てのひらに星雲を
リッシュ・クライヌはここ数日、アカデミーで寂しい思いをしていた。普通に友達はいるし、超剣術も回復の授業も一生懸命取り組んではいて、充実はしているのだが『彼』がいない学園生活はやっぱりちょっと、寂しい。
ヒビキくん、大丈夫なのかな……?
心配だな。早く元気になってほしいな。
気がつけばそんなことばかり考えてしまっていた。
惑星探査実習で怪我をしたヒビキはしばらくアカデミーを休んでいる。惑星カリラで遭難して、現地の猛獣に襲われた、という話を聞いたときは心臓が止まりそうになった。航宙機に戻ってきたときは必死に回復をかけたときは半分泣いてしまっていたと思う。
上手くいったと思ったのに、三日もアカデミーを休んでいる。
もしかしたら、ヒビキくんはボクに気を使って回復したフリをしたのかな。
そう思うとリッシュの胸が痛んだ。
「……はぁ……。ボク、どうしちゃったんだろう」
通学路を行きながら、リッシュはそう口にした。
ヒビキはイジメを放っておけない優しくて勇気のある男の子で、素敵なお友達になれたと思っていた。実際、彼といると楽しい。
でもなにか変だ。彼のことを考えると小さな胸の奥がドキドキするし、今はこんなに苦しい気持ちになる。
「もしかして、ボク、ヒビキくんのことが……」
なにかに気がつきそうになったそのとき、リッシュの携帯端末がメッセージの着信を伝えた。
〈やっほー。りっちゃん。俺、今日からアカデミー戻るよ! 体はなんともなくて、ちょっと色々やってただけだから心配いらないよ〉
「わ、わわ……!」
空中に映し出されるメッセージはヒビキからだった。
足を止めて、一読。深呼吸をして、もう一度。
両手で端末をもって。
無機質なはずの文面から、彼らしい空気が漂ってくる気がしてきた。
「ヒビキくん……! 良かった!」
たった一行のメッセージ。でもそれだけで、リッシュの心のモヤモヤは一瞬でなくなっていた。代わりに、どこか心地よいような、弾むような鼓動が胸を打つ。
リッシュ奨学金をもらっている関係でアカデミーの近くの寮に住んでいる。なので、アカデミーでは珍しい徒歩通学なのだが、向かうその足が速くなっていく。
つい、駆け出しそうにもなっていた。
ヒビキは変わった男の子だと思う。きっと、他の誰とも違う。残念ながらリッシュは彼のことをまだよく知らないけど、知りたいと思う。今日の放課後、彼に時間があったらお話したいな、と思う。
その気持ちをなんて呼べばいいのか、16歳になったばかりの少女には、まだよくわからなかった。
※※
アマレット・アードベックはイライラしていた。もし彼女が猫だったら毛を逆立たせているほどに。
と、いうのも近所に住んでいるあの地球人の男の子がしばらく姿を見せないからだ。
惑星探査実習から帰ってきた当日、父親に頼まれてヒビキの家に夕食届けにに行ったのだが、そのときは元気そうにしていた。いつものようにセクハラをしてくるほどにピンピンしていた。
なので、病欠というのが嘘なのは明白だ。案の定、数日前には『遊んでくるからアカデミー休む!』と連絡が着ていた。
「……ああもう! なんて不真面目な人なの!? バカじゃないの!?」
アカデミーの駐車場に止めた通学用エアカーの扉を勢いよく閉める。
PPに関する彼の事情や目的は聞いているし、ただエッチでバカなだけの男の子じゃない、ということはわかっているけど、やっぱりズル休みには納得がいかない。
ついでに言えば、惑星探査実習のときに声をかけられた順番が三番目で、一番と二番が他の女の子だったというのにも納得がいかない。つい反射的に「イヤ!」と断ってしまって、その日に夜にベッドのなかで「わぁー!」と足をバタバタしてしまったことも納得がいかない。なのでそのときは別に顔も紅くなんてしていない……はず。
アマレットはアカデミーの風紀委員だし、真面目で成績もいい。彼に教えてあげられることだってあるはずだし、事情だって知っている。だから、もう少しくらいなにか話してくれたっていいいでしょ!? と思う。グレン先生の突然の退職は、きっとそういうことなのだろうし。
「……むーっ……」
別に、会いたい、というわけではない。と、思う。
うん、違う。
そういえば命を救われたお礼もちゃんとしてないし。それとあわせて色々と文句を言って注意してやりたいところもある。それだけだ。
彼の生活態度とか、軽薄な物言いとか、すぐに女の子に声をかけるところとか、ちゃらんぽらんな性格とか、そのクセたまに凛々しいフリをするところとか、危ないことをしてそうだとか、実は夜遅くまで隠れてなにか特訓をしていて体に悪そうだとか。とにかく色々。
