5-49『エピローグ/オーステリア事変結果報告』
「――終わったようだね」
と、彼女は言った。
女性は今、オーステリアの外門を越えた先の平野になっている。
視界の遥か遠くでは今し方、最強の神獣が七星旅団によって狩られたところだった。
さすがは伝説、と言えばいいのか。
「いや。あるいは新しい伝説を創り出したと、そう表するべきかな? いずれにせよおめでとう――この戦いは、確かに君の勝ちだ。アスタ=プレイアス」
――そして君たちのね、と。
女性は街を振り返って薄く微笑んだ。
まるで、その先にいる全ての人間の勝利を称えるように。
「歴史は分岐した。ここが決定的な分水嶺だ。この段階で、この街にいた全ての人間が救われることが確定している、ってわけだね。確かな恩返しになったと思うよ、うん。だから、次はこの世界そのものだね――その先のことは、もう知ったことではないけれど」
なぜなら女性にとって、世界などという枠組みは初めからどうでもいいものだった。
いや、というよりそんな認識を――世界観を彼女は持っていない。
彼女にとって、これまで存在した世界とはすなわち《自分自身》だったのだから。
「義理は果たしただろう、《日輪》? うん、貴方のことだから、たぶん聞いているだろうと思っての言葉だ。何、《月輪》さえ残っていれば戦力には充分すぎるさ。魔人にすらなっていない私は、だからここでリタイアさせてもらうよ。何、ひとり勝ちでも構わないだろう? それに、どうせ――」
女性はそこで一度だけ言葉を切った。
それから首を振り、改めて彼女はこう告げる。
独り言ではないかのように。
「――貴方にとっては、初めからどちらでもよかったことなのだから。どんな未来も、どんな可能性も、どんな運命も――全て貴方の掌の上だろう?」
答えはない。
そのことを女性は知っていたし、だから返答なんてそもそも必要としていない。
それでも言葉に変えたのは、単に彼女の言う通り、最低限の義理だったということだろう。
そして、果たし終えた以上はもう、この街に留まる理由はない。
「期待外れだと、そう落胆するところだったけどね。あの評価は訂正しよう――彼女たちは、充分すぎるほどに期待通りだった。期待以上だったと言ってもいい。そのことには、ちゃんと礼を言っておきたいところだけれど。はは、たぶん彼女たちは受け取ってくれないからね? いやはや、気づかれたらどうしようかと思ったけど――うん。四十九なんて数字に、意味なんてまるでなかったってのにね。よくも悪くも、彼女たちには彼が影響しているなあ」
結局、女性の目的は初めからそれだけだった。
七曜教団という箱を、彼女は最初からそのためだけに利用した。
主人格を殺し、その権限を乗っ取り、そして最後には。
「――ありがとう。ほかの私を全て滅ぼしてくれて」
そう言って、《水星》ドラルウァ=マークリウスは。
その、ただひとり戦いに加わっていなかった五十番目の人格は。
ほかの全ての人格と訣別して、オーステリアを去っていく。
隠れ潜んでいたのだ。
彼女だけが何もしていなかった。戦いに参加すらしていなかった。
だから、あの場で滅ぼされることもなかった。
彼女の目的など、初めからそれだけだった。
彼女だけが、ただひとり、全ての水星の中で自己を確立していたのだから。
彼女は水星にとって初めての別人格だった。二番目に生まれた、いちばん最初の副人格。だが彼女が、その境遇に満足することはなかったのだ。
従順ではなかった。だから魔競祭という場を使って主人格を殺した――全てを自分として支配しようとする主人格に、もうついてはいけなかったからだ。彼女は自分を裏切った。
自分だけだったくせに《日輪》に心酔し、自分を喪った彼女に未来などなかったから。
だから乗っ取り、受け継いだ他の人格もこうして全て滅ぼしてもらった。彼女は生まれて初めて、ようやく――群ではない個を確立したのだ。
「さて、これからどうしようか。とりあえず、しばらくは冒険者でもやってみようかな。自分自身でやりたいことって、あんまり見つけていなかったし、うん。あるいは顔と名前を変えて《魔導師》の認定を受けてみるのも悪くはない。未来は広いね――まあ、それも世界がどうなるか次第なんだけどさ。最悪の場合は、彼らの世界にでも逃げ込んでみるのも悪くないが――ああ、楽しみだ。楽しいな。自分ひとりで、全てを決められるという状況は……とても、とてもいいものだ」
