6-07『vsマイア=プレイアス』
――マイアの手の中に、魔力の光が集う。
わずかに赤みを帯びたそれは、姉貴の得意技である《即興錬金》発動の証。
光が形となり、やがてその手の中にひと振りの剣が創り出された。
「……、……」
俺は無言。何をしてくるかと思えば、初手に一本の武装をこれ見よがしに創り出すとはマイアらしくない。
おそらく相応の策を練っている。そう見るべきだった。
「……なんのつもりだ?」
「さあ。手の内を訊かれて答えるわけないじゃない」
「場合によっては、俺は答えるが」
「いやそういう例外は考慮してないから。詐欺師の綱渡りとか知らないから」
「誰が詐欺師? 妙な慣用句みたいなこと言わないでくれる?」
「そんなつもりはなかったけど」
「知ってるよ。だから言ってんだろ」
お互いに、手の内をある程度まで把握しているからこそのやり取り。
いや。その割になんかいきなり下げられた気もするが。
まあ構わない。出方を見るために、俺は煙草を取り出しながら、あえて言葉にして告げる。
「……見た目は、単純な直剣か。でもそれだけじゃないだろ?」
「私の武装の特殊能力を、見た目から暴けると思わないほうがいいと思うよ」
知っている。マイアは創り出した武装に、なんらかの魔術的効果を付与させることができる。
しかし、それと武装の形は必ずしも直結しない。見た目でわかることが絶対にないとは言わないにせよ、基本的には外見から判断するのはまず無理だ。
「アスタだったら、それでも見抜いてくるかもしれないけど」
「おいおい。そこまで買い被られても困る」
「別に、アスタだから言ってるわけじゃないよ。――私の弟だから言ってるの」
「……は。ったく――見た目で使う術が全部バレる印刻使いに、厳しいこと言ってくれるぜ」
軽く肩を竦める。
いや、実際問題これは無理だ。ほぼ飾りのない直剣となると、見た目からでは何もわからない。
というより、それを隠すために直剣を選んだ、と考えるべきだろう。
――ならば……。
「それどの口で言ってるワケ? アスタのとんでも解釈は常人にはわからないからね?」
呆れたように肩を竦めて、マイアはそんなことを言う。
酷い話だ。マイアのような奴にだけは、それを言われたくないね。
「なんで俺を常人の範疇から出すんだよ」
「その通りだからだけど」
そして。
やり取りは。
「それは姉貴がおかしいから常人の尺度が見えてないだけ」
「その言葉、そっくりそのまま返すんだけど」
「いや百歩譲って俺をおかしいとしても、姉貴がおかしくない側に入ろうとするのは絶対無理だから。ないから」
「なんだと」
「相対論で語るなら、俺より姉貴のほうがおかしいんだから当然だろ」
「本当、かわいくない弟だ」
「は――姉の影響だろ」
「未だにピトスちゃんに返事もしてないくせに」
「いやちょ、それはお前、向こうがいや待て、なんでそれ知って――」
「――今だァ!」
「今も何もねえわっ!!」
益体もない会話の応酬は、突然のマイアの動きによって終わりを迎える。
剣を手に、ただ前へと駆け出すだけの行動。
それは単純すぎるがゆえに予想外の反応だったが、その程度で虚を突かれるほど抜けた真似はしない。
――煙草に火を点け、応戦に移る。
正直、この段階でもうとっくに綱渡りだ。こちらの手の内を知られているがゆえに。
当然だろう。俺がどんな魔術師かを知っている人間は、まず真っ先に《煙草》を警戒する。
止めようとしてくるわけだ。
だからこそ煙草に着火するタイミングは考えなければならない。
向かってくるマイアに向けて煙草を振るった。
刻む文字は《防御》。防壁を張りながら、それを信頼せず後ろへ跳んだ。
直後、目の前で、ルーンによる防壁がバターのように斬り裂かれる。
――さすがの斬れ味、だな……!
