EX-2『アスタとシグウェルの二年目 3』
「――アスタ、こういうことは地味に上手いよね」
「地味って言うなよ……結構気にしてんだぞ」
「褒めてるんだよ? わたしじゃ、こういうのはなかなかできないからね」
というような会話が、ふたりの間で交わされていた。
連れ立って出てきたアスタとキュオは今、揃ってある小屋の前まで来ている。この田舎町は、少し外れてしまえば深い森が辺りを囲っており、その中からいなくなったシグを捜し出すとなるとなかなか骨だ。
とはいえ、それは虱潰しに歩き回るならの話。魔術師であるふたりにとっては違う。
いわゆる探知、探査系――人や物を捜す魔術は枚挙に暇がないほどメジャーなもので、特に印刻を得意とするアスタにとっては戦いよりも目立った才能を見せられる分野だった。
捜す相手がよく知った相手で、かつそう遠くにも離れていないことまでわかっているのであれば、かなり正確な位置をアスタは魔術で察知することができる。占術を専門とする秀でた術者ならば、たとえば捜す相手の毛髪とか、あるいはよく身に着けていた物品などの媒介さえあれば、数百キロ以上離れた土地にいる相手であっても居場所を特定できるという。
アスタが印刻で特定した場所――町からそう遠くない森の奥――には、一軒の小屋が建っていた。
木造で、見たところそう古くない。三階建てだ。獣道を外れた先にある辺り、秘密裏に造られた建物であることが推測できる。結界が敷かれていることからも、魔術師が関係していることは明らかだった。
とはいえ、レベルとしてはかなり程度の低いものだ。ちょっとした、狩人など森に入る人間の目を避ける程度の効果しかない、人目除けの結界。多少なりとも魔術に心得のある人間には、まるで通用しないものだ。
もっともいわゆる結界系の魔術は、これもまたメジャーである代わりに難易度は低くない。こういった認識を阻害する結界程度ならば張れる術者も多いが、もともと魔力を察知することに長けた魔術師を相手に、魔力を使って何かを《隠す》という行為自体に矛盾があるのだ。魔術師の探知さえ躱す結界を構築するには、才能というより巧みな技術が必要になってくる。
レベルが低いというより、これが本来は普通だった。アスタの基準がおかしくなっているだけだ。
「んで、どうする? この分だと、そう危険はないような気もするんだけど」
アスタは呟く。危険がない、とはもちろんシグにとってではなく、シグを攫ったらしき連中にとってだ。
持ち前の膨大な魔力量と根本的な技術力の低さから、あまり手加減が得意とは言えないシグでも、この結界からわかる程度の技術力しか持たない相手ならば逆に弱すぎて話にならないといったところだ。中途半端に強いほうが、彼を相手にはむしろ危険だろう。
シグの強さは並じゃない。いっそ異次元に達していると言ってもいいレベルだ。
本来《強さ》なんて概念に絶対はなく、どれほどの達人であろうと寝ているところを不意討ちされれば弱者に殺されることはあるし、たとえば毒殺や謀殺といった直接的な武力を使わない手段でも人間は殺せる。いや、あるいは直接に戦っていたとしても、ほんの些細なミスが命取りになることだってあるわけだ。人間である以上、体調や精神状態に影響され、常に全力を出せるというわけでもない。強さとは保険であって、決して保証ではないのだから。
それでも。それでもアスタは、シグウェル=エレクが外的な要因によって死ぬという未来を想像できない。
そんなことはあり得ないと、理性ではなく感覚が――本能が判断している。信仰してしまっている。
あるいはそのせいで、自分ではシグに勝てないと思い込んでいるのかもしれないが。そう自覚したところで抱いた印象は変わらない。
《魔弾の海》は、確かに魔弾しか使えない魔術師だ。
だがそれは、彼の強さが魔弾だけに依っているという意味ではない。そのことをアスタは知っていた。
「確かに技術力は低そうだけど。でも結界なんて下っ端に張らせることもあるからね。集団だったって話だし、こんなところに連れ込んでる時点できな臭いのは間違いないでしょ?」
アスタの呟きに、キュオがそんな答えを返した。
彼女の場合、知ってしまった以上は性格的に見過ごせないのだろう、とアスタは思う。
「ま、それもそうなんだけど……その場合、むしろこっちが人質にならないかのほうが怖いくらいだ」