そうして、《水星》は。
いや、その名と地位を捨て、ひとりの人間に戻ったドラルウァ=マークリウスただひとつの生き残りは。
ひっそりとオーステリアの街を去っていく。
もう戻ってくることはあるまい。変身と変心を自在に使う彼女は、自分を騙してでも完全に隠れきってみせるだろう。本気で隠れた彼女を捜し出すのは、それこそ《魔法使い》でもなければ不可能に近い。
「ああ――」
彼女は未来への期待に胸を膨らませて。
恍惚と、喜びに満ち荒れた、万感の思いで呟いた。
「――ようやく、私はひとりになれた――」
以降、公的な歴史の記録において、変身魔術師ドラルウァ=マークリウスが姿を現すことは二度とない。オーステリア事変において完全に死亡したものとして扱われるからだ。
世界の行く末も、教団と旅団との抗争にも興味はなく。
ただ《ひとりになること》だけを目的として、そのためだけに教団に協力した彼女は。
唯一、勝ち逃げを達成し、表舞台から姿を消したのだった。
※
「――で、そろそろ降ろしてほしいんだけど?」
「ええ。いいじゃん別にー。なんかこれ割と楽しいしさー」
「何がだよ……」
「なんでもだよー。へへ」
何が気に入ったのか、なかなか俺を降ろそうとしてないメロをなんとか言い含めて、久々に地面と再会する。
なんだか、メロは少し子どもっぽくなったような気がしていた。
それは戻ったというか、あるいは直ったというか。むしろこれまでが大人びていすぎたのかもしれない。
いや、《天災》なんて二つ名をつけられちゃう奴を大人びていると称するのも、割とアレではあるのだけれど。なんだろう、子どもっぽさの質が少し変わったというか。
「マイ姉、久し振り――っ!!」
「メロ――! 元気だったか――っ!!」
勢い切って姉貴の胸に飛び込んでいく姿は、まあ、年相応ではあるのかもしれない。
それを当たり前みたいに受け入れて抱き締める姉貴のほうが、むしろ子どもっぽいような気はしたが。
とはいえ、元気がいいのはいいことだ。暗く陰鬱に沈んでいるよりは。
この結果を最善と呼べるのかどうかなど俺にはわからない。
けれど、あり得たかもしれない可能性になんて、縋る必要はないのだから。
歩くことを決めたということは、歩いた道に後悔をしないと決めることを言うのだと思う。
もちろん現実には、悔んだり、失敗することだってあるだろう。生きている以上、きっとそれはゼロにはできないことだ。
だけど、選んだことは悔やまないと決めた。悔やむような道は歩かないと、決めている。
なら、これでいい。自分のやったことは否定しない。
ひとりでは歩けない俺だからこそ。俺の歩いた道はきっと、誰かが背中を押してくれた道なのだから。それを否定することは、俺の選択を押してくれた誰かを否定することになる。
「ま、その分、終わりは見えないわけだけどな……」
大変なのはむしろこれから。超えるべきハードルはいくつも残っている。
だけどまあ、きっと俺たちなら、それも乗り越えられるだろうと。
そう信じることにする。だって俺たちは、これでも伝説の七星旅団なのだから。
「つーわけだ、マイア。いろいろ、キリキリ吐いてもらうぜ?」
メロと再会を喜び合う姉貴に水を差して言う。
空気ならもう充分に読んだ、と思う。
「それはいいけど」と、マイアはそこでまっすぐ俺を見て、言った。「その前に、ほかにやらなきゃいけないこと、あるんじゃない?」
「あ? 今やらなきゃいけないことなんて別に――」
「だって、ほら」
マイアはなぜか、街のほうを指差して言った。
そちらに釣られて視線を向けた俺に、軽くひと言。
「――友達、来てるよ?」
「友達……って」
――なぜ俺は。
この、なんでもない言葉に。
どうしようもない悪寒を感じてしまうのか。
その答えとなる声が俺に届いた。
「あ、ほらっ! だから心配ないって言ったじゃないですか!」
「いやだって、……私だって別に大丈夫とは思ってたけど……っ!」
