明日も、明後日も、その先もずっと
「シーバス・パスティス……ヒビキ様のお父様を殺めたその人は……」
スーズの反応を待った響だったが、彼女の言葉は響の想像を超える衝撃的なものだった。
「スーズのお父様と同じ名前です」
さしもの響もわずかな間だけ絶句してしまった。
「え……?」
一瞬のうちに響の心中にさまざまな思いが駆け巡る。
PPのトップ、シーバス・パスティスがスーズの父親? いや、たんなる同姓同名の別人の可能性も……。
あるわけがない。
わずかな時間だけ一緒に過ごしたスーズだが、彼女には不思議な点がいくつもあった。
星雲連合文化圏における常識に乏しいこと、華星人以外の惑星人を怖がっていたこと、監禁が日常という生活を送っていたこと、彼女を追ってきた連中が武装していたこと。
響はそれらの情報からスーズの背景にPPの影を感じていた。その彼女が自分の父親をシーバスと言った。以上のことからそのシーバスが『あの』シーバスのことだというのはほぼ間違いないだろう。
さらに思考は加速する。これはこの少年がいくつもの修羅場をくぐるなかで身に着けた。特性だった。
では彼女はいったいどういう存在なのか?
表向きにはシーバスは死んだことになっているし、彼に娘がいたことは知られていない。
しかし彼女はさきほどケーブルカーのなかで『お父様のためにチカラをうまく使えなかったり』という表現をしていた。つまりスーズはシーバスが生きていることを知っていることになる。さらに彼女はなんらかの能力を持っていてそれをシーバスのために、つまりはPPのために使う立場にある、ということだろうか?
仮にそうだとしたら、余市の息子である自分とスーズが出会ったのは偶然なのか?
彼女に声をかけたのは響のほうだ。しかし思えば最初に出会ったとき、彼女は響のことを知っていた、あるいは待っていたようだった。
何故?
もしこれが最初から仕組まれていた出会いだとしたら、今目の前にいる彼女に対して、どうするべきなのか。
ここまで2秒程度、響は結論に達した。
スーズは論理的に考えれば怪しい。敵対する存在である可能性もある。
でも。
「どうでもいいんじゃない?」
「……えっ?」
響は不安げな表情でこちらを見ていたスーズに笑いかけた。
スーズは胸を押さえて震えている。女の子にそんな思いをさせたくない。
「で、ですが……」
「スーズちゃんのお父さんが誰か、とか別にどうでもいいよ。俺はスーズちゃんが好きだし」
「そ、それはもちろん私もです! とても、とても楽しいです……!」
スーズの瞳に涙が浮かんでいた。彼女自身感情の整理がついていない、そんな風に感じられた。
スーズをとりまく状況がどういうものなのかは響にはわからないが、少なくともスーズ自身からは悪意のようなものを感じられない。というか、とてもいい子にみえる。それだけで十分だった。
「……ヒビキ様のお父様は、ヨイチ・ミヤシロ、という方なのですか?」
しかしスーズはこの話題を無視しようとはしなかった。戸惑い、恐れながらもその瞳はまっすぐに響を見つめている。
「うん。そうだよ。そういえばフルネームは言ってなかったね。俺は宮城響。地球人」
あっけらかんと答える。別にもともと意図して秘密にしていたわけではない。
「……スーズは、ヒビキ様のお父様のことを何度もお聞きしたことがあります」
「そうなんだ。なんだって?」
スーズの声は消え入りそうなほど小さかったが、偶然にも丘に吹く風がやんだことで、続きも聞き取ることが出来た。
「……より良き星雲連合を作ろうとした華星の民に反発し、宇宙の歩みを止めた……テロリストだった……と」
「そっか」
辛そうなスーズに響は優しい口調で答えた。
実際、スーズの言葉に好意と感謝を持った。
彼女にしてみればきっと嫌われるのが怖くて、言いにくいことだったはずだ。それでも勇気を出して伝えてくれた。それはとても誠実なことだと思う。だから響は嬉しかった。
「スーズちゃん、大丈夫だよ。俺は……」
響がスーズに歩み寄ろうとした、その時だった。
「その通りですよ。スーズ様。そしてその少年もまた、父親と同じく品性下劣な劣等人種であり、銀河の秩序を乱す者です」
ぞくり。
背後から聞こえた低く澄んだ声に、響は寒気を覚えた。
「ローゼス!」
「スーズちゃん! 俺の後ろに!」
スーズが男の名を呼んだのと振り返った響がスーズを庇うような位置取りで立ったのはほぼ同時だった。
ローゼスと呼ばれた男は、そんな二人の様子をみて薄く嗤う。
銀色の長髪と彫刻のように整った顔立ちが印象的な男だった。年は20代前半程度、均整のとれた体格と仕立てのよいスーツもあわさり、美しい青年だと言える。
