5-31『シャルロット』
魔術師ってのは野蛮な人種だ。
その字面から受けるようなスマートなイメージを、本質的にはまるで持っていない。
というより、保っていないという感じか。
お互いの我がぶつかったら、殴り合ってその是非を決める。そういう認識を当たり前に共有している。学問を修めて理論を学び、世界の在り方を解釈して――などという前提をあっさり忘れ、その後に世界を改変する手段としての魔術に固執すれば、そうなるというものだ。
肉体を鍛える魔術師が多いのは、それが理由だろう。
俺だって最低限度の肉体運用や格闘技術は教えられている。いくら魔術が使えようと、そもそも身体を動かせなければ冒険者になどなれないわけで、考えてみればそれは当たり前だ。
ウェリウスやメロといった火力型の魔術師だって、決して肉体を鍛えていないわけではない――というか、魔術師をやっていれば勝手に鍛えられると言い換えてもいいだろう。
しかし、それは結局、その程度のものでしかない。
レヴィやピトス、フェオといった、近接戦闘に長けた魔術師には決して及ばない。
それこそ、なんらかの反則を用いなければ。
だから、まあ、言ってしまえば。
俺にとって、このときシャルが取った行動はかなりの予想外だったということ。
「――――」
お互いに向かい合って、先に動いたのはシャルだった。
シャルの戦い方は知っている。知っているが、それでもここ最近で新たに戦術の幅が大きく広がったことは間違いないだろう。使える魔術ならば使える、というのがシャルの強みだということはすでにわかっているのだから。言ってみれば、俺とは正反対のようなものだ。
ゆえに、俺はあえて先手をシャルに取らせた。
後の先を狙う、ではないが、もともと俺は能動的に動くより、罠を張って待ち構える戦い方のほうが得意だというのもある。何をしてくるかわからないからこそ、あえて、その何をするかわからない出方を待って、封殺する。もっぱら俺は、その非効率な戦い方で生きてきた。
ただまあ。
何をしてくるかわからないとは言っても、それは本当に一切の想像がついていない、という意味ではない。これもまた、当たり前の話ではあるのだが。
何かの魔術を使ってくるだろうとか、そこから、たとえば結界を敷いて地の利を取ってくるだろうとか、あるいは牽制に魔弾を放ちつつ儀式の準備に移るかもしれないとか、そういったある程度の予想は頭の中にあるわけだ。多少外していても、近い行為なら驚きが減少する。最低でも、それくらいの心構えにはなる。
ゆえに、本当に《わからない》ということは。
相手の想像を、完全に超えるということを指している。
自分が理解されないのではなく、相手の理解を超えることを指して言うものなのだ。
シャルは。
なんの策もなく。
――ただこちらに向かって走り出した。
「な……」
少し驚かされる俺。そんな手法を、シャルが取るとは思わなかったからだ。
だが、それは悪手だろう。典型的な魔術師タイプのシャルが、距離を近づけるのは上手くない。
ということは、なんらかの誘いがあるわけで。
そうとわかっていた俺は、煙草を媒介にルーンを発動する。
がちり、
シャルが踏んだ地面から茨が走る。半透明のそれはシャルを捕らえる戒めの鎖となるはずで――だが。
罠が起動した瞬間。
シャルは、一気に加速した。
「――、」速い。
それも尋常ではなく。まるでレヴィやセルエ並みだ。
一気に懐まで潜り込まれた。
咄嗟に退避。距離を取ろうと後ろへ跳ぶが、その程度で前に進むシャルから逃れられるはずがない。
「く……」
「……!」
刹那。にやりと笑う、シャルの瞳が見えた気がした。
シャルが、片足を軸に回転する。
俺にできたのは、咄嗟に腕を交差させて防御の姿勢を取ることだけだったが――生憎、そもそも腕は一本だった。
