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セブンスターズの印刻使い  作者: 白河黒船/涼暮皐
第六章 運命を超える意志
278/308

6-20『ファーストコンタクト』

あけましておめでとうございます。

さっそくですが、お便りが来ているので読み上げます。

埼玉県在住の涼暮皐さんから。


Q.白河さんに質問です。――2018年中に完結するはずだったのでは?


はい。答えはあとがきに書くので、まずは本編をどうぞ。

 ――それは一年と少し前の記憶。

 呪いを受けた俺が、解呪の方法を求めてオーステリアに訪れた少しあとのこと。


「なぜお前はウチに入り浸る」


 そう、露骨に嫌そうな顔を崩さずに言ったのは、珈琲屋こと指宿いぶすきれん

 仮にも客商売の店主が、仮にも客に向けていい態度だろうか。


 休みの日だった。

 面倒がられるのがわかっていて喫茶オセルに足を運んだ理由を言えば、それは暇だったからであり珈琲が飲みたかったからであり、決して稀少な同郷人に会いたかったからでも俺が被虐趣味だからでもない。

 すでに学院の書庫はあらかた当たり尽くしていた。

 開架は、解呪に関わりそうな書物はおそらく全部読んだと思う。

 さすがに元の蔵書量が多いから、全てを読み尽くしたなんてことは言えない。比率で言えばほんの数パーセントにも満たないだろう。

 ただまあ、明らかに無関係な書籍を省いていけば、役に立ちそうな蔵書の量も実際のところそれくらいという話で。

 ただでさえ呪詛・呪術に関係する書物は数が少ないのだ。入学からふた月も経てば、ほとんど望みが絶たれたに等しいことくらいは、現実として認識すべきだろう。


 よって暇だったのだ。


 一縷の望みを託して無関係っぽい書物に当たってみてもいいが、次はこれまで以上の時間がかかってしまうだろう。そこまでのモチベーションを保つことが、このときの俺にはできそうになかった。

 唯一の収穫としては、呪詛の進行が想定より遥かに遅いということ。

 無論、生きている限り蝕んでくるものだ。この呪いは俺の寿命に直結する。

 だが思っていた以上に猶予がありそうだということは、関連資料を読み込む限り確からしい。


 今だからわかることだが、これは《世界の裏側》に留まっているキュオネが、呪いの大半を引き受けて、癒やし続けてくれていたお陰だ。

 もしキュオネの助力がなかったら、おそらく呪いを受けた七日後くらいには後を追うように俺も死んでいただろう。

 というか、まずもって彼女に庇われていなければ即死だった。


 ――それでもいいか、と。

 どこかで考えている自分がいたことは否定できない。


 たとえばこのまま解呪ができず、十年後に俺が呪詛に蝕まれて死ぬとしよう。

 あと十年も生きられれば充分かもしれない。

 自分に、キュオネを犠牲にしてまで生きている資格があるとは、考えられなかった。

 かといって庇われた自分が、生き残る努力もせず死ぬことも許せない。

 キュオネの――この世界で初めて惚れた女の――文字通りに命を賭した献身を無駄にする勇気がなかったのだ。

 いや、それを勇気とは呼ばないにせよ。


 生きる目的を失い、生を権利ではなく義務として受け取っていた当時の俺は控えめに言ってもクズだ。セルエに口止めを頼み、七星旅団の仲間たちから逃げるようにオーステリアまで来たこと自体、俺の中途半端さを物語っている。

 そうだろう。もしも本気で解呪手段を求めるのなら、マイアたち仲間にまずいちばん最初に頼むべきだ。まあ姉貴がこの手のことで役に立ってくれるとは思わないが、教授やシグのコネなら大いに活用できたし、するべきだった。

 ……まあメロは論外だけど。


 そもそも、なんのかんの言って、結局は死にたいわけでもなかったのだ。

 そんな勇気を、やっぱり俺は持っていなかったのだから。

 だから惰性で生きていた。とりあえず《解呪の方法を探す》ということを暫定的なモチベーションとしつつ、どこかで見つからなければいい、そうすれば呪いを言い訳にして死ねるのに……なんて腐っていたわけだ。

 いやー俺ってば昔つらいことがあったからなー、伝説の旅団の一員だけど目立つの嫌いだからなー、やれやれー、だとか言ってたわけです。いや言ってはいなかったけど。そういう男ホントにダメよね。

