4-51『王都事変/経過』
「――さて、じゃあ出かけるとするか」
修行が終わった段階で、魔法使いはそんな風に言った。
異次元に存在するという――異次元という概念がまず理解できなかったが――フィリー=パラヴァンハイムの城。初日にも訪れた、食堂らしき一室だ。
ピトスは首を傾げ、彼女に問う。
「出かけるって……どこにですか?」
あのあと一夜が明ける頃には、彼女は普段の彼女に戻っていた。少なくともその表面上は。
もっとも、内心のほうは誰にもわからない。
おそらくまだ荒れているのだろうとは考えるものの、ウェリウスもシャルも、だからといって言及しようとは思っていない。それがいいことなのか悪いことなのかは別として。
フィリーに至っては、いったい何を考えているのだろうか。それを悟らせぬまま、彼女はただ問われたことに答える。
「何を言っているんだ、お前は。もともと王都に行くつもりだったんだろ? 送ってやると言っている」
今は妙齢の女性の姿を取っているフィリー。彼女に言われて、そういえばそうだったとシャルは思い出す。微妙に忘れてしまっていた。
オーステリアを出た本来の目的は、あくまで王都に向かったというアスタを追いかけることだ。だが何やら思惑があるらしいウェリウスやピトスと違い、シャルは割と流されただけの形である。そのせいで抜け落ちてしまっていた。
一応、思うところがないわけじゃない。兄弟子であるアスタに対して、言葉にはできない複雑な感情をシャルは抱えていた。彼が学院を辞めると聞いて、なんとなく納得いかない気持ちがあることは事実なのだ。
そのことに、シャルは自分で気がついていない。だからウェリウスが言い出さなければ、きっと追いかけようとはしなかっただろう。
なぜならそんな行動は、シャルロットの目的として設定されていないから。
「……フィリーさんが、ですか? わざわざ?」
一方、ピトスはフェリーの言葉に懐疑的だった。その口調には、明確に不信が浮かんでいる。
暗い態度は消えていたものの、魔法使いに対して信頼は抱いていない様子である。
「そう。この私がわざわざ送り届けてやるというんだ。少しは感謝したらどうだ?」
「…………そうですか」
間があってからピトスは答える。やはり不審そうだった。
確かに、フィリーが信用できないという気持ちはシャルにもわかる。この魔法使いが、善意からそんな申し出をするとは思えなかったのだ。かといって悪意でもないだろうから、余計に意図が見抜けない。
何を考えているのだろう。その答えを、フィリーは自ら口にした。
「言っただろう。私はただバランスを取っているだけだ」
「バランス……?」
首を傾げるフェオ。その蒼い瞳を、見透かすようにフェリーが見やる。
「そう。《七曜教団》を名乗る連中が、奴らなりに世界を救おうとしているのは聞いたんだろう? その善悪を私は問わない。好きも嫌いも。是も非も。私には一切関係がない。連中が動いた結果、たとえ世界が救われようと滅ぼうと、私は関知するつもりがない」
「滅ぼうと、なんですか?」
彼らの言う《世界を救う》という言葉が本当だとして――その犠牲に自分が巻き込まれないという前提があるのなら――確かに、七曜教団の行為を咎める理屈は倫理以外にない。
だがその結果、世界が滅ぶ可能性があるとするのなら、それがどんな文脈であろうと興味がないとは言えないだろう。それとも魔法使いならば、世界が滅んでも自分ひとりは生き残れるということなのか。
「滅ぶんならそれでいいさ。それまでだったということだろう」
だが魔法使いは言う。それは生に対する執着が薄い、と言うより、どうなろうとそれを受け入れるという覚悟――あるいは単純に無関心を示す言葉だった。
「世界が終わるなら、それはその世界に住む人間の総意ということだろう。魔法使いだからといって、それを否定するつもりはない。終わりが来るなら迎え入れるさ。エドワードともアーサーとも、私は違うよ。もちろん、お前らが抗うというのなら、それも否定しない。応援もしない。――ただ、決めてはおけ。この先、自分が何を選ぶのかくらいは」
