5-30『アホな兄妹のアホな兄妹喧嘩』
――なんだか最近、家族が増えた気がする。
最初は四人家族だった。もちろん異世界に呼ばれる前の話だ。
父がいて、母がいて、妹がいた。今、どんな風に生きているだろうか。
二度と会えない、どころか状況を知ることさえできないことはわかっている。そんなことはとっくに受け入れ終わっている。
どんな形であったとしても、できれば幸せであってほしい――そう願うだけが限度だ。
勝手にいなくなったのは、ほかでもない、俺のほうなのだから。
もちろん、家族に会えないことを悲しく思わなかったと言えば嘘だ。
というか普通に泣いた。
そりゃ、これでも元々は平凡な、ごく普通の中坊だったんだ。突然に家族から切り離されて、それを受け入れるのに時間がかかってもおかしくないだろう。
いや、もし本当にひとりになっていたら、今でも落ち込んだままだったかもしれない。
――それを助けてくれたのが、俺にできた二番目の家族。
七星旅団という居場所。
俺にとって、姉と呼べる人間はマイアだけだが、それでも七星のみんなは、やはり家族みたいなものだった。セルエだって姉貴みたいなものだし、シグやユゲルは兄貴だろう。メロが妹で、キュオは――なんだろうな。双子ってところでどうだろう。
口に出しては絶対に言えないし、表立って認めるのは癪だけれど。
俺は、みんなに救われた。
特別なことがあったわけじゃない。彼らはただ、俺を当たり前のように仲間として受け入れて、ただいっしょにいてくれただけだ。そのことに、どれほど救われたかわからない。
ひとりじゃ立てない、弱い人間だから。
背中を押してくれたみんながいたことを嬉しく思う。
だからこそ、俺はきっと、誰かの背中を押してやれる人間になりたいと願ったのだ。
――そうしている内に、今度は妹が増えた。
無論、それはアイリスのことだ。
妹というか、ちょっと扱いが娘みたいになっているところがあったのは自覚している。歳の差があったせいだろう。名前を考えたのが俺だからかもしれない。ともあれ、メロとはやはり違った扱いになってしまった。
まあ彼女は、ある意味でメロに匹敵するくらい、強い女の子だったわけだけれど。
戦闘能力の話じゃない。アイリスは、俺なんかよりずっと心が強かった。
強くならざるを得なかった、その環境のせいだとするのなら、ただ喜べることではないかもしれないけれど。それでも、アイリスが強いことそれ自体を否定する意味はないと思う。
それでもやっぱり、アイリスが戦場に出ることには最後まで抵抗があって。
まあ、その結果としてここに来る前、アイリスと本気で戦り合ってまで彼女の覚悟を教わったりと、ずいぶん面倒なことばかりした気がする。
ちなみに負けた。
ともかく、アイリスもなんだかんだで俺の身内というか、頑固で面倒臭い性格なのは否定できないと思う。俺の周りの人間は、だいたい例外なく面倒だ。
その点で言うなら、アイリスなんてかわいいものだ。いやかわいいんだけど最初から。
――なにせ。
まあ、面倒の度合いで言うのなら。
「お前が、実はいちばん面倒臭い気がするからな――そうだろ、シャル?」
「また上から言ってくれるね。アスタ=プレイアス」
魔力でぶち抜いた床の上から。
破壊された壁の向こう側にシャルの姿を見る。
高いところから俯瞰してみると、改めて思うがシャルは美しい。よく考えてみると、なかなか人間に対して《美しい》という表現は使う機会がないような気がする。
容姿を褒めるなら、かわいいとか、綺麗だとか、そんな風に言うほうが普通ではないだろうか。って、まあたとえば教授辺りなら普通に口説き文句として君は美しいくらいのことは平然と言うだろうけど、少なくとも俺はそうそう使わない。たぶん、シャルに対して以外は思ったことがないと思う。
なんでだろう、とふと考えて、すぐに気づいた。
たぶん、俺にとってそれは褒め言葉ではなかったからだ。