「あ」
がら空きの左脇に、シャルの回し蹴りがめり込み、吹き飛ばされる。
そのまま壁に背中を叩きつけられた俺は、なんとか受け身を取りながら、壁に寄り掛かったまま前を見た。シャルは俺を蹴った場所に立ったままで、なんだか皮肉な笑みを浮かべながら俺に向かってくいっと指を曲げた。どうした、かかって来い、と言わんばかりに。
「シャ、ル……やってくれた、な……おい」
「これはさすがに予想外、でしょう? お義兄ちゃん」
厭らしい笑みを浮かべるシャル。だが確かに、意表を突かれた形だった。
まさか接近戦を選ぶとは正直、予想外だ。
シャルの長い黒髪が、魔力に煽られて波打つようになびく。
「……なるほど。魔力の全てを、身体能力の強化に魔術として回したのか」
「下手な魔術使うと、やり返されちゃうからね。アスタはその辺、ホント意味わかんないし」
二番目の技術の流用が、この形で活かされているということらしい。
シャルの髪が黒く染まっているのは、どうやら魔力のせいだ。肉体そのものを、毛の一本まで魔力の通り道にすることで、極限域の身体強化を成し遂げている。
本来、身体能力の強化は肉体に魔力を通したことによるいわば副産物であり、術式として身体強化の魔術を使っているわけではない。なぜなら、刹那の内に精密な身体制御が要求される近接戦闘において、魔術なんぞに気を取られている余裕などないからだ。
だがシャルは、その問題点を、自らが人造人間であるという一点において完全に克服していた。
全てが創られた肉体であるということは、それだけ改造が利くということ。どうあれ彼女の肉体が、人間のそれと全く同一であることに変わりはない――だが《創られた》という概念を本質的に孕んでいる以上、魔術の通りは普通の人間と大きく違うわけだ。
一種の概念魔術の領域に達した身体強化。
反動も大きく、長くはもたない。それは自らを自らの使い魔とするような暴挙だからだ。
見た技術を真似することに長けたシャルだからこそ、短期間でここまでの身体制御を可能としたのだろう。もちろん本職に比べれば技術面では劣るものの、その差を覆すための爆発的な能力増強だ。力任せで上回れば、技術の差など均される――それ以前、俺がそもそも、大した格闘技能を持っていない。
「この方法なら、アスタに変な罠を張られることもない。張られたとしても、踏み躙って近づける」
「……いや、それは過大評価だと思うけどね」
「どうだろうね……ま、ただ実際、そうでなくってもさ」
シャルは笑って。
そして言った。
「――前から、ぶっ飛ばしたいと思ってたんだ、一回くらい」
「目標達成おめでとう。……かわいくねえ義妹だよ」
「それはありがとう。格好よくないお義兄ちゃん?」
「こいつムカつくー!」
「アスタに言われたくないですー!」
低レベルな言い争いを繰り広げる俺たちだった。
緊張感が、まるでない。
「ったく、やってくれるよマジで……見てわかんない? 俺、片腕なくなってんですけど。そんな重傷者をお前、思いっ切り回し蹴るとかどういうことだよ。言っとくけどこれ、火傷で傷口塞がってんのを弱い治癒でごり押ししてるだけだからね? 本当は今すぐ治療しないとやばいっていうか普通に死にそうなんですけど。もうちょっと気を遣えよ」
「そんな状況で出てくんのが悪いんでしょ? かわいい義妹が気を遣って、さっさと楽にさせてあげようっていうことじゃない。空気が読めないね、お義兄ちゃん?」
「いやシャルに空気云々とか言われたくないから。ぼっちの癖に」
「それこそアスタに言われたくないんだけど! アスタだって大して友達いないでしょ!」
「いますー! 少なくともシャルよりはいますぅー! レヴィとかエイラとかレフィスとか、一年のときから友達でしたー!」
