4-57『未来』
海を、見た。
と、そんな風に思った。
もちろん実際に海を見たわけじゃない。そもそも迷宮の最深部に、海など存在するわけがない。
それでも、その膨大なまでの魔力溜まりを比喩するならば、海という表現がいちばん近いように思ったのだ。高すぎる密度のあまり半質量化し、それが揺らめく小波のように寄せては返す凪の海。風も動きもないのに、その認識を超えた魔力の量は、それでも圧倒的な存在感を放っていた。
竜種を――王たる神獣を倒した、その場所でのことだった。
死闘の末、内包する魔力の全てを解放して、あとには枯れた肉体だけを遺した竜種。それがまるで門番のように守っていた先には、大きな魔力の貯蔵庫があった。
果てのない、白い――いや、無色の空間だ。
天も地もなく、ただ境界から先を、まるで広大な魔力の貯蔵池が続いているような。それがどこまで続いているのかなんて、わかるはずもなかった。
「……なん、だよ……これ」
アスタはそう呟いたが、返ってくる言葉はなかった。答えられる人間が、七人の中にはいなかったから。
迷宮が、太古のヒトの手によるものならば、その最奥にはきっと財宝が眠っている。それもかつてに類を見ない、最高の宝が。そんな風に思っていた。それは高密度の純粋魔晶か、はたまた現代では再現不可能な効果を秘めた魔具か、あるいは古の術者が残した《喪失魔術》の術式が刻まれた魔導書という可能性もある。
もちろん、何もない可能性もなくはない。初めから財宝目当てというわけでもないし、あるいはこの迷宮を初めに作った人間にとっては価値があっても、現代の自分たちには何の価値もないものが眠っている可能性だってあった。
とはいえ――これは予想外だ。
「ゲノムス宮の宝は、この魔力だっていうのか……?」
再び、訊ねるように呟くアスタ。だが、それはあり得ないとわかっていた。
なぜなら、その場に眠っている魔力の量は――異常だ。たとえ現代より遥かに進んだ魔導の技術を持つ過去の人間であろうと、こんなものを用意することは絶対にできない。
多いなんて、そんな言葉で表現できるようなものじゃない。
それこそ海の水を数えるようなものだ。こんなもの、ほとんど無限と変わりない――いや、認識の限界を超えている以上、本当に無限なのかもしれなかった。
それは。
この世界に存在する、全ての魔力を集めたかのような場所だった。
「……迷宮は、かつての魔術師が創り出した結界が、長い年月を経て劣化し、その《侵入者を拒む》という機能だけが肥大化してしまった場所だと言われていたな」
小さく、そう口にしたのはユゲルだった。
全員が彼のほうを見る。おそらく、この場で答えらしきものを仮にでも提示できるのは、ユゲルを措いてほかにいない。
「それはつまり、この世界そのものと接続してしまった、という意味だったのかもしれんな」
「教授、それ、どういうこと……?」
訊ねるマイアに、ユゲルは「仮説だが」と前置きして続ける。
「ここで言う《世界》とは概念的な意味でのものだ。魔術が世界法則の改竄である以上、それは前提に《世界》という概念を認めている」
「んん……? よくわかんないな」
首を傾げていったのはメロだ。マイアがちら、とアスタのほうを見た。
この場で、《世界》という概念を複数あることを知っているのは、マイアとアスタのただふたりだけである。ユゲルなら仮説としては理解しているかもしれないが、その実在までは知り得ない。
「俺たちの住むこの国を、あるいは星を、その先全ての宇宙をも内包する、イメージとしての世界。――それは、魔力でできているのかもしれない」
魔術で、すなわち魔力で干渉できるということは、それそのものが魔力でできているという考えの補強になる。
そしてこちらから干渉できるならば当然、逆も然りということで。
「そもそも迷宮は物理的な空間じゃない。地下にこんな広大な建造物を百層以上も造れるはずもないからな。厳密には、だから地下ですらないというわけだ。概念的な位相がずれ、この星の中心に近づいてしまった規模の迷宮は、逆に世界側からの干渉を受ける。――融合する。目の前にある光景のようにな」
