7. 夜会
煌びやかに着飾った紳士淑女で溢れる大広間。そこかしこで歓談を行う者たちのざわめきが響き、集中しなければ会話もままならないほどだ。
私はライナルトと共にこの夜会に参加している。といっても、今は一人だ。私を会場までエスコートした彼は「すまないが所用がある」と言って、そそくさとその場を後にした。
「所用、ねえ……」
何も聞かされていないが知っている。彼は愛菜を連れに行ったのだ。
小説では本日の夜会である事件が発生し、愛菜の力で事件解決へと導かれる。彼女がカシハイム国の貴族たちから認められていくターニングポイントなのである。
「ごきげんよう、アーベライン伯爵夫人。ご無沙汰しております」
「まあカサンドラ様、ごきげんよう。いつも娘がお世話になっておりますようで」
「いえいえ、私のほうこそ優秀なフランツィスカ様と仲良くして頂いて、大変有り難いと思っておりますの。ところでアーベライン伯爵領では今年林檎が大豊作とか?」
「ええ、そうなんですの。流石はカサンドラ様、お耳が早いですわね」
彼女はハインツの婚約者であるフランツィスカ嬢の母親だ。和やかに世間話に興じつつ、私は周囲へ意識を張り巡らせる。目的の相手を見つけるためだ。
人混みに紛れながらも、私たちを凝視している相手――ゲアリンデ・ケルステン子爵夫人。彼女が今夜の事件の犯人だ。
ケルステン子爵夫人とアーベライン伯爵夫人の仲が悪いのは、社交界でも周知の事実である。専ら、ケルステン子爵夫人の方が伯爵夫人へ突っかかっているらしい。若い頃にアーベライン伯爵を巡って恋の鞘当てがあったとかないとか。
二人とも成人近い子供を持つ年齢だ。今さら若い頃の恋に未練があるのか?と疑問だったが、そうではないらしい。
美貌に自信を持つケルステン子爵夫人は、現状が不満なのだ。自分が格下の子爵家へ嫁いだのも。自分を振った男が、教養はあるが美貌では劣る女性と結婚したのも。
物語によれば彼女は今夜、アーベライン伯爵夫人へ媚薬を仕込んだシャンパンを飲ませる。その後遊び人で有名な令息を焚きつけて淫らな行為をさせ、それを暴いて彼女を貶めるつもりだったらしい。だがそうとは知らぬ愛菜が気分の悪くなったアーベライン伯爵夫人へ治癒の魔法を掛けたことで、媚薬の効果が無くなってしまう。さらに愛菜とライナルト達の活躍により、ケルステン子爵夫人が犯人として捕えられる。
小説前半の見せ場の一つだ。
無論、筋書き通りに進ませるつもりなどないわ。愛菜に活躍の場なんて与えないわよ。
突如、会場の入り口付近がざわめいた。ライナルトが愛菜を伴って入ってきたのだ。後ろには金魚のフンの如く側近たちが寄り添っている。
彼らは貴族達に愛菜を引き合わせ、熱心に彼女を褒め称えていた。高い治癒能力を持っているだとか、この世界にはない知識を持っているとか。
神殿での魔法修行が一区切りついてようやく病人の治癒に着手した愛菜だったが、すでに流行病は収まりつつある。父が提言した感染対策が功を奏したのもあるだろうが、これだけ病が行き渡ったのだから人々の身体に抗体が出来つつあるのだと思う。
そのため、聖女の召喚自体が不要だったのでは?という声さえ出ているらしい。だからライナルト達は愛菜の評価を上げようと必死なのだ。
涙ぐましい努力ね。いっそ笑えるわ。
お前たちはいつも、動くのが遅すぎる。兵は拙速を尊ぶというでしょう?出来る人間は仕事が早いものなのよ。
「あれが聖女様?」
「確かにお美しい方ね。それにしても……ずいぶん王太子殿下と親しげですこと」
「やはり、あの噂は本当なのかしら」
ライナルト達は気づいていないのかしら。貴族達が冷ややかな目で見ていることに。
公式の場で婚約者たる私を放っておいて聖女をエスコートしている。それがどれほど非常識なことか、分かっていないのは彼らだけだ。それに、チョロ王子やバカ側近どもが学院で彼女へ侍っている様は、既に生徒達からその親へと伝わっている筈。
たいした能力も無い聖女をそこまで持ち上げるのは、彼女が王太子の寵愛を受けているからでは?
