アルール歴2182年 8月26日(+13分)
「私はキリストではないし、慈善事業家でもない。キリストとは正反対だ。
正しいと信じるもののために、手に入る武器はなんでも使って戦う。
自分自身が十字架などにはりつけになるよりも、敵を打ち負かそうと思うのだ」(チェ・ゲバラ)
0955:アルール大聖堂
——シャレット卿の場合——
万事、順調だ。
予想通りライザンドラ・オルセンがハルナのもとを訪れ(特捜審問官を拝命しているのだけは予想外だったが)、ハルナの仕込みを排除しようとしたが、やはり保険はかけておくものだ。
大聖堂内部に用意された「シャレット家の控室」に案内された私は、執事から青色の積み木を受け取る。パレードの間ずっとハルナが齧っていた、本命の青い積み木だ。
おそらく中には何かが仕込まれているのだろうが、それが何かは本番のお楽しみとしよう。
それにしても、現教皇の護衛はやけに質が低いと思っていたが、ここまでとは。
念のため、引き出物の奥深くに、他の子供向け引き出物と一緒に例の積み木セットを複数紛れさせ、そのうちの1つにハルナが持ち込んだ積み木を隠しておいたのだが、結局引き出物は3つほどチェックされたところで「問題なし」となった。何がどう「問題なし」なのか。
いやはや、教会の内部には現教皇に不測の事態が起きることを望んでいる層が一定数存在すると風の噂には聞いていたが、どうやら噂は本当のようだ。
ともあれ、私は執事から受け取った積み木を、ハルナに差し出す。
ハルナは無表情のままそれまで齧っていた積み木を私に差し出すと、本命の積み木を手に取った。
さあ行こう、ハルナ。
どうか、何もかもを無茶苦茶にして、すべてを終わらせてくれ。
0955:帝都某所
——ガルドリス司祭の場合——
万事、順調だ。
予想通り我々の聖なる戦いを妨害しようとする勢力は姿を見せない。帝都の警備兵は見世物同然の結婚記念パレードに駆り出され、帝国軍や教会の精鋭たちはアルール大聖堂の警備で手一杯になっている。
私は同志たちに合図をし、馬車に乗り込んだ。
馬車の仕掛けはローランドがさんざんチェックしていたから、今更不安もない。確実に、我々は大異端ユーリーンに天誅を下し、地獄へと送り返すことに成功するだろう。
だが、きっとこの戦いは、それだけでは終わらない。
上手く説明できないが、今から私が行う闘争は、新しい時代の扉を開くという確信がある。
神代を除けば、世界の誰も見たことのない、完全に新しい時代。
まさに神話の時代の再来とでも言うべき、古くて新しい時代。
そんな時代が、必ず訪れる。
私は決意を固め、同志たち一人一人の目を見る。
同志たちもまた、決意に燃える目をしていた。
ならば、よろしい。
さあ行こう、同志諸君。
旧悪に天誅を下し、停滞した時代を終わらせ、新時代を切り開くのだ。
0955:アルール大聖堂
——ライザンドラ特捜審問官の場合——
結局、私は何もできなかった。
シャレット家とオルセン家の列席者はもう大聖堂に入っていて、もはや私には手が出ない。シャレット家の荷物については特に厳しくチェックするよう、大聖堂の衛兵に強く要請したが、望み薄だろう。
でも。
ここで諦めるわけには、いかない。
まだ、勝負は尽きていない。
なんとか内部の老マルタと連絡をとり、シャレット家の控室を精査してもらう。すべての荷物をチェックするのは時間的にみて不可能でも、青い積み木だけを狙い撃ちにするのであれば可能な範囲にあるはずだ。
残された時間は、少ない。
だがまだ——ここで諦めるわけには、いかない。
特捜審問官の紋章を帯びた以上、ここで終わりにするわけには、いかないのだ。
1000:アルール大聖堂
——ハルナ・シャレットの場合——
大聖堂の鐘が、大きく鳴り響いた。
私は介添人に促されるように、控室から出る。もちろん、積み木はしっかりと握りしめたままで。
大聖堂の身廊(中央の通路)に出ると、参列者の視線が一斉に私に向かったのを感じた。そりゃそうですよ。いいトシして積み木を齧りながら結婚式に出席する新婦なんて、注目するなって言われても注目してしちゃうでしょ。
「あのさあ、これめっちゃ恥ずかしくない?」
「殺そう! こっち見てる連中を皆殺しにしよう!」
「つみき、おいしくない……」
うるさい! うるさい、うるさい!
