あれは何をやっているのですか?
「ヒビキ様! それはなんという飲み物なのですか?」
「え? ああ、これはコスモソーダっていうんだよ」
「なんだか、星空のような色ですね。それにシュワシュワしてます! すごいです!」
さきほど知り合ったばかりの女の子とカフェに入るのは、響にとってはよくあることなのだが、今回は少しいつもとは違っていた。
異星の街、ジェネヴァが見渡せる二階のオープン席にいるということもそうだが、一緒にいる相手がかなり変わっている。
「ヒビキ様は、こすもそーだがお好きなのですか?」
「うん。飲んでみる?」
「い、いいのですか!? いただきます!」
小さな両手でグラスをつかみ、こくこくと飲む彼女。スーズは不思議な女の子だった。
星雲連合文化圏における大ヒット飲料であるコスモソーダはドイツ人にとってのビールのようなものだ。それを知らないというのはありえるのだろうか?
それに、カフェに来る途中も珍しいものでもみるようにきょろきょろと町を見渡し、はしゃいでいた。一体この子はどういう人なんだろう? と疑問は尽きない。
とはいえ、響にとってそんな疑問は些細なことだった。
「んっ、んっ、ぷはっ」
「どう?」
「美味しいです!」
こうして美味しそうにソーダを飲む彼女の表情は輝いていて、楽しげだ。だからより可愛く見える。大事なのはそっちのほうだ。たとえば彼女が田舎の出身で都会に慣れていないとか、深窓のお嬢様だから世事に疎いとか、そうかもしれないいくつかの推測は、急いで答え合わせをすることはない。
「ヒビキ様? スーズの顔になにかついていますか?」
じっと見つめていたので、スーズは不思議そうな表情を浮かべた。
「いや何もついてないよ。綺麗な子をみるのは楽しいから見てただけ」
「そうなのですね! では、スーズもヒビキ様を見つめてみます。じーっ……」
言葉通り、きらきらした瞳でじっと見つめてくるスーズ。響はとりあえずキメ顔を作っておどけてみた。
「どう? カッコいい?」
「ええ! とても涼やかで凛々しいお顔立ちです! ヒビキ様は美男子ですね。じーっ……」
「おぅふ……、そ、そう? ありがとう」
さしもの響もここまで直球かつクラシカルな表現で容姿を褒められたことはないので、やや反応に困った。
「じーっ……」
「えっと、食べ物も頼もうか。華星の料理は俺もよく知らないから、適当でいい?」
「? ヒビキ様は華星に詳しくはないのですか? ああ! わかりました! 旅行というのは別の星やタートルからこちらにいらっしゃったということですね。最近では華星以外の場所で生まれ育つ華星人も多いと聞いています。はい、私はヒビキ様と同じものをいただきます」
「え? ああ、俺は……」
なんで俺が華星人という前提なんだろう。別の星からやってきたのだから、異星人って可能性もあるじゃん。そう考えた響が説明しようとすると。
「ご注文はお決まりですか?」
ウェイターらしき男性がやってきた。ちなみに彼は体がデカいので一目で翠星人だとわかる。このように星雲連合加盟惑星では異星人など別に珍しくもないのだ(地球人は別として)。
が、とりあえず今は注文である。
「んー。そうですね。俺、旅行者なのでウェイターさんオススメの華星料理があれば」
「なるほど。それでは最近こちらの若者の間で流行っている『ホレシト』などいかがでしょう?」
「ホレシト? それはどんな食べ物ですか?」
「ええ。翠星産の穀物を練った生地に華名産の肉牛のパテを包んだ軽食です。私が翠星人だからというわけではないのですが、オススメですよ」
「じゃあそれ二つください。一つはLサイズで」
アカデミーのランチでも三回に一回はバーガーやサンドイッチを食べる響なので、ホレシトが運ばれるのを楽しみに待つことにした。
が、そんな響とは対照的にスーズはなにやら怯えた様子でうつむいている
「……」
「あれ? どうしたの?」
「さ、さきほどの店員の方は、ご自身が翠星人だとおっしゃっていました!」
「? 見た目通りじゃない?」
「ヒビキ様はお気づきになられていたのですか!?」
「うん。俺の友達にも翠星人いるし、この辺は結構いろんな星の人がいるみたいだよ」
「そ、そうなのですか! 恥ずかしながら存じ上げませんでした。では、なにも心配することはないのですね!」
「? なんだかわからないけど、大丈夫だと思うよ」
「そうですよね! ヒビキ様のお友達の方も、きっといい翠星人なのですね」
「? ああ、うん。いいやつだよ。ちょっとかなり変態なだけで」
「ヘンタイとはどういう意味なのですか?」
そんなやりとりをしていると『ホレシト』が運ばれてきた。地球のチャパティに似た柔らかそうな生地に香ばしく焼けたパテがくるまれており、食欲を誘う。
「おお、美味そうだね。よし、食べよう」
「わぁ! 見たことのないお料理です! えっと、これは、どのようにしていただけばよろしいのでしょう」
