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お前が神を殺したいなら、とあなたは言った  作者: ふじやま
主よ、主よ、なぜあなたはわたしを見捨てられたのか
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アルール歴2181年 11月15日(+2時間)

――ハルナ3級審問官の場合――

 その日の統一会議がお開きになったところで、私は師匠とパウル1級審問官からライザンドラさん番を命じられた。そりゃそうですね。ライザンドラさんが何もしなかったことをザリナさんやシーニーさんに証明させるなんて愚の骨頂だし、師匠やパウル1級審問官が夜通しライザンドラさんを見張るとかいうのは倫理上のあれこれを疑われかねない。師匠に限ってそれはないと思うけど、パウル・ザ・バットマン殿はそのあたりちょっと緩めの噂も聞こえてくるので頂けない。


 で、正式には拘束と監視ということになってるんだけど、師匠たちも私もライザンドラさんがマダム・ローズにタレコミをするとは思っていない。

 ライザンドラさんは、たぶん私より頭がキレる。そのライザンドラさんが、わざわざマダムに不利益を与える証言をした挙句、今度は手のひらを返したかのようにマダムにこっちの動きを密告するなんていう非合理的な動きをするとは思えない。

 なので今回の拘束と監視は、いわば保険だ。ダーヴの街の夜の顔役の中でもかなりの上位に位置するマダムは、相応の情報ネットワークを有していると考えるべきだろう。こっちの動きがマダムに漏れている可能性は、消しきれない。そうなったときライザンドラさんとマダムのつながりを計算に入れねばならないとなると、今後の捜査に大いに差し支える。


 そのことはライザンドラさんもすぐに悟ったようで、最初の頃は動揺していたものの、ナオキ商会事務所の私室でザリナさんから借りた寝間着に着替えた頃にはだいぶ落ち着きを取り戻していた。

 うーむ。これで私も寝間着に着替えられれば憧れのパジャマパーティーなんだけどなあ。帝都に住む貴族の子弟の間ではわりと定番の遊びなんだけど、私はそういう普通(・・)に触れる機会がなかったんだよなあ。


 それはさておき。


 赤牙団の宿直室から運び込んだ予備のマットレスを床に敷き、その上に何枚か毛布を重ねて作ったにわかごしらえのベッドに潜り込んだライザンドラさんは、「おやすみなさい」と言うと目を閉じた。私も「おやすみなさい」と挨拶を返し、適当に見繕った本を開く。名目上は監視ということになっているので、私は徹夜で見張りを続ける必要がある。


 たいして面白くもない古典戯曲を30ページほど読んだところで、私は暗闇の中で横になっているライザンドラさんに声をかける。


「サンドラお姉さま、眠れませんか?

 申し訳ないんですが、監視の都合上、私の手元のランプは消せません。

 頑張って無視してもらえると、ありがたいです」


 暗闇の中でライザンドラさんは軽く寝返りをうつと、ふと上体を起こした。


「――私こそ、ごめんなさい。

 でもやっぱり……眠れないですね。いろんなことを、思い出してしまって――」


 私は本を閉じて、ライザンドラさんの言葉を待つ。


「ドロシーのことは、意図的に黙っていたわけではなかったんです。

 なかったと――思います。

 でも私は、もっと早くハルナさんにあのことをお話しできた。それに冷静に自分の過去と向き合っていれば、ハルナさんが指摘されたように、ドロシーには大麻を買うようなお金なんてなかったはずだってことに、私も気づけた。酔っ払ったドロシーの言葉の向こう側には、この街の闇があることを推測できた。

 それさえできていれば、ドロシーは死ななかったかもしれない。重要参考人として、ニリアン領で守ってもらえたかもしれない。

 私はあんなにドロシーに世話してもらって、助けてもらって、あの世界で生きる術を教えてもらったというのに――何も返せないどころか、みすみす彼女を死なせてしまった。挙げ句、彼女の葬儀の場でマダム・ローズを相手に、『この薬物汚染と一緒に戦いましょう』などと誓い合ったんです。

 私は、愚かでした。あまりにも、愚かでした」


 私は軽くため息をついてから、ライザンドラさんの見解を否定する。


「この際ぶっちゃけちゃいますけど、ドロシーさんが亡くなられる前に私がその話を聞いていたとしても、私にドロシーさんが助けられたかどうかは極めて怪しいです。

 というか私はたぶん、あえて(・・・)動かなかったと思います。

 あの頃はまだ、ダーヴの街の状況についても調査はあやふやでした。ダーヴにおける薬物汚染が異端と関連していると把握できたことすら、ドロシーさんが亡くなられた後のことです。