口元が緩んだ。そのくらいならば当然にやってくるだろう。武器としての質には申し分ない。
俺はそのままマイアに背を向け、そのまままっすぐ駆け出していく。
「逃げる気……っ!?」
「悪いが、倒すことが目的じゃないんでな――っつって!」
一瞬で反転。《駿馬》を足に刻み、今度は一度に姉貴との距離を詰める。
そこは姉貴も反応した。だがすでに狙いは定まっている。
振るわれた剣を、強化した足で蹴り飛ばしたのだ。
もちろん斬れないように狙って。マイアの格闘能力程度なら、このくらいの曲芸を狙っていける。
だが、
「――甘いんじゃない?」
「づ――っ!?」
マイアの左腕に赤い光。
武器ではない。それは元素魔術による魔弾だ。
火炎が、こちらへ襲いかかった。
「くっ……そ!」
まさかそんな方法を選んでくるとは思っていなかった。元素魔術が使えるんかい。
いや、そりゃ使えるだろうが、まさか使ってくるとは思っていなかった。
「あ、っついな、くそっ……!」
転がりながら後ろへ逃げる。
当然、その間にもルーンを刻んでおくことは忘れない。
こちらは煙さえあればほぼ無限だ。いちいち創り出さなければならないマイアとはそこが違う。
《水》で相殺。
少なくとも、元素魔術一本で俺を追い詰めるのは不可能だ。
俺は、もうその場所の最高位を知っている。
がつん、と石畳に飛んでいったマイアの剣が突き刺さった。
同時にルーンを起動する。
発動した文字は《氷》。
追撃を封じるために足下を狙った氷が、けれどマイアに簡単に踏み潰される。
とはいえ足をその場に止めることには成功した。
受け身を取りながら俺は立ち上がる。
マイアは、その場に立っていた。こちらを、どこか悲しげな瞳で見据えながら。
「ねえ。舐めてるの?」
「……あ?」
「ルーンは単発。攻撃も肉弾。本気で戦ってるようには見えないけど」
一瞬の間。すぐに俺は答える。
「……、そういう姉貴こそ、らしくない戦い方してるみたいだが」
「私はそうでもないけど。――でも、アスタは本当だよね? 余力を残そうとして戦ってる」
「…………」
「まあ、そうだよね。当たり前に考えればそうなる。私はアスタを殺さないし、アスタは私を抜いたあとも、さらに戦いが続くことは明白。初戦から全力を使い果たすわけにはいかない。そういうことでしょう?」
姉貴はわずかに顔を伏せた。
そして、俺は問い返す。
「だと、したら?」
「純粋に――ムカつくね」
放たれた言葉は感情論。
直後だった。
――周囲の世界が、決定的に変質する。
変化は、誰の目にでも顕著だろう。
空間が歪む。まるで、その場の支配者が誰であったのかを思い出すように。
それは概念的な《占有》の発露だった。
都市とは文明であり、文明とは人間の叡智の結晶だ。《創り出す》という行為の意味論的集大成。
ゆえにこそ、――文明は必ず生み出す者への恩恵であらねばならない。
マイア=プレイアスは人間だ。
人間である彼女は、誰よりもヒトの賢さを知っている。
きっと、彼女は誰より人類の可能性を信じている。
だからだろう。人が創り出したモノは、いつだってそんな彼女の味方をする。
――理由はひとつ。
彼女が、主人公であるからだ。
その全てを彼女は背負って立つ。
人の歴史を。
知恵を。
芸術を。
建築を。
あらゆる創造性を。
だからこそ、マイア=プレイアスは応援される人間なのだ。
そして、ひとたびそれが《攻撃》へ向けられるのなら。
俺が相対するは、歴史において築き上げられてきたあらゆる《武装》――その全てにほかならない。
刹那。
俺は、
――家に、殴られた。
「ぐ――ぅ、あ……っ!」
言葉通りだ。なんら比喩ではない。
家が、窓枠を吹き飛ばして俺を殴ったのである。まるでそれ自体が意思を持ったかの如く。
弾き飛ばされた俺は、そのまま問答無用で反対側の家まで吹き飛ばされた。
扉を突き破って家の仲間で吹き飛ばされる。
直後、置かれていた家具の全てがこちらに向かって飛んできた。