激しく首を振って、頭のなかで反響する声を振り払おうとする。
そんな私を見て、参列者の視線に含まれる憐れみ成分が増えた。
「馬鹿馬鹿しい! どうせあいつら、今は哀れみの目で見てるけど、
家に帰ったら今日のアタシの様子を思い出して自慰するんだ!
アタシの隣に立ってるクソ野郎がアタシを犯すところを想像しながら!
若いお妾さんだの愛人だのとセックスするに決まってるんだ!
だから殺そう! 皆殺しにしよう!!」
珍しくハンナ(何かにつけて「殺そう」を連呼する子のことを、私はこの名で呼んでいる)が長口上を奮ったが、まあ、これについては最後以外は特に異論もない。でもそんなことは、させない。いや、それでも彼らはそうするだろう。だからこそ、失敗は許されない。私は何もかも無茶苦茶にすると、師匠に誓ったのだから。
「カナリス師匠には誓ってないだろ……?」
うるさい!
自分でも不自然に上体が傾いでいるのが分かる。あれからずっと、平衡感覚が少しおかしくなることがある。それでも突然ぶっ倒れたりしないのだから、きっとこれもまた精神的なものなのだろう。
ともあれ、まだ私は普通でなくてはならない。まだ。だから視界の情報にもとづいて、上体の角度を調整する。服の皺やイヤリングの角度から、「このあたりで正解」なのは判断可能だ。
やがて私たちは、教皇が立つ教壇の前に到達した。到着したというより、私的には到達したというイメージ。いや実際、ライザンドラお姉さまの妨害はかなりヤバかった。相当走った後だったみたいだから、おそらくお姉さまは私がいた部屋を見ているし、積み木や銀の箸が足りないことにも気づいたのだろう。たったそれだけの証拠から詰めに来るとか、あの人の闘争心と注意力には恐れ入る。とはいえ、お姉さまと言えども私が仕掛けた全体はまだ見えてないだろうけど。
「でもカナリス師匠には気づかれた。
抜本的な対策を打たれると思ったほうがいい」
うるさい、うるさい!
もう今更、私が打てる手なんて、ありはしない。
そんなことより、今は目の前の殺しに集中しろ!
「そうだ! 殺そう! 教皇を殺そう!!」
目の前で教皇猊下——名前はなんだったっけ、確かナントカ10世——が長々とした祈祷文を読み上げ、手際よく身振り手振りをつけて儀式を進めていく。この祝福は本当に効果がある祝福で、新郎新婦が第一子を得るまでにかかる時間はとても短い(儀式的に言うと、結婚初夜から7日間に渡って毎晩性交渉を行うことで、確実に第一子を妊娠するという)。今の私にはまるで関係ないなあって思ってたんだけど、祝福の儀式が終わってみるとなんだか妙に体の芯が熱いような気がしてきていて、改めて神の奇跡を痛感させられる。いやこの祝福って明らかに本来は別用途なのでは? 結婚式でこの祝福を授けることに決めた連中は、相当頭が膿んでいたか、何らかの政治的な采配の結果だったのでは?
「えっちしたい。すごくしたい」
うるさい! うるさい、うるさい、うるさい!
どこからともなく湧き上がってきた吐き気とムカつきを必死で押し殺しながら、私は改めて目の前で続く儀式を見守る。
「新郎スタヴロス・オルセン。
あなたは新婦ハルナ・シャレットが幸せな時も、困難な時も、
富める時も、貧しき時も、病める時も、健やかなる時も、
死がふたりを分かつまで愛し、慈しみ、貞節を守ることをここに誓いますか?」
改めて冷静に聞くと、これってとんでもない誓いだなと思う。こんなふうに病んだ私を愛し慈しんだ挙句、貞節を守る? しかも何かの有為転変の果てにオルセン家が破綻して赤貧の淵に落ちてもなお? そんなの無理でしょ。人間には無理。無理ったら無理。
「誓います」
なのに馬鹿面さげたスタヴロスは、意気揚々と誓ってみせた。
本当にいいの? これって神さまへの誓いなんだよ? あなたって人間は、女を一人の人間として愛したり慈しんだり、ましてや貞節を守ったりすることから世界で一番遠くにいる人間でしょう? 死んだ後、神さまの前で裁きの庭に立ったとき、「お前は無数の誓いを破っただろう」と問い詰められたら、どう返事するつもりなの?