「うーん……この結界を見る限りは、だいじょうぶだと思うけどね」
ひと口に結界魔術といっても、その種類は千差万別だ。結界には技術以上に適性が表れる。
たいていの魔術師が、別々の効果を持つ結界をせいぜい二、三種類張れるという程度。アスタだって、創れる結界はせいぜい阻害系と探知系の二種類。一定の空間を外部から隠す結界と、一定の空間内に立ち入った者を術者に知らせる結界だけ。
結界魔術という分野そのものを専門とする魔術師など皆無に近い。結界魔術の中には内部に特殊な効果を及ぼすものも存在してはいるが、こちらは技術よりもむしろ持って生まれた適性に左右される。
結界魔術というもの自体が、印刻魔術や錬金魔術といった魔術の《使い方》による分類ではなく、あくまで起こされる《結果》による分類だ。どんな魔術を使えど、それが一定の空間を《区切る》ものであれば基本的に結界魔術と呼ばれる。分け方が違うのだ。印刻魔術を使って結界を張る、という言い方はできても、その逆はない。
「とりあえず行ってみるか」
少し考えてから、結局アスタはそう言った。
なんの問題もないとは思うけれど、見過ごしては据わりが悪いのも事実。シグ自身、魔力酔いという名の行き倒れが原因で捕らえられたらしいということもある。
いくら信頼していたとしても、それでも、まぐれがないとは誰にも言い切れないのだから。このまま帰って後悔するよりは、行って徒労を嘆くほうがいい。
「そうだね」と頷くキュオが先行して、木陰から躍り出る。アスタはその後ろに続いた。
こういったとき、アスタよりもキュオのほうが《動き方》というものをわかっているからだ。魔術の修行を始めてまだ一年とそこそこ。上達がいくら早かろうとも、戦いにおいてはまだまだ素人だった。
身を隠していた木々の後ろから、小屋の周りの開けた土地に踏み入る。結界の内部に入ったということだが、認識阻害の結界に立ち入った者を感知するような効果が含まれていないことは確認済みだ。部外者を立ち入らせないための結界なのだから、相反する効果を付与する必要はないと見做したらしい。あるいはそもそもできなかったのか。
とはいえキュオも、それに続くアスタも、特に警戒せず歩いていた。
取り立てて作戦のようなものも示し合わせていない。何かあれば正面から潰せばいい、という程度に考えていた。キュオが前に回り、アスタが援護をする――という辺り回復役として何か間違っているかもしれなかったが。
余裕や慢心ではなかった。アスタならば、中に何人の人間が、どんな位置取りでいるのか手に取るようにわかるのだから。ひとりひとり不意討ちで潰していけば――もっとも、そこまでの強硬手段に出るつもりは今のところなく、あくまで最後の手段としてだが――さしたる苦労もせず、この小屋を鎮圧できるだろう。
ふたりは先手を取っており、相手は襲撃に対する警戒すら行っていない。見張りすらゼロなのだ。
何より客観的に見て、戦闘においてキュオネ=アルシオンを上回る魔術師などそうはいない。
いや、実のところ単純な魔術の技量で言うのなら、シグと並んでキュオはあまり上手くない。というか適性が偏りすぎている。彼女の魔術師としての才能は治癒魔術と呪術に大半が注がれており、それ以外は大したことがない。ただ、そのふたつを実践的に、実戦的に振るうのが彼女は得意だった。こと魔術を戦いのための手段として振るう彼女は、格上でも倒しきれるほどの能力を持っている。
またアスタでさえ、単純な魔術の技量ならばすでに冒険者の中位くらいには足を踏み入れているのだ。
シグやマイアのような規格外が相手でもない限り、ふたりの行動は危険と呼ばれるものではない。
――シグやマイアのような規格外が相手でもない限り。
※
囲まれた。酷くあっさりアスタとキュオは包囲されていた。
相手は総勢で四名。男女混成の冒険者、というよりはなんだかチンピラじみた魔術師たちに。
あらかじめ付記しておけば、この状況はふたりにとって予想外のものではない。というより、高い確率でこうなるだろうな、とは思っていた。
なにせ普通に入口から無警戒に中へ侵入するなり、「シグを返してもらいに来ましたー」と宣ったのだから。話し合いで済むならそれがいちばん、と言ったのはキュオで、基本的にはアスタもその意見に賛同していたのだが、だからといってこんな方法を採っても意味がないだろうとは思っていた。その通りだった。
