EX-6『アスタとメロの六年目3』
――実際のところ。
俺は当然、自分の能力に相応の自負がある。少なくとも職業冒険者としての評価は、客観的に見て低くないはずだ。
称賛を受ければ嬉しいと思うし、一目置かれれば責任感も付随する。嫉妬を受けることも、自分が相手より上にいる証明と思えば悪くない気分だ。
直接的な戦闘技能より、迷宮探査や味方補助に徹した能力を選択したことも正解だったと理解している。
だが、そんなものは結局、《ルーン魔術》を専門にする魔術師がほぼいないからに等しい。
魔術の質的に高度なルーンは、成立させるだけで大きな効果を発揮した。俺は文字を書いているだけでも、魔術的には勝手に高度になると言えばいいだろうか。
要するに、ほかの人間には使えない反則が、たまたまルーンに特化していたから使えているに過ぎないわけだ。
それを悪いとは思わない。誰に憚ることもないし、それも能力の一種である。
また俺の汎用性は、結局のところ規模/量との取捨選択でもあった。魔術の大きさでは逆立ちしてもメロに敵わない。
しかもメロは、それを自分の身に着けた技術として扱っている。
それが才能による暴力だとしても、だ。
言うなら、書けば魔術が勝手に発動するルーンの仕様上、自分が魔術を発動しているという意識が希薄なのだろう。
これは俺の、どうしようもない劣等感だ。
まして、それをメロのような《本物》に持て囃されても困るだけである。
わかりきっていることだ。
俺の才能では、どう足掻いても及ばない領域というものがある。
そしてメロ=メテオヴェルヌは。
あるいは俺以外の七星旅団の連中は。
その領域へ、足を踏み込んでいる者たちなのだから。
※
「しかし、空……空か。……空ねえ?」
「なんつーか。ぶっちゃけ論、どうにもならねえよな、これ」
リグのねぐらをあとにして少し。
通りに出た俺は、青い空を見上げて呟くリグに頷きを返していた。
上空には特に何も見えない。ただ快晴が広がっているだけだ。
そのどこかに、探し人がいることは間違いない。だがどこにという話であって。
正直、俺は困惑していた。それはリグも変わらない。
俺の探査結果が間違っていたのではないか。そう思うほうがむしろ自然と思えるほど、王都の空は普通だった。
「……対象は、なんだ。移動してるのか?」
リグに問われる。俺は少しだけ考え込んでから答えた。
「どう、だろうな……少なくとも空を飛び回ってる、みたいな動き方はしてねえ」
まあ飛行魔術なんて使われていたら、かなりのお手上げ案件だが。
「……というと?」
「動きが小さすぎたら、さすがに俺もわかんねえってことだ」
「なんだ。お前のことだから、一歩横にずれるだけでも判別つくとか言うかと思ったぜ」
「空で一歩動く、って言葉の意味もわかんねえけどな」
空を歩くなどやめてほしいって話だ。
いや、まあそもそも歩いている影も見えないわけだが。
「……それ、あってんじゃない?」
「ん? ――どういうことだ?」
メロのふとした呟きに、考えるのをやめて視線を投げた。
言葉の意味はぱっとわからなかったが、メロの直感は無視できない。
時に理屈さえ超えて、彼女は正解に辿り着く。
「ん……いや別に、なんか思いついたってわけじゃないんだけど」
「役に立つって話だったしな。聞かせてくれ」
軽く笑ってリグが言う。メロはニヤリと笑って、
「アスタはさ。要はこの街の上空にいるって突き止めたわけでしょ?」
「ん、ああ……まあ、そうだな。……それが?」
「それってさあ、どういう状態でいると思ってるわけ?」
「どういう、状態……?」
言葉の意味がいまいち掴めず、俺は首を傾げた。
「だからさ。えーと、なんだろ……たとえば飛んでると思ってるわけ?」
「それは考えにくいだろう」
これはリグが答えた。軽く首を振って、考えを告げる。
「そりゃ、言っちまえば《王都の上空にいる》っつー時点でかなり意味不明だがよ。あー、なんだ。かといって、飛行魔術なんて反則持ち出すのはよりあり得ねえ……と、俺は思うぜ」
「……そうだな。そこは俺も同感だ」
リグの考えに首肯を返す。
飛行魔術は、その制御の難易度から実質的に不可能とされている。処理しなければならない乱数が多すぎるのだ。
うん。となれば、《空を飛んでいる》という可能性は、ひとまず消してしまっていいだろう。