色々なのだ。会いたいわけではない。断じて違うのである。ただ言いたいことが色々あるだけだ。
「あっ……!」
そんなことを考えながら歩いていたアマレットは、駐車場に見慣れたエアバイクが止まっていることに気がついた。いつもピカピカに磨かれているそれは、ヒビキ・ミヤシロのものだ。
「……来るなら来るっていいなさいよね……!」
つい口をついて言葉が出た。始業まではまだ少し時間がある。彼のことだからまっすぐ教室にはいかないだろうから、どこかその辺にいるはずだ。
見つけて文句を言わなくちゃ。うん。
アマレットは何故か和らいだ自分の表情を直し、ついでに前髪を直すと、キャンパス内を見渡してみた。
※※
「おはよ」
オリオン・アカデミー、キャンパス内。噴水前のベンチに腰かけてコスモソーダを飲んでいた響は、前を通った女子生徒に挨拶を返した。
アカデミーに来るのはひさしぶりだが、やはりなかなか良いものだ。今の女の子はどこの星の子だろうか。人工の太陽も風も心地よい。
そして、今日はもう一つ楽しみにしていることもある。
「そろそろかな?」
始業前にあるはずのそれが気にかかり、響はベンチを立った。
すると、知っている女の子が早歩きで近づいてくるのが見えた。
「ははは。またぷんすか怒ってる」
つい笑ってしまう。ほんとにあの子は猫みたいだ。ツンとしていて、でも実は優しくて魅力的だ。白い上品な制服もよく似合っている。
別の方向からは、眩しい笑顔で駆けてくる小柄な女の子も見えた。いつも爽やかで健気で大変すばらしい。健康的なサイドポニーテールが可愛らしい。
「おは……」
二人、つまりはアマレットとリッシュに声をかけようとした響だったが、急に後ろに現れた人物によってそれは遮られた。
「ヒビキ! 会いたかったですわ!」
「おーラスティ。今日も美人だね」
心底嬉しそうに頬を桜色に染め、しなだれかかるように腕を組んでくるラスティ。ボリュームのある胸の膨らみの感触がインパクト大である。
「ヒビ……!?」
「あ、あの、その……ボク……」
そんな状態なので、前方からやってきたアマレットは一瞬硬直し、リッシュはアタフタと困っている。
「おはよ」
が、響は別に慌てない。悪びれもしない。それが響のやり方だ。
「……ずいぶん楽しそうね?」
アマレットはぷいっと横を向いた。亜麻色の髪が勢いよく揺れるくらいの速度である。
「うん。毎日楽しいよ! 宇宙はおもしろいから。ね、りっちゃん」
「え!? あ、う、うん。そう……だね」
「……あなたが、ちゃんと実習に参加したと思っていた私が間違ってたのね」
横をむいたまま目だけ向けられるアマレットの表情は冷たい。
実習でラスティと響が同じグループだったことはアマレットも知っているので、『真面目に実習もやらないでラスティを口説いていた』と思っているようだ。
「いや? そんなことないよ」
だが響は笑って答えた。たしかにラスティは落としたが、それだけで終わってはいない。
「嘘つきなさい!」
「アマちゃん、いつもよりきついなー。ジェラシー? 照れるぜ」
「そ、そんなんじゃありません! バカじゃないの!?」
そんなやりとりをしているとちょうど、校内放送が流れ出し、空中のいたるところに3Dモニタが展開された。
実にタイミングがいい。
正確に始業の15分前。今日は四年生の惑星探査実習の成績が発表される日だ。アカデミーでは学生のモチベーションをあげ、競争意識を良い方向に向けるために、イベントやクラブ活動の上位成績が大々的に公表されるのだ。
周囲の学生たちもみな、空に視線を向けていた。
「ちょっと、聞いてるの? 大体、アナタは……!」
「しーっ」
「んっ!?」
響はムキになって抗議してくるアマレットの口元に人差し指を当てた。 続いて、アカデミー上空に展開されている3Dモニタを指さしてみせる。
せっかくいいところだ。
モニタには、まずこう表示された。
〈惑星カリラ探査実習(四年次) 最優秀グループ クラスA ラスティ・ネイル班〉
キャンパスの至る所から歓声があがるのが聞こえる。学園の女王の人気によるものだろう。
グループ実習なので、まずはこれだ。『通常であれば』調査の正確性、実用性、途中経過などを総合的に判断し 評価がくだされる。
そして、続いて表示されたメッセージ。これが大事だ。
〈最高評点獲得者 クラスF ヒビキ・ミヤシロ〉
今度はキャンパス中からどよめきがあがった。
一ヶ月前に転入してきた地球人がMVPを獲得したのだから当たり前だ。
響たちは最小限の報告データをあげたが、そこはダルモアがうまくやってくれたらしい。
