不明
――神城ナオキの場合――
意識が戻ると、そこは真っ白な世界だった。
……真っ白、というのとも違うのかもしれない。そこには間違いなくとんでもない情報量があるのだけれど、俺はそれを理解どころか知覚すらできず、せいぜいが「白い」としか認識できない。そんな感じ。これを体験した奴が俺以外にもいたとして、もしそいつが誰かに「これが世界の始まりだ」と言い含められたならば、正気に戻り次第速攻で机に向かって「神は言った。『光あれ』」的なことを書いたかもしれない。
「まったく。
そういう人間だとはよくよく知っているけれど、君は実に失礼な男だ。
せめて偉大なる先人に対する敬意くらいは払い給え」
俺の脳内に声が響く。
露骨なまでの異常事態だ。
だがこちとらゼロから自分の教団を作って、日本でもかなり上位に入る新興宗教団体へと育て上げた人間だ。「圧倒的な真っ白感」だの「脳内に響く声」だのは熱心な信徒に体験させてきたし、自分でも体験してみたことはある。主に違法な薬物の力を借りて。
「そんなものと、いま君が体験しているこの現実は、まるで比較にもならないことくらい、君はもう理解しているだろう?
さあ、遊びの時間は終わりだ。本題に入らせてもらおう」
――忌々しい。
確かに俺がいま体験しているこれは、リアル感のレベルが違う。それでいて俺の脳内はやけにスッキリしてるってことは、俺は相当ヤバイ状態だと思って間違いない。普通ならこんな状況に放り込まれればパニックを起こすし、最悪の場合、一発で精神がぶっ飛ぶ。
なのに俺は、自分に何が起きたのかを、だいたい把握しようとしている。これはマズい。おっそろしくマズい。
「ひどく雑な話をすれば、『僕』はいわゆる『神』だ。
そして君の肉体は、いままさに死のうとしている」
なるほど。
……いや、「なるほど」じゃあない。こんな馬鹿げた説明、納得できるはずがない。
なのに俺は、脳内に響いている声は神の声であり、俺の身体は死ぬ間際だと理解した。確信した、のとは違う。ただ、理解した。信じる必要なんてなかった。
だから俺は、これ以上先に話が進んでしまう前に、せめて自分の意思を発揮しようと思って、口を開く。
「――俺は、なぜ死にかけてるんだ?」
その言葉が終わらないうちに、俺の周囲に夜が広がった。あれだ、VR用のHMDをかけて、夜空を飛ぶゲームを始めたときのような、そんな視界。
見下ろすと、わびしい山道に黒い車が停まっていた。そのスジの皆様が大好きな、ドイツが誇る世界の名車。そうだ、思い出した。俺が教団を大きくしていくにあたって雇った元コンサルのサブカル女が、偏執的な笑みを浮かべながら「CEN規格でEN-B6、小銃弾だって余裕で弾きます。あなたのようなクズ野郎には必要ですからね」と愛おしげにボンネットを撫でていた、あの車だ。
そう意識した途端、視界はスルスルと車に吸い寄せられていき、天井を突き抜けて、車内に入った。革張りの後部座席では、俺が死にかけている。いやこれ、もう死んだんじゃないのか? 柄にもなくワイシャツ・スーツ・ネクタイを揃えて着込んだ俺は胸のど真ん中から大量出血していて、スーツまで血でぐっしょりだ。ネクタイをだらしなく緩めているあたり、「どう見てもやっぱりこれは俺だな」という感慨が去来する。死ぬときくらい、ピシッとしたネクタイ姿でも良かったろうに。まあ、床に転がった飲みかけの缶ビールを見るに、「首に紐なんざつけてられるか」とか言いながらプルタブを開けたばかりだったんだろう。
しかるに視線をふと前に向けると、運転席からにょっきりと腕が突き出していて、その手の先には黒光りする拳銃が握られていた。俺の中のオタク精神が「コルト・ガバメントとは実に良い趣味だ」と囁くが、たぶんそんなことを考えている場合じゃあない。
要するに俺は、車の中で一息つこうと思ったその瞬間、運転手、ないし運転手と入れ替わった暗殺者に銃で撃たれたってところか。間抜けなヤツ。そういやコンサルサブカル女からは防弾チョッキを着ろ、ボディーガードをつけろと煩く言われていたような記憶もある。その助言には従うつもりだったし、週明けにはいろいろ手はずも整う予定だったのだけれど、この賢い暗殺者はこっちの準備が揃う前に上手く銃弾をねじ込んだというわけだ。実にプレミアムなフライデーナイト。
で、俺が実質死んでいるのはもうどうしようもないとして、俺を殺した鉄砲玉は、どこのどいつなんだ? てか――この手は、女の手じゃないか?