 そんな状況で新米審問官が単身ダーヴの街に乗り込んで、高位聖職者が絡んだ異端事件の重要参考人をかっさらってくるなんてのは、さすがにやってはならないことです。そんなことをしたら、間違いなく異端者たちはこちらから探知不能なくらいに深く身を潜めてしまいますから。

 そりゃま、審問会派のモットーとしては『異端を見たらこれを許すな』ですし、私としても後に続く審問会派の猛者たちに『ここで新米審問官が死んだぞ』という事実を残せりゃそれでいいでしょとも思いますけど、さすがに街の副司祭が絡んでいるような案件で、そんな雑なブッコミは厳禁ですよ」


 ライザンドラさんは小さく「かも、しれないですね」と呟いた。


「自分で言って嫌気がさしますけど、審問会派も結局はそういう(・・・・)組織なんです。巨大な異端を掃滅することで1000人の信徒の信仰汚染を防げるならば、目の前で1人の信心深い信徒が無為に死ぬことを許容する。

 私たちが嫌というほど叩き込まれてきた帝王学の基礎(・・・・・・)から、審問会派もブレてません。私、そういうのが嫌で嫌で仕方なかったから、尊敬するおじいちゃんの後を継いで審問会派に入ったのに、結局それ(・・)からは逃げられませんでした。ほんと、あーあって感じです。あーあ。

 ま、そんな薄汚い審問会派の一員として無茶な要求を口にするなら、サンドラお姉さまの今日の証言は、サンドラお姉さまが師匠と会ったときに済ませておいてほしかったなーなんてことは、ちょっとだけ思ってます。ダーヴの薬物汚染に教会が関与してる可能性をお姉さまが堂々と指摘したタイミングで、それを補強するエピソードとして語ってもらえてもよかったよねー、とか。

 もっとも、じゃあそれを聞いた師匠が大急ぎでラグーナ副司祭を逮捕してニリアン領に送ったかって言われると、やっぱそれもないかなーって思いますけど」


 小声で「そうでしょうね」と、ライザンドラさん。

 ラグーナ副司祭を逮捕して勾留、尋問するというのは、ダーヴにおける異端に対して真正面から宣戦布告するに等しい。つまり異端者たちは総力を結集して逃げに入るか、さもなくば全力でこちらを殺してから逃げに入る。どちらにしても、この街に潜む異端の根を刈り取るには至らない。

 私たちが勝負をかけられるようになった――つまりケイラス司祭を異端の疑いで告発した――のは、今年の夏のことだ。ナオキを人質にすることでナオキ商会と赤牙団という手駒を獲得できた結果、私たちはようやく異端をまとめて刈り取れる体制を作れたのだ。

 そしてその過程で師匠が下した判断は「ラグーナ副司祭が口封じで殺されてもやむなし」だった。

 結局、ライザンドラさんの証言をどのタイミングで聞いていようとも、私はドロシーさんを「やむを得ない損失」として見殺しにし、師匠はラグーナ副司祭を同様な観点から見殺しにしたと思って間違いない。

 たとえ彼らが神の許し給わざる罪を犯していたとしても、いやそれだからこそ、そういう彼らに手を差し伸べるのが司祭資格を持つ者の役目なはずなのに。


 あー、もう。やめやめ。そういうことを考え始めると、無駄に夜が長くなってしまう。

 それより、ライザンドラさんがまだ寝る気配を見せないから、折角なのでちょっと立ち入った話しを聞いてみよう。


「こんなことを聞いていいのかどうか分からないんですが――サンドラお姉さまは、昔のことを思い出すのが、やはり辛いですか? それとも、少しずつ忘れてしまうものなんですか?