「……なら、どうしてわたしたちをここに呼んだんですか?」
と、これはピトスが訊ねた。普段通りのようでいて、彼女はどこか頑なだ。
フィリーはそれに気づいた上で、なお意図的に無視しているようだとシャルには見えた。
「それも言った。この世界に住む人間が決めることなら否定しないと私は言ったんだ。盤外の人間が意図的にそれを歪めることまで受け入れるつもりはない。それは違う」
「何を言って……」
「だからバランスだよ。エドワードが教団を作り、アーサーはそれを由とせず旅団を作り上げた。だが、その傾きがあまりに一方的過ぎたからな。選ぶ余地を奪うような真似は個人的に認めづらい。だからお前らに託したのさ。もっとも私にも、お前らがどちらの立ち位置を選ぶのかまでは知らないが。とはいえ、腹は立つだろう? たった二十人にも満たない人間だけの間で、世界の命運など決められては」
――だから、お前らも選んでおけ。
そうフィリーは言う。
「そのための資格ならくれてやった。というよりお前らは初めから持っている」
誰も――ピトスも、シャルも、ウェリウスも。返す言葉を見つけられない。
というより、意味がわからなかったのだ。大まかには掴めても、抽象的すぎて本当のところが捉えられていない。
それはフィリーにもわかっているのだろう。彼女は苦みのある笑みを見せ、
「まあ、今はわからなくてもいい。私からは何も言わないし――何も聞かないほうがいい。下手に知ると、先の運命が確定されてしまう。自分で選んだつもりでいても、知らぬ間に誘導されてるかもしれない……あの男はそういう魔術師だからな。それより、出発するとしようか」
それだけ言うなり、フィリーがぱちん、と指を鳴らす。
――直後。
周囲の景色が一変した。
「な……!?」
空。そう、四人は気づけば空にいた。
『一流の魔術師は、そのまま一流の演出家であるべきだというのが持論でな』
などというフィリーの言葉を聞いている余裕はない。
当然、四人は物理の法則に従い、地面に向かって落下し始める。なんの前触れもなく訪れた強烈な浮遊感に、シャルの顔色が蒼白へ近づく。
『王都の上空まで来た。面白いところに落としてやるから、あとは好きに動け』
落下する三人の脳裏に、フィリーの声が届く。
が、それどころではなかった。
「ひやああああああああああああああああああああああああああ!?」
悲鳴を上げるシャル。このまま落ちたら普通に死ぬ。
だが一緒に落下しているフィリーは一切気にしていない様子で、
『む。結界か――穴開けてやる。ほれ』
くっと指を開くようなジェスチャーで――三人は知る由もなかったが――《月輪》の構築した結界に穴を開けた。
その隙間から、結界の中へと落ちていく三人。フィリーだけが、まるで空中に着地したかの如く外側に残った。
『――じゃあな。あとは任せた、私は帰る』
その言葉はやはり状況を無視して脳裏に届いていたのだが、生憎と理解できる状況じゃなかった。
――あああああどうしようどうしたら。
焦るシャル。なんか少しだけ「あの女マジ覚えてろ……」という声も聞こえた気がしたがそれどころじゃない。
そんなときだ。唐突に、落下速度が緩和される。
まるで風が身体に纏って、シャルたちを空へ押し上げたみたいに。
「着地は僕のほうで制御するよ」
声を発したのはウェリウスだ。彼が何かしたらしい。
「それより下のほう、見て。何かいる」
「……ほんとだ」
ゆるく浮遊しながら、シャルは眼下に魔物を見た。雷を纏う巨大な魔物――その迸る魔力量から見て、おそらくシャルがこれまでに見た魔物の中では最強の一体だろう。
「――というわけで、まずは先制攻撃。よろしく頼むよ、シャルロットさん」
「まあ、そうするしかないみたいだし……」
「それじゃあ行こうか」
突如、またしても落下速度が元に戻る。
「ひ、ぁあああああああっ!?」
またしてもの浮遊感に、またしても悲鳴を漏らすシャル。
フィリーにしろウェリウスにしろ、実のところよく似ているのではないだろうか。
