いや。
学生の夏休みは長いか? 短いか?
もちろん、社会的な責任を持っている大人と比べれば学生の夏休みの期間が長いことは明白である。だが、それでもこの質問に対する学生たちの答えにはバラつきが出る。
例えば、恋する相手が学校にいて夏休みの間はその相手に会えない者や、バカンスや趣味の予定がない者にとっては、夏休みは長く感じるものだ。
逆に、やることが沢山あり、毎日のようにそれを楽しんでいるような者にとっての夏休みは短い。
これは、宇宙のどこにあっても共通する真実である。
例えば地球からほど近い宇宙空間に浮かぶ居住区『オリオンタートル』。そこに住む一人の少年、宮城響にとっての夏休みは、一瞬だった。
前半は華星旅行を楽しんだ。その過程で極端な思想を持つサイキッカーと戦い、結果としてとても可愛らしい女の子をお持ち帰りすることに成功。
これだけでも17歳の少年が過ごした夏の思い出としては破格なものなのだが、そのあとも響はそれなりに忙しい日々を送った。
同級生たちに劣る面もあるサイキックスキルの学習、普段の倍をこなす各種のトレーニング、華星で散財してしまったのでアルバイト。
この辺は、まあ良い。というか、仕方ない。響の夏休みを短くさせた原因は他にあるのだ。
ビーチでのナンパ、夜のパーティへの参加、悪友との夜遊びにホバーバイクでのストリートレース、連日のバー通い。あとは不純異性交遊に次ぐ不純異性交遊。さらに不純異性交遊。
そんなことをしていたら、あっという間に夏休み最終日になってしまった。
実はいつから学校が始まるか、ということすら忘れていた響だったのだが、そこは生真面目でお嬢様で美少女の隣人が教えてくれた。
あれは三日前、朝帰り中の響がアードベック邸の前を通りかかったときのことだ。
ペットである華星犬の散歩に出かけるところだった彼女は響をみると深い深いため息をついた。
「……ミヤシロくん、昨夜も帰らなかったようね……」
せっかく偶然会えたので、響もアマレットとその愛犬に並んで歩き始める。
人工のものとはいえ朝の太陽や海風は気持ちがいいし、椰子の木が立ち並ぶリゾート地のような道を歩くのは好きだ。女の子らしいカットソーにショートパンツだけといういつもよりラフな服装のアマレットも可愛い。
「うん。盛り上がってさぁ。ちょっと二日酔い気味かも。あ、俺も一緒に散歩していい?」
「貴方って人は……!」
いつものように響がヘラヘラと答えると、アマレットは太ももの横の手を『ぐー』にして怒った声を上げた。うがーっ、というオノマトペが聞こえてきそうだ。
とはいっても元々可愛らしいソプラノの声なので、聴いていて耳に心地よかったりもするのだが。
「だから! どうしてあなたは当たり前のように不良行為をしてるのかしら……?」
「ありがとう。心配してくれて。アマちゃんはいい子だね!」
響はアマレットがとても優しい女の子なのを知っている。彼女は、首席でアカデミーを卒業すると明言した宮城響のことを案じてくれているのだ。
「なんでそうなるのよ!? バカじゃないの!?」
そして照れ屋で、素直じゃないのも知っている。だから彼女の顔が真っ赤なのは風紀委員的な怒りだけによるものじゃないことも知っている。もちろん、基本的に不真面目な男が嫌いというのは事実なのだろうが、もうそれは仕方のないことだ。なにしろ。
「俺は宮城響だからね」
響はそれだけ言うと、アマレットの愛犬に『なぁ?』という顔を向けた。
「なによそれ!?……ところで、宿題は? もちろんやってるわよね!?」
じと、と冷たい目を向けられた。これも響が好きな表情だ。
「あっ」
もちろんやってない。自慢ではないが、響は地球で小学生や中学生をやっていたころから、夏休みの宿題を8月29日より前にやったことがないのだ。
「わたし、やりなさいって言ったわよね!?」
「大丈夫。あと三日もあればよゆー。それに、自由研究だけはもう出来てるしね。『予知能力者との近接戦における有効な戦術』っていうんだよ。しかも実証済み!」