距離の遠さを表すように思えてしまうから。まるで絵画や工芸品を見ているかのような気分になってしまうからだ。文字通り創られたみたいに美しいシャルの容貌を、俺は遠いものとして理解したくなかったらしい。
――まあ、そんな風に考えるくらいには。
俺も、きっと普通にシャルのことが好きなんだろう。
「しかし見た目も、まあずいぶんと変わったもんだよなあ」
いっそ透明にも映るほど白かったシャルの長髪は今、まるで正反対みたいな闇色の漆黒に染まっている。日本人である俺よりずっと艶やかな黒色で、それはそれで、やっぱり綺麗なのが少し憎らしい。
「ちょっと見ない間にイメチェンとはね……何? 染めたの?」
すぐ下の部屋にいるはずのクロノスを、俺は完全に無視して告げる。
そちらはアイリスに任せたから。なら俺はそれを信じる。アイリスは充分に信頼に値する相手だ――それこそ、かつての仲間たちと遜色ないほどに。
今の仲間たちと格差がないほどに。
「……さあ。もともと創られた身体なわけだし。人形の色づけが変わったくらいで驚くこともないでしょう。趣味なんじゃないの――父親の?」
穴からひょいと飛び降りて、下の階に行った俺に対し、シャルは淡々と告げる。
それこそ、言葉の通り自分が人形であることを強調するかのように。それは感情の押し殺された、空虚に響く声音だった。これまでのシャルとは違いすぎる。
「それが、なんか関係ある?」
そう訊ねたシャルに、俺は少しだけ迷ってから、それでも答えを探して告げた。
「まあ……うーん。そうだな、少し」
「……へえ?」その言葉は意外だったのか、シャルは首を傾げた。「いったいどうして」
こちらの部屋にいると、アイリスの戦いの邪魔になる。
だから俺は、そのままシャルがいる隣の部屋へと移った。舞台はこちらにしよう、という意志はシャルにも伝わったのだろう。彼女は俺を邪魔しなかった。
煙草の煙を吐きながら、視線は向けずに俺は言う。
「いや、確かに似合ってるし、個人的にも黒髪ロングのストレートヘアは好みだけどさ。シャルは前のほうがかわいかったと思うな」
「……………………は?」
実に冷たい声だった。
というか、なんなら普通に嫌そうな声音だった。
冗談で言ったわけじゃないんだけど……。
「――なんの話をしてるわけ?」
「いや、ごめん」
「…………」
黙り込むシャルだった。どうにもシリアスな空気が続かない。
いや、次の瞬間に攻撃されておかしくない空気は続いているのだが。
とはいえ、言ったことを後悔するつもりはない。
どうあったところで、俺にできるのは言葉を使うことだけ。それを諦めたりはしない。
「ま、いいや。雑談はここまでにして、本題に移るとしようか」
「……特に、話すこともないと思うけど」
「そんなことはない」俺は言う。「だってまだ、俺はお前に何も聞いてない」
「何も?」
「ああ。お前がなんでいきなり教団についたのかとか、そういうこと――いや、それ以上の、というかそれ以前の問題だよな。俺は、実はお前のこと、あんまり知らなかったような気がして」
「…………」
シャルは再び黙り込んだ。さっきの沈黙とは、少しばかり雰囲気が違う。
吐息を零す。
右腕が残っていて助かった。煙草を吸うのが面倒になるのだけは避けたい。
焼かれた結果として塞がれているだけの左腕は、実のところこのまま放置するのは相当に問題だ。魔力を麻酔代わりに痛み止めとし、キュオが憑いたネックレスの簡易的な治癒効果があるからこそ、まだ立っていられるだけだ――正直ここ最近では、傷の度合いも疲労の具合も、群を抜いて最悪に至っている。
ここはあくまで寄り道で、本命を任せた仲間がいるのに。
「いや、別に後悔とか反省で言ってるわけじゃないんだけどね」
少し考えてから言葉を続けた。
言いながら思う。俺はいつも考えて喋っているようでいて、実のところ何も考えないで、ただ思ったことをそのまま口に出しているだけなのではないか、と。
今さら何を言っているんだ、なんて。そう突っ込まれそうな気はするけれど。