「……なら」
最初に理解したのは、奇しくもと言うべきか、アスタだった。
ユゲルはそれを理解し、頷きを返して言葉に変える。
「この世界は――そもそも魔力でできた結界なのかもしれないな」
この空間には瘴気がなかった。広がる魔力の海は無色に澄んでおり、ただ高密度であることを除けば通常の魔力と変わりがない。
それでも、魔力というものが元来は毒である以上、その先に進むことはできなかった。
「……これが、世界そのものというわけか……」
呟くユゲルだったが、その言葉の意味を正確に捉えられる者は少なかった。
――まあ、そういうものなんだな、と。
思ったことといえばその程度。感覚としては、珍しい光景を見れたというくらいだった。
だが。
「――問題は、これがどこまで続いているのか、だな……。あるいはどこまで続くのか、か」
「教授……?」
小さく発されたユゲルの言葉は、全員の耳に届いていたが、意味まではやはり届かない。
首を傾げたマイアに、ユゲルは小さく首を振って言う。
「悪い。何かわかったわけじゃない。――戻ろう。それでいいな、マイア?」
「え――ああ、うん。そうだね。帰るまでが迷宮攻略だしね?」
「まあ、その通りだな。凱旋だ――せいぜい大手を振って帰るとしよう。忙しくなるぞ」
ふたりの決定には全員が従った。番号的にはシグウェルが二番目だが、七星の副団長は実質的にユゲルだ。トップふたりの決定ならば、異論を挟む者はない。
何も言わないということは、つまりまだ何もわかっていないということだ。
必要ならば、きっと何かを言うだろう。
七人は、揃って迷宮を逆向きに戻って脱出する。実際、目的はすでに達成したのだから。
それでも、前人未到の大偉業を成し遂げたあとにしては、なんだか微妙な心境で、七人は帰路につくことになったのだった。
※
そして。
「――結論から言おう」
七星旅団の名が、伝説として、完全に世間へ浸透しきった頃。
攻略の前にユゲルが購入した別荘に、七人は改めて集合していた。
その間、ユゲルはずっと迷宮の調査と研究に勤しんでいた。そこでわかったことを発表するから、聞きに来てくれというのが呼び出された理由だった。
「あの迷宮は――いや、五大迷宮は全て破壊しなければならない」
そして。集められるや否や放たれた台詞には、さすがに皆が驚かされた。
マイアだけは聞いていたのだろう。珍しく真面目な表情で、ただ口を閉ざしている。しばらくの無音が続いたあと、口火を切ったのはセルエだった。
「迷宮を破壊……ですか? えっと、いったい何がわかったんですか?」
「何かわかった、というと怪しいところだな。俺も久々に伝手を総動員して、それこそノートや、ペインフォートの御曹司まで駆り出して調べたんだが、実のところ何もわからなかった」
ユゲルの口から出たふたつの魔導師に目を見開きつつ、今度はキュオネが言う。
「それでも、わたしたちを集めたってことは、何か用事があるんでしょう?」
「単純な類推なんだがな」とユゲル。「まずひとつ。ゲノムス宮があの状態だったということは、最低でも同じ五大迷宮と呼ばれるほかの場所も、同様の状況になっていると考えられる」
「それは、そうかもね。それで?」
「ふたつ目は、あの迷宮が昔からあの状態だったわけではないということだ。世間一般に広まっている迷宮学の基礎から考えるならば、迷宮は育つ。――そして、あの迷宮は世界そのものと接続している。あの規模は、時間とともに膨らんでいるということだ」
「…………」
ユゲルの言葉を噛み砕くには、少しの時間が必要だった。
とはいえ、言われてみれば当たり前のことだ。七人が見たゲノムス宮の状況と、迷宮の成り立ちを考えるのであれば、その結論に至るのは難しくない。
問題は、その先だ。