 すみませんでした。


「その辛気臭えツラをわざわざ見せに来るんじゃねえよ……」

「……うっせえな。金出してる客に文句つけるとか、どんだけだよ。店の機材の魔術機構開発、協力してやっただろうが」


 魔術でエスプレッソマシンを再現してみたりとかしたのだ。

 仕組みはレンから聞いて、それを魔術で再現しただけの話ではあるが。

 レンは目を細め、カウンターの奥から俺を睨む。


「だからお前がここにいることを、文句つけるだけで許してやってんだろうが」

「その功績がなかったら、店にいることすら許されねえのかよ俺は……」

「当たり前だろ。お前なんざ出禁だ出禁、煙草屋」

「……前から思ってたんだけどよ。なんでそんなに俺に対して当たりが強えんだよ、珈琲屋」

「顔が気に喰わねえ」

「厳つい眼帯ヅラに言われるほどじゃねえだろ、どう考えても……」


 あるいはレンには、俺が精神的に腐っていたことがバレていたのだろうか。

 確かに、そんな奴を身近に置いておきたくない気持ちはわかる。


「おー。わたしはアスタが来て嬉しいぞー?」


 お手伝い店員の幼女、モカの存在だけが癒やしだったレベル。

 冷静に考えて、異世界に来てからの俺は幼女に癒されすぎている嫌いがある。

 むしろほかの女性陣が俺の胃を痛める行いしかしない。


「わーははー。というわけでお代わりを頼めなー? 一杯で長々と居座るとは礼儀がなっとらんのだなー?」


 幼女の指摘は心にクる。


「……んじゃブレンドもう一杯」

「レーン。売れたぞー」

「聞こえてる。今出すから、モカはそのアホと絡むなよ。バカが感染うつる」

「…………そこまで言います?」

「うっせえな、ったく……お前みたいなのと絡むのがいちばん危ねえんだよ。お前のせいじゃないとしてもな」


 このときの俺にその言葉の意味はわからなかった。

 ただ、モカは商売上手だなあ、とアホの感想を浮かべるのみだ。


 とまあ、ここまではいつもと同じ日常。

 違いが起きたのはここからの話。

 とはいえ、それがこの後の俺の人生を結果的に大きく変える転機であるのだと、当時の俺は気づいていなかった。

 あるいはそれ以前、もう始まっていたものが、目に見える形になっただけかのかもしれない。


「アスタ! やっぱりここにいた。ジョージさんトコじゃなきゃここだと思ったけど、正解でよかったよ」


 来客の声が俺の名を呼んだ。

 それに顔を上げれば、この街では最も見慣れた女性の姿。


「セルエじゃん。……なんか俺に用だったのか?」

「大事な用事があるの! まったくもう、魔術で探すにもアスタは隠形が上手すぎるから、足で探す羽目になったよ!」

「ま、たまには運動不足を解消するのもいいんじゃないの。いくらセルエでも太るかもわからんぞ」

「大丈夫ですー! わたし、太らない体質なんだから」

「それ体質の問題じゃないと思うけど」


 カウンター席。隣に腰を下ろしたセルエ=マテノ。

 彼女はあまりオセルに来ないから、少なくとも王国内ではほぼここでしか飲めない珈琲には詳しくないだろう。


「珈琲屋。セルエにカフェオレ頼む」

「――ごゆっくり」


 あえて俺にではなくセルエに答える珈琲屋の露骨対応はもうスルーとして。


「あ、ごめん。別によかったのに」

「いいよ。奢りってことで」


 ほかの連中ならばいざ知らず、セルエからの頼みごとなら可能な限り引き受けてやりたい。

 それなりに火急を要する依頼なのだろうか。飲み物が届くのも待たず、さっそくセルエはこう口火を切った。


「アスタにちょっと、仕事をしてもらいたいんだよね」

「まあ、話を聞く分にはいいけど。どうせ暇だし。どっか出かける用事か?」


 おそらく初めはセルエに来た話なのだろう。

 それを俺に回すということは、セルエでは対応できないから。

 ならば、と思って訊ねた俺にセルエは首を横へ振った。


「この街からは出ないよ」

「ほーん」


 なら楽そうだ、などと騙される俺は本物の間抜けだろう。

 相手がセルエということもあって、不覚にもこの時点で安請け合いをしてしまった。


「別に構わないけど。何すりゃいいわけ?」

「んーと、ね。ちょっと言いにくいことなんだけど――」

「うん?」


 セルエはこう言った。


「――アスタには、迷宮に入ってほしいんだよね」


 数秒の間。さすがに仕事が早いのか、まず俺の分のブレンドを持ってきた珈琲屋が小さく言った。


