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戦国史に想う  連載エッセイ  作者: 酒井 知徳
織田信長の人物像・性格・人柄についての見解
13/22

第六天魔王信長

この論説は、訂正させて頂きます。

今回、2016年10月29日、「第六天魔王信長・論争に終止符を!」と題しまして、新たな論説を投稿させて頂きました。

そちらを、私の考える本命説とさせて頂きます。

ご覧頂ければ嬉しく思います。



 信長の代名詞とも言うべき第六天魔王です。

 皆さんは、魔王と聞いてどのような人物像を想像されるでしょうか?

 ファンタジー世界では、魔王と言えば魔界の王です。

 光の勇者と対照的に、闇の軍団を率いて、世界を闇に落とす存在です。

 その人物像は、残忍で傲慢、独裁的で神仏もないがしろにするものです。

 これは、広く一般に知られる、信長のイメージと言っても良いです。


 しかし、現在の戦国ファンの間では、第六天魔王信長という代名詞=魔王信長(魔界の王信長)と言うのは、結び付かないと言うのが主流の解釈ではないでしょうか。

 要するに、第六天魔王信長という代名詞は、現在言われているような、残忍、傲慢、独裁的と言った人物像とは、結び付かないという事です。


 それなのに、現在でも魔王信長のイメージで歴史の解釈がされる事に、私は疑問を感じます。

 やはり、魔王と言うキャッチーなフレーズに専門家も影響されているのか?と感じる所があります。

 以前も書きましたが、戦国大名なら誰しもが持ち合わせているような、出来事が魔王というフィルターを通して見ると、魔王に見えてそこに矛盾を感じないのではないかという事です。

 具体的に言いますと、武田信玄、豊臣秀吉、徳川家康、織田信長、誰が魔王の人物像で語られるか?

 圧倒的に信長が魔王のイメージで語られます。

 ですが、出来事だけを見ると、皆、大差は有りません。

 

 テレビなので専門家の方が、信長の人物像を魔王のイメージで語る事があります。

 そして、不思議なのは、専門家の方に、第六天魔王は、魔界の王か?と、質問すると違うと答えるはずです。

 なのに、信長の出来事を魔王というイメージで見て、そこに矛盾を感じていないという何とも不思議な現象が起こっている気がします。


 私は、第六天魔王信長から想像される人物像は、空気的事実であり、根拠のない物と考えています。

 正確には、人物を想像する要素には成りますが、残忍性や、傲慢、恐怖の対象、の補足には成りえないと考えています。

 魔王信長というキャッチーなネーミングに捉われて、信長を見てしまうと、歴史の姿に偏りが出るのでは?と思うのです。

 今回は、私なりに第六天魔王信長=魔王信長という人物像を払拭させてい頂きます。


 もちろん、大河ドラマなど物語やゲームであれば、とても魅力的な魔王信長というキャラクターですし、本当の本当は、誰にもわかりません。

 本当に魔界の王の様な人物だったかもしれませんが、今回は、私の考える信長像という事で自由に書かせて頂きます。 

 

 

「第六天魔王信長について」

 

 私は、第六天魔王信長=魔王信長、このイメージを根拠のない空気的事実であると考えています。

 

 しかし、私も良く知らない頃、魔王信長という代名詞だけ聞いて、魔王の様な人物像を想像していました。

 そして、他の殺戮行為を見て、やはり魔王に見えて、そこに矛盾を感じませんでした。

 しかし、知れば知るほど、魔王信長というキャッチーなネーミングは、歴史を検証する上で、捉われてはいけないイメージだと考えています。

 そこで、今回は、以下の3点にテーマを絞って、検証すると共に私の見解を書かせて頂きます。


1、なぜ、第六天魔王と言う代名詞がついたのか。

2、信長が自分で第六天魔王と名乗ったのか?

3、第六天魔王は、魔界の王なのか?

 

 「なぜ、第六天魔王信長という代名詞がついたのか?」

 

 そもそも、この代名詞の出所は、どこか?

 イエズス会宣教師のルイス・フロイスが記した書簡にのみ(・・)に、登場します。

 

 その一節を紹介します。

 信玄が遠江及び三河の国に侵入せし前面白き事起こりたり。

 即ち信長に一書を贈りし時其名を揚げんとの慢心より封筒の上に次の如く認めたり。

 テンダイノザス・シャモン・シンゲン其、意(其の意味)は、天台宗の教の最高の家及び教師信玄といふことなり。

 信長はこれタイしてドイロク テンノ・マウォ・ノブナガ、其意そもと(其の意味)は悪魔の王にして諸宗の敵なる信長といふことにしてダイバが釈迦に對し其宗旨むねの弘布を妨げしが如く、信長は今日まで日本の諸々の偶像の尊敬及び崇拝を妨害せるが故なり。 


武田信玄が信長に当てた手紙に、「天台座主沙門信玄」と署名したのに対して、信長は、「第六天魔王」と署名して返したというものです。

 

 

「信長は、自ら第六天魔王と名乗ったのか?」

 

 フロイスの書簡では、信長は、自ら第六天魔王と名乗ったとされています。

 確かに、書かれている以上、その事実は強力で無下に出来る物ではありません。

 しかし、フロイスの書簡が実際の出来事を正確に書かれているのか?、その信憑性には、相対する二つの説が有ります。

 その論点は、信玄が名乗った「天台座主沙門信玄」という署名です。

何故論点になるのかといいますと、天台座主とは、天台宗のトップであり、代々 天皇の血縁者が就く位です。

 そして「天台座主沙門信玄」この解釈が二つ存在するのです。

1、「天台座主の下で修業僧侶する信玄」(実際にあった信憑性が高い)

2、「天台座主である僧侶信玄」(実際にあった信憑性が低い)

 要するに、この信玄の署名が実際に有ったので有れば、信長の第六天魔王も有った可能性が高いという事です。

 逆に、信玄の署名に信憑性が無いのであれば、信長の第六天魔王も可能性が低いという事になります。


 次に、この二つの通説を紹介すると共に、私の補足を交えて比較してみたいと思います。

 


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