「所詮は世界の一部でしかない迷宮と、世界そのものでは規模が違いすぎる。今はゆっくりでも、その進行の速度は徐々に増していると俺は結論づけた。……崩壊するときは一瞬だろう。それはゲノムス宮だけじゃない。ほかの迷宮も同じだ――なにせ全てが、世界そのものを通じて繋がっているんだからな」
「ちょ、ちょっと待って! ていうことは――」
ユゲルは待たなかった。この世界で最も魔術に詳しいひとりが、出した結論が述べられる。
「――いずれ、この地上の全てが世界という概念に呑み込まれてしまう。あの膨大な魔力に、世界全てが、世界そのものに消される可能性が……ある」
※
ユゲルは語った。
「とはいえ、それは今すぐというわけじゃないだろう。少なく見積もっても、まだ百年単位で猶予があると思っていい。とはいえ、このままではいずれ世界が呑まれる。放置するわけにはいかないだろう」
「では、その対策だ。どうすれば世界の崩壊を防げるか。簡単だ――迷宮との接続を、その物を切り離してしまえばいい。あの迷宮そのものを破壊してしまえばいい」
「お前たちは、そのために呼んだ。あの死地に入って、迷宮そのものに官署できる魔術師なんてほとんどいない。いや、俺たちしかいない。――俺たちが最も適任だ」
「だから、そのためにもう一度、あの迷宮に潜ろうというのが――まあ、俺とマイアの結論だな。どうする? 念のために訊いておこう。来るか、それとも来ないか」
「……だろうな。そう答えると思っていた。そう、俺たちはまだ、迷宮の攻略を完遂していないということだ。中途半端は嫌いだろう? だったら、再挑戦は早いほうがいい。――もう一度、あの迷宮に潜るとしよう」
※
――■■■■■。
記憶には、酷い雑音が走っている。まるで思い出すことを拒否しているかのように。
忘れたことなんて、一度もなかったはずのことなのに。
きっと、自分の感情が、その光景を拒否しているのだと思う。
罪を。あるいは罰を。
見せつけられているような気分になるから。
※
ここから先に物語はない。
ゲノムス宮の様相は一変していた。
その変化を、いいものだと捉えることは、状況的にできなかった。
「……どうなってる?」
――瘴気が消えている。全て濾過されてしまったかのように。それでも魔力に満ちていることが、逆に不可解でしかなかった。
魔物もなく、どころか見た目そのものが変わっている。迷宮であったはずの場所は、まるで単なる建物――古い遺跡でしかないような場所に変貌していた。
本来なら、まあ、いいことではあるのかもしれない。
けれど、その唐突な変化を、無思考で受け入れることは誰にもできなかった。
抱いたのは危惧と疑念。あるいは初めて挑戦したときよりも強い警戒を持っていながら。
それでも、何もすることができなかった。
――記憶を見ることに拒否反応が出る。
発動する罠。それは本来、アスタが警戒するべきものだったはずなのに。
気づくことさえ、できなかった。
気づいたときには、アスタはまるで見知らぬ場所にいた。
白い空間。いや――見知らぬというと嘘になる。それは少し前、この迷宮で目にした、理解の先にある異空間。
ひとりではなかった。
横には、おそらく消えていくアスタの違和感にただひとり気がついたのだろう。
キュオネ=アルシオンの姿があった。
――わかりきったその先を、二度も見せつけられたくない。
そのとき何が起こったのか、アスタには今もなおわからない。
ただ、理解できない何かに出遭った。
行き遭ってしまった。
黒い影、とでも言えばいいのか。それも適当ではないような気がする。モザイクのように、あるいは電子画面を走る砂嵐のように。
色という概念の落ちたそのヒトガタは、ヒトガタだと認識できているのに、なぜか正確な輪郭を捉えられない。
――それでも、目を背けることは赦されなくて。
それは、それ自体がそういう概念であるかのようにアスタを襲った。
極大の、瘴気の渦に襲われた。