「お待たせしました」


 一度、カップの中の黒へ視線を落として。

 それから上げた俺の顔は、どれほど苦い珈琲を飲んでもこうはならない、というほどの渋面だったと思う。



     ※



 ――セルエからの話は以下の通り。


 学生のひとりが、迷宮から戻ってこないのだという。

 といっても入ったのはまだ今朝方のこと。

 ただそもそも単独での迷宮入りを許されている事実からわかる通り、実力を考えれば心配するような話ではないらしい。聞けばまだ俺と同じ一年らしいが、この場合、まだ一年生であるということよりも、一年生でありながら許可を得ているという事実のほうを魔術師としては重く見るべきだ。

 が、コトはそう単純ではない。

 どうやら許可された以上の深層に潜り込んでしまったらしいのだ。


「……なんでそれがわかってる?」

「新人の冒険者を庇って、罠に嵌まって飛ばされたから。報告が上がってきたのよ」

「あー……」


 納得、しかけてそこで首を振った。いやいや。


「それなら、それこそ公認冒険者の仕事じゃないのか。普通はフリーの冒険者に振る話じゃない」

「まあ、その通りなんだけどね」


 ものすごく広い見方をすれば、冒険者はいわゆる自営業フリーランスに近い。誰に言われて冒険者をしているわけでもないため、働くも休むも潜るも辞めるも自由。ただし、自分で成果を持ち帰らない限り収入もない実力の世界。

 一方、中には冒険者組合に公式に所属して、ギルドから固定給を貰っている冒険者も存在している。たとえばシグがそれだ。


 自分の分のカフェオレに、恐る恐る口をつけて、セルエ。

 口に合ったのだろう。少しほっとしたように微笑んでから彼女は続けた。


「戻ってこないのよ」

「……いや、そりゃそうだろうよ。じゃなきゃ捜しに行かねえだろ」

「そうじゃなくて。……彼女、ガードナー家の一人娘なのよ。跡取りってコト」

「ガードナーの跡取り?」

 軽く俺は目を見開いた。

「重鎮じゃん……てことは、そいつ」

「そ。いくらアスタでも名前くらいは知ってるでしょ? ――レヴィ=ガードナーさんなのよ」


 何かそこはかとなく馬鹿にされた感が否めないがそれはいい。

 もちろん俺だって名前は知っている。顔は知らないが。なら否定できないんだよなあ……。


 レヴィ=ガードナー。

 長きに渡りオーステリアを守護する防人の家系。直系の当主は騎士剣としての鍵剣を持ち、特に今代のガードナーは完成形とさえ称される天才なのだ……とか、なんだとか。ま、友達の少ない俺にまで噂が流れてくるくらいの存在ということ。

 噂を鵜呑みにするのなら、確かに助けがいる程度の実力だとは思えないけれど。


「そんな天才でさえ帰ってこられない深層に落ちた可能性が高い、ってことか」

「少し違う、かな」

 納得して呟いた俺に、けれどセルエは首を振り。

「そんな彼女でなければ入れなかった場所に落ちてしまった可能性が高い、ってほうが正確」

「……うん? ちょっとわからなくなった」

「ここからはオフレコでお願い」


 セルエの言葉に、ちらと視線を流せば、空気の読める喫茶店主はもうとっくに俺たちから距離を取っていた。

 というか、初めから面倒ごとに絡まれたくないため、逃げていたと言うべきかもしれない。


「まあレヴィさんなら大丈夫だとは思うけど、悠長にもしてられないから、掻い摘んで話すね」

「…………」


 これ、聞いちゃったら断れないだろうなあとか思う俺。

 とはいえ今さらだ。無言を返答にすると、セルエは頷いて、語る。


「オーステリア迷宮には、普通だったら開かれていない特殊な場所がある……らしいの」

「……はあ」

「ガードナー家の人間だけが入り方を知っている秘密のスペース、って感じに考えればオッケー」

「うわあ……厄い」


 それ結構な秘密だと思うのだが、如何か。

 正直、聞きたくなかった。


「何かの間違いで、レヴィさんはその入り口を開いてしまった可能性が高いの。彼女なら、たぶん深層から戻ってくるだけなら時間はかからない。少なくとも使い魔なりなんなりで報告だけはできるはず」

「……それがないって時点で、それができない(丶丶丶丶丶丶丶)状況だって言いたいわけだ?」

「真面目な子だからね。もちろん訓練で行ってるわけだけど、性格的に考えて報告された状況で連絡を絶つような子では、まあ絶対にないって断言してもいいはず。これは私自身がそう思ってること」