そんなことを考えながら――三人は戦場へと降り立ったのだ。
※
「さて、ピトスさんはフェオさんを頼む。シャルロットさんは僕と……せっかくだ、派手にやろう」
そして。ウェリウスが、真正面に立つ雷神もどきを見据えながら言った。
炎上する雷獣。雷が燃えるという奇妙な状況は、炎も雷も魔力が元になっているからこそ起こり得る現象だ。とはいえ、実体さえ持たない魔物を相手に、炎の効き目は薄いだろう。そう間もなく復活するはずだ。猶予は少ない。
戦場に乱入した三人は、状況がいまいちわかっていなかった。だが、少なくとも目の前の魔物が敵であることだけは間違いない。
周囲に人影はなく、王都はもはや魔窟と化している。
頷き、ピトスはフェオへ駆け寄っていった。そこに小柄な人影が――アイリスがちょこんと駆け寄ってくる。
ウェリウスをまっすぐに見上げ、少しだけ小首を傾げているのは、彼をこの場のリーダーとして認めたからだろうか。まるで指示を待っているかのようだ。
「久し振り、アイリスちゃん。あまり話したことはないけど、僕のことは覚えてるかな?」
「ん」
「そうか、それは嬉しいな。よくがんばったね」
「……」
ふるふると首を振るアイリス。否定ではなく、まだやれるという意思表示だ。
ウェリウスはそれを否定しない。少女が同じ戦場に立つ仲間であることを認め、認めた上でなお守るべき対象として認識している。
「そっか。じゃあもう少しだけがんばろう」
わずかに微笑みを湛え、ウェリウスは少女の髪を軽く撫でた。
アイリスは無表情で、けれど拒絶もせず素直にその腕を受け入れる。
「――あのふたりを守ってくれるかな。彼女たちは今、動けないから」
「わかっ……た」
こくりと頷き、アイリスもふたりから離れていく。
実際、雷撃をある程度まで無効化できるアイリスは、護衛役として優秀ではある。というより盾としては、だ。
だが当然、ウェリウスはそんなことを微塵も考えていない。幼い少女を、そうでなくとも自分以外の誰かを、盾として扱うような真似を彼は由としない。そもそもアイリスの能力について、そこまで詳しく知っているわけでもない。
徐々に体の火が消えていく魔物を見上げ、先程までとは違うどこか酷薄な笑みを浮かべるウェリウス。
それを、少し離れた位置から窺うシャルが言う。
「上手いこと言うもんだね」
フェオとピトスを守る、という役目を与えて、アイリスを下がらせたのだろうとシャルは言っている。ウェリウスは笑みを柔らかくして、
「なんのことだかわからないな」
「どうでもいいけど……ウェリウス、あんた楽しんでる?」
「別に状況を愉快に思ってるわけじゃないよ」
苦笑するウェリウスも、そこまで状況を掴めているわけではないようだ。
それでも彼は普段通り余裕の笑みで魔物を見上げながら、こんなことを言ってのける。
「ただ、この状況なら、アスタに恩を売れるかなって」
「はあ……?」
「それに、試したいこともあったしね。その点だけを言えば、こうして誂えたみたいに、暴れられる状況は好都合だ」
巻き込んでしまうような相手がいるわけでもなし。今ならどんな魔術でも遠慮なく放てるということ。
まあ建物を破壊してしまうかもしれないが、その辺りは今さらだ。すでに一帯は、魔物の放つ破壊力を伴った雷撃の雨に打たれたせいだろう、あちこち崩れ始めている。
「これなら、遠慮なくやってもいいわけだ」
「いや、別にそういうわけでもないと思うけど……」
「大丈夫。何かあっても全部、あの魔物のせいにできる」
などと勝手なことを言い放って魔物を見上げたウェリウスに、返ってきた返答は雷撃だ。
別に返答したわけでもないだろうし、そもそも聞いてさえいなかっただろう。魔物が放った雷撃は、それまでの直射的な攻撃とは変わっていた。
――範囲攻撃。
無差別に、全方位に放たれた雷の波には、雷の神を模した魔物の怒りが――憤怒が込められていた。次々と現れる障害に、痺れを切らしたということだろうか。今までは一本ずつだった雷撃の槍が、幾筋にも別れて放たれたのだ。その分、威力は落ちているだろうが、無防備に直撃を受ければアイリス以外には致命的だろう。
