4-29『知る必要のない知るべき答え』
連続更新ラストです。
山を駆け下りながら、アスタは背後のパンに叫ぶ。
「前提を勘違いしていたんだ。もっと考えるべきだった!」
「な……何がわかったの、アスタ!?」
「だから何もわかってないって! ただ、やばいんだ!」
滅茶苦茶なことを叫ぶアスタに、パンは一瞬、彼が狂ってしまったのかとさえ思った。
ただ、その割には喋り方にも、ときおり振り向いてくると見える双眸にも、理性の色合いが見て取れる気がした。
ならば違う。きっと、アスタは自分に見つけられなかった何かを見出したのだろうと信じる。
――狂っている人間というのなら。
それこそ、パンはいくらだって見てきたのだから。
自分を筆頭にして。
「……状況を整理しよう」
アスタが語り出したのに気づき、パンは耳を傾ける。
いずれにせよ、今は彼に賭けるほかない。
「アーサーは、誰か魔術師を追って、この町に――あの迷宮に来たと言っていた」
「……そうだね」パンは頷く。「その誰かが、だから、レファクールだったってことじゃないの?」
「わからん」アスタは首を振った。「少なくとも、必ずしもそうだとは言い切れないと思う。いや……それだけとは、かな」
「どういうこと?」
「アイツが何かやってたのは間違いないと思う。で、ここでひとつ疑問。アーサーがレファクールを追ってきたんだとしたら、なんでアーサーは迷宮に行ったんだ? 町に来ればいいだろ、普通に考えて」
「……それは、まあ」
確かに。言われてみれば、その通りではあった。
「逆に追われていた側はどうする? アーサーが……魔術師の頂点が自分を狙っていると知っていて、悠長に町の中にいるか? 逃げるか、あるいは撃退しようと考えるかは知らないけど。でも、何かするだろ。それとも追われている側は、アーサーが来ていることを知らなかったのか?」
「それは……ないと思う。気づいてたはずだよ」
パンは思う。そうでなければ、あの魔法使いを罠に嵌めることなどできるわけがない。
つまり、その追われていた誰かは、迷宮にアーサーを閉じこめるための罠を張っていたということになる。それがもしレファクールだとするのなら、
「……いつ。それをやったのか、ってことだよね」
「ああ」アスタは前を向いたまま頷く。「ひとつ訊きたいんだけど、レファクールがこの町に来てどれくらいだ?」
「結構、長いね。四、五十日前にはもういたと思う」
確かに不可思議だった。その間、ずっとアーサーは、もう二週間も前から迷宮に潜っていたというのに。一度も外に、町に来なかったのはいったいなぜなのか。
そもそも彼らは、どの時点で迷宮に閉じ込められたのか。
「その間に、魔法使いを嵌めるための罠を作っていた可能性は?」
「……ないとは言えないと思うけど」少し考えてからパンは答えた。「まあ絵はずっと描いてたみたいだけど……でも描いてるところを見ていたひとがいるわけじゃないし。いっつも、どこかに出かけてる様子ではあったよ」
「迷宮に?」
「いや……町の周りにいたみたいだけど。でも、そんなのどうとでも誤魔化せるんじゃないかな。現実的に、わたしたちもこうやって短い期間に何度も往復してるわけだし」
「俺は違うと思う」
アスタは断言した。そう言い切れる証拠を、パンは見つけられていないのに。
「レファクールに……そこまでは無理だと思う。あいつももちろん、すげえ魔術師ではあるんだろうけど、それでも、そんな簡単にアーサーを敵に回していられるとは思えない」
アスタの言葉に論理性はない。ただ、彼の感覚の上での話だ。
そう反論しようと思ったパンも、だが感覚の上では、やはりアスタと同じ結論を出してしまう。いや、理屈でもそうだ。アスタ以上に、パンのほうがむしろ《魔法使い》という称号の埒外さを知っているのだから。
さらに、アスタの言葉は続いていた。
「ていうかさ。追われてたんだろ? つまり、言い換えれば逃げてたってことだよな?」
「――あ」
すとん、と腑に落ちた。アスタが抱えていた違和感が、ここでようやくパンにも言葉として理解できた。
――結局は、初めから時間の問題なのだ。