「――そしてその事実は、たとえ公認冒険者に対してだろうと安易には告げられない、と?」


 問い、というより確認の言葉に、セルエも渋面を作って。


「……もちろん命にまでは変えられることじゃない。ただそれ以前の問題がある」

「というと――」

「単純に、実力の問題。学院長が言うには、その場所は迷宮の異相。単に深度で測れるような場所ではないけれど、それでも場所によっては五十層、最悪なら百層近い魔窟になっている部分もあり得るらしいの」

「な……なんだ、そりゃ……」

「通常空間じゃないみたいなのよね。どっちかって言うなら異界、精霊界に近い異相の結界空間……この街の冒険者に、というよりこの国に、そんな場所へほいほい送り込める人間は――」

「――セルエが行けばいいだろ。間違いなく、この街でいちばん強いのは――」

「私が行動を制限されてることくらいわかってるよね」

「……悪い。失言だった」


 自分の生徒だ。授業を受け持っているかどうか正確には知らないが、セルエはそんな部分で線を引く人格じゃない。

 できることなら自分で助けに行きたいに決まっている。

 それができないから、彼女がいちばん実力を信頼できる魔術師に助力を頼んだ。それが俺だった。


「ううん。こっちこそごめん。……今のアスタに、迷宮に入れっていうのがどんなことかくらいは――」

「――言うなよ、それは。別にトラウマってわけじゃねえ。理由がありゃいいさ」


 本心を言うなら迷宮になんてわざわざ入りたいとは思えない。それは事実だ。

 だが、これを断ることもできなかった。セルエにはここ最近さんざ世話になっているのだ。いや、それがなくとも同じ。


「……請けるよ。報酬はセルエのほうで交渉しといてくれ」

「弾ませるよう言っておく。ありがと。……アスタが失敗したら、私も出られると思うよ?」

「だからって意図して失敗できんでしょうが」


 信頼だ、これは。

 彼女は俺が呪われており、全盛期の実力をまるで発揮できないことを知っている。

 それでも――その上でセルエは、ほかでもない俺を選んだのだ。

 それを裏切るなんてことができるはず、ない。


「――行ってくるよ。帰りは遅くなるって親父さんに言っといてくれ」

「これ」

 と、セルエがそこで俺の手に一枚の紙片を握らせた。

「ガードナーの結界空間に入る方法。見て覚えたら焼き払っといて」

「……なあ。その場所って、やっぱかなり知っちゃまずい場所なんじゃねえの?」

「学院長に許可は得てるって。心配しすぎ。――『伝説の七星旅団の方々にならよいでしょう』だってさ」


 それ、基準がめちゃくちゃ高いってコト自覚してないよね、セルエ。

 自分で言うのもだいぶアレだけど、七星旅団クラスじゃないと存在も教えられないって相当だから。厄ネタすぎる。


「おい、珈琲屋」


 俺は言った。遠くに逃げていたレンがこちらを振り返り。


「なんだ、煙草屋」

「ツケとけ」


 レンは俺を睨んで言った。


「さっさと行け」

「恩に着るよ」


 俺は店を出て、街の中心に向かって走った。



     ※



 違和感には迷宮に入った瞬間に気づかされた。

 気づいた、ではない。その異様な感覚に、気づかない魔術師は鈍感が過ぎるだろう。


「……臭え……」


 思わず呟いてしまうほどの空気の重さ。

 比喩だ。実際に悪臭が漂っているわけではない。これは瘴気の感覚だ。

 あまりに濃密な、人体に有毒な魔力の気配。一般の魔術師はすでに立ち入り禁止になっているらしいが、妥当な判断だろう。冒険者でもこれはキツい。

 これは……たとえるなら、そう。


「開けちゃなんない蓋を開けちまったって感じか……ヤベえな、これマジで急いだほうがいい」


 ガードナー某がどれほどの実力かは知らないが、学生であることは事実。

 いくら才能があろうと、それ以上の暴虐は存在するのだ。この気配、俺は咄嗟に、あの五大迷宮のことさえ思い出した。

 正直に予想以上だ。はっきり言って、最善は今すぐ引き返してセルエを同道させることだと思う。

 ――場合によっては、この事態は俺の手に余るかもしれない。


「つっても、間に合いませんでしたは洒落にならん」


 久々に全力で走るっきゃないだろう。

 スピードそのものは、全盛期とそう変わりないはずだ。罠は全て踏み砕き、最速で結界空間に挑む。

 俺は迷宮を駆けた。

 魔物は、数はいたが動きがどれも鈍かった。おそらく魔物ですら異様に感じるレベルの瘴気が籠もっているからだ。まあ俺としては好都合である。目の前を塞ぐ奴だけ最速で潰し、あとは無視して十三層まで駆けた