 サンドラお姉さまと比べることなんて絶対にできませんけど、私も過去には嫌な思い出ばっかりが詰まってる人間です。審問会派に入るまでずっと、楽しかったことなんて何もありませんでした。唯一楽しかったのは、おじいちゃん――コーイン司祭にいろんなことを教えてもらう、そのときだけで。でもその思い出も、おじいちゃんが殉教を強いられてからは、全部まとめて辛い思い出になっちゃいました。

 審問会派に入ってからはわりと元気にやれてますけど、それでも朝起きると、ここが昔の自分の部屋なんじゃないか、私は愉快な夢を見ていただけなんじゃないかって、心底ゾッとすることがあります。

 こういうのって――いつか、上手く忘れられるんでしょうか? こういうのをやり過ごせる(・・・・・・)日って、来るんでしょうか?」


 ライザンドラさんは、しばらく黙っていた。ランプの油が燃える微かな音と、私たち2人の密かな息遣いだけが、この部屋にある音のすべてだった。

 やがてライザンドラさんは、ゆっくりと語り始めた。


「わかりません。わからない、です。

 〈緋色の煉獄〉亭での毎日のことも、魔女裁判のことも、その前のことも――あの地獄のような毎日のことは、なにもかも克明に覚えています。地獄が口を開ける、その前の日々のことも」


 ライザンドラさんはふと口を閉ざした。そうして少し沈黙してから、何かを決意したかのように再び口を開いた。


「ドロシーの名誉を汚し、マダム・ローズの恩を踏みにじった以上、私が何をしてきたかも告白すべきでしょう。

 〈緋色の煉獄〉亭での私は、首を絞められながら犯される、それ専門の娼婦でした。ドロシーがいわゆる大麻プレイ(・・・・・)で稼いでいたのなら、私は窒息プレイ(・・・・・)で荒稼ぎしていたんです。

 副司祭しか上客のいないドロシーに比べて、私は複数人を同時に相手にすることも許容しましたから、トータルでは私のほうが稼いでいたと思います。もっともその頃の私は避妊薬や堕胎薬、あとはなんだか良くわからないものにお金を使っていて、貯金らしき貯金はまったくできていませんでした――私にとって稼ぎは重大事ではなかったんです。

 結局私は、ドロシーが副司祭に依存していたように、窒息プレイに依存していたということです。当時の私にとって、最も上手く現実を忘れられる時間は、首を締められながらセックスする時間だった。そのことは、忘れようと思っても忘れられません」


 私は、その、あの、うん、性交渉の経験がないのでアレなのだが、そういう危険で堕落したプレイが存在することは、知識として知っている。審問官というのは、その手の知識も一通り押さえておかねばならない仕事だ。

 いささか濃すぎる告白にとまどう私を尻目に、ライザンドラさんは喋り続けた。


「でも、不確かなこともあります。一番不確かなのは、なぜ自分はそんなものに依存したのか、です。

 当時の私は漠然と、それが一番早く死ねる方法だからだと、思っていた――と、思います。でも冷静に考えればそれはおかしな話で、早く死ぬのが目的ならナイフで喉を突けばいい。こんな迂遠な方法を選ぶ必要はないはずです。

 だからきっと私には死ぬ勇気がなくて、殺されたかったんだろう。そう、思ったこともあります。そのわりに私は、もっと死亡事故が起こりやすいプレイを選ぶこともしなかった。

 それで最近になって思い至ったのは、私は最初に強姦されたとき、首を締められたということです。私のご主人様(・・・・)は、抵抗する私をおとなしくさせようとしたんでしょうね。でも、だとしたらなぜ、あの極めつけの悪夢の時間を彷彿とさせるようなプレイに耽溺したのか。

 なぜ。なぜ。なぜ。疑問ばかりです。何もかもはっきり思い出せるのに、疑問は尽きません。とてもではないですが、これをやり過ごせるようになるとも、思えません」


 正直、私はかなり驚いていた。ライザンドラさんが歩んできたナマナマしい過去にではなく、これほどまでに聡明で完璧な彼女が、こんな泥沼のような思いを抱いているということに。

 だから私は、気がつくとさらに一歩踏み込んでいた。


「ライザンドラさんは今でも、死にたいと思うことがありますか?

 何もかもを無茶苦茶にして、終わりにしてしまいたいと思うことがありますか?」


 闇の向こうで、ライザンドラさんがクスリと笑うのが聞こえた。


「私がその質問に『はい』と答えることはあり得ません。

 だってその質問は、被疑者が異端傾向を有しているかどうかを判断するにあたって、有力な材料になる質問じゃないですか。ここで『はい』と答えるような人は、破滅願望が強すぎる、危険な人間だ、と」


 ぬああああ、しまった、それは誤解! 誤解です!

 私は慌てて釈明する。


「すみません、ほんとすみません! でも誤解です! 今の質問に、そういう意図はないです!