「わぁ! すごいね! ヒビキくん!」
リッシュは無邪気だ。響が遭難中に収集したデータが評価されたと素直に思っているらしく、ぴょんぴょんと弾むように喜んでくれた。
「うそ……?」
対照的にアマレットは大きな目を丸くして、きょとんとしている。
「言ったでしょ? 俺って、わりとなんでも出来るんだよ」
響は得意げに笑って、アマレットと出会った日に言った言葉をそのまま告げた。
「さすがですわ!」
腕を組んだまま目を輝かせるラスティは知らない。自分の髪の毛に似たエクステを用いて響が行ったことを。
「ん。あ、そうだ。俺、一限目が操能力だった。遅れそうだからもう行くよ。じゃ」
響はラスティの腕を優しく引き離し、軽く手を挙げると駆けだした。
第四グラウンド、つまり宇宙でやる授業なので早めに移動しなくてはならない。
「あ、ちょ、ちょっとヒビキ……!」
「うん! 頑張ってね!」
「あとでメッセージを送りますわ」
三者三様の言葉を背中で聞きつつ、響はキャンパス内を走る。
途中すれ違ったSフットクラブの連中には、すげーだろ俺、とふざけて見せて、祝福の声をかけてきた学生にはありがとう! と答える。
今日の操能力の授業は航宙機ではなく、より小型のバーニアウイング付き宇宙服、通称アーマースラスターというものを纏っての宇宙遊泳だ。
「さて、行くか!」
担当教官のフィディック先生のレクチャーを受け、宇宙に飛び出し、ウイングをを操作しスラスターを吹かす。
航宙機と違い、生身に近いアーマースラスターは未知のものだが、響にはそれが楽しくてたまらない。よりリアルに、より近くに宇宙を感じることが出来るからだ。
「ミヤシロ。それもマニュアルか? 実習ではどんな手を使ったか知らないが……」
いつものように通信で絡んできたオプティモを無視し、操作系統を『サイキック』に入れ替え、加速する。
驚いた顔のオプティモのすぐ横を通り抜け、青い光をたなびかせて宇宙を飛ぶ。
「あれ? ミヤシロ、いつのまに?」
「おー。なかなか速ぇな」
他の生徒たちも、突如サイキックスキルを使い始めた響が予想外だったようで、それぞれ動きを止めて響に視線をやっていた。
「ははははは! これ、難しいな!!」
初めて操作するだけあって、響には制御が難しかった。勢い余って回転してしまったり、曲がりきれなかったりもした。ズル休みをしている間に買ってきた高級品なので性能が高すぎるのかもしれない。
だが、それはそれで楽しいものだ。いずれマスターすることを考えればなおさらである。アカデミーはこれだからいい。
多分、アーマースラスターではオプティモに勝てないだろう。ただし、『まだ』『今は』だ。
実力はもっともっとつけてみせる。そして目指すはナンバー1かつオンリー1だ。
「イーーーヤッハーーーー!!!!」
グルグルと回転し、叫びながら高速で飛ぶ響の視界には、つい最近まで住んでいた青い星が見えた。当分はあそこに戻ることはないだろう。
「おい! ミヤシロ!! 止まれ! お前には制動の基礎から教えてやらぁ! 拾ってやるからそこで待ってろ!」
「へーい」
威勢のよい喋り方をする美人教師のフィディック先生に声をかけられ、響は素直に停止した。自主的な特訓は今まで通り必ずやるが、最初はちゃんと習っておいたほうが効率がよい。
停止してみると、皆から離れてしまったためか宇宙に1人だけのように思えた。
足元には青い星が、そして見上げれば輝く星々が見える。
「……」
響はそっと手を延ばし、思いを走らせる。
PPは彼らのデータを奪いに新しい刺客を放ってくるかもしれない。アカデミーの学生たちは首席卒業からの連合幹部就任を狙う上で強力なライバルになるかもしれない。この先、もっとずっと強い敵や難しい局面がやってくるかもしれない。
それでも。
この無限の宇宙が持つ魅力を考えれば、目指すことをやめようとは少しも思わなかった。
響は通信で拾えないほどの小さな声で、つぶやく。
「……掴んでみせるさ」
あの星雲の一つ一つには無数の星がある。きっとそこには、素敵なことがあるはずだから。
「このてのひらに、星雲を」
宮城響の学園での青春は、宇宙への挑戦は、第一歩を力強く踏み出したばかりだ。
ご愛読ありがとうございました。
ひとまず完結です。大体ライトノベル一巻分の文量で区切りがいいとこまでで、第一部(転入編)というところですね。
ちょっとオーバーしてしまいましたが……
二部(二学期・期末テスト編)とか三部(三学期・プロムナイト編)とかもそのうち投稿するかもしれません。気が向いたらまた読んでやってください。