その思惑がどうであれ、合理的な攻撃ではあった。
動けないフェオと、その治療に専念しているピトスでは、この攻撃を躱せない。機動力ではフェオにさえ匹敵するアイリスでも、そもそもが雷速の攻撃だ、いずれ捉えられてしまうだろう。
――だが、侮るなかれ。
こと自然概念を操る場において、その男の存在は無視できない。
「悪いけど」
いっそ美しいまでの輝きを放つ雷。その全てが放たれた瞬間に軌道を変え、ひとりの男へと集まっていく。片腕を優雅に夜天へ衝き立てる、その姿は文字通りに光を放つ。
あるいは収束する雷よりも美麗な黄金の髪が、わずかに乱れて火花を発した。
「僕はこれで、友人は大事にするタイプなんだよ。――なにせ貴族だから」
友人を――人民を守るのは貴族の責務だ。たとえ制度的には形骸化したものであろうと、そもそも養子に過ぎなかろうと、そんなことはまるで関係がない。
暴力的な雷が、電気という概念の法則を無視して、まるで渦を巻くように彼の掌へと収まっていく。それらは全て魔力へと還元され、むしろ彼の力として蓄えられる。
さながら避雷針のように。
彼は、ただその場に立っているだけで、魔物の攻撃を全て無効化してみせた。
「――というわけで、放出攻撃は全て僕が防ごう」
ウェリウスは軽く言ってのけるが、今の一瞬でどれほど高度な術を成立させたのか、今のシャルならば理解できる。
確かに元素を操ることは、元素魔術の初歩の初歩だ。無から火や水を生み出すよりも、すでに存在するモノに魔力を流し込んで操るほうが遙かに楽なのも事実。
だが、初めから他者の魔力によって構成され、捜査される元素を乗っ取ることは難しい。成立した他人の魔術に介入するという高難度技術を、こうもあっさりやってのける人間など――ウェリウスを除けば、シャルにはあの印刻使いしか思い浮かばない。
理論的には可能だ。たとえば結界魔術が本来、空間の魔力支配権を奪い合うための技術であるように。極論、全ての魔術が魔力によって成立するもの――魔力を自分の支配下に置く前提にある以上――その権限を奪い取ってしまえば、相手は魔術を使えない。一方的な攻撃さえ可能としてしまう。
机上の空論ではあるけれど。
ウェリウスは、少なくともその階には手をかけているのではないか――。
「だから攻撃のほうは、シャルロットさん、君に任せるよ」
「……シャルでいい」
言われ、ウェリウスのほうを見ずにシャルは言う。
きょとんとする彼に、シャルは目を背けたまま、
「あんたにシャルロットさんとか呼ばれると、なんかぞっとする」
「……じゃあシャルちゃんで」
「なんで『ちゃん』!?」
「いや、可愛いかと思って」
「……余裕なのね」
「いや、そういうわけじゃないさ。実のところ、こいつを倒す手段があんまり思いついてない」
――ただ。と彼は言う。
それは単に矜持だけの問題じゃない。たとえどんな状況であろうとも、余裕を持っておくことには意味がある。
魔術師は幻想を背負うものだ。
常に優雅で、平静を保ち、余裕の表情でいるということ自体を、相手は脅威に感じるかもしれない。《強そうだ》《敵わなそうだ》と思わせることで、纏う幻想が強くなり――魔術師は現実に力を増す。
もちろん、プライドもあったけれど。
「まあ、本当にあとのことを考えなくていいのなら、倒せないとは言わないけれどね」
「……そういうわけにもいかない、か!」
答えるシャルが、言葉とともに魔術を起動。
彼女もまた、魔法使いとの修行以来、その実力を大幅に伸ばしている――いや、それも魔法使いに言わせれば、できる癖にやっていなかったことを、やるようになったというだけなのだろうが。
準神獣、とも言えるだろう怪物を前にして。
けれどふたりは、畏れなどまるで抱いていなかった。
※
フェオに駆け寄ったピトスは、その足の負傷を見て取るや否や、有無を言わせず担ぎ上げた。
フェオは何も言わない。そのままピトスに連れられて、雷の化身から距離をとる。巻き込まれることのない、けれど戦いは見える位置まで。アイリスもその場所までやって来た。
