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お前が神を殺したいなら、とあなたは言った  作者: ふじやま
人が生きようと選択することが政治の本質であるならば、なぜ人はそこで死ぬのか
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アルール歴2182年 6月24日(+2日)

――カナリス二級審問官の場合――


「お待たせいたしましたカナリス司祭様。

 ハルナお嬢様がお待ちでございます」


 年季の入った老侍女に先導されて、私はシャレット家のはなれへと案内される。ハルナの容態は「生命の危機は脱した」ものの、依然として不安定だ。週に一度、見舞いに来るようにはしているものの、ときには3時間ほど(豪華な茶でもてなされつつ)待たされてから、恐縮しきった老侍女に「本日はご体調が優れぬようでして……」と謝罪されることもある。今日はほぼ待ち時間もなかったところを見るに、わりと調子が良いということだろう。


 帝都に帰還して、改めて思い知ったことがある。

 私は政治(・・)が苦手だ。

 あまりにも苦手であるがゆえに、嫌悪していると言ってもいい。


 帝都に帰った私は、聖職者たちからも市民たちからも、英雄として迎えられた。私を――そしてパウルも――称える声は街のあちこちに満ち満ちていて、噂では芝居までもが作られたという。

 その一方で、ダーヴに潜んでいた異端との戦いにおいて倒れていった審問官たちのことは、何ら語られなかった。帝都に広められていた噂は、すべての事績を私とパウルが2人で成したかのように作られていた(・・・・・・)


 そのしわよせを最も強く受けたのが、ハルナだ。


 彼女がこの討伐行で成した功績は、計り知れない。

 無論、最後の最後になって早まった行動に出て、その結果として貴重な人材を大量に失い、また彼女自身も心身に手酷い傷を負ったのは、事実だ。

 しかし、だからといって彼女は到底、足手まといなどではなかった。サンサ教区の土に還った同胞たちが皆そうであったように、彼女もまた、この業績にとって欠かせない戦士(・・)の一人だったのだ。


 にも関わらず、帝都の貴族社会においてハルナ・シャレットの評価は「己の才能に溺れて、手痛いしっぺ返しを受けた、世間知らずのお嬢様」「身の程知らずのお転婆が、身も心も汚されるだけ汚されて帰ってきた」といった、聞くに耐えぬものばかりだ。

 中には「貴族の名誉を守るためにも、ハルナ・シャレットは自決すべきである。さもなくばシャレット家はハルナを放逐し、場末の娼館にでも入れてしまえ。彼女にはそれがお似合いだ」とまで言う愚か者すらいる。


 もちろん私は、そんな悪辣な風評に出会うたびに、彼女がいかに勇敢であり、また正々堂々と異端と戦ったかを説いてきた。

 だがそんな私を、師匠(老マルタ)は諌めた――「お前が彼女を庇えば庇うほど、宮廷の雀どもはハルナを悪しざまに語り続けるだろう」と。


 もともとその才能を恐れられ、またシャレット家という名家に生まれたことを羨望されていた彼女が泥にまみれた。これは多くの貴族(あるいはその子女)にとって、積年の恨み辛みを爆発させる千載一遇の機会なのだ。

 そうやって鬱憤晴らしをしている愚物に向かって「ハルナは偉大な人物だ」と説法したところで、彼らは聞く耳など持たないだろう。それどころか「教会史に残る偉業を成した英雄がハルナを弁護している」ということになれば、ハルナに対する下卑た風評の流布は悪化の一方をたどるのみ。


 ……というのが、師匠の言い分だ。

 実に忌々しい話だが私は今回も師匠に対して有効な反論を見いだせず、それからはあらゆる場において石のように沈黙することしかできなかった。こういうとき、政治に長けたパウルならどうするのだろうと、埒もあかぬ思いを抱きながら。


 そんなよしなしごとを考えながら歩いているうち、ハルナが療養している部屋へと案内された。療養と言えば聞こえがいいが、要は監禁だ。それが必要と判断される程度には、彼女の状態は未だ回復の兆しが見えない。