スーズはホレシトの食べ方がわからないようで、戸惑いの表情を浮かべていた。おそらくナイフやフォークのような食器を探しているとみえる。
「スーズちゃん、これはだね。このようにして……あぐっ!」
この手の料理の食べ方は宇宙のどこでも同じだ。響は包み紙の上からホレシトは掴み、大口をあけて食らいついてみせた。もしゃもしゃと咀嚼し、一息に飲み込む。
「うまっ!」
肉汁が口の中で弾け、それを柔らかな生地が受け止める。ソースはごくわずかしか使われていないようだが、肉についた下味と脂と絡み合うことで十分な味わいを構築していた。予想外なほどに旨い。
「……まぁ……! そのような召し上がり方が!」
「これはこうやって食うものだから、はしたなくはないよ。さー、れっつとらい!」
スーズはそんな響に大きな瞳を丸くして驚いていたが、やがて意を決したかのようにホレシトを頬張った。いちいちリアクションが新鮮である。
「はむっ」
恥ずかしそうに頬を桜色に染め、小さな口をもぐもぐと動かすスーズ。しばらくして……
「!」
彼女は興奮した様子で口を開いた。
「ヒビキ様! これ! すっご~く美味しいです!! ん~~!」
一口目を食べ終わったスーズは、ぎゅっと拳を握り、体を揺らして感想を述べた。表情は幸せそうで、やたらと興奮している。その姿は子どものようでありながら、なんならちょっとエロいレベルで、グルメ番組でレポーターをやれば視聴率向上間違いなしのリアクションだった。
街を歩いているときも、コスモソーダのときもそうだったが、スーズは本当に楽しそうに、美味しそうにしている。
華星の年頃の女の子なら普通に接しているような当たり前の経験、スーズはそれを奇跡のように感じているかのように思われた。
やっぱり、不思議な子だ。でも、無邪気に微笑んでいる彼女を見ているとこっちまで幸せな気持ちになれる。
響はスーズに声をかけて本当に良かったと感じていた。さすがは俺だ、とも思った。
「そっか。よかった。じゃあ食べながらこれからどうするか決めよう。どっか行きたいとこある?」
「スーズはヒビキ様の行きたいところに行きたいです!」
またもや即答だった。ちなみに今度は口の横に惚れしてのソースがついているところが愛らしい。そういえば、いつの間にか一人称が『私』から『スーズ』に変わっている。理由はわからないが、どうやら彼女はずいぶん響に心を許しているようだった。
「ヒビキ様は今日、スーズに出会わなければどう過ごされるつもりだったのですか?」
「それはもう」
誰か他の子をナンパしてたよ。という言葉はしまっておく。おそらくスーズはナンパという言葉の意味がわからないだろうが、わざわざ言わなくてもいいことだ。
さて、どう答えようかな。そう思った響の目をスーズがまっすぐに見つめる。
「ヒビキ様?」
「それはもう、観光だよ。せっかく華星に来たし、人気スポットとか史跡を片っ端からめぐる予定」
それも予定の一つではあった。星雲連合発祥の地であり、銀河有数の都市である華星。楽しい場所はいくらでもあるだろうし、響にとっては自分や父親と関係深い因縁の場所もあるようだ。
後者についてはシリアスな顔をして一人で回ろうかとも思っていたが、よく考えるとそれは自分らしくない。可愛い女の子と一緒のほうが楽しいに決まっているのである。
「片っ端から? ですか! 楽しみです! スーズには一日しか時間がないので、とても、とっても嬉しいです」
スーズは響の提案に興奮した様子で答えた。
一日しか時間がない、とはまた変わった言い回しをする子である。ティーンエイジャーがデートで日をまたぐほうが珍しいし、別に一度帰ったとしてもまた何度でも会えばいいだけなのに。響は不思議に思いつつも、あえて彼女にはなにも言わなかった。
※※
「速いです! ヒビキ様!」
「怖い? 少しゆっくりにする?」
「怖くないです! 気持ちいいです!」
「おっけー。しっかりつかまってて」
レンタルしたホバーバイクでその日出会った女の子と二人乗り。あちこち回るのにこの方法を選択したのは、響が地球出身でオールドムービーが好きであることが理由だった。乗っているのはベスパでもスクーターでもないが、乗せている少女はあの映画の王女に負けないほどに輝いている。
「はい! つかまります!」
そう言って背中に密着してくる状態は大変よろしい。ほどよい膨らみと柔らかい感触、そしてほのかに感じるフローラルの香り。二人乗りは最高である。
ちなみに、本当はバイクで二人乗りをする際、そこまでしっかり密着する必要はなかったりする。大抵は後部席にも掴むためのレバーやバンドがあるし、そもそもあまりに密着していると運転しづらくなる。
だが、今は(これまで経験したように)暴走族に追われているわけでもなければ、誘拐犯から逃げているわけでもなく、テレポートを使うサイキッカーと戦っているわけでもないので問題ない。なので、響は素直に楽しむための二人乗りでゆっくりと走っていた。