負の概念を。悪意と害意と敵意と殺意と罪と罰と死と生と病と老いと傲慢と強欲と虚飾と嫉妬と暴食と色欲と怠惰と憤怒と憂鬱とありとあらゆる淀んで歪んで壊れて狂って終わってしまった呪いの全てを、その身にぶつけられた。
まるで慈愛でもって抱き留めてくるみたいに、そのヒトガタがアスタと重なる。
なんの前触れもなく。なんの物語もなく。ただのひとつの運命のように。
だから。
そのとき。
アスタはそこで死ぬはずだった。
そういう運命だった。そうとしか言いようのない、それは逃れようのない災厄だった。
寸前。
――死ぬはずだったのに。
逃れることなんてできないはずの死を、その運命を。
捻じ曲げてくれた存在が、いったいなんであったのか――そのときアスタにはわからなかった。
理解を拒んでいた。脳が働きを拒否していた。感情が理性を拒絶していた。
――どうやら、庇われたらしい。
それを悟ったのは、結局のところ、全てが終わったあとだった。
キュオネ=アルシオンが死亡し。
アスタの身代わりとなって命を落とし。
助けられ。
それでも避けられなかった呪いに蝕まれながら、アスタは迷宮から生還した。
生き汚く。
――また、誰かを犠牲にして。
いったい、自分でもどんな方法を使って地上まで戻ったのか。
死の運命にあったアスタは、それを捻じ曲げてくれたキュオネを犠牲にして。
ひとりだけ、また、生き残ってしまった。
地上で残る仲間と合流した、その瞬間だけはわずかに覚えている。ほとんど死に体で――実際、進行する呪詛を五人が対処してくれなければ確実に死んでいた――そんな有様で、それでも迷宮から生きて出てきた。
――馬鹿みたいに繰り返し、謝り続けたことだけは覚えている。
キュオネ=アルシオンは死んだ。
死体さえ残さず、運命の中に呑まれて消えた。
そこにはなんの物語もない。特別なことなんて何ひとつない。
当たり前があって、それを覆した誰かがいて、その奇跡の代償に、やはりそいつが命を落としたというだけだ。
あとから聞くところによれば、残りの仲間たちも、アスタと同じく分断されていたらしい。
結局は何もできないまま、けれど気づけば目的であった迷宮の封印は、誰ひとり気づかないままに為されていたというのだから馬鹿げている。
そうして。
大切な仲間の命を踏み台に生き残った男は。
旅団を抜け、ひとりに戻った。
――そこには、なんの物語もなかった。
※
「……拷問みたいだな」
とアスタは言って、キュオネは笑う。
生きていた頃と同じように。
「ごめんね。わたしと一緒に、これを見たくはなかったよね」
「……やめろよ」アスタは首を振る。「お前に謝られたら、それこそ立つ瀬がない。死にたくなる」
「死んだら許さないけどね」
「だから……こうして生きてるんだろ」
そう。生きている。今だってこうして生きている。
――そんな自分の中途半端さが、吐き気を催すほどに嫌いだった。
大切な友人を失って。けれど自暴自棄になるわけでもなく、さりとてまったく気にしないなんてことも無理で。半端に腐って生きている。
ヒトの死に、きっと慣れ過ぎていたから。
生きることも死ぬこともできず、こうして学院でぬるま湯じみた日常に浸っている。
それ以外には、何もできないでいた。
仇を取る相手なんていない。結局のところ、ヒトがひとり死んだところで、ヒトが何人死んだところで、生きている人間は生き続けるだけだ。世界はその程度で終わらない。
どこにでもありふれた悲劇に浸って、絶望に酔うことなんてアスタにはできなかった。
けれど、彼女を死を乗り越えて、物語の英雄が如く前に踏み出すこともできなかった。
何もかも中途半端。中途半端に受け入れて、中途半端に受け入れられず、ただの人間に戻ってしまった。
かつて七星旅団の一員だったという事実は都合がよかった。適当なところまでがんばれば、それなりの結果はついて来るのだから。
半端な強さが、キュオネの死を単なる事実として受け止め、そこで立ち止まって停滞させることを許さない。
迷宮で死ぬほどの呪いを受けたという現実は都合がよかった。道の途中で諦めるための、恰好の言い訳になったから。