「……はぁ……。ほかのものもやりなさい。いい?」
と、ここでいったん可愛らしいお説教タイムが終わったようなので、響は話題を変えることにした。
「おっけー。でもそんなことよりさ、夏休み最終日って花火大会があるんだよね? うち来ない?」
これは夏休み開始時点から企画していたことである。夏と言えば花火。可愛い女の子と見るのがベストだ。
もっともオリオンタートルは宇宙空間に浮かぶ居住区なので、実際に火薬を用いた花火が打ち上げられるわけではない。普段の夜間は星空が透けて見えるタートル外壁に色鮮やかに輝くサイキックウェーブがプロジェクションマッピングのように投影されるとのことだ。
これはなかなか見応えがあり、アカデミーの学生たちにも人気のイベントなのだそうだ。
「うち……? あ、貴方の家に、夜に……? そ、そんなの……」
アマレットは響の誘いになにやらアタフタと言葉を詰まらせた。慌てている感じがよくわかる。
「うん。ほら、俺んちって丘の上のほうだし、よく見えそうだよ。あ、知ってるか」
響の住まいは元々アマレットの家族が所有していたプールハウスだ。アマレットの住むアードベック邸からは近いが坂の上にあるため、見晴らしがよい。外壁に投影された太陽が人口の海に沈んでいく眺めも絶景ではあるが、空もよく見渡せる。
「そ、それはそうだけど……」
断る理由を探そうとしているアマレット。だがそれは響の想定内である。
宇宙に上がってきてからアマレットにデートを断られることすでに107回。デートはまだ無理だとしても、この夏のイベントだけは絶対に一緒に過ごすと決めた。そして決めた時の俺は絶対キメる。
説得タイム開始である。
「去年まではプールハウスで家族で見てた、ってアードベックさんから聞いたよ。俺が住んだせいで恒例行事ができなくなるのも悪いし」
「そんなの別にき、気にしないでも……」
「俺って宇宙にきて半年だからまだ友達があんまりいないんだよね」
「それは嘘よね?」
「うん。けどアマレットに来てほしいからさ」
「……調子のいいことばっかり言うのね」
アマレットはなにやらぷいっと横を向いてしまった。なにかむくれている様にみえる。
「お願い!」
「いや。だってあなたの部屋に入ったら妊娠しちゃいそうだもの」
「わお、アマちゃん、そんなアダルトなジョークもいうんだね」
「本気で心配してるだけよ」
冷え切った声と目がちょっと怖い。もしかして、アマレットは俺が夏休みで遊んだ女の子たちについていろいろ知っていたりするのだろうか。それはさすがにちょっとマズイ。というかかなりマズイ。そうかだからいつもよりプリプリ度数が高いのか。
「じゃ、じゃあ部屋に入らなくても! プールサイドの芝生でバーベキュー的な!」
「いや」
「そこをなんとか」
「いや」
なおも食い下がる響。アマレットはつーん、としたままだ。この辺が猫っぽくて可愛いと響は思っているが、たまには懐いてほしいかもしれない。
しばしの沈黙が二人の間に降りた。実は響には決め手があるのだが、それはいよいよ最後に言ったほうがアマレットは折れてくれそうなのでもう少し溜める。
タイミングを計って黙る響とソワソワと落ち着かない様子のアマレット。
「……」
「……」
「ど、どうしてもって言うんなら……その、あの、私も花火は好きだし……。貴方がちゃんと宿題をするっていうんなら……少しくらいなら、もし、あの」
「わかった! 俺と二人きりがダメだったらカクとスーズちゃんを誘おう!」
二人はほぼ同時に声をあげたが、アマレットのほうは声が小さかったので響のセリフだけが通った。
「えっ?」
「ほら、デートが嫌なんでしょ? だから皆で、って感じでさ。スーズちゃんもきっと喜ぶと思うし」
「あ、そ、そうね」
スーズは夏休みに響が華星から攫ってきたプリンセスだ。大変可愛らしく、素直で、品があり、純粋で、要するに素晴らしい女の子だ。
