また、会えるかな?
「目を閉じるのですか? ええっと、何故でしょうか?」
「今から逃げるから。大丈夫、俺を信じて」
スーズはわずかな間だけ逡巡する様子を見せたが、それでも答えてくれた。
「は、はい! スーズはヒビキ様を信じます!」
言われた通りに目をぎゅっと瞑ったスーズ。それを確認した響は羽交い締めにされたままの姿勢で前蹴りを放った。
右脚を高々と蹴り上げ、地面と垂直の角度まで持って行き、そのまま。
「ほっ」
背後にいた男の顔面につま先をあてた。男の身長が自分より高いことを利用したうえでの攻撃である。
「!? くっ……!」
テレキネシスで圧力をかけられていたし、状況がよくわからないなかなので、思い切り蹴ったわけではなく、威力はそれほどでもない。だが、人間は予想外の衝撃を受けると意外と弱いものだ。
自分への拘束が緩んだ一瞬を響は逃さなかった。間髪入れずに蹴り上げた脚を振り下ろし、今度は踵で男の足を踏みつけ、そのまま駆け出す。
「スーズちゃん! こっち! 逃げよう! もう目を開けていいよ」
「え? え? ヒビキ、様……?」
律儀にも目を閉じたままのスーズだったので、響は彼女の手を取って人混みに向けて走った。
「っ……ま、待て!」
「何をしている! 追いかけろ!!」
背後から聞こえるそんな声は当然無視する。が、男たちは思ったより俊足だった。
「おお? 結構本気だな、あの人たち」
「……はぁ、はぁ……」
スーズは息を荒くしている。全力疾走した経験なんてあまりなかったのかもしれない。
「んー。スーズちゃん、ちょっといい?」
「は、はい……? なんで、しょうか……?」
「嫌ならやめるから、すぐ言ってね」
響は手を取っていたスーズを抱き寄せ、そのまま持ち上げることにした。
「ふわぁっ! なにをなさるのですか!? ヒビキ様」
「お姫様抱っこ。あれ、これって宇宙でも通じる表現かな」
「なぜ、このようなことを?」
「俺はもう少しスーズちゃんとデートしてたいから、あいつらから逃げる。逃げるためにはこのほうがいい。あと、スーズちゃんの抱き心地がよさそうだから!」
「まぁ……!……あら? 不思議です!」
「なにが?」
「お顔が熱いです。それに、なんだか胸がドキドキします! 何故なのでしょう?」
「さー。何故なのでしょう」
傍からみたらラブコメディのようなやりとりをしつつも、響は足を止めなかった。
広場を駆け抜け、オープンカフェのテーブルを跳び越える。身体強化で腕力と脚力を高めることで実現する鬼ごっこ。ジェネヴァの街を行く観光客たちは、強面な『鬼』に追われながらも、軽やかに逃げる少年少女の姿に歓声をあげた。
「なんだ? パフォーマンスか?」
「頑張って!」
「素敵な彼氏ね、お嬢さん」
「ガキのくせに見せつけやがる!」
そんな声を聴きつつ、走り、跳び、登る。パルクールは響の得意技の一つだ。伊達に子どものときは逃げまくっていたわけではない。
「スーズちゃん、ちょっと失礼」
「えっ? きゃっ!」
ときおりはスーズを空中に放り、テレキネシスをかけてフワリと落ちてくるまでの間に宙返りや側転といったアクロバットを披露してみせるのも忘れない。
「おかえり」
「び、びっくりしました!」
ふたたび彼女を優しくキャッチし、また走る。
「くそっ、邪魔だ! 道をあけろ!」
「どけ!」
走り去ったあとからは拍手と歓声に紛れてそんな声も聞こえた。
狙い通り、見物にきた観光客や野次馬の皆さまが壁と目隠しになってくれているようだ。
追走者は大人で、しかもちゃんとしたサイキッカーだ。不意をついたさっきならいざ知らず、工夫しなければ逃げることは出来なさそうだと響は感じていた。
「お、アレに乗ろうか」
「はい!」
走る先には観光用のケーブルカーらしきものが見えた。これまた宙に浮いているが街を移動する人たちが自由に乗り降りできるらしい。
「うりゃああっ!」
そろそろ身体強化も限界に近かった響は、気合の掛け声とともにケーブルカーに飛び乗った。
同時に、信号が変わりケーブルカーが進みだす。さすがに、これを追うことは出来ないはずだ。
「心配なさらないでください! スーズは明日には戻りますから!」
逃げ切った。この鬼ごっこを見守ってくれた人たちとケーブルカーの乗客が喝采をあげ、スーズは手を振ってそれに答えている。追ってきた男たちも走るのを諦めたらしく、足を止めてケーブルカーを見送っている。
「いぇーい! スーズちゃん! ほら、手!」
「え? 手、ですか?」
「ほら、こうして出して」
響はスーズに手を掲げさせ、ハイタッチをかわした。なかなか爽快な気分だ。
「ふう……えっ……?」
だが、安堵のため息を漏らしたその時、響は予想外の光景を目にした。
「……マジかよ」
追跡者たちはたしかに走るのをやめていた。だが、その中の一人は懐からある物を取り出したのだ。
黒く、小型。だが、たしかな危険物。
それは、銃だった。しかも、アカデミーの惑星探査実習で使うような護身用のものではない。確実に人間を殺傷するために作られた、軍事用のそれだ。もちろん、特別な許可なくそれを携帯することは銀河法に違反している。
その銃口が、人ごみをかき分けて響をとらえていた。
あれはレプリカかなにかか? それとも本気であんなものを街中でぶっ放すつもりか? これだけの人たちの前で?