半端な弱さが、キュオネがもういないという現実に心を砕かれて、新しい場所へ踏み出していくことをやめさせた。
それが何より手酷い、彼女への裏切りだと知っていながら。
「――だから、わたしもこうして、死んでまでここに残ってるんだけど」
けれど。それでもキュオネは笑うのだ。
それが居た堪れなくて、けれど泣き言も吐けなくて。やはり半端に、情けない顔を作ることしかアスタにはできない。
強さも、弱ささえどこまでも半端だったから。
ある程度の理性と、ある程度の感情が、キュオネの死をあり触れてつまらない悲劇に変えてしまっている。
「別にさ、いいと思うんだ、本当は。これ以上、もう、がんばらなくたって」
キュオネが言う。その言葉を、アスタは、ただ聞いた。
それがどんなものであれ、彼女の言葉を拒んだりできなかった。
「異世界にいきなり呼び出されて、何度も死ぬような目に遭わされて。そりゃ、それがこの世界では普通だったのかもしれないけど、関係ないよ。この世界のことに付き合わなきゃいけない理由、アスタにはないでしょ。いいんだよ、もっと悲嘆にくれて。怒っていいんだ。悲しんでいいんだ。だって普通に考えて、言っちゃなんだけど、充分に不幸でしょ、アスタ」
「……お前、俺が異世界から来たって――」
「知ってたわけじゃないよ。知ったの、死んでからね。だって、ここは世界だよ。全ての記録が残ってる場所。――ふふ、アスタはもう、わたしに隠しごとはできないね」
「そりゃ……恐ろしいな」
「うん。だからわたしは知ってるよ。アスタががんばってたこと。ほかの誰にもできないよ。言葉も通じない、戦う力だって持ってない、そもそも生きていくことさえ難しい、まだほんの子どもだったのに――誰も、誰ひとり知っている人のいない世界に落とされるなんて、絶望するには充分だと思う。わたしには、きっとできなかった。アスタと同じ状況なら、アスタのいる場所まではいけなかったと思う。――だからアスタはがんばったよ。すごいと思う。偉いと思う」
「……、……」
「そのアスタがね。もういっぱいだって。もう諦めたって、それに文句を言える人、いないって思うな。アスタならもう、普通に生きていこうと思えば、普通に生きていけるでしょ? ほかのひとと同じように、ごく普通の暮らしをしてたって、誰も責められない。当然の権利に決まってるよ」
実際、それが今の自分なのだろう、とアスタは思う。
やはり中途半端ではあるけれど。綺麗に足を洗えたとは言えないけれど。いや、かつてアーサーが言った通り、ひとたび魔道に足を踏み入れた者が、その汚れを落とすことはできないのかもしれない。
それでも――それでも願うのであれば、確かに、人並みの幸せくらいは望めるはずだ。
ほかでもないキュオネが、アスタにそれを許してくれるのなら。
「でも。でもね――だからこそわたしが言うね」
「……何を?」
「もっとがんばれって。まだ諦めるには早いんだぜって、わたしが言う」
「キュオ……」
「別に、わたしはアスタのために犠牲になったなんて、これっぽっちも思ってない。言ったでしょ? わたしは、わたしがやりたい通りに生きてきたよ。七星旅団が掲げた理念の通りに、わがままに、欲張りに、我を通した人生だったね」
マイアが教えてくれたように。
シグが示してくれたように。
ユゲルが導いてくれたように。
セルエが後押ししてくれたように。
メロが体現していたように。
「だから、わたしは幸せだった。悔いのない人生だったって胸を張れる。それをさ、勝手に重荷に思われたら、わたしのほうが困っちゃうよ。せっかく悔いがなかったのに、アスタがわたしの心残りになってどーするのさ」
――だからさ。
と、彼女は言う。
「だから、今度はアスタの番。わたしはアスタといられて幸せだった。たくさん助けてもらって、いっぱいのものをくれて――そんなアスタだから、あのとき助けようと思ったんだよ? わたしは――わたし自身と比べてでも、それでもアスタのほうが大事だった」
