7 聖女は王子と婚約し、精霊と出会う
「アーサーとツガって王族になってアタシに仕えたら良いわよ」
「「聖女様、聖獣様はなんと?!」」
私以外の人にはニャゴニャゴとしか聞こえないらしいニャオンテの言葉に王様と教会の人が食い付いてくる。まぁ、私はニャオンテについて行くだろうから、ニャオンテの意向は重要事項だろう。
「アーサーとツガう?とかニャオンテに仕えろとか言われてます。ニャオンテが言うにはツガって王族になれって事なんですけど、どういう事ですかね?」
「よし!今すぐに準備を!」
「「「ハッ!」」」
「んなっ!?」
ニャオンテの言葉を通訳すると、王様が喜色満面に指示を出す。宰相さんや他の人達が歯切れ良い返事を残して急足で会議室を出て行った。教会の人の顔色は真っ青で、ニャオンテに向かって「どうしてでしょうか聖獣様ぁぁ〜っ」と叫んでいる。
ニャオンテは素知らぬ顔でくわぁっと欠伸をして、私に頭を擦り付けてくる。明らかに何か大変な事が今決まった気がするんだけど、全く意味がわからない。チラリとアーサーに視線を送ると、真っ赤な顔でこちらを見ていた。何?何なの?
「その……ミサは、本当にそれで良いのかい?」
「何がですか?それより、“ツガって王族になる”ってどういう事なんでしょうか?何かしなくちゃいけないんですか?どうして王族になるんですか?」
遠慮がちに訊いてくるアーサーに質問すると、何故かショックを受けた表情になり、ニャオンテを見上げ、ため息を吐く。ニャオンテは悪戯っぽく笑い、私を突いて遊び出した。痛いっ痛いってばニャオンテ!
こちらが大騒ぎになっているのを見て、ライナー達が隣室から出て来た。あの部屋はこちらの状況がわかるし、声もそこそこ聞こえる。女神様が去って、状況が変わったのがわかったので出て来たのだそう。
「ミサ、番うというのは所謂結婚とほとんど同じ事ですよ。アーサーのお嫁さんになれ、と言われているのです」
「?!!」
“ツガウ”の説明をソフィアが耳打ちしてくれた。脳が拒否しているのか、すぐには意味がわからなかった。「結婚」「お嫁さん」という単語がだんだんと理解出来てきた途端、ボンっと頭に血が昇る。顔が熱い。つまり、何?ワタシ、サッキ、アーサート、ケッコン、シテ、オウゾクニナレ、トイワレタ、ッテ、ジブンデ、イッテタッテ、コト?
自分がした事が恥ずかしすぎて、目が回る。世界がぐるぐるしてるよ。このままでは恥ずか死してしまう。顔を隠して縮こまる。ソフィア達が背中を摩ったり、肩を叩いたりして慰めてくれているが、声が笑っているのがわかる。でも今は顔をあげられない。羞恥でいっぱいいっぱいだ。
しばらくして少し落ち着いた私はソフィアに手伝ってもらって立ち上がる。まだまだ羞恥心は無くならないけど、このまま蹲っているわけにもいかない。視線を上げるとアーサーが気まずそうな顔をしてこちらを見ていた。心臓が急に早鐘を打つ。何故か視線を逸せない。やっと落ち着いた顔にまたじわじわと血が集まってきている気がする。
私が視線を逸らさない事を確認したアーサーはこちらにゆっくり近づいて来た。なんだかそわそわするよぅ。でも、逃げられない様にソフィアとベティがそれぞれがっしりと両腕を掴んでいる。あわあわ慌てる私の前に立つと、少し悲しそうにする。
「やっぱり嫌か?」
嫌?何が?アーサーが?アーサーは優しくて紳士的で、優しくて、とっても良い人で、でも結婚とか婚約とか言われてもよくわからないよ?!またパニックがぶり返しそうになる。
「ミサ、聞いて欲しい事があるの」
「?」
そっと囁いて来たソフィアの声に耳を傾ける。
「今ミサは、今後の生活を決める二択の前に立っているの。ひとつ目が神殿に聖女として祀られる、ていの良い軟禁。そして二つ目がアーサーと婚約」
「なんきん、と、こんやく……」
ごくりと喉が鳴る。
ソフィアは指を二本立てて話を続ける。
「そう。ミサはどっちが良い?今ならまだ選べるわ。神殿に軟禁は、彼等が言う通り、衣食住には困らないし、沢山の人に傅かれて贅沢な生活が送れると思う。けど、好きな時に外出出来なかったり、会う人も制限されると思うわ」
「……」
「そしてアーサーとの婚約は、将来的にアーサーと結婚するけれど、ほとんど今と変わらない生活が出来るはずよ。陛下だってアーサーだってミサに衣食住で不自由させるつもりはないでしょうし、聖獣様に仕える様に言われているのなら、最優先は聖獣様よ。今までの聖女生活となんら変わりないわ」