逃げていたはずの《誰か》。それがレファクールだとするなら、疑問が多く生まれてしまう。
逃げもせず町にいたという事実。それをずっとアーサーが見逃していたという現実。
このずれは、理由もなく無視していいレベルではない。
「……考えてみれば、わたしたちが魔竜に呑まれて、レファクールと別れたあと、町のみんながいなくなるまでのタイムラグが少なすぎるんだよね……」
「仮に別の誰かがいたとしても、やっぱり短すぎると思うけどな」
「え――……?」
「いや、それはいいや。とにかく急ごう」
アスタは小さくかぶりを振って、それから言う。
なんだか、思いついて言いかけたことを飲み込んで、無理に別の言葉を吐いたみたいな様子で。
「――たぶん、レファクールが町にいる。あとは本人に訊けばいい」
※
「――まあ。戻ってくるような気は、していたんです」
そして。町の入口に辿り着いたとき。
そこにはレファクール=ヴィナが立っていた。
まるでふたりを待っていたかのように。待ち構えていたかのように。待ち焦がれていたかのように。
泰然と、なんの気負いもなく、ただそうであるという風に。
無表情のまま、無感動のままそこにいた。
その道中、昨日まであれだけいたはずの魔物に、遭遇することは一度もなかった。その気配さえ、感じない。
「と言うと、あまり正確な表現ではなくなるんですけれど。本当は思っていませんでしたから。少なくとも、この町から追い払うまでは。あの方が――あの魔法使いが目をつけるほどだとは、まったく思っていませんでしたから」
レファクールの言葉。改めて相対した彼女は、今までどうして気づかなかったのかと思うほどに――どこか常軌を逸している。
先程、アスタは《レファクールではアーサーに及ばない》と、そう考えていた。今でも、やはりそうだという気はする。
けれど――その程度の差は、この場合には意味を持たないだろう。
まるで虚のような。虚ろのような。
空っぽで、中身がなくて、にもかかわらず当たり前みたいに話して動く壊れた人形みたいな歪さ。
透徹した瞳も。肌の露出が多い服装も。艶やかに流れる髪も。
蠱惑的で、魅力的で、目にすると強く惹きつけられる力を持っていながら……そこに中身を感じないという矛盾。
「ですが、まあ、これは私の瞳が狂っていたと、濁っていたと、歪んでいたと……そういうことなのでしょう。貴方の魂魄には見るべきものがある。運命に逆らえるだけの力がある。惜しむらくはその肉体ですね。中身がどうあれ、容れ物がソレでは意味がない。価値がない。何より美しくない――どうでしょう? 醜い人間の肉体なんて捨てて、もっと素晴らしい身体に変わってみる気はありませんか?」
何を言っているのかが、ひとつたりとも理解できない。
というより、理解したくないとアスタは思った。理性的なようで、異常なことは疑うべくもない。価値観が、人間とは完全に相容れない。
それは正しい――そう、酷く正しい狂い方だ。
間違っているのではなく、ただ外れているだけ。決して理解できないだけで、彼女の内側ではきちんとした理屈が通っている。
だから。
「……うるせえな」
だからアスタは、それを否定しなければならない。
決して認めるわけにはいかない。
「お前の言っていることは、何ひとつとしてわからねえよ」
「そうですか」レファクールの表情は変わらない。「でも、そうですよね。私が言うこと、ほかのひとにわかってもらえたこと、あんまりないんです」
「……だろうな」
「なんでだと思いますか?」
「――――」
旧知の友人のように。まるで何事もなかったかのように、普通に、至極普通に話しかけてくる異常。
そのことが、気持ち悪くて仕方ない。
「……その前に、お前が俺の質問に答えろ」
「いいですよ」レファクールはあっさりと答える。「答え合わせといきましょう。貴方がどこまで迫れたのか、私も興味はあるんです」
「アーサーとマイアのふたりを、迷宮に閉じ込めたのはお前か?」
「違いますよ」
「……っ」
端的な、酷く軽々としたレファクールの答え。パンは息を呑み、けれど言葉は発しなかった。