「ヤバいから助けにいなきゃ、って先に言ったのフェオさんのほうでしょう!?」
「それ聞いて先に走り出したのはピトスだったじゃん!!」
「いやアイリスちゃんのほうが早かったですよ!」
「ん!」
「自分が最初だという自己アピールをされたよ!?」
――うーわーあ。
なんだろう。なんか、ちょっとだけ懐かしい。
別れてからまだ数日だというのに。
「アースーターく――んっ!!」
ピトスが。フェオが。アイリスが。
手を振ってこちらに駆け寄ってくる姿が見えていた。
まあ、あれだけの戦いだったわけだし。気づかれていないわけがない。ていうかあの黒竜の図体なら、外壁越しに普通に見えていただろう。
手を振り返して答える俺に、真っ先に駆け寄ってきたのがアイリスだった。
「アスタ、おつ……かれ!」
「おう」俺はその頭を軽く撫でて笑う。「アイリスも。ありがとな、俺の友達を助けに行ってくれて」
クロノスに伝えられた地脈移動魔術でこの街に戻った際、街が滅茶苦茶ヤバいことになっているのはすぐ知れた。俺とシャルとアイリスは、手分けしてそれぞれの救援に向かったのだ。
どこもきちんと守りきれたことは、ちゃんと伝わってきていた。
「ん。がんばっ……た」
「偉いぞー!」
「きゃー」
褒められて嬉しそうにはにかむアイリス。ヤダこの義妹めっちゃかわいい。
家族もやたら増えたものだったけど。アイリスが断トツでいちばんかわいくない? どうしようね、もう。お嫁にやりたくない。
ひとしきりアイリスをわやくちゃにしたところで、少女はぽつっと呟く。
「あ。マイアだ」
「ひーさーしーぶーりー! アイリス! って名前になったんだよねー! かーわーいーいーよーう! 持って帰りたいーっ!」
「きゃー」
アイリスがマイアに連れ去られて行ってしまう。
まあどちらも嬉しそうだったので、これはこれでいいだろう。そもそもアイリスを助け出してきたのはマイアなのだから、野暮な邪魔はしたくない。
あげないけど。
絶対あげないけど。
今はそれより、続けて駆け寄ってきたふたりに声をかけるべきだろう。このふたりが、どれほど俺の助けになってくれたことか。
「よ。――なんか久し振り」
そう言って声をかけた俺に、だがふたりが返したのは無言だった。
……おかしいな。何か間違っただろうか。
ピトスも、フェオも、なんかものすごいあり得ないものを見る目をしている気がする。
「……もうなんか呆れてものも言えないや」
フェオが言って、ピトスが答える。
「ですね。えー。いや、これどうしますかフェオさん?」
「あー。私が先でもいい? もう正直、ちょっと我慢できないんだけど」
「いいですよ。代わりにトドメはもらいますから」
「なんの話してんの!?」
思わずツッコミを入れる俺。話の流れが物騒すぎる。
だが、そんな俺に返ってきたのは容赦ないフェオの叫び声で。
「うるさいっ! このっ、こっちがどれだけ、本当に……もうっ!!」
「いや、な、ちょ」
「――黙れ! そして歯を食い縛れ! そして喰らえ――ッ!!」
止める間なかった。
鳩尾に、強烈なボディーブローを喰らって思わず俺は蹲る。
「お、……や、ちょ……容赦、な……っ」
息が、できない……。
なぜこんな目に遭わされる……。
「うるさいうるさいっ! どれだけ心配したと思って……っ! しかも、しかも……ばか!」
「……あー。いや、それを言われると立つ瀬ないけど……まあ結果オーライみたいなとこあると思うんでもう少し手加減してもらっても……」
「したし!」
「してこれかー……」
なんだろうな。怒って平手打ちとかならまだわかるのに、拳! 内臓! ブロァ!! みたいな流れが当たり前だと身がもたないんですけど文字通り。
ていうかフェオさん、ちょっとピトスさんに悪影響を受けすぎなのでは……。
だが、フェオが明らかに涙声なのは聞いていてわかる。さすがに、その意味が理解できないほどバカではない。だから頭も上げられなかった。
そんな俺に、けれど優しい声をかけたのは意外な人物で。
「――顔を上げてください、アスタくん」
このとき俺が受けた衝撃はなかなか言葉にできない。
だって、あのピトスが。悪鬼羅刹も裸足で逃げ出そうという微笑みの悪魔が!