「――ぬぐ、おぉお……っ!」
必死で扉から外に転がり出る。――やられた。
この街そのものを、マイアは兵器へと作り替えたのだ。
建物も。路地も。看板も。外套も。軒先に棄てられたごみのひとつから、往時は賑わっていただろう壊れかけの露店、ベランダに置いてあった植木鉢、家具のひとつひとつ、――人類が発生させた全てが。
今やマイアの武器である。
いや、それは正確に言うなら、何も武器でなかったものを武器であるように変えたのではない。武器ではないものさえ、武器として使っている、という意味だ。
意味を変えたのではなく、意味を加えられている。
「――《人類権限・文明武装》――」
姉貴が告げる、魔術の名。マイア=プレイアスを伝説たらしめる、それは自己への歴史装填。
そんなことは俺だって知っていた。
マイアの真骨頂はそれだ。
だからこそ、それを出し抜くために策を練っていた。
だと、いうのに――。
「……この街を、一瞬で、だと……早すぎる」
この魔術は手間がかかる。だからこそ、ここまで絶対的な武装化はそうそうできないと踏んでいた。
しかも、よりにもよってオーステリア――魔術の都市だ。反発する魔力が、マイアの邪魔をするはずだった。
だが。それらは今や、俺に対して牙を剥く猛獣も同然となっている。
「バカだね、アスタ」
だがマイアは言った。それが当然であるとばかりに。
「この街は、もともと私が暮らしてた場所だよ?」
「……言ってくれるぜ、おい……!」
「舐めてたのはアスタのほう。こっちは元から全力だっての。――知ってるでしょう?」
そして。
辰砂の錬成師が。
「――世界は、私の遊び場だ」
その全霊を発揮した。
己が我を通すのが魔術師であるのなら、マイアはその最高峰。
なぜなら彼女は、人類の代表として文明に後押しを受けることができる。
人類クラスの傲慢。
それは彼女が主人公として、世界の敵を倒すという目的をこなすがゆえの代行権。
「俺を、世界の敵として認定させたな……!」
「……アスタの行動如何によっては、星が滅ぶかもしれない。主役権限の要請には充分だよ」
これより先、あらゆる文明はマイアに味方する。
あらゆることが都合よく運ぶように。
あらゆる目的を必ず達成できるように。
――それは言うなれば、主人候補正を受けるということ。
「だから世界は、私に味方してくれるんだよ」
次の瞬間、足元が崩れた。
突然、ぱっくりと口を開いたように路地が裂ける。そのまま落下した俺を、今度は閉じるように地面が挟んだ。
「ぐ、が……!?」
みしり、と体が軋んだ。
裂けた大地に挟まれたのだ。マイアが俺を殺す気なら、この一撃でもう死んでいる。
ただ動きを塞がれるだけで済んだのは、これが殺し合いではないからに過ぎない。
けれど、そんな事実は俺にとってなんの恩恵ももたらさない。
いや、むしろマイナスですらあるかもしれない。現にマイアは言った。
「……アスタの生存能力は知ってる。だけど、ね――だからこそ、私はもうひとつ知っている」
「て、め……」
「アスタは、殺そうとしなければ、負けるんだよ」
姉貴は、わかっていたとばかりに首を振る。
これで勝負が決したとでも、言わんばかりの様子で。
「で? アスタ、そこから抜け出せる? ――私は別に、そこにいてくれてもいいんだけど」
※
「ここまで、とは……聞いてねえんだけど、オイ、姉貴……!」
カタチが崩れていく。
否、それが創造である限り、その崩壊は再構成の前段階にほかならない。
街というひとつの文明の形が、今や姉貴という個人の武装として顕現している。
主人公である、とはそういうことだ。
星そのものから補正を受けているマイアは今、目の前の敵を滅ぼすことに完全特化している。
必ず望みを達成する者。
その可能性が絶対にゼロにはならない者。
マイア=プレイアスが持つ――それが《主人公特権》というモノだ。
「だが、どうやって……それは、そう簡単に発動できるもんじゃなかっただろ……」