「私に使える魔術なんて、魔物たちの気持ちを……ほんの少しだけわかってあげることくらいですから。魔法使いを閉じ込めるほどの結界魔術なんて、私なんかには使えません」
「なら」
間髪を容れず、次の質問に続く。
その答えは、それでもある程度までわかっていたことだ。
だから――訊ねるべきは別のこと。
「――町のみんなを、どこにやった?」
「どこにも」
と。レファクールは答えた。
「どこにも。彼らは、今だってここにいます」
「……殺したのか」
「生きています。殺すわけがないでしょう? 肉体は人間でも、醜いヒトガタのカタチでも、その魂までは否定できません。貴重な、そう、とても尊い資源なのですから――殺すなんてこと、できるわけがありません」
違いますか? 当たり前でしょう。
そう言わんばかりのレファクールの態度が、アスタには酷く不快だ。彼女の声は、たとえるなら黒板を引っ掻く音のように、生理的な嫌悪を否応なく喚起させる。
周囲で、風のざわめく音がした。水と緑に囲まれた町の空気は、普段ならとても透き通った、心地のいい安心を運んでくれる。
けれど今は、風の中に不純物が感じられる。
叫ぶみたいな。喘ぐみたいな。嘶くみたいな。唸るみたいな。
「……まさ、か……っ」
とすっ、という軽い音は、アスタの背後でパンがくずおれた音だった。彼女の膝が、地面にぶつかる。
察したらしい。あるいはそうなるように、レファクールが答えたというべきか。
いずれにせよパンは理解した。アスタもまた理解していた。
それが運命であったと言わんばかりに。
解答を、レファクールがやはり無感動に言葉にする。
「――ええ。この辺りにいる魔物は、迷宮の魔物と、この町の人間を掛け合わせて作った合成獣です」
――そうではないか、と思っていたのだ。確実なヒントがあったとまでは言えない。ただ、何かに後押しされるかのように、その発想には辿り着いていた。
だからアスタは、ただ疑問だけを口にする。
きっとレファクールは、本当のことしか言わないと思ったから。
「……みんなを、元に戻す方法は?」
「ありませんよ」レファクールは淡々と言う。「ひとたび混ざってしまったものを、元の状態に分離するなんて不可能でしょう?」
「……そうか」
「ええ。ですから――」
彼女の背後から、一体の魔物が現れた。
巨大な体躯を持つ――たとえるなら、そう、動くヒトガタの肉の塊のような――おぞましい外見の、一体の魔物。
「貴方たちに残された選択肢は、この魔物を殺すか、それとも自分が殺されるか――そのふたつだけです」
「なん、で、だ……よっ」
気づけばアスタは訊ねていた。親の指示を待つ赤子のように。
その問いが、どれだけ無意味なものか知っていながら。それでも問わずにはいられない。そんな弱さに吐き気がする。
「なんで……どうして。どうして、どうしてみんなを――っ!!」
「理由があれば、私の行為を肯定できるのですか?」
レファクールの返答は、ある意味で正論だった。
だからこそ思う。殺してやりたい。生まれて初めてそう願った。
「できないでしょう。どんな理由があったところで、アスタくんには納得できないんでしょう? 貴方に私は理解できない。私が貴方を理解できないように」
「……黙れよ」
訊いたのはアスタだ。それでも、そう言わずにはいられない。
その矛盾に、ほかならぬアスタ本人が、押し潰されそうな気分だった。
「ひとつだけ言っておくなら。この町の住人は――社会的には全員が犯罪者です。例外は、それこそ貴方たちふたりと――それと、この町で生まれた子どもくらいのものですが」
「黙れって……言ってんだろ」
「とはいえ、その子どもたちも別に、魂魄に輝きがあったわけでもないですからね。魔術師の社会は実力主義ですが、それ、正しいとは思いませんか? 才能がない奴なんて死ねばいいんですよ。運命に唯々諾々と従うだけの人間に生きる価値なんてない。いえ、生きてるだけで害悪です」
「黙れっつってんだろ!!」
「だから本当のことを言えば、感謝してほしいくらいなんですよね。みんな魔物になれば、それで美しく、素晴らしく、正しいモノになれるんですから。それをわざわざ、こんな、なんの役にも立たない社会悪から優先して変えてあげたんですから。本当は私だって――貴方たちみたいな人間から先に、魔物に変えてあげたかったのに」