響は冷や汗を垂らしたが、その最悪の予想は幸運にも実現しなかった。
銃 を出した男は、慌てた仲間の一人にたしなめられて銃をしまった。
だが、そのやりとりが逆に教えてくれる。あの銃は本物だ。
「ヒビキ様? どうかされたのですか? まさかお怪我を?」
走り出したケーブルカー内で、スーズはきょとんとしていた。急にシリアスな表情を見せた響を不思議に思ったようだ。
「あ、ごめんごめん。なんでもないよ」
「そうですか! それならよかったです! あ、座りましょうか」
にこにことした表情で座席にかけるスーズ。
響も隣に座り、そして一度だけ振り返った。広場の景色は遠ざかっていき、あの男たちの姿も小さくなっていく。
「……」
あいつらはいったい何者だ? スーズの反応を見る限りは顔見知りのようでもあったし、スーズは戻る、とも言っていた。
『家出してきたお嬢様を捕まえに来た使用人』かとも最初は思ったが、それにしてはおかしい。なぜあんな連中がああも必死に追ってきたのか。
スーズは、この不思議なほどに純粋無垢な女の子はいったい……?
ふとスーズの横顔をみた響は、彼女の表情にまたしても惹きつけられてしまった。
「ふふっ」
「? スーズちゃん? どうかしたの?」
「なんだか、おかしくて。ふふ。スーズもあんなふうに街を走ることが出来たんですね。それに、楽しかったです!」
スーズの幸せそうな表情を見た響は、彼女に事情を聞く気をなくしてしまった。多分、彼女はあいつらがそれほど危険な人間だとは知りもしないのかもしれない。いや、おそらくはそうだ。
出会って間もないスーズだが、もし自分を追ってくる連中の危険性を知っていれば、それを自分に伝えないはずがない。響はそう思った。だから質問の仕方を変えてみた。純粋にこの子が心配になったのだ。
「そうだね。結構盛り上がったしね。それより、大丈夫? 結局逃げちゃったけど」
「大丈夫です。明日戻ったら、いつもより厳しいお仕置きをされるかもしれませんが、ヒビキ様にはけっしてご迷惑をおかけいたしません」
「お仕置き?」
スーズはコスモソーダも知らなかった。普通の女の子が当たり前のように楽しんでいる多くのものを初めて見た様だった。
なら、『お仕置き』は? それはごく一般的な少女が言うお仕置きと同じものだろうか。
「……スーズちゃんは、よくお仕置きをされるの? どんな? まさか叩かれたりとかしないよね?」
「そうですね。手錠をされて、小さな部屋に何日か閉じ込められるのは少しだけ辛かったです。……でも、スーズがいけないのですから、平気です!」
響は、自分の体温が何度か低下したかのような錯覚を受けた。
「別の星の方々についてしつこく知りたがったり、お父様のために使うべきチカラをうまく操れなかったり」
スーズは困ったように言葉を濁した。それは自分の辛い状況を思い出して、というよりは、自分のそうした状況を話して響を不快な気持ちにさせるのではないか、と心配してのもののように思われた。それでも彼女は、聞かれたことに嘘はつかない。いや、嘘をつくという行為を知らないのでは、そんな風にさえ思えた。
『お仕置き』はどう考えても異常だ。だが、妙に納得できることもある。
スーズはカフェで翠星人を怖がっていた。何故か響を華星人だと思い込んでいた。
それは一見すると、異星人への偏った考えを持っているようにも見える。
そういう風に根っから偏った考えを持っている人たちのことは知っているが、スーズは違うと思う。彼女は『翠星人にもいい人がいるのですね!』と嬉しそうにしていたから。他の星の食べ物を素敵だと言ったから。
きっと彼女は今までなにも知らなかっただけだ。
でもそれはなんで?