 職業病といいますかなんといいますか、聞こうと思ったことが、審問会派の質問フォーマットと一致したので、ついそっちの定型文で聞いちゃっただけなんです!

 いやほんと、いまのは完璧に個人的な質問です。神に誓います!」


 ライザンドラさんはしばらくクスクスと笑っていたけれど、やがて「ハルナ・シャレットの誓いを信じます」と厳かに言った。


「誓いを信じた上でもう一度繰り返せば、やっぱり答えは『いいえ』です。今はあなたと同じで、わりと元気にやれています。

 あと、朝起きたらすぐに今日やるべきタスクで頭が一杯になりますから、ハルナさんのように起き抜けに怖い思いをするということもありません。夜もわりとすぐに寝てしまうことが多いです。1日みっちり働いて疲れ切ってますし、特にニリアン領では肉体労働もキツかったですから、体が勝手に寝てしまうんです。

 要は、頭で考えて忘れようとしても無理かもしれないし、理論的思考でもやりすごすことは果たせないかもしれないけれど、必死に働いていればなんとかなる。そういうことかなと思います」


 ――なるほど。人生の先達の言葉は、なんとも重い……って、いや、ちょっと待った!


「一瞬感動しかけましたけど、それって私がニリアン領では水汲みとか薪割りとかをこっそり回避してたのを批判してます!? っていうかしてますよね!?」


 またしてもライザンドラさんはクスクスと笑う。あーもう、私だってダーヴの街では毎日毎日すんごい距離を歩いてますー。履きつぶした靴が審問官にとって唯一の勲章なんですー。

 なんてことを苦笑しながら思っていると、クスクス笑いを止めたライザンドラさんが、何気ない感じで聞いてきた。


「これは私の個人的な質問ですが――

 ハルナさんは、死にたいと思うことがありますか?

 何もかもを無茶苦茶にして、終わりにしてしまいたいと思うことがありますか?」


 あまりにも尖すぎる切り返しに、一瞬で笑みが消える。


 そうだ。

 私がこの問いを発したのは、ライザンドラさんの答えがほしかったからでは、ない。

 私がライザンドラさんに、この問いを聞いてほしかったからだ。


 そしてライザンドラさんは、私の心の奥底に潜んでいたその願いを正確に読み取って、質問を投げ返してきた。私の一番暗い闇の中に隠れている、名状しがたい思いを吐き出させるために。


 ひとつ、深呼吸する。


 それから――私はゆっくりと、口を開いた。


「――私が審問会派を選んだのは、おじいちゃんの後を継ぐというのが、その理由でした。

 でもそれは、理由の半分です。

 もう半分の理由は、審問会派に入って3級審問官に昇格して現場に出れば、3年以内に2割程度の確率で死ぬからです」


 もういちど、深呼吸。


「私の場合、普通の子よりずっと早く言葉が喋れるようになったんですが、実を言うと周囲の人が話してる言葉は、そのもうちょっと前から理解できるようになってました。

 なのに自分から喋らなかったのは簡単で、父も母も親戚筋も、私が幼児にしては多くのことができすぎる(・・・・・)ことを怖がっているのが分かったからです。『これで彼らと同じようにペラペラ喋ったら、もっと怖がられてしまう』というのが、私にとって最初の恐怖(・・)でした。

 そしてそのうち、彼らが私を恐れる理由も分かってきました。私のように早熟すぎる子供を得た貴族の家があったのだけれども、その子供の才能を皆が恐れるがあまり、陰謀の末に潰されたのだと。私は自分が彼らにとって破滅の原因と成り得ることを理解し、もう一度深く恐怖しました。その頃の私は、自分のせいで家族が死ぬようなことは、絶対にあってほしくなかったんです。

 だって私は、家族のことが大好きでしたから。父と母を、愛していましたから」


 闇の中から、ライザンドラさんがじっと私を見つめているのが分かった。

 私はその視線に後押しされるように、告白を続ける。


「でもそのうち、分かってきました。

 私の家族は――お爺ちゃんを除けば――私が彼らを愛するほど、彼らは私を愛していない。彼らにとって私は恐怖そのものであり、それでいて自分たちの手で排除することもできない、純粋な厄介者なんです。

