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お前が神を殺したいなら、とあなたは言った  作者: ふじやま
繊細の精神と幾何学の精神はいかにして協力体制を構築するのか
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アルール歴2179年 12月31日(+70日)

――ライザンドラの場合――


 過ぎ越しのミサはつつがなく終わったが、ほとんどの村人は教会に居残った。理由は2つ――1つは年明けにあわせて新年の祈りを捧げるミサがあり、その後は無礼講の宴会になるため。もう1つは木片に聖句を書き写す儀式を行うためだ。前者に重きを置く村人と、後者に重きを置く村人で、比率は半々といったところか。


 作業に没頭する村人たちにワインとパンを配って歩く。広い主堂にはたくさんの村人がいて、そのうえ暖炉にはたくさんの薪がくべられ続けているため、室内はやや汗ばむほどの熱気だ。外は夕方から降り始めた雪がいまなおつもり続けていて、気温も氷点下を下回っているというのに、教会の中は一種独特の()で満ちていた。

 ワインとパンを配り終えたところで、私は壁にしつらえられた大きな水時計を見る。冬でも凍りつかないこの不思議な水時計は、ユーリーン司祭の努力のかいもあって、かなり正確に時を刻み続けている。水時計のメンテナンスは実に手間がかかるものだけれど、ユーリーン司祭は「正確な時を刻むことは正しい信仰の第一歩」と断言し、日々時計の調整に余念がない。

 個人的にはそんなユーリーン司祭を尊敬もするが、一方であれは半分くらいあの人の趣味というか、「正しくあること」に対する強迫観念みたいなものなんじゃないかとも思っている。


 ともあれ、所定の時間になったところで私は主堂を出て、鐘楼へと向かった。

 何度も練習した一定のペースで歩み続け、鐘楼を登る。てっぺん付近には天井からロープが垂れ下がっていて、これを引けば教会の鐘が鳴り響くというシンプルな仕掛けだ。

 ちょうどロープの真下に立ったところで、呼吸を3回。

 それからロープを手に取り、力いっぱい引く。ガラン、ガランと鐘が鳴り響いた。新年の到来を告げる鐘を鳴らすという大役を、ユーリーン司祭は私に委ねたのだ。


 鐘が鳴り終わると、階下から「おめでとう」「おめでとうございます」と村人たちが互いに呼び交わす声が聞こえてきた。その声がすぐに静まったのは、新年のミサを始めるためにユーリーン司祭が入室したからだろう。

 私は足早に廊下を急ぎ、宿坊へと向かう。出来るかぎりの改修をして隙間風を食い止め、燃やせる限りの薪を燃やして暖かくしたその宿坊の第一客室には、ニリアン卿が待機している。

 本来であれば、ニリアン卿は新年の鐘を自らの館で聞いてから、教会で行われる新年のミサに向かうということになっている(地域における世俗の最高権力者が、同じ地域における教会権威に対して頭を下げるという茶番劇だ)。が、ニリアン卿は高齢なので、宿坊で待機してもらうことにしたのだ。


 第一客室に入ると、ニリアン卿は杖こそついているものの、すっかり準備万端という様子だった。護衛として卿の背後を固めるザリナさんも儀礼用の軽装鎧に装飾剣といった出で立ちで、その姿はいつになく凛々しかった。

 ニリアン卿は「さて、行くかね」と短い命令を発する。なんでもない言葉だが、その言葉にはこの極限の土地を50年に渡って統治してきた人間の持つ貫禄と迫力があった。ザリナさんも私も卿に一礼すると、その後ろに続く。


 背後に私達2人を従えたニリアン卿が主堂に入ると、村人たちは一斉に背後を振り返り、そして慌ててニリアン卿に対し膝をついた。

 その様子を見たユーリーン司祭は、わずかに苦笑する(強烈に不機嫌そうな顔に見えるが、あれが彼女の笑顔だというのはこの1年ほどで理解した)。教会が定める教義によれば教会の内部においては万民は平等であり、ここにおける人間の価値は神との距離において定められるはずだからだ。

 ニリアン卿もまた苦笑すると、手にした杖で床をコツコツと叩いてみせた。


「諸君、やめたまえ。教会の屋根の下にあって、我らはみな同じ、神の子羊に過ぎぬ。

 ここにおいて諸君らが頭を垂れるべきは、ただ神に対してのみであろう。

 今は前を向き、ユーリーン司祭殿の説法を待とうではないか」


 そう言い放ったニリアン卿は、最前列に用意されていた席を綺麗に無視すると、暖炉から一番遠い、最も粗末な椅子に腰を下ろした。村人たちは領主の奇行に驚いたようだが、かといって領主の判断に口出しすることもできず、少し狼狽えた後、命令通りにユーリーン司祭の方へと向き直った。