響はある推測を立てつつも、様々な疑問を一つの質問に託すことにした。
「スーズちゃん。俺とは、今日が終わっても、また会えるかな?」
だが、スーズは目を伏せスカートの袖をきゅっと握り、答えた。
「……それは出来ないと思います。今日のような機会はもう二度とないでしょう。……不思議です。お仕置きは我慢できるようになったのに。今、ヒビキ様の言葉を聞いて、スーズはとても悲しい気持ちになりました」
彼女の大きな瞳が潤み、響の胸には強い感情が走った。
「あ、あれ? おかしいですね。今はすごく楽しいのに。こんな」
揺れるケーブルカーのなかで、隣に座っている女の子。彼女は、自分が涙をこぼしそうになっていることに驚いているようだった。
「スーズちゃん。……」
そのとき、響の胸に走った感情。それは憐憫でも困惑でもない。もっと強い別の気持ちだ。
「次で、降りようか」
だからだろうか。響は後日に行くつもりだった場所に予定を繰り上げ、彼女を連れて行ってみることにした。
※※
華星、ジェネヴァ郊外を少し走った先にある『祈りの丘』。今では史跡となっているが訪れる者はそう多くはないらしい。
傾き始めた太陽が照らす丘に立つ響たちの眼下にはクレーターが見える。
「ここはどういった場所なのでしょう?」
スーズは自分が連れてこられた場所がどういうところなのか知らないようだった。
小高い丘には記念碑が立っており眺めも悪くなく、名所らしき雰囲気はある。だが、どこか寂しげ。鳥の声も聞こえるし、夕陽も綺麗に見えるのに人気が少ないのは、きっと人々にとってこの場所がまだ『過去』になっていないからなのだろう。
「ヒビキ様?」
「あ、うん。えっと、ある宇宙船の墜落跡が見える場所なんだってさ」
「墜落……ですか。これほど大きな跡が残っているということは、とても大きな事件だったのでしょうね」
風が吹いて、スーズの髪が揺れた。響はそれをみて綺麗だと思った。
「何故、ここにいらしたのですか?」
スーズの質問に響はすぐには答えなかった。別に意地悪をしたわけではない。ただ、一言で説明するには何といえばいいのかわからなかったからだ。
「そーだねー……」
響は軽く跳躍し、丘の端にある手すりに飛び乗った。ポケットに両手を入れたままの姿勢で手すりに立ってクレーターを見下ろし、呟いた。
「親父の墓参り……かな?」
「そうだったのですね……。この事故でヒビキ様のお父様は……。スーズからも、お悔やみを」
スーズの声に悲しい色が浮かんだ。それは多分、純粋な哀悼の気持ちの表れだと思う。
「いや、もう昔のことだし、もうそんなに気にしてないけどね」
なんだか申し訳なくなって、響はつとめて明るい口調で答えた。
「それにここで死んだってわけじゃないよ。親父は死体も見つかってないしね。……でも多分、親父はここを見たかったんじゃないかな、って思って」
手すりにたったまま振り返ると、スーズは真剣な目で聞いてくれていた。色々なことを知らない彼女だけど、いやもしかしたら『だから』、人と接するとき、これほどまっすぐになれるのかもしれない。そんな気がした。
「ここで死んだとされているのは俺の親父を殺した男、シーバス・パスティスって人だよ」
響はあえてPPの指導者であったシーバスの名を出した。
「……えっ?」
スーズが小さく驚く声を上げた。
響の推測が正しければ、スーズはシーバスの名を知っているはずだ。どういうつながりがあるのかまではさっぱりわからないが、スーズの背景には華星至上主義連盟(PP)の影が見える。もし、彼女がそのせいで辛い思いをしているのなら、救って
「シーバス・パスティス……ヒビキ様のお父様を殺めたその人は……」
スーズの反応を待った響だったが、彼女の言葉は響の想像を超える衝撃的なものだった。
「スーズのお父様と同じ名前です」