真剣に私の目を見て説明してくれるピンクブラウンの瞳を見つめる。綺麗な色だ。少しだけ、現実逃避してしまう。それでも、確認しなくてはならない事がある。
「ねぇ、いっこだけ、きいてもいい?」
「なにかしら?なんでも聞いてちょうだい」
にこりと微笑む姿が心強い。
「アーサーって王子様なの?」
「「へ?」」
そう。結婚する事で王族になる、という事は王家の血を引いているんだよね?あれ?違う?みんながポカンと目と口を開けてこちらを見ている。
「あ、あれ……?言ってなかったっけ?」
「いわれてない。私、大丈夫なの?不敬罪とかアレとかコレとか……」
確か私アーサーの前で王子には会いたくないと喚いた気がするし、かなり気安い態度を取っていたはずだ。それを王族に対してしていたと考えて、顔に昇っていた血がさぁっと引いていく。
アーサーが焦ってみんなを見る。彼等は「確かに、いなかったかも」「どうりで気安い態度だったわけだ」等と口々に何かを言い合って、目を見合わせた後、がくーんと肩を落とした。どうやら報連相から私だけ漏れていたようだ。
「そりゃあ、混乱するよな。こないだ聞かされたオレたちだってしばらく混乱してたもん」
ライナーが苦笑いしながら私の背中を叩く。そして「アーサーが許してるから不敬罪には当たらないらしいぜ」と耳打ちしてくれた。アーサーはこの国の第五王子なんだとか。公務にも殆ど顔を出さず、いつか臣下に降るつもりだったそうだ。
「むしろアタシ達がミサに対して不敬を働いている気がするけど、ねっと」
「あいたたたっ!確かにそうだな。世界に一人だけの女神から祝福を受けた本物の聖女だもんな」
私の背中を叩き続けていたライナーの手の甲をベティがつねり上げる。話を聞けばライナーとベティが幼なじみで、アーサー、ソフィア、テオバルトとギルドから紹介されてパーティを組んだから二人はアーサーの出自を詳しくは知らなかったらしい。
「お金持ちか何処かの貴族の三男以降だとは思ってたけどなぁ……」
「急に王族とか言われてもなかなか飲み込めなかったわ。だからミサの気持ちはよくわかるつもりよ」
共感に満ちた表情で私をギュッと抱きしめてくれるベティに抱きつき返す。人肌温い。気持ち良い。頭にすりすりと頬を寄せるベティがおはぎと重なる。しばらく抱きついた状態でベティの心音に耳を傾け続けた。
「ベティ、ありがとう」
「ん?もう良いの?」
「ん」
トクトクと一定の速度で刻まれるその音は充分に私を落ち着かせてくれた。すーふーと深呼吸を繰り返して心を決めてアーサーを見る。ばちりと視線が合った。さっき下がっていった血がまた顔に集まってくる。
「どうするか決まったかい?」
彼はいつもの穏やかな微笑みで私に問い掛ける。
「……正直、まだ、わかんない。……急に色々言われてもすぐには答えられないよ。けど、このままだと神殿に軟禁か、アーサーと婚約かの二択でしょ?なら婚約で自由がある方が良い……かも?」
「『かも』か。ハハ、素直だね、ミサは。じゃあ僕はミサの自由を約束するよ。ただし、自由恋愛だけは申し訳ないが諦めてくれ」
所謂政略結婚、と呼ばれるやつになるのかな?お互いの利益を追求する形の結婚。アーサーには悪いけど、まだ「マシ」な方を選んだ気分だ。良い人で、人としては好きだけど、恋愛的な目で見る事が出来るかと問われれば答えは否である。私にはまだそんな余裕はない。そんな私を知っているからか、アーサーは自由を約束してくれた。恋愛以外は。
「まあ、それは仕方ないよね。ハーレー女王書房みたいな出会いがない様に祈っておくよ」
それに対しては、少しだけ茶化して応える。今までそこまで激しく恋したことなどない私だけど、いつかそういう出会いが来て、今の選択を後悔するかもしれない。それでも、神殿に軟禁されて出歩くことも出来ないなんて嫌だ。
「ハーレー女王?」
「ドロドロの愛憎劇が有名な出版社の名前だよ。良くあるのが、結婚した後に運命の相手と出会って葛藤しながら不倫したり、手に手を取って逃避行したりするの」
「……僕も一緒に祈っておこう」
「あはは、真面目か」