 かくして始まった新年の説法は、なかなかに迫力のある説法となった。

 ユーリーン司祭の語る言葉は、ミサで語る説話にしては、あまりに平易かつ明快なものだ。言っていることをまとめれば、「2足す2は4です」と言っている、ただそれだけですらある。しかしながら、彼女が語る「正しさとは、ただ正しくあるがゆえに、正しいのです」という言葉には、思わず感じ入るところがあった。


 司祭の説法に聞き入っていると、隣のニリアン卿がつぶやくように語りかけてきた。


「去年までの領民たちであれば、私が最前列の席に座るまで、説法に耳を傾けることなどなかっただろう。

 彼らにとってミサとはただのしきたりであって、眠気を催す説話にせいぜい30分も耐えれば、その後は無礼講の宴会だという思いがあればこそ、頭を下げてミサをやりすごす(・・・・・)ことができた。

 だからもし私がこのようにイレギュラーなことをすれば、彼らは不安のあまりやりすごす(・・・・・)ことなどできなくなっていただろう」


 ニリアン卿の言葉は、私の胸を鋭くえぐった。

 頭を低くし、体を小さく丸めて、「何か」が通り過ぎていってしまうのを、ひたすら待つ。

 そうしていれば、今より悪いことにはならない。

 ――それはまさに、かつての私が墨守していた処世術だった。


「だが、今の彼らを見ろ。ユーリーン司祭の話に熱心に耳を傾け、彼らなりに説話を理解しようと努力している。なんとも不敬極まりないことに、彼らは私がどこに座っていて、今何をしているかなど、気にも留めていない」


 ニリアン卿の言葉は厳しかったが、その口調は諧謔心に満ちていた。卿は、今のこの状況を喜んでいるのだ。


「ユーリーン司祭も、変わった。

 かつての彼女は、信徒たちに理解など求めず、ただ必要な手続きだけを踏むだけだった。

 領民たちが彼女を評価したのは、彼女の説話は前任者の説話より圧倒的に短かったから。ただそれだけの理由だった。そして彼女はそれこそが己に最も求められていることだと見抜いていた――いや、諦めていたのだ。

 だが、見給え。あの頭でっかちの世間知らずな小娘が、必死になって言葉を選び、子供にも分かるように神の教えを説いて聞かせようとしている。しかもただ熱意が空回りするのではなく、ライザンドラ君が思わず聞きいってしまうほどの、実に優れた説話だ」


 そうだったのか――ユーリーン司祭もまた、「頭を下げて、体を小さく丸めて、人生が己の上を通り過ぎるのを待つ」ことに、一度はその身を置いたのだ。


「ナオキは――いや、ナオキ()には、どう礼を言っていいのか分からぬ。

 彼は私だけでなく、領民たちにも、未来を考える心を取り戻してくれた。

 無論、それは今までよりも苦難多き道ではある。

 希望さえ抱かねば、未来さえ欲さねば、人はあらゆる苦難を苦難と認識せずに生きていける。希望を抱き、未来を欲することを取り戻した彼らは、それゆえに、より大いなる苦難に立ち向かうことになるだろう。

 だが――」


 ニリアン卿はほんのわずか、天井を見上げた。


「だが、そうやって苦難を苦難と認めて戦わぬのであれば、我らは豚や牛にも劣る。

 我々は、人間だ。

 生きて、喜び、悲しみ、苦しんで、ときに失い、ときに別れ、ときに己の命をも損ない――それでも明日もまた生きたいと乞い願う、人間なのだ」


 天を見上げて黙り込んだニリアン卿のことを知ってか知らずか、ユーリーン司祭の説法はクライマックスを迎えていた。

 村人たちは司祭の語る言葉にひとつひとつ頷き、涙し、祈りを捧げていた。 


「人が人である以上、人はいずれ死に、神のみもとに向かいます。

 私もいつか死にますし、皆様もいつか死にます。

 これは神が定められた、大いなる真理なのです。

 それゆえ、人として死ぬこと以外に、人として生きる方法(すべ)はありません。

 もし皆様が進むべき道を見失い、恐怖と絶望がその心を染め上げるときを迎えたなら。

 そのときは神のみもとにおいて『私は人として恥じることなく生き、恥じることなく死んだ』と言えるかどうかを、考え、悩み、苦しんでください。

 そして、その悩みと苦しみをしっかり抱きしめながら、生き抜いてください。

 それこそが、皆様を正しい未来へと導きます。

 ――天に栄光を、地に繁栄を。人の魂に平穏あれ」


「天に栄光を、地に繁栄を。人の魂に平穏あれ」


 ユーリーン司祭が締めの祈りを口にすると、主堂を埋め尽くした聴衆たちは一斉にそれを復唱し、それからしばらくの間、私たちは無心に祈りを捧げていた。

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