 老侍女が外鍵を解錠し、重たい扉を開く。


 部屋の中に入ると、古い本が放つ独特の香りが、ふわりと周囲を取り囲んだ。

 壁一面が書架になったこの部屋は、やがてそれだけでは収納スペースが足りなくなったのか、部屋の中央にも本棚が並べられ、固定されている。そのため初見の印象は「小さな図書館」とでも言ったところだ。

 本を保護するためだろう、直射日光をなるべく避ける構造にはなっている。だが庭に面した壁にはいくつも扉がついていて、その扉にはそれぞれ、薄い色がついた大きなガラスがはめ込まれている。ガラス越しに室内に差し込んでくる光は柔らかで、外界の喧騒を忘れさせるほどの長閑さだ。


 なんでもこの部屋はハルナの祖父である故コーイン司祭が特別に作らせた部屋だそうで、置いてある本もすべて司祭の蔵書だという。

 並べられた本を見ても、部屋の調度品を見ても、故コーイン司祭が高い教養とセンスを兼ね備えつつ、ウィットに富んだ人物だったことが見て取れる。


「ハルナ。土産を持ってきたぞ」


 そう言いながら、私は書架の間を歩いていく。いつも通りなら、庭に面した空間(唯一書架が置かれていない、ちょっとしたスペース)に置かれたテーブルのあたりに、ハルナはいるはずだ。


 そして予想どおり、ハルナはそこにいた。


 寝間着同然の白い質素なワンピースを着たハルナは、テーブルの上に色とりどりの積み木を並べて遊んでいた。貴族の子供たちが使うために作られたと思しきその積み木は、角張ったところがことごとく面取りされた高級品で、遊んでいて万が一にも怪我などしないような配慮がなされている。

 机の上には家とも城とも言い難い、不思議なオブジェが作り上げられようとしていた。ハルナは恐ろしく真剣な顔でオブジェの制作に集中しているが、その指先は微かに震えている。


 やがて、ハルナの小さな手が、塔の上に新たな柱を積み上げた。

 彼女は出来栄えに満足したようで、一人、にっこりと微笑む。


 それからようやく、ハルナは私の到来に気づいた。


 そしてその途端、彼女は恐怖に顔を歪めると脱兎のごとく逃げ出し、本棚の陰に隠れてしまった。


 老侍女によればハルナは男性を極端に恐れていて、たとえ父親や兄弟であっても、男の姿を見るとこのような反応を示すらしい。一度はひどいパニックを起こし、医療に長けたクリアモン派修道会から大急ぎで施術師を呼ぶことにすらなったという(それからというもの、このはなれ(・・・)にはクリアモン派修道士がひとり、詰めている)。


 私は棘のような鋭い痛みを感じつつ、持ってきた手土産を老侍女に手渡す。帝都きっての天才パティシエであるフィルマン・ブノワの手による、ラムレーズンクッキーだ。今年、宮廷で開かれた新年のパーティにおいて皇帝も喜んで食べたという、いわくつきの銘菓。

 ブノワが丹精込めて作った菓子が放つ高貴な香りは、いまのハルナの心にも届いたようだ。本棚を揺らすようにして震えていた彼女が、静かになった。こちらからは見えないが、老侍女がハルナに菓子を1つずつ、ゆっくり食べるように言い聞かせているのが聞こえる。


 私は近くにあった椅子に腰掛けると、そんなハルナに向かって――届いてはいないだろうと思いつつも――声をかける。

 彼女の身体と心が壊れてしまう前、この帝都で彼女を唯一の弟子として育てていた、あの頃のように。


「ナオキの捕縛を目的とした捜査の続行を目指して、パウルが動いている。

 師匠もパウルを後押ししているが、私の目から見ても、あまりに勝算の低い賭けと言わざるを得ない。

 もしパウルの企みが上手くいかなかったときは、私は審問会派を辞し、一人の市井の人間としてナオキを追うしかないかもしれない。

 ――ああいや、一人の市井の人間、というのは不正確だな。私にも帝国貴族社会に対し、多少のコネはある。彼らの権勢とカネを借りて、勝負するしかあるまい」


 本棚の陰からは、ハルナが無心にクッキーを咀嚼する音だけが聞こえてくる。

 けれどなんとなく私は彼女に「師匠が一般人(パンピー)に混じって捜査とか、超あり得ませんから勘弁してください。無理です、無理。まるで無理。逆に逮捕されます」と諭されたような気がして、思わず苦虫を噛み潰したような顔をしてしまう。