「うるせええええええ――っ!!」
「でも、なんでか皆さん、《このひとたちは犯罪者だよ》とか言うと、それを肯定しちゃったりするんですよね。普通は逆だと思うんですけど。わからないものです、まったく」
もう言葉を吐く気にならなかった。言うのも聞くのも全て御免だ。
吼える、迸る気持ちはそのままにして、アスタは苛立ち紛れに飛びかかった。
魔術なんて使っていない。ただ飛びかかっただけ。
もちろん、そんなものは彼女に通じない。ましてやその背後に控える魔物に対しては。
巨躯の魔物が、レファクールを庇うかの如く一歩を前に出た。
かの合成獣の一歩は、人間の数歩に匹敵する。その巨躯は、彼女を守る強大な盾となり、丸太のように太い腕は、軽く薙ぐだけでアスタの全身を粉砕するだろう。
無策に飛びかかった愚か者を、巨体が迎撃に移らんとする。
その寸前で、
「――ばかッ!!」
背後から、横に薙ぐような蹴りがアスタの脇腹をしたたかに打つ。
パンが背後からアスタを蹴ったのだ。
その一撃が、結果的にアスタを魔物の腕から守った。無謀な子どもは横方向に吹き飛ばされ、助けた少女も反動で逆向きに飛ぶ。
その真ん中を、合成獣の大腕が押し潰した。
「ぐ、っ――ぃぎ」
躊躇している暇が、パンにあったはずもない。彼女の蹴りは本気だったし、それを無防備に受けたアスタは、危うく内臓から出血しかねない勢いで弾き飛ばされていた。
だが、それでも魔物の腕に潰されるよりは遥かにマシだっただろう。
両手を向かい合わせに握り締め、魔獣の巨腕はそのまま垂直に地面へと振り下ろされていた。
瞬間――轟音。
人間の胴体ほどにも太い腕が、地面に巨大な陥没を生み出している。人間など、文字通りに消し飛びかねない威力があった。
「結局は、仮説の検証になっただけなんですけれど」
レファクールは、その様子をやはり感傷なく見据えている。
平坦に、ただ結果だけを受け入れる表情で。
「やはり魂魄の質が低いままでは、魔物もそう高みには至らないようですね。まあ、それがわかっただけでも僥倖ですか。時間をかけただけの甲斐はあったと、そう言ってしまっていいでしょう……が、しかし、それにしてもこれは――」
興醒めも、いいところです。
レファクールはそう呟き、そしてそのまま、踵を返した。
「では。貴方がどんな可能性を選ぶのか、見せていただくことにします。その辺りで適当に待っていますから、まあ……あまりつまらない選択肢だけは、選ばないでいただければ幸いです」
酷く勝手な台詞。けれど、どれだけ身勝手でも、それが強者の理屈であるのならば通る。
いつだって、我を通せるのは力がある人間だけなのだから。
「――ぐ、ぅ……っ」
脇腹を押さえながら、それでもアスタは立ち上がる。
助けられたことは理解してるが、それでも、こんなに強く蹴り飛ばすことはないだろうと思いながら。
「大丈夫? 戦える、アスタ?」
パンに問われた。少なくとも彼女はもう、割り切っているようだ。
それはきっと、彼女に言わせてはならない台詞だった。誰がいちばん衝撃を受けたのかで言えば、きっと彼女が最も揺さぶられたはずだから。
「……大丈夫だ」
「本当に? 迷ってる暇なんてないよ。やらなきゃ、こっちが殺される」
「大丈夫だよ――わかってる。死ぬつもりなんてない」
その台詞を、パンに言わせたことをアスタは恥じる。
それはきっと、残酷でも、傲慢でも、アスタが言わなければならない言葉だった。
「パンこそ、平気なのか? 町のみんなを……殺せるのか?」
「そりゃ、何も思わないって言えば嘘だけど」パンは無表情だった。「でも、だいじょぶだよ。わたしは平気……慣れてるから」
いつかきっと。
こうなるんじゃないかって思ってたから。
「――わたしは、この魔物を、殺すよ」
「なら」
と、アスタは言う。
欺瞞でも、誤魔化しでも。
せめて今だけは。
「――俺が、お前の共犯者になってやる」
彼女の側にいようと思った。
活動報告を書きました。
よろしければ、ご一読いただければ幸いです。