華星至上主義者連盟のトップの娘として望まぬ境遇にいた彼女だが、今ではオリオンアカデミー副学長ダルモアの家に住んでいる。最近はダルモアの妻に親しくしてもらっているそうで、よく一緒に料理をしたりするらしい。
ほぼ監禁された状態でこれまでを過ごしてきたスーズなので、ちょっとした普通のことでも大喜びしてくれる。夏の花火をティーンエイジャーの仲間とみる、というのもきっと素敵な思い出になるだろう。それに、スーズとアマレットはいい友達になれそうにも思える。
「と、いうわけで、どう?」
「……」
「アマレットが来なかったらスーズちゃんが女の子一人になるね。しかも、男は『俺』と『カク』だよ」
自分で言うのもなんだが、アマレットからみれば、響とその親友のカクは性的な意味での危険人物のはずである。
アマレットは、ぷるぷると肩を揺らし、ちょっと涙目になりつつ答えた。
「……わかりました。行けばいいんでしょ、行けば!」
「やっほー!! よし、じゃあアマレットんちに浴衣届けとくから、着てきてね」
「ユカタ? それはなにかしら……?」
「地球の民族衣装だよ。夏のイベントにはわりと必須。アマちゃんは色白だしうなじが綺麗だからきっと似合うと思うよ」
「地球から取り寄せるの? 今から?」
「先週届いたよ。サイズもばっちりだと思う。ほら、異星文化を知るいい機会でしょ?」
ぬかりはない。とくにこういうことに関しては響に抜かりはないのである。
「貴方はどうして、そういうことばっかりちゃんとしてるのよ!? っていうか私のサイズを……その、なんで、その……!」
アマレットの頭からは湯気が出そうになっていた。頬もさっきまでよりもさらに赤い。
隣を歩いていた愛犬も、何事かとご主人様を見つめている。
「じゃ、よろしく!」
「ちょ、ちょっと! 待ちなさい!!」
呼び止められたが、響はそのまま駆け出した。断られるまえに逃げる。真面目なアマレットが約束をすっぽかすことはまずありえないだろう。
「明日ねー」
後ろ手をひらひらと振ってから一瞬だけ振り返ってみる。身体強化を使って走ったので、すでにかなり離れた場所にいる彼女がなにかを叫んでいる様子が見えた。唇の動きでなんと言っているかはわかる。
「ばかぁーーー!」
だと思われる。
ちなみに、ついさきほどアマレットが戸惑いながら言いかけた内容も気づいてはいる。女の子の言葉に気づけない自分ではないのだ。また今度違う感じで誘うこととしよう。
「はは、ほんとあの子は可愛いなー」
夏休みがもう終わるのは残念だが、最後には楽しいイベントが出来そうだ。
響は鼻歌を歌いつつ家路を急いだ。昨夜頑張りすぎたせいでほとんど寝ていないので、まずは寝たい。それから宿題を片付けて、日課のトレーニングをして、明日の準備を済ませたらラスティのところに遊びに行こう。
「それにしても夏休みもう終わりか。……思ったよりなんもなかったな」
夏休みを満喫しつつ、気になっていたこともある。響は華星でスーズを救うのと引き換えに『ミンタカ』を失った。あれは『オリオンの星』を目覚めさせる三つのカギの一つでありながら、それ単体でも強力なサイキックパワーを宿しているものだ。
それが華星至上主義者連盟(PP)に奪われたのだから、響としてもそれなりの危機感は持っていた。PPのトップであるシーバス・パスティスの復活や大きな動乱が起こることさえも予感していたし、事情を知るダルモアにはかなり叱られた。
しかし、今のところなにも起きていない。
「まあ、それはそれでいいんだけどね」
まだ見ぬ敵や障害よりも、まずは身近な花火だ。それが終われば夏も終わり。
もうすぐアカデミーも後期の授業が始まるし、行事の予定も目白押し。
響には『進んできた』という自負がある。だからこれからも自分を高めていくつもりだし、今は知らない部分もあるPPと宮城余市、星雲連合の過去を解き明かしてみせる。
宇宙で過ごす学生生活も、中盤戦に突入だ。