こんな風に俺に気を遣ってくれることがあるだなんて……。
俺は感動しながら、蹲ったまま頭を上げた。
「……ピト、ス――さ……え?」
そして騙されたことに気がついた。
「なんですか、アスタくん?」
「ピトス、さん?」
「嫌ですねえ。二回言わなくても聞こえてますよ?」
「……なぜ、そんなにも高く片足を上げていらっしゃるのですか?」
まるでこれから強く地面を踏みしめますとでも主張せんばかりに。
いやあ、さすが身体が柔らかいなあ。
現実逃避しながら俺は笑う。冷や汗で背中が湿ってきたような気がする。
ピトスは、花咲くように可憐な満面の笑みで答える。
――わあ怖い。
「ええ? 嫌ですね。お疲れのアスタくんを癒してあげようとしてるんですよ?」
「その言葉と片足を上げる行為が繋がる気がしない!」
「パンツ見せてあげてるのに。わたし今、スカート全開ですよ?」
「無理! 見えない! 踵の辺りにしか視線が向かない!!」
「踵フェチとか斬新ですね」
「そういう意味じゃないんですけど!?」
「きゃーえっちー」
「どこをどう見たらそうなる!?」
「……少なくとも、踵を見てると危ないと思いますけど? 当たりますよ、顔面に」
俺は無言で頭を下げた。
もう体勢がほぼ土下座だった。
「踏みやすい位置まで頭を下げるとは殊勝ですね、アスタくん」
「すみませんでした……」
「謝られる意味がまったくわかりませんねー。なぜ謝っているんですかー?」
「えー……それは。えー……連絡しなかったから、とか……」
「まあ」
ものすっごい柔らかな口調でピトスは「まあ」と言った。
もう俺ちょっと泣きそう。
何がキツいって、この様子を現在進行形でアイリスや七星の仲間に見られてる辺りが……!
「そうじゃないですよねえ……?」
ピトスの足が、俺の頭をゆっくりと踏んだ。
触れるか触れないかという程度の強さ。踏み締められなかったことを喜ぶべきなのかもしれないが、こっちのほうが精神的ダメージは大きかった。つらすぎる。
「わたしは、なぜ、腕がなくなってんだって話をしたいんですけれど……?」
「……あ」
「あ、って……アスタくん。まさか」
「忘れて――だッ!?」
やっぱり踏まれた。
舌を噛むかと思った。
「なんで! そうやって! 自分のことにとことん無頓着ですかねアスタくんは!」
「いや、だってそれどころじゃなかったし……」
「だいたい腕! 何!? なんですか! いったいどこに置いてきたんですかっ!!」
「えーと。ストーカーにプレゼントしてきた、みたいな……」
「わたしという女がありながらほかの奴に渡してきたと言いますか!?」
「いろいろと釈然としないけどまず相手、男!」
「そういうことじゃありませんっ!」
「そういうことじゃないんだ!?」
「アスタくんはわたしのものなんですから、身体の一部を勝手になくすとかあり得ません! 寄越すならわたしに寄越しなさい!」
「何言ってんだお前ェ!?」
「とにかくっ!!」
ピトスの足が俺の頭から外れる。
顔を上げた俺に視界に飛び込んだ彼女の表情は、やはりその目に涙を浮かべていて。
こいつも、フェオと同じだったようだ。ただ堪えているだけで。
……なんも言えんわな。俺が悪い。
「――とにかく、お疲れ様でした」
と、ピトスは俺の目の前に屈み込み、その頭を優しく抱きかかえた。
さっきまで踏んでたくせに、とは言えない。言わない。
「こんなにぼろぼろになって……本当にバカですね、アスタくんは」
「ん。まあ、なんだ。悪かったよ」
「治療しましょう。早く街まで戻りますよ」
「……悪いな。ありがとう」
「主治医ですからね! 言うことまったく聞きませんけど」
これまで忘れていた疲れが、どっと戻ってくる。
なんだか気が抜けてしまったようだ。
ピトスに身体を預けていると、フェオが小さく呟くように言った。
「……あざとい」