「だってそうだろ? 俺は相手のことをなんでも知ってなきゃ気が済まないとか、そういう風には考えたことがない。七星の仲間たちだってそうだった。マイアやシグが昔何やってたのかとか、教授やセルエが普段何やってんのかとか、そういうことあんま考えたことねえんだ」
「なんの話をしてるわけ……?」
「俺の話をしてんだよ」軽く肩を竦める。「お前に話を聞こうってんだから、まずは俺のことを先に言うのが礼儀かと思ってな」
「要領を得なくて、何を言っているのかわからない」
「……かもな。あんま得意じゃないんだよ、自分のこと言葉にすんのは」
慣れないことはするものじゃない。
俺はかぶりを振って、それからシャルに向き直る。
「――じゃあ、やっぱりお前の話を聞くことにしよう、シャル」
「勝手だね」シャルも首を振った。「勝手だよ――言葉を交わそうだなんて、今さら」
「お前だってよっぽど勝手だろうっちゅーの。初対面のときのこと覚えてます? お前、いきなり人のこと攻撃してきたんだぞ。メロかよ」
「そのメロさんに、私も撃たれたことあったと思うけど」
「じゃあ因果が巡ったんだな。自業自得だ」
「……まあ、あれはあれで得難い経験だったような気もするし。今となってはどうでもいいんだけど」
「どうでもいい――ね。なあ、シャル」
「何よ」
「――お前、誰だよ」
問いに、シャルが静止する。
それでも訊かなければならないことだっただろう。
知っていかなければいけないことの、ひとつだと思う。
正直。自分で言うのもなんだが、俺はあんまり学院に友達がいなかった。
いろいろあったせいだとか、学院的には成績下位だとか、解呪の方法を探すのに忙しかったとか――まあ、いろいろ言い訳はあるけれど。
それは結局は言い訳で、このところの変化を思えば、やっぱりいいことではなかったように思う。いちばん付き合いの長いレヴィですら一年ほどの付き合いだし、その次に長いエイラやレフィスでも十か月ほど。ピトスやウェリウス、フェオなんて、つい最近知り合ったばかりの関係でしかない。
でも、やっぱりそんなことは関係ない。
俺たちが過ごした時間の密度は、きっと長さなんて抜き去るほどのものだった。
それは、シャル。お前も同じなんじゃないのか?
「……どういう意味?」
シャルが言う。俺の言葉の意味を考えあぐねるように。
「言葉通りの意味でしかねえよ。お前、何がしたいんだ?」
「……私は」
「創られたとかなんだとか、そんなこと言い訳にするんじゃねえよ――お前も魔術師なら、まずは自分自身がどうしたいのかを考えろ」
「そんなの……アンタが人間だから言えることでしょう」
すっと、シャルの視線が細くなる。
俺の言葉が、どこかで逆鱗に触れたみたいに。
それでよかった。俺が考えたところで、どうせ大した答えなど出せないのだから。できることなんて喋って、煽って、向き合って――なんとか答えを訊き出すことくらい。相変わらず俺という奴は、自分ではない誰かに頼らなければ、どこにだって向かえなかった。
「――何がしたい、って。知らないよ、そんなこと。私にやりたいことなんてない――ひとつだってない。だって私は、そんな風には創られなかった」
シャルの口調に滲む感情は、たぶん諦念だ。
人造人間。
魔術の世界においてさえ、未だ確立した理論のない《ヒトを創る》という神秘。
その、おそらくは世界で唯一の検体たるシャルの気持ちを、わかるなどとは口が裂けても言えないだろう。
そもそも俺は。
シャルから、父親を奪った人間だ。
「ねえ――そもそもどうして、私が創られたのか、知ってる?」
「……どうだろうな」
と、俺は答えた。
シャルは小さく笑う。
「初めから、役割があったからだよ」
「……」
