6-18『その憧憬を、』
アスタ=プレイアス。
そして、アルベル=ボルドゥック。
考えてみれば、このふたりの起源は実のところ対比的だ。
似通っているようで、けれどズレてもいる。
どちらも同じく《魔法使い》に師事したものの、その秘奥を継ぐことはなく。彼らに一般的な意味での魔術の才覚は絶望的なまでになく、代わりに一芸へ特化することで自らを魔術師として最強たらしめんとした。
片や印刻、片や隠蔽。
魔法使いに命を救われて以降、だが彼らは別々の道を歩んだ。
あくまで師に従いその意志を継がんとしたアルベルと、師と訣別してでも別の道を自ら歩まんとしたアスタ。ゆえにアスタ=プレイアスは表舞台へと身を乗り出し、一方のアルベル=ボルドゥックは陰を生きると自任した。
己が意志するところを為せ。
それが魔術師の根本原理であるのなら、我を選んだアスタが優れるのか。
そう、それは違う。アルベルもまた自らの意志で師の思想に殉ずると選んだ以上、己の意志を為していると言えよう。
だから重要なのはそこではない。
歩んできた道など己の所有物でしかなく、過去の優劣を競ったところで得るものはない。必要なのは結果であり、すなわち現在と、それに続く未来なのだ。
だとしても。
その差異が決定的に過去によって分断されるのであれば。
アスタ=プレイアスは、アルベル=ボルドゥックのことなど知らずに生き。
アルベル=ボルドゥックは、アスタ=プレイアスのことを、ずっと昔から知っていたこと。
おそらくは、それが最大の違いなのだ。
たった、それだけのことが。
※
「ご、――あ……っ!!」
地べたを転がり、そのまま壁に激突した。
全身が軋み、苦痛の形を取って悲鳴を上げる。
決定的な一撃だった。
「が、ぐ……、あ……っ!」
なんとか立ち上がることはできたものの、おそらく肋骨をやられている。
激痛を魔力で麻酔しようとした。だが足の下にこびりついた血に滑って体勢を崩し、俺は正面へうつぶせに倒れた。その衝撃がまたぞろ激痛を発生させ、ああくそ、腹が痛え、かなりヤバい。
倒れたまま今度こそ魔力で痛覚を麻痺させる。そこで、ようやく思考が現実時間に追いついてきた。
まさか無様に転ぶとは。
さきほどアルベルの策略に嵌まって、踏みつけた血で滑ってしまったのだろう。
やられた。ルールを破ってくるとばかり思い込み、ルールを遵守したままで裏を掻いてくると予想できていなかった。
疑い続けた俺と、疑われていると信じ賭けに出たアルベルの差。
決意と覚悟に差があったのだ。
――まずい……。
口に出したつもりだが、喉からは「ごふっ」という音しか出てこない。
さすがに、ひょろっちいアルベル相手でも、魔力で強化された蹴りをまともに喰らえばダメージは免れないか。魔術攻撃とは違って、物理攻撃は魔力抵抗で減衰できないのが厄介だ。ダメージを減らすにはこちらも肉体を強化するしかないが、さすがに肉体は防御力より遥かに攻撃力が勝る。
――……?
それにしても、おかしい。
なんだかずいぶん時間を使っている気がするが、一向に追撃が来ない。
それをしないアルベルではないだろうに。
とにかく、どうにか立ち上がろうとして――そこで、目の前に床に赤が広がっているのに気づいた。
頭だけは冷静で参る。
ああ。なんだ、そうだったのか。
さっき踏みつけた血で転んだんじゃない。
俺は、自分の脇腹から流れ出る、自分の血を踏みつけて転んだんだ。
「……ごぼっ」
参った……蹴ったと同時にとっくに追撃は俺を殺していたわけだ。
なんらかの攻撃で腹を抉られていた。
気づきもしなかった。
つまり奴の隠蔽はそこまで完成しているということだ。ああ、これは――やっばい。
時間が、精神ごと希釈されているような感覚。
覚えはある。これは、いわゆる死の淵というヤツだ。魔力による肉体の麻酔が精神を荒立たせているのだろう。
回復は不可能。
俺に治癒魔術は行使できず、それができるピトスはここにはいない。キュオの魂が込められたペンダントもメロに渡したままなのだから。
「――――――――」
アルベルが何かを言った気がした。
だが聞き取れない。思考はクリアなのに意識が薄れていこうとしている、そんな矛盾。魔力に酔っている。
いや、これ、マジで不味いな。
今さら反省しても遅い、という感じだが。どうしたものか。ていうか死んだろ、これはさすがに。
放っとけば死ぬ、という状態には何度かなってきた。
いつだって俺の隣にはキュオやピトスがいて、そのお陰でどうにかなってきたようなもの。回復役もなしに死地へ赴けば早晩、こうなってしまうことは自明の理だったのだろう。
シルヴィアだって治癒魔術師を学院から呼ぶくらいのことはしたのに。
すまんな、お姉さんや。アンタの憧れの旅団の一員は、アンタよりだいぶ頭が悪い。
「――ぉ、あ」
声が、出た。出たよな? 出たはずだ。
世界への認識が一枚膜を隔てたみたいに上手くいかない。
アルベルは――反応したか?