どこか淡々とした声音で、ピトスはフェオに問う。
「欠損した足首の先はありますか?」
「……ないと思う。たぶん、焦げて灰になってる」
「そうですか。……すみません、私では短時間で欠損した足先まで埋めることはできないと思います。できる限りの治癒はしますが――」
「いい、わかってるから。――その、ありがとう」
フェオは首を振って言った。そこまでは初めから期待していない。
ピトスは頷き、建物の壁を背に座らせたフェオの、足の傷に手を触れて治療を開始した。
治癒魔術といえど万能ではないのだ。ほとんど消滅したに等しい欠損した足首を、短時間で再生させるなど不可能だろう。
足先は焦げついて、痛みさえ半ば麻痺している。実のところ、こうまで至ると治癒魔術にできることも少なかった。
「…………いえ」
フェオが述べた礼に、だがピトスはわずかに目を逸らした。
少しだけ、その様子がフェオには疑問だ。タラス迷宮、そして魔競祭を通じてそれなりの交流があった中、こんな風に彼女がまっすぐひとを見ないのは珍しいように思う。
無理に取り繕ったような無表情のピトスが、フェオには少しだけ意外だった。学院生の中では一応、アスタを除けば最も親しいと言っていい相手だけに違和感が強い。といっても、そこまで仲がいいかと言われれば首を捻るけれど。
フェオにとって、学院生との交流はほとんどがアスタを通じてのものだから。
「……アスタさんはどこに?」
ピトスが問う。フェオは自責を表情に表して、
「ごめん。よくわからないけど、何かの魔術に捕まった。わたしは先に逃げろって言われて、そこからは……」
「そうですか。まあ、彼のことなら大丈夫でしょう」
ピトスの治療を受けながら、フェオは魔物と戦うふたりのほうに視線をやった。ピトスのほうは信頼からか、あるいは治療に集中しているせいか、戦いの場には完全に背中を向けてしまっている。
あるいは互いに、目を背けている、と表現したほうが正しいだろうか。
――……歯痒いな……。
とフェオは思う。視線の先には、こちらを守るように背を向けているアイリスの姿があった。
守られていることが悔しいわけじゃない。年齢の、そして実力の近しい友人に恵まれなかったフェオにとって、こうやって力を合わせて戦える人間がいることはむしろ嬉しいくらいなのだ。
今までの自分が、どれだけ怠けていたのかを突きつけられるようで、ほんのちょっとだけ情けなくも思うけれど。
それならば、これからがんばればいいと思えるくらいにはなっている。フェオは充分に強いのだと――そう教えてくれた人間がいたから。背中を押してくれたひとがいたから。だから腐らない。
けれどまた、だからこそ、いっしょに戦えない自分が歯痒かった。
ふたりの戦いは安定している。攻撃をシャルが、防御をウェリウスが担う布陣は盤石で――逆を言えば決め手がない。
実体を持たない、身体そのものが雷であるこの魔物には、放出系の魔術では効き目が悪い。ほかの手段を考える必要があるだろう。
「……っ」
と、だんだん痛みが戻ってきた。フェオは思わず表情を歪める。
治癒魔術が効き始めているからだと思うことにして、フェオは別のことを考えた。
「……その。ピトスたちは、どうして王都に?」
痛みを誤魔化す意図も含めて、フェオはそう口にする。
ピトスは一瞬だけフェオの顔を一瞥すると、視線をすぐ患部に戻して答えた。
「アスタくんを追いかけて来たからですよ」
「それだけ?」
「ええ。どうも学院をやめると言い放って来たようなので。ウェリウスくんはそれが気に入らなかったみたいですね。まあ、ほかにも目的があるのかもしれませんが。シャルさんは……どうなんでしょう。よくわかりません」
淡々と答えるピトス。フェオは重ねて問う。
「……あなたは、どうなの?」
「わたしも同じですよ」ピトスの口調は固い。「アスタくんには、いろいろとお世話になりましたからね。特にタラス迷宮では、命を助けてもらったようなものですから。その恩は、まだ返し切れていないと思っているので。……ともだちを、助けに来ただけですよ」