「うるさいですね! いいじゃないですか!」
「ずるい」
「は! 役者が違うってもん――危なっ!? 今マジで狙って殴りましたね!?」
「――ふんっ!」
ピトスの身体が離れて、変わるようにフェオが俺を抱き締めた。
え、何これ。何これめっちゃ恥ずかしい。
「アスタ!」
俺の腕を引いてフェオが叫ぶ。
「何!?」
「私がんばった!」
「え、あ、おう……そりゃな。そりゃもちろん。ありがとな、フェオも」
「足んない」
「へ?」
「もっと褒めろ」
「は?」
「私も褒めてくれなきゃ、やだ」
「やだ、て……」
「みんなばっかずるい。頭撫でろ」
「あの。えー……いや別にいいけども、腕一本しかないんで抱えられてるとちょっと……」
「離した」
「さっきからなんで片言!?」
とはいえ、フェオの妙な剣幕に押されたまま、俺はフェオの頭を撫でる。
なんなんださっきから、この公開処刑は。フェオはちょっとピトスに毒されすぎだろう。
フェオは俯き、顔を耳まで真っ赤にして何かを堪えている。
ねえ、こいつ嫌がってないですかね? そんなに恥ずかしいなら言うなやオイ。
「どっちがあざといっちゅーねん……こういうトコ、ほんと、油断も隙も……この女」
なんかピトスが呻いているが。このふたり、やけに仲よくなったなあ。
……あー。まあ、ピトスにしてもらった告白の返事、まだしてないわけであって。
なんだかまるでクズ男みたいじゃないですか俺。そんなつもりないんだけど。
「と、とにかく戻ろうぜ! 街の様子も気にかかるし! な!?」
誤魔化すように俺は言った。
返事をするにしても、さすがにこの場でというのはちょっと。
だから俺は背後を振り返って告げる。そこには、
「…………………………………………」
全員が、揃って「うわ……っ」みたいな顔をした仲間たちの姿だった。
アイリスだけがきょんと首を傾げている。もうこの子だけが俺の救いです。かわいい。
……恥ずかしい。
「――死ねばいいのに、ばーか」
「お前のその雑な罵倒が今日いちばん胸に効いたわ、メロ……」
「ば――――かっ!」
ともあれ、そんな感じで。
俺たちはオーステリアの街へと戻るのだった。
※
その後は、まあ、街はいろいろと忙しいようだった。
被害報告や事後処理で、管理局も学院もてんやわんやになっている。
その辺りに、ただ俺はほとんど関わっていない。するべきことも特になかったし、そもそも怪我人ということで治療を優先された。
「――こんな状態で歩き回ってるとか頭おかしいんじゃないですか?」
というお医者さんの言葉に従って、半ば寝台に軟禁されているに等しい形だ。
外がどうなっているのかは、だから詳しいところは聞いていない。
被害は大変なことになっているだろう。少なくとも経済や生活の面で、街は大打撃を喰らっている。犠牲者だって、おそらくゼロというわけにはいかなかったはずだ。
そんな中で、俺ひとりがこうして寝ているというのはいささか気が咎めたが。
「いいから寝てなさいよ、お義兄ちゃんは」
枕元にシャルがいては抜け出すこともできなかった。
「別に見張ってなくても逃げたりしねーよ……」
俺が動かないよう、見張りとして宛がわれたのが彼女だったということになる。
見舞いに来てくれたところを、体よくピトスに使われたとも言えた。希少な治癒魔術師である彼女は、さすがにこの状況で俺につきっきりというわけにはいかない。
「私も逃げるとは思ってないけど」シャルは部屋の隅の椅子に腰かけたままで呟く。「仕方ないでしょ、頼まれたんだから」
「……お前だって疲れてるだろーに」
「私は人造人間だし。その辺りはどうとでもね」
「…………」
「信用されてないお義兄ちゃんが悪いんじゃないの」
「ち。そうかよ」
小さく舌打ったが、シャルが自身の境遇を肯定的に捉えられているなら、まあいいことだろうと思った。