わからない。今、攻撃されてからどれほどの時間を使っただろう。謎だ。まあ生きてるんだし、攻撃も来てないし、たぶんほとんど時間は使っていないはず。死の淵で思考が加速されたとかそういうヤツだろ。知らんけど。そんなことあるのかどうか。まああるんだろ。現に今なってる。どうだ? ああ違う、考えが同じところを堂々巡りしている。落ち着け。
「……あ」
ああ。俺が悪い。俺が舐めていた。
その代償はどうやら死だ。もう俺に勝ちの目はなくなっている。
だって死んだ。
あのときとは――アルベルを殺したときとは話が違う。あのときは一度死に、キュオネの力で戻ってきた。それは俺という個体が魔術的には生きていたからだ。
あのときより体はマシか。だがこのままならそのまま死ぬ。
そして、もう戻っては来られない。
「――――――――」あーあ。
いろいろと申し訳ない。全方位へ謝罪したい。
姉貴や仲間たちに約束破って死んじまったと謝りたかったし、アイリスやシャルに間に合わせられなくて申し訳ない。おそらく向こうに行った途端にキュオに殴られるだろうし、できるならピトスやフェオに言っておきたい言葉もあったし、レヴィとウェリウスには会いにいくことすらできなかったし――もうなんかクズだな俺。どうしよう。
でもありがとう。
全ては俺の覚悟がアルベルに劣っていた、という一点が敗因なのだ。
死は決定事項で敗北は覆らない。
ならば俺にここから足掻く意味はないのかもしれない。
けれど。
それでもせめて、最後に繋ぐべきものは繋いでおくのが――覚悟というものだろう。
だから。
俺は。
※
「――――■■■――――」
※
今度こそ。
今度こそアルベル=ボルドゥックは勝利した。
それはもう揺らがない。
アスタ=プレイアスが独力で最深部へと到達することはなくなった。目的はもう叶わない。
それでも。
それでも――たとえ世界中の全ての人間が諦めようと。
アルベル=ボルドゥックだけは、決して彼がこのままで終わらないと信じている。
勝利は、確かに得た。
彼がどこかに余力を残して次に行こうとしていたのに対し、アルベルはこの場に全てを費やした。
もちろんそれは、言葉にして言うほど大きな差ではないのだろう。ここで敗北すれば結局は続きがないことなどアスタも理解しているはずだし、少なくとも全力で戦っていたことは間違いない。
ほんのわずかな、覚悟の差。
それが勝敗を超えた部分を埋めたがゆえの結果。アルベルはそう分析する。
だから。ならば。
彼がアルベルと同じ場所まで辿り着くというのなら――。
次の瞬間だった。
アスタ=プレイアスの姿が掻き消えた。
「――――」
アルベルは冷静に当たりを窺う。きっとこれが最後の足掻きだ。
手段はわからない。何をしたのかなんて想像もつかない。あの死に体で動く意味が不明だ。頭が狂っている。
――だが必ずそうするだろうと信じていた。
アルベルはそれを疑わない。だから驚きもしない。どうせ何か想像を絶した方法で、こちらに最後の一撃を加えてくるに決まっているのだから。
果たして。その直後だった。
アスタ=プレイアスの姿はアルベルの背後に現れた。
魔力の揺らめきを感じアルベルは振り返る。
そこに、アスタ=プレイアスはひとり立っていた。
アルベルは悟る。今のは、教団が開発した地脈を通じての移動術だ。
彼は自分を殺したあとクロノスと戦っているはずだ。その辺りでおそらく使用法が伝わったのだろう。
しかし、バカげた綱渡りだった。
死にそうだということは、今にも魂魄が肉体から剥がれ《向こう側》に繋がりそうだということ。そんな状態で肉体を魔力に流し、情報として移動を果たすなど正気が飛んでいるとしか思えない暴挙だ。ほとんど自殺と変わりない。
いや。どうせ死ぬのなら、という賭けだろうか。
アルベルはそうは思わなかった。それは狂気ではなく、狂気的な理性によって成されたと知っている。
それが魔術師だ。
それが紫煙の記述師だ。
奴は捨て鉢でもなんでもなく、必ず計算と策に基づいて反撃の目を拾いにきている――。
だが。
それでも。
彼が次の瞬間に行った暴挙には、想像を絶するものがあった。
「――■――」
アスタが言葉を呟く。
音として捉えられないにもかかわらず意味は伝わった。――原初のルーンだ。
彼の切り札である秘奥としての十六印刻。
その十二番目は、死人を動かすものだという。
「貴、様――アスタ、プレイアス……っ!!」
「ん? あ、ああ――おう。ようやく聞こえるようになった」
「お前、お前……は……っ!」