「だが、奇妙な動きもある。

 パウルの政治工作に対して、ガルシア家が乗り気になっている気配がある」


 ガルシア家は、帝都における八名家のうち、いま最も勢いがある――それゆえに最もマークされている家だ。端的に言えば、帝都政治における悪役(・・)、それがいまのガルシア家なのだ。


「客観的に見て無謀な勝負というしかないパウルの賭けに、ガルシア家が乗る。

 こちらとしては、少しでも支援が得られるなら異端と悪魔以外なら何でも歓迎というところだが、ガルシア家が我々に――しかも審問会派(・・・・)ではなく、我々(・・)に――肩入れするメリットが見えない。

 むしろガルシア家の支援を得ることで、我々が孤立を深める危険性も考えられる。正直、あまり乗って良い馬車のようには思えない、が……」


 喋りながら、本当に自分は政治に疎いのだな、と思い知らされる。

 ガルシア家が異端の容疑者だというなら、もっと簡単に判断をつけられる自信があるのだが。


「ともあれしばし、私の出番はなさそうだ。

 なんとも残念な話だが、パウルと師匠の指示通りに動いて、余計なことはしない、喋らないというのが、私にとっては最良の選択になるのだろう。

 まったく。異端審問官が異端以外と戦うことを考えねばならないとは、世も末だ」


 いまだにハルナは本棚の裏に隠れたまま、クッキーをもそもそと食べているようだ。新しい1枚の包みを開く、小さな音が聞こえた。

 その小さな物音が、なんとなくハルナに「師匠が異端と戦うこと以外を考えなさすぎなんですよ」と言われているようで、苦笑いしてしまう。


 けれどそうやって私の心の中によぎったハルナの声は、よくよく思い返すに、非常に鋭い指摘であるかのようにも思えた。


 そう。そうだ。


 私だって、本当に政治(・・)を理解できない、というわけではない。

 異端と戦うという局面であれば、どう政治を動かすか、どう利用するか、自分の行動がどのような影響を与え、それがどのような結末を招き得るかを、ちゃんと考える。そしてその予測は、大筋においては間違いではなかった――そして細部における多少の間違いは、殴って修正できる範囲にあった。


 ならば、同じように考えればいい。


 異端との戦いは、今も続いている。

 そして我々は異端者に――ナオキに――勝ったのではなく、負けたのだ。

 負けたまま帝都に逃げ帰り、そして捜査の終了という最悪の負け方を迎えようとしている。


 この観点から状況を分析しなおせば、そこにどのような計略があり得て、そして自分がそれに対してどのように動けばいいかも、自ずからはっきりする。ハルナを卑劣な罠に嵌め、身体と精神のすべてを辱めるような非道を成した男に対し、正しい裁きをもたらす道筋が見えてくるはずなのだ。


 新たな、そして明瞭な課題を得た私は、勢いをつけて椅子から立ち上がった。

 ガタンという大きな音がして、本棚の陰でハルナがびくりと身体を強張らせたのが伝わってくる。

 しまったなと思いつつも、私はもう、新しい戦い(・・)のことで頭が一杯になっていた。


「では、今日はこれで失礼する。また来週、土産を持ってくるとしよう。

 ブノワが新しく作ったフレッシュチーズのムースが、既に大評判だ。期待してもらっていいぞ」

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― 新着の感想 ―
なぜナオキがハルナをハメたと確信しているのかがいまいちよくわからない。ナオキ自身もハメた事は認めていたが作中で何をやったかは語られていないから余計に。それともザリナと行動しろってアドバイスがあったから…
[一言] なんで忠告までしたのにナオキをこんな恨んでるんだ?恨むなら実行犯と最終的に指示したシーニーじゃないかな。
[一言] 一読者としてみたら 状況証拠的に味方でありながら、勘と自分たちの教義における恐怖から敵として認識して扱っておいて 忠告ありにも関わらず手痛い反撃をうけ、その結果をして逆恨みしてる これだか…
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