「――……っ!」
「そうだね、酷いコト言ってると思う。我ながら重い女だねー。死んでまでアスタを縛るんだもん。……でもさ、でもだよ? 結局、アスタには初めから無理なんだと思う。全部忘れて、何もかも投げ出してひとりでいるなんて。それができないから、今もこうやっているんでしょう? なら、もっと素直になりなよ。誰かを助けたいなら、助けたいって口に出して言えばいいんだ。求められてないって思っても、自分がやりたいなら押しつけちゃえばいい。それで失敗したって、そのときはそのときでいいじゃんか。それで終わりじゃないでしょ? アスタにならできるってわたしは知ってる」
「そんなこと――そんなことどうして言えるんだよ!」
ついに。アスタは――明日多は、吠えた。
「俺には無理だよ。わかってんだよ、お前の言う通り……何もかも中途半端でさ。悪びれた悪人にもなりきれねえ、未だに綺麗なモノを信じてる。こんだけ現実を見せつけられて、それでもまだ夢を見てるような馬鹿野郎なんだよ! 誰かを助けたいなんて嘘なんだよ! ただ俺が見たくねえだけなんだよ! 誰かの絶望とか、悲しんでるとことか死んでいく奴とか、そういうものが嫌ってだけなんだよ当たり前だろ俺はただの日本人だぞ! 親しい奴が、悲しい顔してたら普通に嫌だろ! そう簡単に悟りきった顔できるわけねえだろ! 馬鹿みてえでも、助けてやりたいって思うだろ!」
どこにでもいる、ただの中学生だった子どもだ。
持ち得る願いだって人並みで、汚いものを見たくなかっただけで、それなのになまじ強い力を手に入れてしまって。それが視界を広げてしまったから。
本当なら悩まなくてもいいようなところまで目に映って。手を伸ばそうとしてしまって。
けれど、いくら魔術を鍛えたところで、不可能がなくなるわけじゃない。
いつしか取り零したものしか見えなくなって、その絶望に付き合うのが怖くなった。
当たり前だ。こんなものは英雄願望でさえない。
家族や、友人や、仲間や、知人や、恋人や、隣人や、知らない誰かの。
不幸なんてわざわざ願えない。あり得ないことがわかっていても、みんなが笑っていればいいと、所詮は常人の感性が、ただ普通に願っただけ。不幸など望むわけがない。
助けになれるだけの力があるなら、貸してやりたいと普通に思った。
なのに。いつしか。
未来を願えなくなっていて。
「でも……っ、でも無理なんだよ、そんなこと! 俺なんかにそんなことできるわけねえんだよっ! だって、それは……それは単なる俺のわがままだ! 俺には無理だ、……無理なんだよ。俺が思う救いなんて、誰かに押しつけられねえだろ。俺は英雄になんてなりたくない。伝説だなんて呼ばれたくなかった。そんなものじゃないことくらい……誰より俺が知ってんだから。届かないものがあるって知ってるから。見たくないものに蓋をして――それさえできなくて。それで……、なんにもできなくなっただけなんだよ。お前だって……キュオだって見殺しにしちまったのに。いいのかよ? なあ……そんな俺が、誰かを助けたいだなんて、そんなこと――」
「いいに決まってるじゃん」
キュオネが笑う。笑顔で、アスタを肯定する。
「だって、やりたいんでしょ? ならやればいいよ。それならわたしは応援できる。できない言い訳なんて考えなくていい、失敗したときのことは失敗してから考えればいい。これまでもやって来たことだよ。アスタは――アスタ=プレイアスは、誰かの背を押す魔術師だよ。それでもわたしを、わたしが死んだことを重荷に思うなら、それなら次だよ。次に成功すればいい。――いや、するってわたしは知ってるんだ」
「なんで……、そんなこと言えんだよ」
「ずっと見てたからに決まってるでしょ? ――わたしは、アスタのことが、大好きだもん」
それが、どれほどアスタを縛る言葉なのか。
彼女はきっと、わかった上で言っているのだろう。