フェオはわずかに口ごもった。どうしてだろう、その言葉が、なぜか嘘っぽく聞こえたからだ。
普段のピトスの言葉なら、おそらくフェオは信じていた。
思い返してみれば、ピトスが甲斐甲斐しくアスタの世話を焼くところなら、何度も見たような気がする。アイリスも含め、三人で楽しげにしている様子を、フェオは思い出していた。
その様は確かに仲のいい友人同士にも見えたし、あるいは恋人関係だと説明されていても、疑う者は少ないだろう。
――フェオ=リッターはアスタ=プレイアスのことが好きだ。
最近、ようやくそれを自覚した。認められるようになった。
いつ好きになったのかなんて覚えていないけれど。明確になったのは魔競祭の最後、《水星》との戦いで助けてもらったときだったけれど。どうだろう、その前は好きじゃなかったのかと考えると、あまり自信がない。
少なくとも初対面のときは、学院生というだけで理由もなく嫌っていたが。今となっては正直、ちょっと思い出したくない態度だったと思う。
ともあれ、フェオは彼が好きだった。王都に出立する前、自分を頼ってくれたことだけで、舞い上がってしまうくらいにはやられている。
大事な姉のクランを救ってくれた。自分も二度に渡って命を助けられた。力を認めてもらった。道を示してくれた。――欲しかったものをくれた。
惚れたって無理はないと思う。
だから。このとき彼女が思ったことは。
「――アスタのこと、好きなの?」
気がついたら。そんなことを訊ねていた。
訊ねてしまっていた。
意図しての言葉では決してない。かといって嫉妬したわけでもない。確かに、思い返してみればピトスはいっそあからさますぎるというほどの好意をアスタに向けていたが、はっきり言って当時は意識していなかった。
では――なぜ訊ねてしまったのだろう。
「……好きですよ、もちろん」
果たして。ピトスはあっさりとそう答えた。
ただ答えるまでにほんの少しだけ間があったし、その双眸からはもはや感情らしきものの色が完全に消えている。
思わず、ぞっとしてしまうくらいに。
「でなければ、追いかけてくるはずないじゃないですか」
「えっと……それは、その、どういう意味で――」
「それより、フェオさん。すみません、わたしではこれが限界です」
フェオの足から、ピトスは手を離して首を振った。
身体についた傷や火傷は、程度が引くかったためだろう。おおむね治り始めている。本当に腕がいいな、とフェオは思った。
「ただ、いちばんの傷である足は――すみません。ほかに影響が出ないようにするのが限界でした。焦げた部分に瘴気が残っていて、治癒の魔力を邪魔されているようです」
「……雷が、そのまま毒になってるんだ」
「そうですね。このままではよくないと思います。……いっそ焦げた部分は切断して、あとから魔術で血を止めるほうがいいかもしれません。フェオさん、傷の治りが異様に早いですね」
「あなたの腕がいいからじゃないの?」
「それだけじゃありません。なんて言うんでしょう――自然回復力が異常に強いというか。正直、個人差のレベルを超えてます。」
「ああ。たぶんそれは――」
――そのとき。ふと、フェオはあることに思い至った。
アスタに言われたこと。あるいはほかの話。いろいろな状況。
そういったものが彼女の中で噛み合う。独立した点でしかなかった情報が、ひとつの線で結びつけられて形を為す。
フェオは辺りに目をやった。
偶然か、それともこれを必然と呼ぶべきなのか。ちょうど手の届く場所に、さきほど砕け散った剣の刀身が落っこちている。
それを片手で拾い上げた。
さすがに不審に思ったらしく、眉根を寄せるピトスの前で、フェオは視線を上に向けた。魔物の巨体を越えて先――銀色の満月が浮かぶ、夜天の空を見上げる。
そして、彼女は言った。
「――お願いがあるんだけど、いいかな?」
※NGシーン
フェオ「はっ! そういえばわたし、同世代の子とコイバナするの初めてかも!?」
ピトス「いや何言ってんですかあんたマジで」
没理由→状況。