「三人だけじゃん!」
「ほかにも増えましたー!」
「誰のこと言ってんの、それ。ウェリウス?」
「いや、あんな奴は友達じゃない」
「……じゃあピトス」
「ピトスは……いやほら、ちょっと、なんていうか……いろいろアレっていうか」
「それ本人に言っていいわけ?」
「いいわけないでしょ! 殺人事件が起きるよ!」
「腕ない時点でもうアウトだよ……」
「うっせえ! あいつに見つかる前にエイラに義手とか作ってもらって、んでそのあとピトスに一切身体触らせなければ誤魔化しきれる可能性もゼロじゃないわ!」
「ゼロだよそれは! 自分のことどんだけ過大評価してんのさ!? どうせすぐ大怪我するに決まってんじゃん吐血馬鹿!」
「吐血馬鹿ってどういうことだコラァ!?」
「正当な評価でしょうがっ!! この被虐嗜好のド変態! 馬鹿! 甲斐性なしの節操なし! あと、この、もう、馬鹿っ! 変態!!」
「そこまで言う!? っていうか途中からボキャブラリー減ってんですけど!」
「うるさいうるさいうるさい変態!」
「その呼称を定着させようとすんじゃねえ!」
「ちっ!」
「舌打ちぃ!?」
俺たちは。
いったい何を言っているんだろう。
叫びすぎたのか、肩で息をするシャルだった。俺も大した違いはないが。
ただ、まあ、これもいい傾向だとは思う。これでいい。
こうあるべきだったのだと思う。言葉を交わすとはそういうことだ。
どうしようもなく下らない、どこまでもどうでもいいような。そんな話ができることを、俺は尊いと思えている。
「ったく。言いたい放題言ってくれやがって……」
俺は軽く肩を竦めて、それから笑った。
「そうしろって言ったのは、アスタのほうだったと思うけど」
シャルは答えた。俺は苦笑せざるを得ない。
「ま、そりゃそうなんだけどな。ならそろそろ、自分ってものを認めてやってもいい気がするけど」
「それとこれとは……話が、違うから」
「……そうか。なあ、シャル。ひとつ訊いてみてもいいか」
俺の言葉にシャルが顔を上げて首を傾げた。
これ以上何をと語るその表情に、俺は笑みを消して言葉を作る。
「人間ってのは、肉体だけじゃ人間たり得ない。当たり前だよな……ただヒトガタを創るだけなら、これまでだって成し遂げた魔術師がいなかったわけじゃない、らしい」
「……いきなりなんの話?」
シャルは怪訝そうに眉根を寄せた。
俺は答えず言葉を続ける。
「肉体だけあっても、それを動かす精神が――そこに入る魂がなければ、ただの死体。いや、死体ですらない人形だ。生きて、動いて、自分の意思で歩けなきゃ、とてもじゃないけど人間とは呼べないだろ? 死体を創ったからといって、そんなもん誰が人造人間だと認めるよ?」
「……、それは」
「認めないよな、誰も。創った当人だって、そんなもん成功だとは言わねえだろ。じゃあ魂をその肉体に容れるしかないわけだが……それをどこから調達する?」
「…………」
「創るのか? いや、それは無理だろう。いくら魔法使いでも――稀代の錬金魔術師にして、時間の魔法使いたる三番目でも、そんなことはできやしない。もちろん一番目や二番目にだって、まあ実際のところは知らないけどさ……それでもたぶん無理だろう」
「――、なら」
「そう! ならお前は――シャルの魂はいったい、どこから出てきたのかって話になる。お前はどう思う?」
「……アス、タは……」
驚きに肩を震わせながら、シャルは言う。
考えもしていなかったのだろう。その答えを知っているのかと、問うように、縋るようにシャルは俺を見ていた。
だから――俺はこう答える。
「いや、知らないけど。だから訊いたんじゃん」
「そんだけ語っといて質問だったの!?」
シャルの肩ががっくりと落ちた。
※
――この男は……っ!