「三番目の魔法使いが、一番目と敵対していたことは知ってるんでしょ? あの人は時間の魔法使いだよ? 運命の魔法使いにも匹敵するレベルで、未来を読んでいてもおかしくない。だから知ってたんだよ、いずれ世界が滅ぶって――それも近い段階で、どうしようもない勢いで人間が滅ぶって、三番目は知っていた。たとえ敵対していても、それを避けたいという一点で少なくともふたりは同じ意見を持っていた。ここまでわかるよね? なら、どうするかだってわかるでしょう」
「……ああ」
「一番目を止めようとする以上、代案は絶対に必要だった。ヒトを生むっていうのはね、自分の情報を複製した分身を作るってことだ。私はね――そのために創り出されたんだってさ」
「そう、教団の連中に聞いたわけか……」
「嘘じゃないことはわかったよ。ていうか、今は一番目も教団にいるんだから、そんな嘘つく意味ないよね――私なんかを嘘で引き込む意味はない。それが本当だから意味がある」
「……ねえ。教団がどうやって世界を救おうとしてるか知ってる?」
「さあ」
「閉じるんだって。世界を、一度。王都でのこと覚えてるでしょ。人間を魔力に溶かして、情報として保存する――それを再び引き出して、また人間に戻せることは王都ですでに証明されてる」
「……待て」
「その間に、滅ぶ世界には、いっそ本当に滅んでもらって――新しい世界に人間を移す。それが一番目の描き出した救世の方法。まあ、もっともそのあとの世界がどうなるかなんてこと、私にはわからないけどね。でも、それくらいしか方法がないなら、とやかく言ってる場合じゃないよね――」
「おい、待て。閉じるってことは――」
「思ってる通りじゃない? だから、もうわかるでしょ。私の役割は、それが失敗したときのための代替。それ以外の機能なんて、初めからひとつもつけられてない」
「……なるほど」
そういうことか。
教授の目論見はほとんど正しかったわけだ。
「私は、あらゆる魔術を、技術を、修得できるように調整された特異点。三人の魔法使いがそれぞれ技術提供した、世界でたったひとつだけの魔法使いの共同研究成果。それは、もしも世界が滅ぶとき、それを救うためのすべを私が身につけられるようにするため――そのための人柱として死ぬために、私は創り出されたんだってさ」
確かに、疑問ではあった。
いくら錬金魔術にも造詣の深かったアーサーとはいえ、いくらなんでもシャルほどの魔術的才能を持った人造人間を、そう簡単に創造できるとは思えない。
だが三人の魔法使い全ての技術を費やせば。
「正確に言えば、ほかのふたりの技術を三番目が盗んだだけらしいけどね」
運命と空間――二種の魔術すら加わってしまえば。
あるいは、シャルほど完成された人間を創ることが可能なのかもしれない。
「……だからって」俺は言う。「それがたとえ本当だったからといって、お前がその通りにしなきゃいけない理由がどこにあるんだ」
「それ、本気で言ってる?」
「当たり前だろ」
「私が何もしないと、それだけで世界が滅ぶかもしれないのに? もちろん、レヴィが成功すれば話は別かもしれないけど……レヴィ、どうもそこまでの実力は持ってないみたいだし」
違う。その辺りはもうわかってる。
レヴィの能力は、それこそ別のガードナーに閉じられていただけだ。
あいつは、あの状態ですら能力の半分も発揮できていなかった。
ガードナーの完成形と呼ばれたのは伊達じゃない。あいつが生まれてきたということ自体、まるで世界を救うためだったというレベルの才能なのだ、あいつは。
そのことを、俺はよく知っている。
共犯者なのだから。
「……いや、実力があっても同じことだよ。世界を救うなんてこと、そう簡単にできるわけがないじゃない。だから私は創られたんだから」
「それは、お前がやりたいことじゃないだろう」
「だとしても、私があるのはそのためだよ」
「やめろ」俺は首を振る。「創られた理由なんて考えるな」
「アスタにはわからないよ」シャルが言う。「人間に、人形の気持ちはわからない。与えられた役割に逆らうなんて、そんなことはできないんだ」
「……どうして」
「だって。――もしそれすらできないなら、だったら私は何をすればいいんだよ」