ただ、その笑顔には温度がなかった。
「何を勘違いしているのかは知らないが、私はスーズ様の後見人なのだよ。ヒビキ・ミヤシロ。君こそ、そのお方から離れたまえ」
響はローゼスの命令は無視し、周囲を見渡した。
「ちっ」
まずい。響は状況の危険さに小さく舌打ちをする。
ローゼスは一人ではなかった。さきほども襲来した黒服の男を7人もつれている。そしてもともと人気がないこの場所だから、それとも彼らが人払いを済ませたのか、辺りには自分たち以外誰もいない。
何故この場所がわかったのか? いや、冷静に考えればスーズに発信機の類がつけられていたとしても不思議ではない。無くしては困る大事なものであればそうするのは当たり前のことだし、響自身も同じことをしている。
「……まずいな」
空気が変わっていた。夕焼けに照らされる丘に吹く風は、いつの間にかやんでいた。
「無礼な少年だな、君は。……まあいい。スーズ様、よくぞその少年のもとに我々を御導きくださった。貴女の御力には、いつもながら感服するばかりです」
かしこまった口調で話すローゼスの声は優雅で、そしてどこまでも冷たい。
「……スーズは、そんなつもりは……!」
「これでシーバス様……貴女の御父上の復活も近づくことでしょう。ではスーズ様、どうぞこちらへ」
ローゼスはスーズに手を差し伸べつつ、横目でちらりと響を見た。
人間を見る目では、なかった。
「い、嫌です……!」
一方、スーズは首を振り、ローゼスの手を拒んでいる。彼女は、怯えているように見えた。
「……困ったお方だ。何を吹き込まれたのは存じ上げませんが、その少年はテロリストです。異星人を信頼してはなりません。私がこれまでに……何度も何度も何度も何度も何度も何度も、お教えしてきたはずですか? 私はこれよりそのテロリストを誅します。危険ですので、お離れください」
カツカツと足音を立て近づいてくるローゼス。
スーズの悲痛な声が響く。
「……わかりません……ローゼス、貴方たちが教えてくれていたことは本当のことなのですか? ……本当に、異星人は恐ろしい人たちなのですか? それに、それに……ヒビキ様は……」
スーズが泣きそうになっているのも仕方がないことだと響は思う。彼女からしてみれば、たったの一日でこれまで持っていた考えや倫理が根本から揺らいでしまったのだから。迷い、戸惑うのは自然なことだ。
「……なるほどな。大体わかった」
響はローゼスの進路上に立ちふさがり、小さく呟く。
スーズに悪意がないとすれば、たどり着く結論は一つしかない。もちろん響はスーズを信じている。
「何がわかったというのかね?」
「そうだな。まずはお前がアホだってことかな」
「……異なことを」
ローゼスは鼻で笑いつつも、不快そうに眉を歪めた。どうやらプライドの高い男のようだ。
「説明してあげようか?」
そう感じた響はあえて小馬鹿にした口調で続ける。
「まず、スーズちゃんにはなにか特殊な能力がある。そうだな……超直感のようなものだろ? それはお前らPPにとって有用な力だから、これまで彼女を監禁して利用していた。彼女が幼い時からずっと偏った教育を施しながら」
これでスーズが世間知らず過ぎる点や、『お父様のためのチカラ』という言葉に辻褄が合う。
ローゼスは響の推測を黙って聞いていた。
「そして今日、スーズちゃんは監禁から自由になったあと俺と出会った。……それは彼女が持つチカラに導かれた結果としてだ。監視していたお前らは喜んだだろうな? 普段はオリオンアカデミーにいて手出しのしづらい宮城響を始末して、ミンタカを奪うチャンスだからな」
ここでスーズが叫んだ。
「そ、そんなことは……!」
「わかってるよスーズちゃん。君にはそんな意図はなかったと思う。ただ、普通に外を歩いて、会いたい人にあっただけだよ。……でも、多分こいつはわざと君の監禁状態を緩くしたんだ。自由を与えて俺と出会わせるためにね」
スーズが独力でPPから自由になれるわけがない。だから泳がされたと考えるのが自然だ。
PPにとって響は、いや正確に言えば響の持つクリスタル『ミンタカ』はとても重要なものと言えるだろう。
響が余市から受け継いだ『ミンタカ』、オリオンアカデミーに保管されている『アルニラム』、PPの保有する『アルニタク』、三つをそろえることが出来れば、『オリオンの星』が放つ絶大なエネルギーを手に入れることが出来る。
それはまさしく全銀河をも制する力。
……スーズは、それを手に入れるための駒だったのかもしれない。
めったに怒ることのない響だが、ほんの少しだけ、腹が立つ
響はぎり、と歯ぎしりをしてから告げた。