と、シャルロットは歯噛みする。
まったく。まったくもってまったくもうだ。そうとしか言えない。
確かに今の謎に、シャルは着目していなかった。そもそも自分が創られた存在だなどとは、気づいてすらいなかったのだから。いや、でなければおかしいという違和感はあれ、シャルはそれを無意識のうちに無視し続けてきた。自分がただの人形だと、認めるのが怖かったから。
事実を突きつけられるまで、気づかない振りをしていたのだ。
しかし自らの出自を知ってみれば、確かにアスタの言う通りではある。
人間を創る――。
それは今まで数多の魔術師が挑戦しては、その不可能性に挫折してきた難題だ。いくら魔法使いとはいえ、肉体はともかく魂まで創造するというのは不可能だろう。
シャルは、少なくとも《シャルロット》と名づけられた存在は、その人格や精神の根幹は、創造されたものではないとアスタは指摘する。
――そんなことを、今さら言わないでほしかった。
こんなところで気づかせないでほしかった。
だって、厳しいにも限度がある。何も持たなかったシャルが、それでもひとりで生き抜いていこうと、人間になろうと足掻いてきた結果、その過程、あるいは意思までもを否定されたばかりなのだから。あとから自分は自分だと言われても、そのほうがむしろ救いがない。
初めから創られただけの存在だったことと。
あとから役目を与えられた存在であること。
そのどちらかで言うのなら、あるいは後者のほうがどうしようもないではないか。
「――だからさ。まず、それを調べるところから始めたらどうだよ」
それでもアスタはこんなことを言う。
腐らず、曲がらず、自分を認めて人として生きろと。それができなかったから、これまでがんばってきた全てが無駄だったと言われたのに、そんなことは関係ないからまだ走れとアスタは言うのだ。そんなに厳しいことはない。
要するに少女は折れていた。
少女は別に魔術師になりたかったわけではない。
その才能があって、それがただひとつ、何もない自らの存在を立脚できる者だと思ったから選んだに過ぎない。
がんばって、有名になって、魔法使いという地位にまで辿り着けば。
あるいは自分という存在を認められるかもしれないと。
あるいは――会ったことさえない父が、自分を必要として戻ってきてくれるかもしれないと思ったのだ。
だが初めて会った父親は、シャルが動いていることにすら驚く始末だった。
そもそもシャルなど初めは視界にも入らなかった。タラスの迷宮で出会った父は、その場にいたメロのことしか意識に収めていなかった。
人は望まれて生まれてくるという。
ならば、その望みを否定され、捨てられた自分はいったいなんだというのか。
与えられた役目に沿っているだけならば、酷く楽だ。甘く蕩けるほどの誘惑だと思う。
何も考えなくて済む。ただ在るだけで、自分が求められていることを確認できてしまう。そして、その役目すらこなせないようならば――そのときはすっきり終わることができる。
教団に突きつけられた事実を受け入れてしまえば。
シャルは、人間などという面倒なモノにならなくて済んだのだ。
ただの道具でいていいのだと、安心することができたのだ。
もう、これ以上、何も考えたくなかった。
これまでの努力を否定され――いや、努力ですらない、ただ命じられた役割に沿って動いていただけだと突きつけられた。それ以前ですら、敵わないと思わされる相手が何人もいた。
シャルロットという魔術師は特別でもなんでもない。
そんな何もない自分が、最後に大きな役割を背負って死ねるというのだ。その優しさに甘えて何が悪い。誰にも迷惑なんてかけないし、むしろ多くの人間を救って逝ける。
大丈夫。
望まれるように振る舞うのは得意だ。
これまでだってそうしてきた。
だと、いうのに。
――それでは駄目だと言われてしまった。
厳しい言葉だ。いっそ拷問じみた虐めだとすら思う。どうしてそんなに酷いことを言うのか理解できないくらいだった。
今さら遅い。
これまでの人生で、だって自分は何ひとつ、自分の望みを見つけられなかった。そうだと思っていたものは勘違いだった。
まるで使い魔だ。命じられた役割に沿うことを当然だと思って、何ひとつ疑わず主人の役に立って終わるだけの創られた命。