シャルはあくまで淡々と語る。
自分が人形であると徹底させる意志。それを感じさせるように。
だが。
それでも。
「ねえ。私だって、最初からこうだったわけじゃない。あの地下室で、暗いところで目を覚ましてから、自分の父親が魔法使いだって知ってから、私はずっと独りで修行を続けてきた。私には何もなかったから――それでも、魔術を使っていれば、いつか父親のところまで行けると思ってたから。私にも、できることがあるって、そう信じてたから」
「間違いじゃ、なかっただろうが……!」
「――間違ってたよ。何より私が間違ってた。私に自分なんてものはなかった。ただ、そういう風に創られていただけ――いざというとき人柱にできるよう、だから初めから魔術に興味を持つよう設定されてただけ」
「……、」
「私には――私自身の意思がない」
「シャル……お前」
「やりたいことがない。やれることもない。ただなんでもできるだけ。何もできない。自分でないをするかは選べない。私自身の望みがない。そう在るべく創られて、そう在ることしかできない人形……もう、それでいいんだよ。私には何もなくて、最後に残ったのが創られた理由なら、それを全うできればいいんだよ。もう放っておいてくれないかな。別にアスタたちの邪魔とかしないからさ……教団の手伝いも特にしない。まあ結果的に手伝うことにはなるのかもしれないけど、それでも世界が滅ぶよりはマシでしょう?」
「……死ぬってことだぞ、それは」
「何もできないで死ぬよりいいじゃん、別に」
たとえ死ぬのだとしても。
そこで、終わってしまうのだとしても。
「何も遺せず死ぬよりは、ずっといいことに決まってる――」
シャルは言った。その言葉が、理解できないと言えば嘘になる。
それがわからないような奴ならば、そもそも魔術師になどなっていないからだ。もっと楽で救いのある生き方なんて、きっとほかにいくらでもある。
それは単に、歴史に名前を残したいとか、自らの価値を認めてもらいたいとか――そういった周囲に影響される欲求ではない。
自分だ。あくまで自分自身に対し、どういう生き方を許すのか。そういう話なのだろう。
大仰な話ではあるが、確かに《世界を救う》という大偉業を為す力が自分にあると知らされて、それを拒否するほうが難しい話なのかもしれない。誰にだってある原初の英雄願望。その先が終わりにしか繋がっていないなんてこと、どんな道だって極論は同じことだ。
――レヴィもまた、そうだった。
彼女には、生き方を選ぶ自由なんてない。ガードナーとしての在り方が、たとえ誇りや達成感に繋がっているのだとしても、そんな感情論とは無関係なところで、義務が義務であることに変わりはない。
やりたいことと、やるべきことが同じだったのだとしても。
義務が、義務でなくなるわけではない。
だとするなら、その先に、たとえひとつでも何か価値らしきものを見出せるのなら、それを自分に与えてやることができるのなら。
たぶん、それを否定するほうが間違っているのだろう。
だからシャルはそれを選んだ。
シャルにとって、それが親に与えられた義務でしかなったのだとしても。
そこに、自らが価値を見出せるのなら意味はある。
それ以外に価値を見出せないのであれば、意義はきっとあるのだ。
そういう話だった。
俺が今さら、いや誰であれ、シャルの選択に異を唱える権利など持っていないだろう。それが他者の権利を害するのならばともかく、彼女はむしろ、世界を救おうというのだから。
「わかったなら、そこ、どいてくれる?」
シャルは小さくそう言った。
黒い髪がわずかに流れる。
「私自身が、別にアンタを敵にしなきゃいけない理由なんてないんだし。私が死んだあと、それはアンタが教団と決着を勝手につければいいだけでしょう? 関知しないよ、そんなこと。アイリス連れてさっさと帰れば? そこでクロノスが何を選ぶかは知らないけど、私は別に興味ない。止めようっていうなら戦うけど、そうじゃないなら――」