もちろん、ほかになければ再び浮上する可能性でもあるのだが……。
「飛んでるわけじゃない。じゃあ、だとしたらどうしてると思う?」
「どうって」
「立ってると思う? 寝てると思う? それとも逆立ちとか? それはそれで面白いっちゃ面白けどさ」
「……ああ、なるほどな」
ようやくメロが言いたいことに得心できた。
なるほど確かに、考えてみれば当たり前の可能性ではあったか。
「――足場があるって言いたいわけだな」
俺が言うと、メロは満面の笑みで指を鳴らした。
「そうっ! つけ加えるなら、目に見えない足場ってことになるね」
「なるほど……確かにな」
リグも目を見開きつつ同意した。
これは、メロが役立ったと見ていいだろう。
「浮いているわけじゃないなら、必ずどこかに足はつけているはずだ。何も見えないせいで思いつかなかったが――」
「どういう理屈かはわからないけどね。この空のどこかに、なんかしら立てる場所がある、のかもしれない」
「……へえ」
ニヤリと笑うリグ。彼の中でのメロの評価が、どうやら少し上方修正されたようだ。
「なんだ。《天災》の逸話はいくつか聞き及んじゃいたが、聞いてたよりは頭が回るじゃねえの」
「それってあたしのこと、バカだと思ってたって意味? 普通にムカつくんだけどー」
むっとした様子で頬を膨らませるメロ。
だが、言葉の割にはずいぶん気安い表情で、そこまで気分を害してもいなかった。
……やっぱ、なんだ。このふたり、やけに相性いいよな?
今の発言、言う相手によってはメロなら問答無用で敵認定もあったはず。どういう基準なんだろう。
「そういう意味じゃねえけどな。勘違いさせたなら悪かった」
「本当だよ。ていうか、今んとこいちばん役に立ってないのリグだからね?」
「手厳しいな……言い返せないが。いや、こんなに手に余る依頼だとは思ってなかったのが正味なところだ」
「……ま、空にいますなんて言われても困るか、そりゃ。アスタいなきゃわかんないよね」
再び上空を見上げてみる。足場も人影も、そこにはまったく見えなかった。
せっかくメロが推理してくれたんだ。魔術理論に沿って、ここは考えてみるとしよう。
「さっきの探査結果によると、それなりの高度があるのは間違いない」
「そんなに高いの?」
メロの問いに、俺は首を横に振る。
「少なくとも、肉眼で見えないほどじゃないはずだけど」
魔力で視力を強化している。たとえ人間ひとり分の小ささでも、まったく見えないってことはなかろう。
まあ辺りの建物とか中央の城で陰になっている部分はもちろん確認できないが、そもそも普通に見えている場合、この街に住む人間の誰ひとりとして気づかない――ということはないように思う。
ならば蓋然性が高い可能性は。
「見ないってことは当然、そういう対処が取られているってことだ」
「妥当だろうな」と、リグも同意した。「透明化、認識阻害、幻術……可能性としちゃその辺りか。王都の上に何かしらあるんだとしたら問題だし、見つからないようにはしておくだろう、当然」
「……ひとりだと思うか?」
「思わないな」
「ないだろうねえ」
リグもメロも即答。俺も同感だ。
「そのなんとかさん……名前なんだっけ?」
こういう部分は忘れるメロ。リグが教えた。
「アマーキー。マオ=アマーキーだ」
「それ。そのマオって人が空にいるとして、自分から行ったか連行されたのかはしらないけど、どっちにしても目的の人間とかがいるんじゃないのかな。あるいはヒトじゃなくてモノかもだけど、その辺はあたしもわかんねーや」
「つか、ひとりで空にいるくらいなら別に問題ないっちゃないからな。すげえとは思うが」
「もともと騎士団所属だったんだろ? なら自分から悪事に手を染めてる可能性は考えなくていいかね」
「たぶんな。だとしたら、何かの事件に巻き込まれたか、あるいはひとりで追っているか……」
「……捕らえられてる、とか?」
「その可能性は、低くはなさそうだ。――ち、考えるにつけ厄介だぜ、これは」
毒づくリグ。気持ちはわかる。
ただの人捜しとは、もはや考えにくい状況だった。
「んー……もう少し調べられたらよかったんだけどな。なんか、阻害されてる感じがするんだよ。王都の敷地内だから悪いってことかね」
「……阻害されてる感じ?」
ふとした俺の呟きに、リグが目を細めて問い返してきた。