 ここから分岐することでガードナーの秘密空間に行けるらしい。


 オーステリア迷宮にも何度かは入っていた。すでに地図は頭に叩き込んである。

 あえて行き止まりに向かうような道筋を辿っていく。

 中心区から十三層に下りて、十四層への階段とは正反対へ向かう道筋。地図が頭に入っている人間なら、絶対に選ばない道のり。わざと行き止まりへ向かうような。

 やがて見つけた壁。

 行き止まり。

 なんの変哲もないそれに、俺は手を触れて魔力を流す。そして呪文を呟くことで、この先に進めるのだとセルエに貰ったメモに書いてあった(もう燃やしたが)。

 長い呪文だが、魔術師になって以来、この手の文言の暗記は得意なものだ。


「ええと……『祖は守護者。其は秘密の守り人にして鍵の担い手。黄金大樹が根を張るよりはやく、逆十字の秘密を墓暴きから』――」


 だが。

 その呪文を、俺は最後まで言うことができなかった。


 次の瞬間である。


 いきなり、手の触れている壁が歪んだ(丶丶丶)


「――な……!?」


 それは言葉通り、掌の触れた中心部分へと壁そのものが渦を巻いて蠢き、飲まれるかのように。

 体が腕から引っ張られていく。

 抵抗は、もうとっくに間に合わない。そもそも入ろうとしていたのだから当然だ。

 瞬く間であった。

 あっさり俺は壁の中に取り込まれ、異次元空間へと引きずり込まれてしまう。




 そして空中に投げ出された。




「ふぁ?」


 一瞬の浮遊感。

 目に飛び込んでくるは広い草原。

 それを俯瞰する視点。

 遥か下の地面。

 そして――そんなとこだけ現実的に、俺を地面へと叩きつけんと働く重力。


「ちょちょちょちょちょちょ待いや嘘だぇあぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ――!?」


 胃の腑の中身がせり上がってくるような感覚。酩酊。吐き気。

 絶叫マシーン苦手なんだよ、と思わず叫びそうになる俺は間抜けの極みだった。


「え、ぉ――あ」


 煙草に火を点けていない。

 つまり現状、俺はルーンを刻めない。いくらなんでも突然の空中は俺だって無理ゲー。

 となれば、手持ちの護石だけで対応するしかないわけで。


「ぬ……ぉああああああああああああああああああああああ《防御(Ehiwaz)》《(Isa)》《防御(Ehiwaz)》《(Isa)》《防御(Ehiwaz)》ぅあ――!?」


 結果、咄嗟に選べたのはゴリ押しが精々だった。

 力技である。《イサ》を付与した《防御エイワズ》で、氷製の防壁を真下に向かって何重にも張る。そして俺は腕を組んで身を丸め、自らそれにぶち当たることで氷壁を割り砕きながら自分の勢いを殺したのだ。