俺たちはきっと、敵同士にすらなれないのだろう。
「……ま、その通りだな」
と、俺は答える以外にない。
シャルは反応しなかった。
隣の部屋から、そのとき爆音が響いてきた。
向こうは大量の魔力を浪費しながら、必殺を応酬する戦いだ。
ゆえに長続きはしない。場合によっては、そろそろ決着がつく頃だろう。
「――ふう」
と、俺は小さく息を吐いた。
短くなった煙草から、灰が落ちていくのが見える。
さて、と。
俺は言葉を作る。
「お前の話はわかった――聞きたかったことは、全部じゃないかもしれないけど、それでもだいたい聞けたと思う」
「……そう」
わずかな動きで首肯する。
これで、話が終わりだと思ったのだろう。
だから俺は言う。
「次は、俺の話を聞いてもらう番で、いいよな?」
「何……を」
「結論から言うぜ」
俺は。
悪い顔で、笑った。
「――お前の事情なんて知らん。悪いがお前に、世界を救わせてやる気はない」
「は――」
シャルが思いっ切り、面白いくらいに硬直した。
面白かったので、俺はさらに笑った。
「は――はあ!?」
混乱するシャルに、俺は言葉を続けていく。
「いや、だから。お前は教団に言われた通り、人柱になって死ぬつもりなんだろ?」
「そ、そうだけど……」
「じゃあ止めるに決まってんだろ。だってお前死ぬじゃん。それは許さん」
「許さん、って」
「ダメ」
「いや、ダメって」
駄々を捏ねる子どもみたいな、理屈なんてまるでない俺の言葉。
それがあまりに予想外だったせいか、シャルは俺の言葉を鸚鵡返しに繰り返していた。
しかしまあ、さすがに冗談として流せる範疇ではなかったのだろう。やがてシャルは席を切ったように怒りを――いや、焦りを露わにして喋り出す。
「あ……アスタにそんなこと関係ないでしょう!?」
「なんで?」
「なんで!?」
シャルが頭をがしがしと掻く。
面白かった。
「なんでも何もない! アンタはただの他人なんだから、私の選択に口を挟ませるわけ――」
「なるほど!」と、俺はシャルの言葉を切る。「ならつまり、ただの他人じゃなければ口を挟んでいいわけだな?」
「そっ……れと、これとは話が」
「よしわかった! んじゃ、シャル、お前――俺の家族になれよ」
「――ぴっ」
「ていうか、する」
言いながら、俺は思わず吹き出しそうになってしまう。
シャルの反応が面白かったこともある。
ただそれ以上に、かつてまったく同じことを自分が言われたのを思い出したから。
「な、なん、なっ……! か、かぞっ、家族って、あ、アスタ――アンタ、そっ!?」
露骨に狼狽えているシャルだった。
まったく――これで自分がないなんて嘆くんだから本当に笑わせる。
お前ほど感情まみれな奴、ほかに知らないくらいだっつーの。
「いいじゃん、別に。お前ずっと俺のこと《お義兄ちゃん》とか読んでたわけだし――なら実際に兄妹になっても、まあ問題ないだろ」
「兄妹って!」頭を抱えるシャルだった。「馬鹿じゃないの! ていうか、ああ、もう――馬鹿じゃないのっ!?」
「いや、いい考えだと思うんだよね。アイリスだって姉が増えれば喜ぶだろうし。マイアも、きっとシャルのことは気に入ると思うんだ」
「……っ! ……、……!!」
「あのクソジジイも、まあ俺の親父みたいなモンと言って言えないこともギリギリ辛うじてきわどい部分でないと断言できないこともないくらいのアレではあるし。うん、問題ないな」
「問題しかないから!」
「うるせえお前の意見とか聞いてねえ!」
「横暴!?」
「もう俺はお前を妹にするって決めたんだよ! 嫌なら俺を倒して拒むんだなァ!!」
「何言ってんの!? 頭おかしいんじゃないのアスタ!?」
「おい、誰がアスタだ。俺のことはお義兄ちゃんと呼びなさい」
「普通に気持ち悪いっ!!」
普通に引いているシャルだった。
あれ……おかしいな。
俺は確か「私をお義姉ちゃんと呼びなさい!」って言われたんだけど……。
まあいいか。