俺は頷き、さきほどの感覚を説明する。
「上手く言えねえんだけど、なんか壁というか、膜というか……魔力の流れを堰き止めるような違和感があってな」
「……それがなけりゃ、さっき言ったこともできたんじゃねえの、お前?」
「……答えないでおこう」
「答えたも同然じゃねえかよ、ったく。――仕方ない、ここはもう実際に見てみるのが早えな」
言うなりリグは、ローブの中に手を入れて、懐から何かを取り出す。
それは鎖が繋がっている、金色をした円形の何かだ。中央はレンズになっている。
「……片眼鏡? 魔具か」
「ああ。あんまり見せびらかしたいもんじゃねえんだが、役立たずと言われっ放しなのも問題だからな」
軽く呟くリグ。メロはそれに反応して、薄く笑った。
「ふうん……隠蔽看破とか、そういう効果かな。かなり高位の魔具だね。迷宮産と見た」
「正解だ。ったく、噂じゃ《天災》は脳筋のバトルジャンキーだっつー話だったんだがなあ。どこかだよ、実に厄介だぜ、本当によ」
メロがただの力に溺れたバカなら、もっとずっと与しやすかったし、何より七星旅団になど入っていないだろう。
そしてリグもきっと、そんなことは察していただろう。
その上で、おそらくは切り札のひとつであると思しき魔具を取り出したのは、彼なりの信頼の証か。
「よく持ってるね、そんなもの。売れば一財産だし、買おうと思ったらあたしでも手が出ない気がするなあ」
「正確な効果も知らねえのに適当言うぜ。そんな目利きができんのか、お前?」
「あっはは。教授やマイ姉でもなし、さすがに無理だけど。でも、わかるってもんでしょ……ふうん」
ちら、とメロがこちらを見る。視線を向けられた俺はリグを見て、リグは何も言わなかった。
ならいいんだろう。俺はメロに告げる。
「リグはまあ、いわゆる《魔具使い》ってヤツだ」
「なるほど。まあ、これだけのモノ持ってんなら妥当な評価だけど……それだけ?」
「さあな。リグがいくつ魔具を持ってるのかなんて俺も知らん。だがその全てが迷宮産の凶悪な逸品だ」
そう。凶悪――という表現も、あながち的を外してはいないだろう。
深い迷宮から出土するタイプの魔具は、多くが一品物で、代替の利かない強力な効果を持っている。中には現代では再現不可能な《喪失魔術》を再演する品もあり――リグは、その強力な魔具を複数持っている。
彼自身の魔術の腕前は、そこまで大したものではない。
その意味ではおそらく俺にいちばん近い。
メロや教授、セルエのような技量は持っていないし、マイアやシグ、キュオのような一点特化型にも及ばない。
俺と同じ――外付けのモノで戦力を補っているタイプの魔術師だと言えた。
本来、モノに対する執着を持たない森精種の中じゃ、異端も異端な《蒐集家》。
どこから手に入れたのか、あり得ないほど強力な魔具で戦力を埋める《魔具使い》にして――。
「――世界でも数少ない、《喪失魔術の再演者》。それがリグだ」
魔術では再現できない太古の強力な魔術。彼は魔具を使ってそれを操る。
結果的に、リグは装備の機能で強力な魔術師になっていた。
「……なるほど。やっぱアスタの友達は、変な人しかいないわけだ」
「その評価は釈然としないけども」
まあここにいるのも《即興魔術師》に《印刻使い》だからな。
あながち間違っちゃいないと思うが。が、思いたくないんだよ俺は。
「――おい」
と、そこでリグが言った。
片眼鏡を外し、彼はこちらを振り返る。
と同時にその魔具を俺に手渡した。
「どした……なんか見つけた?」
「見てみろ。そうすりゃわかるから」
「お、おう……」
言われるがままに俺は片眼鏡をつける。
そして空を見上げた。
「――――――――――――――――」
絶句した。
「あたしも! あたしも見たいー!」
「わーっかってるよ! 次に貸してやるから待っとけ!」
騒ぐメロと、それを抑えるリグ。だがその会話も、耳に届けど脳が弾く。
上空に浮かぶ光景。それがあまりに理解を超えていたからだ。
いやはや。俺もこの世界に来て驚くことは少なくなってきたつもりだったが。
世界にはまだまだ、想像や常識を超えたものが多く残っているらしい。
王都上空。高くそびえる城の、さらに上。
――そこには、宙に浮かぶ巨大な城が存在していた。
アスタ「地球にいた頃、映画で見た気がするぜ……」