表情が抜け落ちたアーサーがかなり真面目に返事をして、さっきまで女神様がいた辺りに向かって祈るのがおかしくて、笑いが溢れた。よし決定。何かあれば最悪婚約破棄だって出来るだろうし。アーサーはとても頼り甲斐があって、真面目で優しいし、そのままゴールインしてもそこまで嫌では無いかもしれない。多分。恥ずかしくはあるけどね。
(なによりニャオンテを優先しても怒らなそうだしね)
とりあえず婚約する方向で進める事になった。まだ実感は湧かないけど、決定。うん。そういえばニャオンテがとっても静かだな、と振り返れば、まんまるになってぐっすり眠っていた。ニャオンテのせいでこんなにも振り回されているのに、なんとも幸せそうな寝顔だ。こちらの気持ちなど一切気にしていないのがよく分かる。それでも、幸せそうにピクピクするおヒゲはとても愛おしかった。
「じゃあ、ミサ、決心が変わらないうちにやってしまおうか」
「え?アーサー、なに、を……っ!?」
アーサーに促され、視線を動かすと身体が強張った。王様や宰相さん、その他走り出て、大荷物を持って戻ってきた文官を含め、全ての人が固唾を飲んでこちらを見つめていたのだ。どうやら私に示された二つの選択肢は、この国の行く末を決める程に大事な選択だったらしい。
アーサーのゴーサインが出た瞬間、別の控え室に案内されて、席を薦められたかと思えばお茶が出てきた。王様やアーサーに勧められてお茶を飲んでいる内に、しゅぱぱぱっと場が整えられる。帝国の人達は別の部屋に案内された様だ。遠くでまた悲鳴が聞こえ始めたので、多分あの自称王子(多分本物)もこちらに戻されたのだろう。
「本日は暫定的に書類だけ記入していただき、後日婚約式にて正式な婚約調印を執り行います。殿下、聖女様、恐れ入りますがこちらにサインをお願い致します」
「わかった」
「はい」
こうして私は瞬く間にアーサーの婚約者になってしまった。後日執り行われた婚約式は、過去最大級の人出となり、私達は沢山の人に祝福された。着せられたドレスは、どこからどう見てもお金が掛かりまくっていて、国庫にダメージを与えていないかが心配なクオリティだった。勿論婚約パレードもさせられたよ。(うんざり)
結婚した訳でもないのに、何故か三日三晩も続いた婚約を祝う祭りが終わると、ニャオンテがしきりに私の肩口を嗅ぐ様になった。どうしたのか聞くと、「生まれてからずっとミサの肩に乗ってる精霊が居るわ。姿を見てあげてくれないかしら?」と言われた。ニャオンテの視線を追いかけて自分の肩を見るが、そこには私の肩があるだけで、何にも見えない。
「どうやって見るの?」
「仕方ないわね」
困り果ててニャオンテを見れば、ぺろり。ざらざらの生えていない貴重な猫の舌先部分で目元を舐められた。舌先だけとはいえ、大変大きなニャオンテの舌は、私の頬からおでこまでを一気に涎でべしょべしょにした。
「これで大丈夫じゃないかしら?拭かずにそのまま見てごらんなさい。どう?まだ見えないかしら?」
べしょべしょだけど、言われた通りにそのまま肩を見る。そこには信じられない“精霊”がいた。
陽に当たると判る程度に赤味のある黒い毛。もっちりとしたボディに、ピンと立った三角の耳が二つ。ふわふわの背中の毛の中から白い鳥の翼が生えている。にゅるんと伸びた尻尾の先は透けて先っぽが見えない。くるんとした緑色の綺麗な二つの瞳。
「おはぎっ!おはぎだっ!羽が生えてても、少し尻尾が透けてても絶対に貴方だってわかる!大好き!会いたかった!」
もちふわボディを抱きしめると頭頂部の匂いを嗅ぐ。すーはー、うん。間違いない。絶対におはぎ!ずっと近くに居てくれたのね!大好き!本当に大好きよ!
ぎゅうぎゅうに抱きしめていると、にゅるりと腕から逃げられた。この、ちょっとつれないところもおはぎらしい。おはぎは背中に生えた翼をぱたぱた羽ばたかせて、浮いている。胴がにょーんと長くなっていて、とても可愛い。
「ミサやっと気付いた、遅いにゃっ!」
「しゃ、しゃ、しゃべったーーーーっ!?」
私の可愛いおはぎは精霊になって、翼と言葉を手に入れたようです。
私が聖獣と精霊に愛された伝説の聖女として名を残すのはまだまだ先の話。
END
これにて完結です。
この後ニャオンテとおはぎに愛し愛され、幸せに暮らします。
たまにアーサー。
気が向いたら間話や続編を書くかもしれません。
書かない方が強いです。