 そりゃそうですよね。ハルナ・シャレットが病死した(・・・・)となれば、まず真っ先に暗殺が疑われる。そして大貴族たちは無関係なところに関係性を見出し、関係のあるところをあえて無視する、そんな生き物です。私の不慮の死がシャレット家に対してどのような企みとして跳ね返ってくるのか、彼らは妄想を逞しくすることはできたけれど、具体的な予測はできませんでした」


 ライザンドラさんは、「あなたもそうでしたか」と、微かに呟く。

 その言葉に、私はどうしようもなく泣きたくなった。


「でも私は、そんな家族のことを愛しています。

 父も母も兄たちも弟も、みんな大好きです。

 だから私は、誰もが納得し、ケチをつけることが不可能な形での、名誉ある死を迎えるしかない。

 それ以外に彼らの不安と恐怖を解消し、ハルナ・シャレットという問題を解決する方法はないんです。

 ――でも!」


 思わず私は叫ぼうとして、最後の理性を働かせて必死で声を潜める。

 今は深夜。大声を出していい時間ではない。


「でも私は、死にたくない。死にたくないです。

 なんで私が死ななきゃいけないのか、全然納得できません。

 納得なんてできるはずがない!」


 これ以上はダメだ。ここから先を吐き出してはダメだ。

 理性がそう叫んでいた。

 でも私は、その先へと踏み出していく。


「いまの帝国も、教会も、何かがおかしいです。

 今回の事件だって、そうです。

 おじいちゃんが生きていれば、そもそもこんな問題が起こる前に対処できていたかもしれない。

 ユーリーン司祭が帝都で仕事をしていれば、もっと早い段階で危険を察知できたかもしれない。

 オルセン家を潰すなんて馬鹿なことをせず、ライザンドラ・オルセンがアルール帝国の政治にコミットできていれば、こんな事態に対してもより効率的で効果的な対処ができたかもしれない。

 もちろんこれは全部無意味なタラレバです。でもこの3人が本来あるべき場所にいれば、少なくとも今よりはマシな状況だったのは確実じゃないですか!

 でも実際に起こったのはその真逆です。サンサ山中に封じたはずの異端がダーヴの街で復活した疑いありという証拠をつきつけても、初動でここに派遣されたのは師匠だけでした。ありえますか、こんなことが!?」


 衝動的に喋りながら、私はやっと、自分の一番奥底に眠っていた言葉にたどり着いた。

 これまでずっと、目を背けてきた言葉。

 これまでずっと、私を苦しめてきた思い。


「教会と帝国は、自分たち自身の手で、問題解決能力を積極的に損なっている。

 そんなおかしな世界の中で、私はおかしな人間として、自分の死に場所を探すしかない。

 これって、私がおかしいからですか?

 それとも、世界がおかしいからなんですか!?」


 いつの間にか、私の目から涙がこぼれていた。

 堪らえようにも堪えきれない涙が、とめどなく流れていた。


 そんな私に、ライザンドラさんは静かに問う。


「あなたは世界を壊したいのですか、ハルナ・シャレット?」


 私は頷き、それから、首を横に振った。


「壊せるものなら壊したいと思う気持ちは、あります。

 でもたぶん、私には無理です。私だって伊達に神童と呼ばれちゃいません。自分の限界だって、薄ぼんやりとわかってます。

 私には、世界は壊せない。

 だって私は、それでもやっぱり、家族のみんなを愛しているから。

 あの人達は、いまのおかしな世界が壊れたら、無残に死ぬしかないから。

 その思いが私の中にある以上、私は世界を壊す最後の最後で、やっぱり壊さないことを選ぶと思います。

 そこが私の、果て(・・)なんです。だから――」


 だからもし、あなたが――


 その先を言おうとしたとき、ライザンドラさんは私の言葉を遮った。


「今の言葉は聞かなかったことにします、ハルナ3級審問官。

 それはあまりにも、審問会派にふさわしくありません」


 う、うへえ。ここまで引っ張っといてそれっすか。

 ライザンドラ・オルセン、恐るべし!


「でも私はハルナ・シャレットの心の叫びを、決して忘れません。

 おしゃべり、楽しかったです。もう眠れそうなので、眠ることにします。

 おやすみなさい、ハルナさん」


 ライザンドラさんは一方的にそう言い放つと、仮設ベッドに横になり、毛布を被り直した。すぐに、静かな寝息が聞こえてくる。


「――おやすみなさい、ライザンドラお姉さま」


 私はそう囁くように言うと、軽く涙を拭ってから、くだらない戯曲の続きを読むことにした。

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