「――それは、アスタが敵になったからだよ」
「何言って――」
「私の、じゃない。この星にとっての害として受理されているから」
椅子が、そのとき飛んできた。
言葉にすればそれだけのことである。そいつは俺の背後に突然飛んできて、椅子の足が俺の膝を裏から蹴ったのだ。
強制的に座らされる俺。その瞬間には椅子の肘置きがぴたっと俺の腕に貼りついて、身動きを取れなくする。それは椅子が座るものだから、というだけのごく単純な概念の発露。違いがあるとすれば単に、それが強制されていることだけだ。
今、ここには人を強制的に座らせて空を飛ぶ椅子がある。
壁の一部を腕のように変えて、生き物のように動く家がある。
突然ぱっくりと割れて、人を呑み込む道路がある。
様々な食事を生み出すテーブルがあるだろう。乗れば空を飛べるカーペットがあるだろう。ランプは意思を持ち歌うように明滅し、食器は人間のように踊り出す。戸棚は自ら開閉しリズムを刻み、扉と扉はまったく別々の箇所でも繋がっている。
それは、たとえるなら――お伽噺の世界のような。
こんなものは知らない。
俺は、姉貴がここまでだとは知らなかった。
敵対したことがないからだ。
「魔術師と魔女の違いを、知っているかな、アスタ?」
「何、を――」
「魔女はある概念に愛されている。そこからバックアップを受けることができる。そいつは祝福であると同時に呪いなんだ」
そいつは、たとえるなら月に愛された魔導師だったり。
あるいは空間を支配し、支配される魔法使いだったり。
そして、文明を遊び場として許され、人類を、その歴史を代表することのできる魔術師である。
「私が人類史の代表権限を担うには条件がいる――それは、世界の敵を倒すこと」
「……まさか、姉貴」
「アスタは星を救わずに、ひとりの女の子のために戦うんでしょう? それは素敵なことだけど――だけど、星にとってみれば敵にも等しい。その結果、この惑星が滅びるかもしれないのなら――」
マイア=プレイアスは錬金魔術師であり、魔女であり、人類の代表者であり、そして主人公である。
全ての条件が満たされたとき、マイア=プレイアスは己の能力を遥か超えた権能さえ発揮することができるのだ。
「それなら、――アスタは今から人類の敵だ」
俺を世界の敵として認定する。
ならば主人公は、それを倒すに値するバックアップを惑星から受けることができる。
今、この世界の全てをマイアは武装した。
英雄とは、いつだって公共の敵への対抗なのだ。
「私はね、この世界を滅ぼすわけにはいかないんだよ」
「……姉貴」
「だから覚悟して。これが、義姉にできる義弟への贈り物だから。この程度を超えられないようなら、どうせ行ったところで意味はないよ」
「無茶を、言って……くれるぜ」
――ああ。確かに俺は、舐めていた。
姉貴の覚悟を理解していなかった。
彼女は本気だ。俺を殺すことができないからといって、それが敵でないこととどう結びつくだろう。
いや。それとも俺のほうが、勝手に敵に回ったというべきなのか。
いずれにせよ――。
「わかりやすく、もう一度言うよ」
姉貴はただ立っている。
それだけでいい。無手だからと言って、武装していないわけではないのだから。
「主人公っていうのはね、いつだって敵を倒すためにいる。この惑星が自らを守るためにアスタを呼んだよう、私もまたこの世界を守るための権限を取得している。その敵を、倒すことと引き換えに」
人を守る者。
人に害為すものを倒す者。
英雄。
ゆえに彼女は人の叡智を武器にする。戦うためには武器が必要で、人はそれを創り出すという能力を持つ。
それが歴史で、それが文明だ。
長く人類が築き上げてきた叡知の結晶なのだ。
その到達点が、マイア=プレイアスという一個人だとするのなら――。
「怪我する前に諦めたほうが、私はいいと思うけどな」
世界最強の錬金魔術師。
伝説の魔術師。七星旅団団長。
マイア=プレイアスは、初めて俺の敵となった。




