アルール歴2180年 4月21日(+11日)
――ザリナの場合――
ふと、目が覚めた。
仕事柄、こういうときは一発で目が冴える。なんで目が覚めたのかはわからないけれど、あたしの体が「起きるべきだ」と判断した以上、あたしの頭は臨戦態勢に入るようになってる。
……なんだけども、自分が目覚めた理由はすぐにはっきりした。
あたしの隣で、ナオキがなにやら呻いているのだ。
好奇心にかられて、ちょっと耳をそばだててみる。
「……すまない、よう子。
許してくれ――どうか……俺を許してくれ――よう子……」
なんだこりゃ。
あたしはかなり呆れ果てていたが、とはいえこのまま隣で女絡みの悪い夢にうなされる男が寝てるってのは精神衛生上大変に悪いので、まずはナオキを起こすことにした。肩を軽くゆすってやると、ナオキは大汗をかきながら跳ね起き、わりと予想通りに「よう子!」と叫んであたしをマジマジと見てから、「しくじった」みたいな顔になる。あたしはそんなナオキを見ながら、しかめっ面。
「失敗した。こんなに気まずい空気になるなら、起こさないほうがマシだったよ」
あたしがそう言うと、ナオキはゆっくりと首を横に振った。
「俺としては起こしてくれて大感謝だ。
だが――まさかお前にこんなところまで見られることになるとはな」
妙にしおらしいことを言う彼は、とても弱々しく見えた。子爵様相手に真正面から喧嘩を売ったときのナオキと、いまのベッドの上のナオキでは、とてもじゃないが同じ人間には見えない。
そしてそんなナオキの姿に、あたしはかなりイラついていた。だからわざとそっけなく突き放してみる。
「酒でも飲んで、とっとと寝直しな。
あたしも寝る。おやすみ」
あたしはナオキに背を向けて横になり、ナオキはそんなあたしに「ああ」と返事したけれど、彼がまだ悪夢から抜けきってないのは顔をみなくたってわかった。
あー、くそ、ほんとめんどくさいな、この男は!
「……よう子っての、誰なんだ?」
ナオキに背を向けたまま、尋ねる。
彼はしばらく黙り込んだあと、ぽつりと返事を返してきた。
「昔の、女だ。
俺にとっての、初めての女だった」
うっわ、やっぱり聞くんじゃなかった。
なんでこんな小悪党の初恋話なんぞ聞かにゃならん。あたしは前世でそんな悪行でも積んだのか?
……とは思ったものの、乗りかかった船だ。最後までつきあってやるか。
「あんたが惚れたからには、さぞかしいい女だったんだろ?
死に別れたのか? 許してくれ、とか言ってたけどさ」
ナオキが小さく笑う声が、肩越しに聞こえた。
「いい女――どうかな。器量は十人並みだったし、特に取り柄もなかった。
料理はヘタ、掃除も苦手、洗濯もダメ。仕事もたいして上手くいってなかった。
菓子を作るのが趣味だったが、やたらめったら甘いだけの菓子でな。
オハギを作るのが得意だって言ってたが、甘いのが高級だと思いこんでるような女だったよ」
なんとまあ。ナオキにしては、随分と筋の悪い女を側に置いたものだ。
いやま、はじめてってのは、そんなものかもしれんが。
「よう子は俺に一番大事なことを教えてくれた女だった。
人間ってのは、自分が溜め込んだあれこれを、ただひたすら頷きながら聞いてくれる相手ってのに、どこまでも価値を認めちまうことがあるんだよ。
よう子は、何をやっても自分が思うほどには上手くいかない、不器用な女だった。
だからあいつの積もりに積もった愚痴をひたすら頷いて聞いてやるだけで、俺は三食昼寝付きの生活ができたのさ。
ま、もちろん夜の相手としても尽くしたがね」
……いや、わかっちゃいたがナオキって男は本当にクズだな。
「マジでさ、大事なんだよ。話を聞いてやるってのは。
1時間でも、2時間でも、半日でも。どんなにまとまりのない話でも。ひたすら話につきあう。
これが、俺の本業の、一番のキモなのさ。
よう子はその最初の一歩を、教えてくれた。世の中は、頭のいい連中が思うみたいに、理屈だけで動いてるんじゃあない。存外こういう、ただ話を聞いてほしいっていう無駄な欲望があって、その欲望を上手く受け止めてやる連中が、びっくりするくらい大儲けする。
でも結局、よう子は死んだ」
アレだろ。どうせろくでもない理由で死んだんだろ。
「ある日、よう子が仕事先で吐いて、ぶっ倒れてさ。
で、検査してみたら妊娠してた。
後は分かるだろ? 産みたいだの、堕ろしたほうがいいよねだの、半日くらいずっと俺に話続けて、最後は『堕ろすことにする』とか言い出した。俺は何も言わなかったよ。何も言わないのが一番いいと分かってたからな」