「正解だろ? で、わざわざ不必要なことを話して俺にここまで悟られたやつはさー……やっぱ、アホでしょ」
ローゼスはしばらく黙り込んだが、不意に薄く嗤った。
「……なるほど。随分と頭が回るようだね、君は。グレンやシャルトリューズを退けたというのも頷ける。たしかに君の言う通りだ。我々には大いなる理想があり、そのために『オリオンの星』を手に入れシーバス様には復活していただく。君のような邪悪なテロリストがその理想を阻むのならば、討つまでだよ」
言葉とともに、ローゼスは背後の黒服からサイブレードの柄を受け取る。
戦るつもりらしい。
響もまた、格闘の構えを取った。
相手の能力もわからず数でも劣る以上、勝てるとは思えないが、時間を稼いで何か考えるしかなさそうだ。
「……俺がテロリスト、か。たしかにそういう考え方もあるね」
響はローゼスの言葉を否定しない。これまでの地球の歴史がそうであったように、正義と悪の定義はあやふやなものだ。勝てば革命、負ければテロ。歴史はそう断じる。
一般的には滅んだとされているPPだが、実際にはこうして健在だ。
『華星による銀河の支配を目指すPP』と『共和主義を基本とした現星雲連合』の戦いが続いている今、正義を主張するのはナンセンスだと響は思う。
「ほう。自らの正当性を主張もせずに、君は戦うのか?」
「そーだね」
「ふっ、いかにも劣等種のやりそうなことだ。いいだろう。……彼にもブレードを」
ローゼスは黒服に命じて、響にサイブレードを投げ渡させた。
「へえ。優しいね?」
「武器も持たない劣等種族相手に剣を振るえるほど、私のプライドは安くはないのだよ」
「あーそう。じゃあ、もちろんそこの黒服さんたちは手を出さないよね? 一対一?」
軽口を叩きつつ響はサイブレードを起動する。出現した光の刀身は、特に細工などもなく十分に扱えそうなものだった。
「当然だろう。結果は変わらないがね。……スーズ様、お目汚しになるやもしれませんが、ぜひお見届けください。銀河を統治すべき者が誰なのか、これよりお教えして差し上げます。済めばただちにお帰りいただき、今度は二度と迷うことのなきよう『教育』させていただきます」
ローゼスはサイブレードを構える。
響もそれにあわせて構え、それから一瞬だけスーズのほうに視線をやる。
彼女は、自分自身を抱きしめるようにして、震えていた。
「……俺が戦うのは、別に正当性とやらのためじゃないよ」
誰にも聞こえないほど小さく呟く。
銀河を支配すべき種族だとか、共和制の構造なんてものも今はどうでもいい。
ただ、スーズのことだけが心をよぎっていた。
幼い時から、いやシーバスの娘であるのなら多分、生まれた時からずっとスーズは精神的な牢獄に捕らえられていたのだ。
親世代の思想を押し付けられて、普通の生活も出来ず、たった一人の友達もいないまま。
宇宙の状況も、異星人の人間性も、コスモソーダの味すらも知らずに。
「スーズちゃん、危ないから少し下がっててくれる? 大丈夫。きっとなんとかしてみせるから」
「いけません……! ヒビキ様こそ、逃げてください!」
だから彼女は今日、あれほど楽しそうだったんだ。
はじめての自由にワクワクして、出会った人たちにキラキラした瞳を向けていた。
特殊な環境に育ちながらも、スーズは極端にねじ曲がってはいなかった。
異星人にも良い人はいるのですね! そう言って可愛い笑顔を見せてくれた。
それはきっと、彼女が純粋で優しい女の子だから。
「ううん。俺は逃げないよ」
一日しか時間がない、スーズは寂しそうにそう言いながらも精一杯今日を楽しんでいた。
どういう気持ちでいたんだろう、と思う。
ベルモットの泉でスーズは言った。自分の一番の願い事はきっと叶わない、と。
その願い事がなんなのか、響にはわかるような気がした。
色々な本当のことを知って、そのうえでスーズがPPの側に立つのならばそれはそれでいい。でも、少なくとも彼女には知ってほしいし、普通の女の子のように自由を楽しんでほしい。彼女の願い事が叶ってほしい。
それになによりも。
「俺は明日も、明後日も、その先もずっと、スーズちゃんとデートがしたいからね」
響は怯えるスーズに笑いかけた。
もちろん、本気の言葉だ。宮城響はどこまでも自己中心的な男なのである。スーズにはもっと色々なことを教えてあげたい(アダルトな方面でも)、もっと笑っているところがみたい。
――あんなに素敵な子を、渡せるかよ。
「ふっ、道化だな。いいだろう。かかってきたまえ、ヒビキ・ミヤシロ」
「ああ、行くぜ」
響は現状を打破する方策を見つけ出すべく思考を巡らせつつ、ブレードを振りかぶり地を蹴った。