「何笑ってんの。むかつくんだけど、お義兄ちゃん」
「お義兄ちゃんに向かって口の利き方が雑じゃないかな、シャルちゃん」
「それはそれでこれはこれでしょう。この女たらし」
「人聞きが悪いことを言うなや!」
「……ピトスは重いよ?」
「この上ないほどに知ってるわ。あいつの治療ほぼ拷問だったもの」
「ま、義妹としては、モテないお義兄ちゃんよりモテるお義兄ちゃんのほうがいいかな。ね、アイリス?」
「んー」と、シャルの膝にちょこんと座っているアイリスが答える。「でも、アスタはちゃんと答えなきゃダメ、だよ?」
「あははははははははははっ! 義妹に言われてる――っ!!」
「何笑ってんの……むかつくんだけど、義妹二号……」
「あーもー、アイリスはかわいいなあ……!」
「よーしよーし」
膝の上のアイリスに撫でられているシャルちゃんであった。
どっちが義姉かわかったもんじゃないな。さすがは天性のぼっちである。
とはいえそれは言わず、代わりに俺は別のことをシャルに訊ねた。
暇だから、外の話を聞いておきたいと思ったのだ。
「――で、どんなもんよ。復興のほどは」
「順調なんじゃないの、そっちは」シャルは言う。「詳しいことは街の有力者同士の話になるから、私もよくは知らないけどさ。魔術師が戦って守った街を、復興させるのはまた別の役割のヒトがいるでしょ」
「適材適所、だな。確かに手伝えることねえわ」
「王都のほうに残ったシルヴィアさんが、いろいろ手配してくれてるらしいって聞いたよ」
「ああ」
エウララリア王女が、そのための準備をしていてくださったのだろう。
普段はかなり残念に見えるが、あれで一国の王女だ。視野の広さは持っている。
「ほかの連中はどうした? エイラは確か、マイアと共同で義手を作ってくれてるって聞いたけど……」
「あのふたりなら、かなり気が合ったみたいだからね。この上ない人選だし、いいもの作ってくれると思うよ?」
「そこは心配してねーさ」
「ほかは……まあ街のことは学生会の先輩たちが上手くやってくれてる」
「ああ。まあ、……そっか。ならよかった。レフィスも確か大活躍だったって聞いたしな」
「友達なんだっけ、アスタは。あのロン毛の変なヒト」
「お前も髪は長いだろ……まあそうだよ。今度、紹介してやる。面白え奴だよ」
「――ん」
貸し借りではなく。
街の全員が協力し合えることは、きっと素晴らしい。
「あと……そうだ。ウェリウスは何してんだ? 会ったんだろ?」
続けて俺はそう訊ねた。
あいつの実家――ギルヴァージル家は名門貴族だ。無理は言えないが、物資を送ってもらうくらいのことは頼んでみようか、と少し思っていたりする。
あの野郎には恩ばかり重なっていく気がしたが、まあ使えるコネは使うが吉だ。あいつ相手に遠慮する気もない。
ただ、ここでシャルの返した答えは、俺にとってはかなりの想定外だった。
「――どっか行った」
さすがに呆然とする俺だ。
思わず、鸚鵡返しに訊き返してしまう。
「どっか行った、って……は?」
「いや、だから言葉通り。不死鳥との戦いのあと、気づいたらもういなかった。あのあと一回も見てない」
「ウェリウスが……いないってのか? なんで……つーかどこに」
「わからない」
謎だった。シャルも、不思議には思っているらしい。
そして、彼女はさらに続けて言う。
「あと、いないっていうなら、もうひとり。こっちはいなくなったって言うより、初めからいなかったみたいだけど……まあでも、こっちは居場所はわかる」
「……なんだよ?」
「あー……これ、私が言わないとダメなのかー……ああもう。あのユゲルってヒト、そのために私に伝えやがったな。嵌められた……これも後始末、か……確かに私の責任だけど」
「おい、シャル。さっきからお前、何言って……」
アイリスが、シャルの膝からひょいと飛び降りて、とことこ部屋を出て行ったのはそのときだった。