それみろ、やっぱりろくでもない理由だ。
どうせ堕胎手術に失敗して死んだとか、そういうオチさね。
「よう子はさ、俺を養うのに、普通に働いた給料だけじゃ足りなくてさ。
休日とかに兼業でデリヘルやったりしてたんだよ。ああ、まぁ要するに売春婦な。
避妊だけはしろって言い聞かせたんだが、ナマだと余分に払う客がいるとかで、結局そのあたりも曖昧でさ。そんな女とナマでヤってたんだから、俺も馬鹿だったんだけどさ。
ともあれ、よう子が孕んだガキの父親は特定できずじまい。
それから半年ほどして、あいつは体をウリに行った先で殺された。よう子が最後に取った客はヤク中のヒモ野郎だったんだが、ちょうど本番の真っ最中にそのヒモ野郎の女が帰ってきたのさ。
修羅場になった挙句、女はヒモ野郎とよう子を刺し殺して、自分は窓から飛び降りた。飛び降りた女は妊娠初期だったから、都合一気に4人死んだことになる」
なんだ、もっとろくでもない話じゃねえか。
あたしが心底呆れ返ったのを感じたのか、ナオキはまた小さく笑った。
「あのときはさ、俺もまだ若かったからさ。
よう子が死んだってのもショックなら、こんなわけわからんクソみたいな成り行きで人が死ぬってのが、どうにも信じられなかった。特にさ、よう子を殺した女の腹の中にいた赤ん坊な。そいつはなんで死んだ、いやそもそもなんでそんなクソのなかのクソみたいな場所に宿ったんだって、そんな意味もないことを、ずっとずっと考え続けてた。
でもな、俺はほんと無学だったし、バカだったから、考えても考えても、何もわからんのさ。それで、いろいろバイトしたり、仕事してみたり、ギャングみたいなことをやったり、何もかも長続きしないことをグダグダやってるうちに、だんだん自分の頭がおかしくなってくるのが分かって、それでまた焦ってさ。どうすりゃいい、何が悪い、俺が何をしたって思ってるうちに、でも、ふと気づいたんだよ。これだ、ってな。
結局俺も、よう子と同じだったのさ。誰かに話しを聞いてほしかった。それだけだったんだ。人生の意味だの、生きることと死ぬことの云々だの、そんなことはどうでもいい。ただ誰かに、まるで脈絡のない、無意味な話しを聞いてほしかったのさ。
だから俺は、人の話を聞いてカネにする仕事を始めた。見よう見まねでやってるうちに師匠を見つけて、師匠は最新の技術に疎かったから、俺がそのあたりの面倒をいろいろ見てやってさ。いや、俺も最新技術なんて分からないんだが、俺はそういうのが得意なオタク系の女にもモテたからさ」
ナオキの言葉(正直いってだいぶ意味不明だ)を聞いているうち、あたしは本格的に眠くなってきた。だから彼のボディーガードとして、聞いておくべきことだけを聞いておくことにする。
「ナオキ。悪いけどあたしは、話を聞いてやるのを仕事にしてるわけじゃあない。
だから教えろ。昨日あたりから、あんたからは何かをひどく怖がってる人間独特の匂いがしてる。どうせあんたが悪い夢を見たのも、それが原因だろ?
いったい、何があった。さもなきゃ、何を知った? それだけは今のうちに教えろ」
ナオキはぴたりと押し黙ると、また少し何かを考えているようだった。
また「言えない」かと思ったが、予想に反して彼はゆっくりと話し始める。
「――帝都の異端審問官が、本格的な活動を始めた気配がある。
一度は廃れた〈貧者の儀式〉の復活に、聖書の安価な複製。俺たちを異端としてぶん殴りたい奴には事欠かない。連中の本命が俺たちかどうかはまだわからないが、行き掛けの駄賃で吊るされる可能性はある。
もちろん予防線はいくつも引いてあるが、目的のためには手段を問わない系の奴らは、非常に頻繁にこっちの予測を越える」
異端審問官! これはまた、胃もたれするような話だ。
「ともあれ、事態が動き始めたのは間違いない。
だからザリナ――お前にも、新たに頼みたいことがある。
だがそうだな、今は酒でも飲んで寝直すことにするさ」
そいつはありがたい。今のこの眠気の中で何を聞いても、覚えている自信がない。
だからあたしは曖昧に頷くと、毛布をかぶり直した。
「あたしの雇い主は、あんただ。
あたしは、あんたが殴れと言った相手を殴りに行くさ。
今度こそはあんたの女を守れって話なら、それでもいい。
詳しいことは、起きたら聞く。じゃ、今度こそ、おやすみ」
そう言って、あたしは目を閉じる。