そんな自分に、今さら人間の真似事をしろだなんて、そんなに酷い話はない。
アスタの言葉はひとつも優しくない。
ただただ厳しいだけの言葉だ。
甘えるな。前を見ろ。自分で歩け。誰かのせいにするな。
お前はお前として生きろ。
――それを、俺が助けてやるから――。
シャルは誰かに見てもらったことがない。当然だ。赤ん坊の時期なんてものを持たない彼女だから、本当に生まれたときから、文字通り独りで生きていた。その理由を奪われて、新しく与えられたものさえ否定され、今度はそれを自分で見つけろなんて――そんなの、厳しすぎるじゃないか。
「……どうするの?」
と、だからシャルは、アスタに訊ねる。
「どうするって?」
「もし何も見つからなかったら、どうするの?」
「見つかると思うぞ。お前はお前だよ。シャルはだいぶわがままだからな。そんなお前が、自分の行く先くらい見つけられないわけねえよ」
「それでも見つからなかったら、どうするかって聞いてるの」
「そんときは、じゃあ――俺を手伝ってくれよ」
アスタは言う。
「俺はたくさんあるぜ。やりたいこと。やっておかなきゃいけないこと。やっておきたいこと――死ぬまでたぶんなくならない。俺ひとりじゃ到底間に合わない。だからお前にも手伝ってほしい。いっしょにやれたら嬉しいと思う。そんでできれば、お前がそれを望んでくれるなら――それほど嬉しいことはない」
「なんで……私なの。ほかに手伝ってくれる人、いくらだっているでしょう」
「関係ないだろ。つーか仕方ないだろ」
「だから――なんで」
「だって俺はもう、お前がいないと嫌なんだよ」
「……っ!」
「密度のある付き合いだったろ? 今さら寂しいこと言うなよ。迷宮じゃよく世話になったよな。学院ではずっと会わなかったけど、あれお前が俺を避けてたんだってな。これからは同じ授業も受けられる。タラスんときみたいに、いっしょに冒険するのもいい。お前に行きたい場所ができたら、付き合ってやるよ、そのときは、俺が。――だって、きっと楽しいぜ?」
それだけだ。
大層な理由はどこにもない。最初からアスタは、それが自分のわがままだと言っている。
それを押し通すことを決めただけだ。
元より魔術師は、そういう者を指して言う。
「お前が俺の前に来たのが悪い。俺はもうお前のことが好きなんだ。そんで俺は、好きになった奴は離さないと決めている――これ、プレイアス家の家訓らしいぜ?」
――本当に、なんて始末の悪い男だ。
シャルは思った。思わず笑いそうになってしまうほどだった。
わがままだのなんだの言って、でもそれを平然と表明できる時点で、断られることなんて疑ってすらいないんだから。自信過剰にも限度がある。
けれどそれは、確かに殺し文句だったと思う。
好きでひとりでいたわけじゃない。
本当はきっと、魔法使いになりたかったわけですらない。
シャルは、ただ誰かといっしょにいたかっただけだ。
父を求めたのは、そうやって血縁で理由をつけなければ誰かを求められなかったから。
本当は友達が欲しかった。
家族といっしょにいたかった。
誰かと下らないことで笑い合うのが楽しかった。
競い合うように研鑽するのが好きだった。
流されていたなんて嘘だ。タラスにも王都にもついて行ったのは、ひとりにされるのが嫌だっただけでしかない。
そのくせ、そんな簡単な願望すら認めることができなかった。
「……そこまで、言うなら」
シャルは瞳を拭って、それから前を向いた。
――こんな顔、見られたくないから。
「私を倒して、我を通しなよ」
「最初からそう言ってんだろうが」
「さっきから喋くってばっかりで、ぜんぜん何もしてないじゃん。やられそうだったくせに」
「いやお前、そういう間にこっそり準備を済ませてるのが俺って魔術師だぜ?」
「……そんなん、ぶっ潰してやる」
シャルだって油断していなかった。
それでも、やっぱりアスタが何をしていたのかなんて微塵もわからない。何かはしていたのだろうが、その一挙手一投足に目を向けても、この滅茶苦茶な男は理解しきれない。
――だとしても。
シャルにだってプライドはあるわけで。
そんな簡単に、負けを認めてなどやるものか。
その意地だけは、絶対に棄ててなるものか。
だって。
「……ぶっ倒してやる」
「かかって来い」
――この滅茶苦茶な義兄の、それでも義妹であろうというのだから。