「うん。とりあえずお前のことはもう、俺の義妹ってことにしたから」
「したからって……」
「だから義妹が自殺しようとしてたら止めるよね。ほら、何もおかしくない」
「まず前提がおかしいんだけど!?」
「ごちゃごちゃうるさいなこの思春期」
「思春期」
「そりゃそうだろ」俺は笑う。「何を拗ねてんだか知らねえけど、ただ人造人間だった程度のことでいちいち癇癪起こしてんじゃねーっつの。お前は自分のこと人形だのなんだの言うけど、俺から言わせりゃぜんぜんそんなことねーわ。だってシャル、お前めっちゃ感情丸出しじゃん」
「んな――」
「すぐキレるし喧嘩っ早いし、その癖、妙なところで引っ込み思案で友達いねーし。見た目がいいこと以外のあらゆる全てが残念じゃねーかお前。そりゃお前は人造人間だし、つーことは見た目通りの年齢ってわけでもないんだろうけどさ。にしたってお前、もうちょっとどうにかしろよ」
「……い、言いたい放題言ってくれちゃって……!」
「だったらお前も、自分が言いたいことくらい言え――いや、言ってる。お前は言ってる。まずはそれを認めろよ。やりたいことがあるんだろ? 与えられたんじゃない、ちゃんと自分自身ってものをお前は持ってる。俺が、それを、知ってるから」
昔はともかく、今は知っている。
シャルロットという少女が、ちゃんとひとりの人間であることを俺は知っている。
「だったら義妹の癇癪くらい、お義兄ちゃんがいくらでも受け止めてやるわ」
「…………」
シャルは視線を伏せた。
俺の耳に、小さく震える声が届く。
「いっつもいっつも、無茶苦茶ばっかり言って……っ!」
「いや、そんなにいつもは言ってないだろ」
「言ってるよ!」
と。
シャルは叫んだ。
「無茶苦茶ばっかだよアスタは! ヒトが悩んでること超簡単に切り捨てるし! なんでもかんでも飄々とした態度でひっくり返してばっかりだし! 脳味噌のネジ飛んでんじゃないの!? 追い詰められると妄言ばっか吐くもん、絶対おかしいよ!! 頭おかしいっ!!」
「そこまで言うことなくないですかね!?」
「言い足りないくらいだっての!!」
「お前だって割と割とだよ!」
「割と割とって何!?」
「知らねえよ!」
「逆ギレすんな、このバカ兄――ッ!!」
肩を怒らせ。涙目になって。
シャルが、そう、叫んだ。
「ひ、ヒトが、どんな気持ちで……っ!」
「あー……まあ、そうだな。お前にもいろいろあったんだろ」
「だから、そんな簡単に――」
「――だから、聞かせろよ。俺に、それを」
「……っ」
「なんでもいいんだ。どんな話でもいい。どんな下らないことでも、どこまでつまらないことでも、全部俺が聞いてやる。お前の話を聞いてやる」
たとえ義理だろうと。血は繋がっていなかろうと。
兄弟ならば、きっとそれで当たり前だろう。
「別に俺はお前を全肯定しない。お前だってしなくていい。喧嘩だってするだろ。意見が合わないこともある。面倒だし厄介だし残念だし、きょうだいってのはだいたいそういうもんだよな。――でも、それでいいだろ」
「それで、って……」
「嫌がられても我を押しつけるし、面倒でもなんでも相手してやる。友達なら仲違いすることもあるだろうし、恋人同士だって別れるかもしれない。――でもきょうだいは違う。その絆はな、シャル。家族なら絆は切れないんだぜ?」
だからマイアは、ほかのなんでもなく、俺に弟になれと言ったのだろう。
たとえ離れ離れになってしまっても。二度と会えない異世界に送られてしまっても。
俺に、家族がいたことは決して揺るがない。
マイアは俺に新しい繋がりをくれたのといっしょに、かつての繋がりも否定しなくていいのだと教えてくれた。きっと、そういうことだった。
我が姉君は酷いわがままだ。
トラブルばっかり持ち込んでくるし、俺を平気で巻き込んでくる。危険な目だって何度も遭ったし、死にかけたことは一度や二度じゃない。普通なら、とうに縁を切っている。
けれど。
それでも。