「……いいリアクションだ。胸が躍るね。それでこそやった甲斐がある」
言うなりふらつきそうになるアスタ。
それをなんとか堪えて、彼は苦笑するように言った。
「と……さすがに肉体を全てルーンで制御するのは慣れねえな。つかやったことねえし。ぶっつけ成功できてよかった」
軽く手を振り、肉体の駆動を確認している。
今を持ってなお彼の脇腹には大穴が開いている。だが、そこから血は流れていない。
回復……ではない。これは、おそらく状態の固定だろう。
「癒やしのルーン、ってのが一応あるんだけどな。俺じゃそれを回復には使えない。傷固定するくらいが精いっぱいだ」
「いいや。……いいや、そんなことは今さら問題じゃない! 貴様が使ったルーンは――それは!」
「――死者を操るルーンっつーかね。ま、厳密には違うんだが、それを使った」
つまり。
「……死んだのか、アスタ=プレイアス」
「自殺したみたいな言い方やめろや。お前が殺したんだろ何言ってんだ」
「それでも――だが、まだ息は」
「正確にはルーンの力で自分を死者と定義しただよ。そうでもなきゃ動けそうになかったんでな。死にかけた俺を生者と定義した、あのときとは正反対だな」
「それは、つまり……その術が切れた瞬間に」
「そりゃ死ぬさ。治癒魔術が使えないって時点で詰んでる」
アルベルは、その言葉の意味を正確に受け取った。
アスタはさらに続ける。
「言っておくが死ぬ気はそれでも、俺にはねえぞ。時間次第だ。なんかの奇跡で救助が間に合えば生き残れるかもしれないからな」
「……あり得ると思うのか?」
「ま、俺は仲間を信じてるってことで、ひとつ。――それよりもお前」
「なんだ」
「――もう少し喜べよ」
その言葉にアルベルは目を丸くした。
それに、アスタは苦笑を零して。
「来てやったぞ。これで、――お前と同じところに立った」
「……!」
「わかってんだろ? さっきからお前、顔にニヤケが滲んでんだよ。なら気取んじゃねえ、もっと喜べ。でなきゃこっちも甲斐がねえよ」
「……そうか。ああ、そうだな。君は……!」
死を賭してアルベルは戦っていた。
もう死んでいる。彼にこの先などなかった。それでも立ち塞がったのは、もうただの意地でしかないのだろう。
その地平に、アスタは今、降り立ってくれているのだ。
ただ自分と戦うためだけに。
お互い、もはやこの先などない。この勝負の結果に意味はない。どちらが勝とうとどちらも死ぬ。
それでも。
ただ意地を比べ合うがためにアスタもまた死を賭けた。
生ではない。
己が生き様ではない。
見出した死ぬべき時を相手に預けることを良しとする勝負。
純然たる勝敗を決するためだけの仕合。
「……そうだな。ああ、それでこそ。それでこそ俺の生涯の仇敵だ……!」
「は。そこまで喜んでくれるなら死んだ甲斐もある。いいぜ、かかってこいよ――勝敗を、決めようぜ」
歓喜があった。
これほどの喜びを、知らぬ間に死んだことを後悔してしまいかねないほどに。
だが、構わない。ここに全ては間に合った。
自分がこのときのために生き、死ぬのだと実感できる。
生存ではなく、ただ勝敗だけを決するための魔術師同士の競い合い。
それを、ほかでもない。
「――行くぞ、アスタ=プレイアス!」
「来いよ、アルベル=ボルドゥック!」
力などなかった青年が。
その生涯で、たったひとり憧れた魔術師と競えるのだ。
そうだ。知っていた。ずっと前から。
自分と同じく力ないまま、自分と同じように魔法使いに拾われ。
けれど自分とはまったく違う道を歩む男に。
才なき身で伝説の頂に手をかけ、
苦悶に喘ぎながら歩むことをやめず、
ついには魔法使いの最大の敵として立ち塞がってみせる。
強かったからではない。
優れていたからでも才能があったからでもない。
その格差を誰より知っているからこそ。
それでも未来を見る男が、あまりにも憎らしく、眩しかったから。
だから憧れた。
だから憎んだ。
その通りに生きられればいいと願った。
それ道だけは選ぶものかと心に誓った。
そうだ。
――俺はお前を許さない。
力を得てなお自らのためだけに振るう傲慢さを。弱者でありながら何物をも諦めない強欲さを。
その大罪を背負ってなお笑ってみせる、本当の強さというものを。
嫌悪しながら望んだ矛盾が、今、ここに昇華される。
そうだ。憧れていた。
――僕は君に憧れていた――。
だから。
だからこそ。
言葉には力が籠もった。
殺すとは言わない。
生きるとも言わない。
ただ、
「――お前に、勝つ――!!」




