
「まさか……請けたのか? ピトスが?」
「最初は渋ってたんだけどね、こないだの一件で気が変わったらしい。請けることにしたそうだよ」
「……あの事件のせいか」
ピトスが何を考えているのかなんて、俺には当然わからない。
だが、なんだか嫌な予感のする話ではあった。
そしてエイラも、きっと同じ何かを抱いているのだろう。
「まあちょっと、心配でね。何人かに打診してるのさ、一緒について行ってやれないか、って。ふたりがついてくれるなら安心できるんだけど」
――どうだい? と訊ねてきたエイラに、俺は首肯で返答した。
思い出してしまったのだ。
――《銀色鼠》。
それは、いつか酒場で聞いた、七人だけで未踏破迷宮に挑まんとするクランの名前だ。
その中にもしピトスが入ろうとしているのなら――。
確かに、看過できないだろう。