「そのときは殺せばいいんだよ!」
「そのときって、もう死んでるだろ……」
うるさい!
……などということを考えているうちに、教皇は私に向かって誓いを要請してきた。
「新婦ハルナ・シャレット。
あなたは新婦スタヴロス・オルセンが幸せな時も、困難な時も、
富める時も、貧しき時も、病める時も、健やかなる時も、
死がふたりを分かつまで愛し、慈しみ、貞節を守ることをここに誓いますか?」
さて。
さて——わたしにとってみればこれこそが待ちに待った舞踏会が始まる鐘の音であり、永遠の闘争の始まりを告げる天使の喇叭であり、死と混沌を導く悪魔の哄笑だ。
私は積み木を齧りながらコクリと頷き、それからその頷きをもっと深くして、さらに深くして、上体を折るくらいに深々と頭を下げ、介添人が小さく「もう十分だ」と囁くのを無視して前屈に近いくらいまで体を折り、会場の列席者の間から小さな失笑と微かなざわめきが聞こえるくらいまで貯めて、貯めて、貯め続けて。
それから一瞬、膝を深く折って地面にうずくまるような姿勢になってから、両膝に溜まった力を一気に開放する。
高くジャンプするときは、膝を使って飛ぶ。
これは審問会派のノウハウではなく、ダンスのノウハウ。
弾けたバネのように空中へと舞い上がった私は、すかさず積み木の蓋を開く。
蓋には研ぎ上げた銀の箸が固定してある。箸を研ぐのは私がやったが、蓋への固定作業は侍女のシェンナがやってくれた。彼女の手仕事に、間違いはない。
神が作り給うた引力の法則に逆らわず、空中に飛び上がった私は地上へと落ちていく。
恐れ多くも、教皇ナントカ10世の頭上に。
空中で折り曲げた両足が教皇の肩の上に着地するより早く、私の跳躍を思わず目で追ってしまった教皇のまさにその瞳を、研ぎ上げた銀の箸が貫通した。箸はあっさりと瞳を貫通し、その後ろにある脳を破壊する。
「やった! 殺した! 殺したよ!!」
ハンナが歓喜の声を上げる。
「まだ甘い。相手は教皇だ。
神の加護を最も強く受けた、地上最強の生物だぞ」
記録係が冷静に指摘する。
うるさい。そんなことくらい、分かっている。
私は素早く銀の箸を教皇の脳と目から引き抜くと、ゆらりと倒れそうになる教皇の肩を後ろ側に蹴りながら飛び降り、教壇に頭を突っ込んだ教皇の頸動脈に一撃、それから連続して背中から心臓を数回突き刺した。教皇ナントカ10世の体がビクンと痙攣し、動かなくなる。吹き出した血が純白のドレスを汚す。せっかくシェンナが作ってくれたのに。でも仕方ない。それにこれはまだ、終わりじゃあない。まだ舞踏会は続いている。まだ音楽は終わらない。まだ喇叭の響きは鳴り終わらず、哄笑の残響は残っている。
突然の攻撃から、ようやく我に返った親衛隊の隊長格2人が、罵声を上げながら抜刀して突っ込んでくる。教皇の背後に控えていながら、このザマだ。何が親衛隊か。貴様らは何から何を守るつもりだったのか。列席者たちもようやく事態が理解できたのか、いくつもの悲鳴と罵声が交錯する。
「殺そう! こいつらも殺そう!」
「まず親衛隊を処分しなきゃ、次の段階もクソもないぞ!?」
言われなくとも。
私は筒状の青い積み木を向かって右の親衛隊の顔面を狙って投げつける。よせばいいのにカッコつけて兜をかぶっていなかった彼は(もっとも兜をかぶると視界がものすごく狭くなるので、こういった護衛任務では兜をかぶらないのも選択肢ではある)、飛来した積み木を練達の技で叩き切った。が、そのせいで間髪入れずに飛来した銀の投げナイフが顔面に直撃する。軟弱な悲鳴が上がった。
はい残念! 銀の箸のうち1本を短刀として使い、もう1本を投げナイフとして用意する。それくらいの必然、ライザンドラお姉さまなら1本目の武器を見た瞬間にたどり着いたはずだ!