その遠い背中に、食らいついてやろうという自負だけは、きっと自分のものだった。
※
大の字になって寝転ぶシャル。
そこに近づいて、俺は煙草を灰皿に棄てると言った。
「――ほら。俺の言った通りだろうが」
「そうだね……うん。わたしの、負けだよ」
シャルの髪は、あの透き通るような白に戻っている。
それと同じくらいに綺麗な、宝石のように澄んだ蒼の双眸が、こちらを見据えていた。
「ああ、くそ……悔しい。悔しいなあ……何されたかもわかんないで負けるんだもん。強くなったと、思ったんだけどなあ」
「……なったよ。これは慰めじゃない」
「いいよ、わかってる」シャルは言った。「わたしは、それでも弱かった」
その表情は、けれど今までよりずっと軽くなっている。
憑き物が落ちたようだった。
「お前なら、近い内に俺なんか軽く抜けるよ。ちょっと経験が足りねえだけだ」
「だから義妹だって?」
「ま、人生経験なら俺のほうが上だろ。シャルよりは」
「――かもね」
言うなりシャルが、寝ころんだまま両手を伸ばす。
首を傾げた俺に対して、シャルは視線を細めて唇を尖らせると、
「――ん」
と。そう言った。
「え、何?」
「んっ!」
「いや……意味わかんないんだけど」
「起こして」
「起こして!?」
「疲れた。立てない。いじめられてへとへとだよもう」
「俺だって片腕ないんですけど……かなり死に体なんですけど……」
「いいから早くしてよ」
「…………」
なんだか驚異的に釈然としない気分ながら、俺は右腕でシャルを腕を引いて起こした。
だが立ち上がったシャルは、それでも納得いかないのか、難しい表情で俺を睨んでいた。
「……何さ?」
問うと、シャルは再び両手を伸ばす。
「疲れた」
「いや、あの……」
「おんぶ」
「そう来るかお前マジでおい」
なんだかすっかり子どもみたいになっている。
……いや。でも思えばシャルは、前からこんなだった気もする。
変わったことがあるとするのなら、それはひとつだけ。
誰かに関わるということを、覚えただけだろう。
「ああもう、わかったよ、しょうがねえな……腕ねえんだから、お前がしがみついてろよ。転んだり落ちたりしても知らんぞ」
「背中。早く」
「わかったって言ってるでしょう、わがままだな……」
「アスタに言われたくない」
「はいはいはいはい!」
俺は背中を向けてしゃがみ込んだ。
その背中に乗った、酷く軽い体重を背負って立ち上がる。
正直、ものすごくバランスを取りづらい。意識していないとすぐ転びそうだ。
ただ、まあ。
そう悪い気分では、たぶん、なかった。
「で。これからどうするの?」
背中のシャルに訊かれる。
俺は笑って、
「休憩します」
「いや……」
「休憩しないと死にます。マジで。そろそろ」
「……言い返せないじゃん」
「おい。おいやめろ。だからってぺしぺし頭をはたくんじゃありません」
「そこ右ー」
「馬か俺は」
なんだかシャルが楽しそうだったので、されるがままにしておいた。
代わりに言葉を続ける。
「……少し休んだら、そしたら戻るぞ」
「オーステリアに?」
「ああ。こんな兄妹喧嘩は前座だ。そっちが本番」
「……だね」
「頼むぜシャル。勝ったんだから、俺のことちゃんと手伝ってくれよ」
「わかってるよ」
ぽすん、と。
シャルが俺の肩に、頭を乗せて。
言った。
「ありがとね。……おにいちゃん」
⬛おまけ「アイリスと合流」
アスタ「おー、アイリス。お疲れ。勝ったみたいだな。さすが俺の妹」
アイリス「ぶい」
アスタ「かぁわいぃ……」
シャル「って、アイリスいつから見てたの!?」
アイリス「ん。さっき」
シャル「さっきっていつ!?」
アイリス「『なにそれ、きもちわる』」
シャル「……」
アスタ「……」
アイリス「くらい、から」
シャル「結構序盤だ――!」
アスタ「アイリスは仕事が早いなあ(現実逃避)」
アイリス「ん。アスタ、と……シャルも、がんばった」
シャル「ぎゃーっ! 降ろせ、恥ずかしい、降ろせっ!!」
アスタ「乗せろっつったのお前だろ! うわ、おい、暴れんな!」
アイリス「シャル、シャル」
シャル「何!?」
アイリス「わかる」
シャル「何がっ!?」
アイリス「ぐっ(親指立てる)」
シャル「あああああああああああああああああ!」