「おうおうおう。たったふたりでここに乗り込んでくるたぁ、ずいぶんといい度胸してるじゃねえか、ああ?」
禿頭の魔術師Aがそんなことを言う。アスタは吹き出してしまうのを堪えねばならなかった。
いかにも典型的というか、見るからに小物っぽい三流臭。そういう演技をしているのでは、なんて一瞬だけ勘繰ってしまうほどだ。
もっともそれが面白いのはアスタだけで、相対するキュオは笑わなかったし、ほかの魔術師たちも同様だ。とはいえ脅しには一切屈さず、動揺さえ見せずキュオは笑う。
「もう一回言うけど、ここにわたしたちの友達がいるよね? あなたたちが連れ去ったことはわかってるんだ。悪いことは言わないからさ、怪我しないうちに返してくれないかな。そしたらわたしたちも、何もしないで帰るから」
「そいつぁつまり、喧嘩を売ってるっつーことでいいんだよなあオイ?」
「アスタ、どうしよう。話が通じないよ」
いや悪いけど俺にも喧嘩売ってるようにしか見えない、とアスタは思ったが言わなかった。
キュオにはもちろん、煽っているつもりはないのだろうが。こういうところ、なんか意外に天然なんだよなあ、なんて彼女を評価する。その辺り、アスタも余裕ではあるということ。
「お嬢ちゃん、威勢がいいわねえ。昔のアタシを思い出すし、そういうところ嫌いじゃないわよ?」
「若えのにたったふたりで乗り込んでくる度胸は認めてやってもいいがな。ちょっと世間を知らなすぎだぜ」
「こっちのほうこそ、悪いこたぁ言わねえ。怪我しねえうちに帰んな」
「今帰るなら見逃してあげるわよ? あたしたちも仕事だからね、はいそうですかと彼を返すわけにもいかないの」
口々に言う四人。本当に面白いなコイツら、とまるでコントを見てるような気分になるアスタだ。
実力が云々とかそういう話ではなく、もう単純に言っていることが面白い。
「さて、どうする? やるか? それとも尻尾撒いて帰るか?」
最初の男が笑いながらそう言った。キュオが一度だけアスタを振り返り、アスタは肩を竦めるだけで答えにする。
だから、キュオもまた笑顔でこう返した。
「――それじゃあ仕方ない。気は進まないけど、戦おっか」
「あっれー?」
と、いきなり男が首を傾げる。なぜか周りもざわざわし始めた。
その反応に、むしろキュオが面食らって思わず訊ねる。
「えと……どうかした?」
「え? あれ? おい嬢ちゃん、ちょっとタイム」
「はい?」
「おいお前ら、集合」
アスタたちを包囲するように立っていた四人が、あっさりとその地の利を捨てて集まった。
キュオとアスタは、思わず顔を見合わせて瞬きをする。
「……え、何? どゆこと?」
「わたしに訊かれてもわかんないな……」
戦いに移行することもできず、疑念に包まれてしまうふたり。
その一方で、チンピラっぽい四人は顔を突き合わせて何やら会議を始めていた。
めっちゃ隙だらけだった。
「おい、どーするよお前ら? あの嬢ちゃんものごっつ強気だよ帰んねえよ予想外」
「困ったわね……なんでかしら? 状況がわかってないのかしら?」
「いや待て、ダチのためにふたりで乗り込んでくる奴らだぜ? きっと正義感に溢れてんだよ。俺は評価する」
「でもそれだとあたしたちが困るんだけど。何があっても誰も入れるなって言われたのわかってるの?」
「そうだぜおい、せっかく伯父貴が俺たちを信頼してこの場を任してくれたんだぜ? その信頼に俺たちが応えられねえでどーするっちゅー話だよ。この程度のお守りもできないようじゃ俺たちの名が廃るってもんだ」
「やっぱりあれじゃない? アタシたちあんまり怖くなかったんじゃない? もっとこう……なんかナイフ舐めるとかさ、クレイジー前面に出したほうがよかったのよ。狂気重点でいきましょうよ」
「えー、でもそれなんか意味わかんなくない? なんでナイフ舐めるんだって思われねえ? 美味しくなくねえ?」
「いや味の問題じゃないんじゃないかな……」
「で、どうするよ? やっぱここは一発ガツンと行くべきじゃねえの? こう、なんか力を見せる感じで」
「アタシ嫌よ、あんな子ども力で脅すなんて。そういうのよくないって思うの」
「言っとくけど俺だって嫌だぜ。俺そんな卑劣なことしたくねえよ。お前なんかリーダーっぽい設定なんだからお前やれよ」
「ちょっと押しつけるのはよくないよー。そりゃあたしだって嫌だけどさ、頼まれたんだからここはさ。ね?」