俺もシャルもその背を呆気に取られたまま見送るしかできない。
その足音が消えてから、どこか苦笑するみたいにシャルは肩を竦めて言う。
「気を遣わせちゃったかな……本当にいい子だね、アイリスは。賢い子だ」
それから首を振ると、シャルはこちらに向き直った。
上体を起こして、俺もシャルに向き直って彼女の言葉を待つ。
「私も、教団の連中には聞いたことだから。だから私が言うべきなんだろうし、言うね。ただあんまり長い話はしたくないし、結論から。ひと言だけ」
果たして。
彼女は、言った。
「――レヴィは教団に行った」
「は……? いや、お前――何言って」
「味方に着いたわけじゃないよ。協力してるだけ。これは、レヴィにしかできないことだから選んだの。敵に回ったわけじゃない」
「シャル、だから――」
「この街には神獣が四体も来た。そして人間には神獣を倒せない。つまり異界との接続は不安定な状態で今もこの街に残っている。ここは世界の中心で、裏側と繋がっていて――つまり、いつ侵蝕されてもおかしくない。ユゲルって人も言ってたよ」
「ゲノムス宮で見た、あれか……」
この世界は、世界そのものが魔力で構成されている。
だから不安定になれば魔力に還り、結果として世界は滅ぶ。
それは本来なら遥か未来の話だったはずだ。だが教団は世界を救うと宣いながら、結果的に滅びを早めてしまった形だと、これはそういう話だった。
繋がりによって扉から異界の魔力が逆流すれば、この世界全てが飲まれてしまうだろう。
「――だけど。この世界でたったひとりだけ、それをコントロールできる能力を持つ魔術師がいる。いつか来る滅びを、早めることで制御下において、この世界に楔を打てる術者が」
「レヴィ……か。あいつの鍵の剣なら、確かに――いや待て、だけど」
「教団は倒さないといけない、ってユゲルさんは言ってた。だけどそれは、教団が世界を救い終わったあとでいい――とも言っていた。連中の目的は救ったあとの世界を支配することで、世界を救おうとしていること、それ自体に嘘はない」
想像していたことではあった。俺はもう、それに気づいていなければおかしい。
だからこそ、想像していなかったことでもあるのだ。
その事実をシャルが言葉に変える。この世界がどうなっているのかを。
「レヴィが、この世界の扉を閉める。だけどそれには命を懸けないといけない」
「……あのバカ……!」
「そう。わかるよね? 教団は、このオーステリア事変でレヴィが絶対に協力しなければいけない状況を作り出した。レヴィが魔力の流れを制御しないと、もう魔法使いですら世界の滅亡を防げない。教団の目的は、レヴィが世界を救えるよう、その役目から逃げ出すことがないようにすることだったってわけ。だけど当然、そんな強大な魔力流全てを管理するには、レヴィがこの世界にいたままでは不可能だからね。――死ぬ。彼女は死ぬ。いや、死ぬよりよっぽど悲惨だよ。だって彼女は、世界を守るシステムとしてこの先数千年を、人間ではない概念として――魔人としてこの世界の崩壊を繋ぎ止めなければいけないんだから」
つまり今、この世界を救うためには。
その、たったひとつの冴えたやり方とは。
「――レヴィ=ガードナーの命だけで、この世界は救われる。それで、お終いってことだよ」
第五章『学院都市陥落』完結です。
ご読了、誠にありがとうございました! 毎度毎度、引きが不穏でごめんね!
また感想や評価などで、いつも応援してくださってありがとうございます。
残るは二章。引き続きよろしくお願いいたします。
では次回、第六章『運命を超える意志』。
別名『ボスラッシュ編』でお会いできることを祈って。
あ、章終わり恒例のあとがき活動報告がございます。
よろしければご一読ください。
それでは。白河黒船/涼暮皐でした。