 魔力は硬度にほぼ振らず、《イサ》が持つ《停止》の概念へと注ぎ込む。

 物理と魔術両面からなんとか落下までに勢いを殺そうという寸法だ。――そして。


「おんっ!?」


 無様極まりない声とともに、べたんと地面へ墜落した。

 なんとか、どうにかこうにか無傷のままで。

 受け身を取りつつ、そのまま短い草の生えた地面をゴロゴロと転がる。仰向けになって、途中で止まった。


「……た、助かった……っ」


 びっくりした。格好つけて出てきたのに一瞬でガメオベラかと思ったマジで。

 終わったからこそ笑い話だが、ぶっちゃけ洒落になっていない。

 よかった。いつだったかメロといっしょに空中のお城へと上昇ダイブをブチかました経験が活きた。そんな経験が活きる経験を二度もしたくねえんだよ畜生が。

 ……あの捻くれエルフは、元気にしているだろうか。


「あのときは酷かったな……侵略型空中機動要塞が可哀想だった」

「――何言ってんの?」

「あ?」


 声がしたのはそんなときだ。

 まさか、すぐ近くに人がいるとは思っておらず、少しだけ驚いてしまう。

 油断と言えば、まあ油断だろうが。

 とはいえ、ここに誰かがいるとすれば、それは間違いなくひとり。


 寝転がっていた俺は、上体を起こして視線を向ける。

 長い、綺麗な亜麻色の髪が見えた。


 ――そいつがレヴィ=ガードナーであることを俺はまったく疑わなかった。


 自信に満ちた出で立ち。

 それは己の在り方を完全に規定しきった人間に特有の存在感だ。思わず目を奪われるほど、一個の人間として美しい。

 そいつは剣を抜き放ってこちらへ向けている。

 まあ、警戒しているのだろう。その気持ちはわからないでもないが、こっちは怪しいものではない。


「よっと」


 俺は立ち上がって、軽く体をはたいてから彼女に向き直る。


「レヴィ=ガードナーだよな」

「そうよ」


 否定の余地はないと言わんばかりの力強い肯定。

 たったそれだけでも、彼女という存在の在り方が見て取れる気がした。


「俺はアスタ。アスタ=セイエル」

「訊いてないけど」

「……そら悪うござんした。とはいえ俺が来た理由はわかるだろ?」

「…………」

「セルエに言われて救助しに来た」


 疑わしさを隠さない視線が俺に突き刺さる。

 そこまで怪しい外見だろうか、俺は。


「嘘じゃねえよ。てか俺も、知らんだろうがお前と同じ学院生だよ。同級生だ」


 そこで、レヴィの表情が初めて変わる。


「……貴方がオーステリアの一年って……?」

「そうだよ。だから仮にも同級生に剣を向けるのは――」

「そう」


 レヴィは、小さくかぶりを振って言葉を遮る。


「……おい?」

「何を言うかと思ったけど。まさか、そんな言葉に騙されるとは思わないわよね?」

「は? いや……いやちょっと待てよ。お前こそ何言って――」

「もっともらしい話ではあるわ。確かに救助の依頼が行くならセルエ先生だと思うし。だけど、同級生ってのは頂けないわね。私は、貴方のことなんて知らない」

「いやいや。お前だって別に学生全員覚えてるわけじゃ、」

「大半は覚えてるけど、それ以前よ。どうして学生が助けに来るの」

「…………」


 あー。


「ま、それができそうなのも知ってるけど。来るとしてもギルヴァージルの御曹司とかでしょ、普通。私が知らない時点で選ばれるわけないじゃない」

「……確かに」


 思わず納得してしまった。

 じゃなくて。


「あ、いや違う。まあそれには事情があるっつーか」

「どっちにしろあり得ないわよ。セルエ先生に聞いて助けてに来たって? ――だとしたら早すぎる(丶丶丶丶丶丶丶丶丶)

「…………えっと」

「こんな短時間でここまでやって来るですって? それこそセルエ先生レベルでもないとあり得ない。」

「いや、あの」

「だとするなら答えはひとつ。――貴方は最初から迷宮の中にいて、それを隠そうとした」


 なんか雲行きが怪しい。

 じゃなくて。


「今回の件、どういうことかと思ってたけど、そういうこと。下手人がいたわけね。事故じゃなく事件だった」

「いや、オイちょっと待て。まさかとは思うが――」

「――問答無用よ。アンタは怪しすぎる。こんな事態は普通じゃない」

「確かに普通じゃないよコレ!?」


 ついに貴方ですらなくなった。

 じゃなくて!


「話は、とりあえず無力化してから聞かせてもらうわ」

「……マジかよ……!」

「とりあえず、なんのために私を閉じ込めたのかから訊きましょうか!」


 事実、問答無用であった。

 この直後、俺は彼女の持つ剣に襲われてしまう。


「な、なんでこうなる――ああもう!」

「――《閉式》――」


 これが、俺と彼女とのファーストコンタクト。

 先んじて言っておこう。

 彼女は何も、本気で俺が自分を閉じ込めたと考えていたわけでない。あとから聞いた話、この時点でその可能性は、一割未満だと思っていたことを本人から聞いている。

 それでも襲ってくるのだから、レヴィ=ガードナーはレヴィ=ガードナーだったというべきか。

 いや。


「――《鍵刃》!」

「《防御(Ehiwaz)》――!」


 要するに。



     ※



 オーステリア学院一年生の頃のレヴィは。

 今よりも、ほんの少しだけ尖った少女だったのである。


 いやあんま大差ねえかも。

A.2018年『度』中で勘弁してください、すみませんすみません……。

 それも間に合うか相当怪しいんですけども(小声)。


ということで、長らくお待たせいたしました。

レヴィとの過去編、その1です。

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