「仕方ねえな。俺がやっから、お前らきっちり話合わせろよ。ぼろ出すんじゃねえぞマジで」
「任せないさいよ。アタシこれでも演技派だから。それで何人落としたと思ってんの」
「お前経験ゼロだろうがどうせ」
「あ、それセクハラー。そういうのよくないと思いますぅー」
「いいからやっぞ! はい解散!」
四人が顔を上げてこちらに向き直る。
あまりのアホらしさに、アスタはもう何を言う気もなくなっていた。
代表のチンピラ(かどうかもよくわからなくなってきた)Aが、こちらを睨んで言う。
「仕方ねえな……こうまで言って帰らねえなら、ちょっと痛い目見てもらうぜえ?」
アスタは何も言わなかったが、キュオは普通に言った。
「あの、話聞こえてましたけど」
「そんな馬鹿な」
「馬鹿だろ」
思わず突っ込んでしまっていた。どうにも我慢しきれなかった。
なんかもう帰りたい。すごくどうでもよくなってきた。アスタは完全に呆れ果てている。茶番か。
一方、チンピラたちは慌てたようにこんなことを言っている。
「お、おいおいタイムっつっただろ! なのに話聞いてるとかお前、それはちょっとあんまりなんじゃねえの!?」
「いや知らねえよ……」
頭を抱えるアスタ。男は信じられないものを見る目を向けてきていた。
「えー、マジかよ。何? なんなの? これが世代間格差ってヤツなの? 近頃の子どもはこれだからおい」
「それどころじゃなくない?」
「そうだった」
味方からの突っ込みに、気を取り直す男。掌をこちらにかざし、そこに魔力を集中させていく。
その速度や密度を取ってみても、彼が大した実力を持たないことは明白だ。
「さて。こういう手段は選びたくなかったが、帰らねえってんなら仕方ねえな。――これを見てまだ残る気だってんなら、見せてもらおうじゃねえか、その意志をなあ!」
またしてもチンピラっぽいことを言いながら、男が魔術を起動する。
魔力が集まり、それは直接的に世界に働きかけることなく、けれど世界へと広がっていく。元素魔術の特徴だ。
属性は風。高密度のエネルギーが彼の掌の中へと集中していき――、
「――アスタっ!」
「嘘だろ!?」
キュオが咄嗟に振り返り、ひと足跳びでアスタのほうに戻っていく。
それを目で捉える余裕さえなく、アスタは反射的に伏せながら、外套に隠し持っていた護石を起動する。
文字の名は《防御》。こちらに戻ってきたキュオを内側に抱き止めるように引き寄せ、ふたり揃って床に倒れ込むよう伏せながら、防御障壁を魔力で創り出す。
障壁ひとつ創ることも、アスタではルーン文字がなければ不可能だ。それでも護石を使えば工程は省略できるし、何よりルーンを用いて為された魔術は質が高い。それは魔術による解体、破戒の難易度を上げ、壊すには力押ししかなくなるということで。
直後。風の魔弾が撃ち出され、アスタの障壁をほとんど一瞬で貫いた。
すなわち、出力において圧倒的に敗北していたということ。
倒れ込んだふたりの頭上を、風の弾丸が掠めるように飛んでいく。
それは障壁を破った上でさらに小屋の壁を突き抜け、外へと飛んで行って弾けた。
途轍もない威力だった。それこそ、シグを連想させるほどに。そんな魔術を、目の前の男が成立させたなど信じがたい――というか、あり得ない。
「平気か、キュオ!?」
「わたしはだいじょうぶ!」
「くそ、いったい何が起きた!?」
チンピラなんてとんでもない。魔術のレベルが低いどころか、どう考えてもアスタとキュオを超えている。
追撃を警戒して立ち上がったふたりは、視界の端に見て取った大穴に絶句するほかない。背後の壁は完全に爆散しており、そのさらに先で森の木々を数本、根こそぎ薙ぎ倒していた。
まさか実力を意図的に隠していたというのだろうか。さきほどの茶番さえ、本当にこちらを油断させるための演技だったのか――。
だとするのなら、目の前の魔術師はふたりの想像を超越する魔術師だということになる。
不可解による焦りで額から汗を流しながらも、ふたりは前を見据えた。アスタはキュオを守ることを、キュオはアスタを守ることを第一に優先するよう思考が切り替わっている。
そんなふたりの見る先で。
「――えっ……?」
四人の魔術師が、揃いも揃って目を見開き、口までぽかんと開けて、間抜けな表情で絶句していた。
余裕ぶっこいてるから、ほらー。