「だから、わたしはアスタを信じる。次はわたしがアスタを助ける。いいじゃん、遠慮しないで口にすれば。そりゃ、他人のことを考える魔術師なんてほとんどいないけど。そんなこと気にするような性格じゃないでしょ。――恥ずかしい奴に、なればいいよ」
「……」
「元から格好つけなんだし。これからは、もっと格好つけていこう。そのほうが、きっと格好いい。格好つけたほうが――格好いいに決まってるよ」
「……そう、だな」
言われ、アスタは顔を上げた。前を向いた。
思い出してみれば、セルエにもメロにも、ずっと同じことを言われ続けていたというのに。
今の今までわかっていなかったというのだから、ああこれは確かに、彼女らの言う通り間抜けも極まっている。これ以上の恥は――もはやないだろう。
やり方ならば知っていた。だって、それは彼女の言う通り、これまでずっとやってきたことだから。
失ってきたものに言い訳をして。
残酷な現実を理由にして。
理想を語ることを恐れた時点で――魔術師としては死んでいる。
無様でも、強欲でも、求めるものから目を背けては、いけなかったはずなのだ。
「今から、また――がんばってみればいいか」
「そうだね。がんばれ、アスタ。まだ遅くなんてない」
それは呪いだ。
もはや立ち止まることを赦さない、死ぬまで足掻き続けることを、アスタに決定づける楔。
真っ当な人生など、これで二度と望めない。
それを許してくれたキュオネが、けれどそれでも、アスタに下してくれた罰。
その重さが――心地いい。
それでいいんだ。
もう二度と、重荷を背負うことを躊躇ったりしない。
きっと、これまでと同じように。
「……なんか、すげえ恥ずかしい話してた気がするわ。他人に見られたら悶絶もんだな」
「そうだね。アスタ、格好つけしいだから。世話が焼けるよね、まったく。なんなら少しくらいグレてくれたほうが楽なくらいだよ」
「お前は俺のお母さんかよ」
「あはは……それは嫌かなー」
「あっそ、まあいいけど」
「うん」
「――さて、ここから出るとするか。悪いけど、力を貸してくれ、キュオ」
「死んでまでこき使うなんて、酷い男だね、アスタも」
「悪いな。でも、もう躊躇わないって決めたから。教えてくれ――全部。お前がここに来て知ったこと全て。背負って俺は帰るから」
「そうだね……それを話したら、今度こそお別れだ」
「は? 馬鹿言うな」
小さく零したキュオネに、アスタは言う。言ってやる。
自分のために死んだ少女にさえ、我を押しつけることを躊躇わない。
「……俺のことが心残りだ、って言ってただろ。悪いけど、やっぱり俺ひとりじゃ、できることにも限度があるからな。――まだ行かせたりしない。もう少しだけ、付き合ってくれ」
「む、無茶苦茶言うなあ……言っとくけど、わたしはもう死んでるんだよ? ここでアスタに会えたのは、わたしたちが呪いを通じて繋がってたからだよ。何かの奇跡みたいなもので、わたしは生き返れるわけじゃない」
「わかってる。ここでずっと――俺の呪いを食い止めていてくれたんだろ? あの呪いを受けて、それでも俺が死ななかったのは――ずっとお前が憑いていてくれたから」
片手を、自分の胸に当てる。
そこには確かに、彼女との繋がりがあって。
「キュオが、ずっとここにいてくれたんだろ。俺を助けてくれたんだろ。あのときの約束を――守ってくれてたんだろ」
ならば、それでいい。それさえあれば、もう充分だ。
キュオネを連れて、ここから出て、教団の連中は全てブッ倒して、全部何もかも元通りにしてやる。
そういう未来を願うと決めた。
「――もう一度言うよ。元より俺は、ひとりじゃ何もできないからな。誰かの力を借りなくちゃ、まっすぐ立つのも危ういくらいだ。だから――貸してくれ。お前が、まだ、必要だ」
「仕方ないなあ……アスタは。まったく世話が焼けるんだから」
「悪い。――ありがとう」
「いいよ」
――わたしがアスタを助けてあげる。
そう、彼女は微笑んだ。
活動報告が御座います。
キャラデザ公開、第三回!