マイア=プレイアスは俺の姉だ。
そして俺は――マイア=プレイアスの弟なのだ。
ずっとひとりだったシャルを、俺はその中に入れてやりたい。
いや、入れたい。それが俺のわがままだ。
そのわがままをもう我慢しないと、俺はすでに決めている。
「……私は」
果たして、シャルは言った。
どこか疲れたように。
「私は、そんな風に楽観的に生きられない」
「…………」
「今の自分が、本当に自分の意思で動いているのかもわからない。そんなものがあるのかどうかすら知らない。本当にシステムに組み込まれてるのかもしれない――自由意志なんて、私は持ってない。持っていたこともない」
「俺はそうは思わない」
「私は思う」
「なら俺が証明してやるよ」
この人間関係がド下手くそな義妹に。
もっと誰かに頼っていいと、甘えてもいいのだと示してやる。
義兄である俺にできる、きっとそれが唯一のこと。
「――世界なら俺が救ってやる」
それがシャルを留めている鎖だというのなら。
俺がそれを壊してやろう。
他人じゃない。
家族なら、それくらいやって当たり前だ。
「教団なんぞに任せられるわけねえだろ。それくらいなら俺がやるさ。だから、だったら、お前も選べよ――シャル。俺に任せるか教団に委ねるか。なあ、どっちがいい?」
できれば俺を選んでほしい。
だが、たとえ駄目でも斟酌しない。
「俺が嫌ならそれでもいいさ。互いの我がぶつかったとき、魔術師がやることなんてひとつだけ、だろ?」
「…………」
「――ほら義妹。お義兄ちゃんの胸に飛び込んでこいよ」
シャルは、笑った。
「何それ。気持ち悪っ」
「うるせえ。胸を貸してやるを言い間違っただけだ」
「……、……」
「なんでもいいよ。俺に任せろ。それができるって証明してやるから」
「…………」
「俺は、俺の我を通す。――お前が死んだら、悲しいんだ」
「……なら私は、私の我を通すよ」
「それでいいんだよ」
言葉だけでは、たとえシャルを説得できたとしても、きちんと納得させられない。
そりゃそうだろう。理屈で言うなら、俺はここで引いて、あとはシャルに任せつつ教団の悪事だけを邪魔していればいい。それが最も効率的なやり方だろう。
だがそれではシャルが死ぬ。
これはただ、それが嫌だというだけの話。
「――まったく。本当、滅茶苦茶ばっかり言うんだから」
「お前も充分滅茶苦茶だろうが。何をいきなり裏切ってんだよ」
「うっさい。いきなり連れ去られたんだから仕方ないでしょうが」
「それで納得していじけてたのかよ」
「いじけてないし」
「あっそ。まあいいや」
「本当に軽いな、この変態」
「誰が変態だよ思春期」
「誰が思春期だ」
「お前だよ。髪まで染めやがって。そんなグレ方、今どきそうそうねえぞ」
「何言ってんのかわかんないんだけど」
「ああ、そうですか」
「つーか、アスタこそ相当でしょうが。煙草やめたら? 早死にするよ」
「煙草やめても死ぬんだよ俺は」
「難儀な人生だね」
「まったくだわ……いやマジでね。腕とかなくなるし」
「馬鹿じゃないの」
「はっ。いいハンデだろ?」
小さく、俺は笑った。
シャルもまた、小さく笑みを零す。
まったく締まらないことこの上ない。どこの英雄なら、こんな情けない会話を繰り広げたりするというのだろう。たぶん俺くらいじゃないだろうか。
世界のためとか運命がどうとか、けれど俺たちは、そんな小難しい話など知ったことじゃない。
しいて言えば、これは、単に――。
「――行くぜ。かかってこい、シャル。多少は強くなったみたいだが、その程度じゃまだ俺に及ばねえことを教えてやる」
「行くよ、お義兄ちゃん。いつまでも七星が最強だと思ってたら大間違いだ。私のほうが強いってこと、ここで証明してやるんだから」
――初めての、兄妹喧嘩ということだろう。
話をどんどんと矮小化していくことによって絶妙に論点をずらし、結果として相手のやる気を削いで気力勝ちしていくという、詐欺師アスタ氏一流の話題転換術。