スーズのほうも未知の体験を喜んでいるようで、やたらと通行人に手を振ったり、通り過ぎる建物や街路樹に目を輝かせていた。
「あっ、みてくださいヒビキ様! あれはなにをやっているのですか?」
「んー? なにかな。なんかパフォーマンスじゃない? よし行ってみよう」
こんな感じで、予定していない寄り道もたくさんした。
グランツ広場ではストリートパフォーマーが空中に絵を描いていく様を眺めて二人で拍手を送った。
彼女が好きだという鳳星花が咲き乱れるハイランド公園を散歩したときは、くるくると踊るようにして花壇を見て回るスーズが微笑ましかったし、航宙機博物館に寄ったときは展示されたクラシック航宙機をみて響のほうが興奮してしまい、スーズはそんな響を見て一緒に喜んでくれた。
華星は響にとって因縁深い星でもあるが、未知で刺激的な場所だ。そしてのポジティブな印象はスーズと一緒にいられたことでより大きくなったような気がする。
「次はどこ行く?」
「そうですね。えっと、えっと……あ! スーズはベルモットの泉に行ってみたいです」
と、いうわけでベルモットの泉にもやってきた。ここは大理石の装飾と彫刻に囲まれた巨大な噴水があるスポットであり、地球のローマにあるものとよく似ていた。
どうやら、いかに文明が発達しようと、サイキックスキルによって宇宙に進出しようとも、人々が歴史や神話を重んじるのは変わらないらしい。
「わぁ! とても綺麗ですね! すごいです!」
ひとごみがあるので、スーズは泉を見ようとぴょんぴょんと飛び跳ねていた。そのさまが面白いのと可愛いのとで、響は少し笑ってしまったが、彼女の右手を取って少し前に出ることにした。手を繋ぐ理由としてはまあまあである。
「あっ……」
「はぐれそうだから。いや?」
「イヤじゃないです! スーズは今にもはぐれそうでした!」
スーズはにこにこと幸せそうな顔をしていて。
そんな魅力的な彼女と手を繋いでいる響の脳内では今夜彼女をどうしてやろうかという作戦会議が高速で行われはじめた。
「やっぱりこの手のスポットの定番で、願い事をしたら叶うらしいよ。何かお願いしたら?」
ひとごみの前まできて、響はそう口にした。ちなみに響の目下の願い事は大変ヨコシマなことなのでとても口に出せそうにはない。
「……いえ、スーズの一番の願い事は、けして叶わないことですから」
スーズの言葉は意外なものだった。そしてその横顔もどこか寂しげで、憂いを帯びてみえる。
「……スーズちゃん?」
「あ、ごめんなさい! 忘れてください!」
彼女の表情が変わったのはわずかな間だけで、すぐにもとの純粋で溌剌とした雰囲気に戻っていたが、響はさっきの一瞬を忘れられそうもなかった。
「ヒビキ様は? お願い事はされないので……きゃあっ!」
会話を続けようとしたスーズが小さく悲鳴をあげた。見れば、彼女の左腕が誰かに掴まれている。黒服をきた体格のいい男だ。
「ようやく見つけましたよ。さあ、お戻りください」
男は、低く荒い声で言った。言葉そのものは丁寧だし、スーズのことを知っているようだが、あきらかに苛立ち交じりの声である
男はスーズの腕を強引に引いた。
「ああっ!」
「スーズ! ちっ……!」
スーズの悲鳴を聞いた響はとっさに繋いでいた彼女の右手を離した。そうしなければ、痛い思いをするのはスーズだからだ。
だが、もちろんそのまま彼女を渡すつもりはない。どんな事情があるのかは知らないが、やり方が乱暴すぎる。
「おい、あんた一体なんなんだよ」
男のもとに強引に引き寄せられたスーズに近づこうとした響。だが、何者かがそれを後ろから止めた。羽交い締めにするような体勢で、サイキックウェーブによる圧力すらかかっている。
「っ!?」
「どこの馬の骨か知らんが、大人しくしろ」
背後からかけられる声からも体格のいい男のものだ。それも響を羽交い締めにしているやつ以外にも数人いる。
突如人ごみのなかで起きた荒事。周囲にいた観光客たちは響たちから離れ、奇異の視線を送ってきた。
「ヒビキ様! やめてください! ヒビキ様に乱暴なことをしないで! スーズは、戻ります、だから!」
スーズは黒服に腕を引かれ、肩を掴まれながらも響を案ずる叫びをあげた。彼女の表情はさきほどまでの幸せそうなものではなくなっている。
同時に響のなかでは、今取るべき選択肢が決まった。
スーズは言った。『私には一日しか時間がない』と、『その一日を過ごすのが嬉しい』と。
まだ一日はたっていない。
つまり、スーズにとって今彼らに連れていかれるのは、不本意であるということ。それは彼女にとって悲しいこと。
それなら。
「……スーズちゃん、ちょっと10秒くらい目を閉じててくれる?」
響は自分を羽交い締めにしている男の体格とサイキックウェーブの強さを確認しつつ、告げた。