もっとも、箸を研いで作った投げナイフ程度で、鍛えた騎士を殺せるはずがない。
でも左右の騎士の連携は、乱れた。それで十分だ。
私は腰に手をあてると、しっかりと巻きつけられたサッシュを一息で引き剥がす。ぱっと見た感じではワンピース・ドレスになっているこのウェディングドレスは、実はセパレートだ。サッシュに繋がった巻きスカートを素早く左手で引き抜きながら、向かって左側の騎士へと突撃する。スカートの下は丈夫で動きやすい、戦闘用のズボン。
「殺せる! 殺せるよ! 殺せ! 殺せ! 殺せ!」
ええ、その通り。こんな肩書と装備と家格だけが親衛隊のウスラトンカチに、武闘派の極みであるカナリス師匠の直弟子が負けるはずがない。
相手の剣の間合いに踏み込む、その1歩前。
私は左手を大きく振り回す。
私と対峙した騎士は、私がスカートで目潰しをしてくると考えたのだろう。大きくはためく白布(部分的に血染め)を、軽くダッキング気味にかわそうとする。あーあー、もう素人そのものじゃない。
私は手首の一捻りで布の軌道を操って、騎士が右手で構えていた剣にスカートを巻きつける。武器が床方向へと叩きつけらるような衝撃を受けた彼は、反射的に剣を持ち上げようとした。その勢いに逆らわず、私はスカートを強く手前に引っ張る。面白いように、騎士の手から剣がすっぽ抜けた。師匠相手に何度も何度も何度も何度も練習させられ、何度も何度も何度も何度も失敗して腹に一発木剣を貰ってゲロを吐いた、マントを使っての護身術だ。
剣を失った私の対手は、あわてて予備の小剣を抜こうとしている。遅い。遅すぎる。低く、早く、地をはうような姿勢で最後の数歩の間合いを詰めた私は、彼の左股下方向から銀の箸を突き上げる。
彼が着ている鎧は、ジャービトン派御用達の超有名ブランドであるリラド工房の作品だが、あの工房の鎧にはいくつか致命的なセキュリティ・ホールがある。戦闘姿勢で足を開いて立つと、太ももの付け根あたりに鎧で守られていないスペースが生まれるのだ。
そして案の定、私の一撃は彼の超高価な鎧のセキュリティ・ホールを貫通した。この世のものとは思えぬ絶叫が、騎士の喉からほとばしる。
いやまあ、普通は戦場でこんな角度から攻撃されるとか、ありえませんから? 馬上ならギリあり得るけど、馬上鎧はまた別ですから? だからこれはリラド工房の問題ではなく、極上の鎧を使いこなせていないこの馬鹿のせい。
ともあれ私はスカートを手放すと、がくりと膝をついた騎士の腰から実に美しい象嵌が為されたナイフを左手で奪い取り、背後から彼の首筋に致死的な一撃を加えた。真っ赤な血が吹き出し、神聖なる大聖堂の床を汚す。
その頃には顔面に投げナイフを受けた騎士も気を取り直して私に躍りかかってきたけれど、同僚を殺されたことに動揺したのか、それとも間近で初めて見る戦死に腰が引けたのか、その攻撃はあまりにも雑だ。
私は余裕を持って床に転がった小剣を拾いあげ、カウンター気味にもう一人の対手の喉をついた。おっ、この小剣、すっごい良い剣だ。めっちゃ高いやつだ。
「あははは! 馬鹿が死んだ! 馬鹿が死んだ!
じゃあ、もっと殺そう! 殺して犯そう!!」
「それはどうかね。さすがに敵の数が多すぎるぞ」
うるさい! うるさい、うるさい!
私にはまだ、殺すべき人間がいる。そいつを殺すまでは、この舞踏会を終わらせるわけにはいかない!
だから私は3人の死体が転がった惨劇の舞台の中央、教壇の上に一足で飛び乗ると、大音声を発した。
「聞け、臆病者どもよ! 私の胎には、子が宿っている!
神の御前で無垢なる命を殺す勇気のある者だけが、かかってこい!」
私の宣言に、集まった参列者の顔が驚愕に歪み、大聖堂の警備隊や教皇親衛隊の面々が思わず二の足を踏む。油断なく武器を構え、私が何かしたらすぐに反応できる態勢にあるのは、政治的配慮で大聖堂の隅に追いやられていた特別行動班の面々だけだ。
——そしてそこから得られた情報は、私に次のターゲットを明示してくれた。