この場にいる者は皆、そう思っている。そんな相手にどれだけ聖女の有用性を説こうが、聞き入られるわけはない。相手が王太子だから態度には出さないが、貴族たちは心中で嘲笑っていることだろう。
さて。道化者は放っといて、そろそろ動こうかしら。
「少し暑いですわね……喉が渇きましたわ」
「飲み物を持ってこさせましょう」
「ありがとうございます。私は葡萄ジュースをお願いしますわ」
「では、私はシャンパンを」
アーベライン伯爵夫人がメイドに飲み物を持ってくるよう命じた。ケルステン子爵夫人は恐らく、この機会を逃さず仕掛けてくるだろう。私はこっそりと近くにいるであろう暗部に合図をした。
「愛菜様~!」
さらに私はわざと大きな声で、ライナルトの傍で退屈そうに立っている愛菜へ声を掛け、にこやかに手を振った。それに気付いた彼女は「あ~、カサンドラ様だ~」と呑気な声を上げて駆け寄ってくる。マナーを識っている者からすれば、子供の如きはしたない行動である。講師を付けて教養を教え込まれたはずだけれど……意味がなかったようね。
なんて思っていた、その時。
「あっ、危ないわ!」
悲鳴と、グラスの割れる音が響く。
私たちへ飲み物を持ってきたメイドと愛菜がぶつかったのだ。尻もちをついて目を回している愛菜はシャンパンを頭からかぶったらしく、頭が濡れている。
「も、申し訳ございません!!」
「愛菜様、お怪我はございませんか?」
「何があった!愛菜っ、無事か!?」
愛菜のそばにいた私を突き飛ばして、ライナルトと側近たちが彼女へ駆け寄る。膝をついて彼女を囲み、「怪我は?」「びしょ濡れだ。これを使って」とちやほやとする彼ら。
それを目にした出席者たちが眉を顰めながらヒソヒソと話している様子には、全く気付かないらしい。
「あれ……ライナルト様……?」
愛菜はぼうっとした様子で、その頬は赤味を帯びている。彼女は潤んだ瞳でライナルトを見つめたかと思うと……急に彼へ抱き着いた。息を呑む音が、あちこちから聞こえる。
「ど、どうしたんだ、愛菜!?」
「様子がおかしいぞ……」
「ねえ~、どうして嫌がるのぉ~?」
慌てたライナルトが愛菜をやんわりと引きはがしたが、彼女はイヤイヤをするように頭を振っている。そして今度は、隣にいたルドルフにしなだれかかった。
「お酒を口にしてしまったのではないか?別室で休ませよう」
「そ、そうだな。すまない、騒がせた。皆はこのまま楽しんでくれ」
王太子一行は、酩酊状態の愛菜を連れて会場を後にした。
愛菜が浴びたのは、媚薬入りのシャンパン。
あの場でシャンパンを持ってきたメイドは、変装したバニーだ。ケルステン子爵夫人の手の者から預かったそれを、わざとぶつかったフリをして愛菜に浴びせたのだ。
ちなみに、シャンパンの中身はすり替えてある。さらに強い催淫効果のある薬を入れたものへ。
元々は口から摂取するものだったから、被ったくらいではあまり効果はない。そのため、強い匂いを放つ媚薬を用意した。おかげであの通り。
愛菜の痴態は、すぐに社交界中へ広まるでしょうね。
ライナルトがどれだけ彼女を擁護しようと、広まった悪評はなかなか消せないわよ。
ケルステン子爵夫人は私の方で対処した。
「これ、貴方の指示でしょう?媚薬を聖女に飲ませたと知られたら、陛下も王太子もお怒りになるでしょうね。貴方の処刑くらいで済んだら良いのだけれど……下手したら子爵家と貴方のご実家も取り潰しかしらねえ?」と脅したら「聖女を害するつもりはなかった、お願いだから黙っていて欲しい」と泣いて縋ってきたわ。
黙秘の代わりに、私の配下になるように命じた。魔法契約も済んでいる。これで彼女は私に逆らえない。
おかげで良い手駒が手に入ったわ。裏仕事をする手下がもっと欲しかったんだもの。役に立たないようなら、子爵家ごと潰せばいいしね。