そんなことを考えた途端、またしても脳内に神の声が響き渡った。
「君の胸部に45口径ホローポイントの銃弾を5発撃ち込んだのは、小谷あやみ。小谷よう子の、妹さんだ。姉の死が納得できなかった彼女は、仕事をしながら丹念に姉の過去を調査し、やがて君に行き着いた。
もし君が、あやみさんが予想したように、ヒモ崩れとして破綻した人生を送っているんだったら、彼女は君を一発ぶん殴ってから自分の人生へと帰っていっただろう。
でも君は、そうじゃなかった。政界、財界、マスコミ、そしてIT関係の大物を次々と顧客にした君は、平たく言えば大金持ちだった。それこそこんな車に、運転手付きで乗るくらいにね。
だから、あやみさんは、君に思い出させることにした。君はよう子さんのことなんて完全に忘れて周囲に美女の群れを侍らせ、汚い仕事で汚いカネを掴み放題な生活を満喫している――彼女はそう思い込んだってわけ」
なるほど。
今度こそ、「なるほど」以外に何も言えやしない。
「復讐の念にとりつかれたあやみさんは拳銃を手に入れ、それをちゃんと使う技術も学び、その技を駆使してまずは君の運転手を殺した。
それから運転手の制服を奪って変装し、車内で君の帰りを待ち伏せて、すっかり気を緩めて車に乗り込んできた君に眠剤入りのビールを飲ませると、人気のない山道まで運んで、撃ち殺した。合理的だね」
実に合理的だ。悲しくなるくらいに。
まったく。よう子も、これくらい要領が良ければな。
そうしたら、あいつは自分がうっかり死ぬハメになる前に、俺を包丁でめった刺しにできただろうに。
「さて、状況が理解できたところで、取引の時間だ」
神のその言葉に合わせるかのように、周囲がまた真っ白に染まる。
「このまま君が死んだ場合、君の魂は半永久的に地獄をさまよう。
厳密に言えば『地獄』ではないし、『半永久的』でもないし、『魂』というのも著しく不正確だけど、君にそれを理解してもらうのは、ちょっと面倒だ。
まあ、君の内部にある概念の援用で満足してくれ給え。無理矢理に概念を突っ込んでもいいけど、それをすると結構いい確率で君の脳は沸騰してしまうからね」
ふむ。
ま、俺にはお似合いの末路だ。
教団を作ってからも、俺は人には言えないアレコレをこなしてきた。直接殺した人間こそいないが、間接的に殺した人間の数なら両手の指では足りない。実際、俺にとってのいわゆる腹心の部下たちからは会議ごとに「あんた地獄に堕ちますよ」と言われてきたし、俺はその指摘に対して「同感だ」としか答えられなかった。
「しかしながら『僕』はひとつ、君に取引を提案したい。
『僕』らが――ああ、ここでいう『僕』も、君たちが持つ概念の内部で説明するのは不可能だから説明は避けるけれど――管理している世界に、エルマルと呼ばれている世界がある。
ナオキ。君にはその世界に行って、神を殺してほしいんだ」
……はあ?
「『僕』らはエルマルに対し、君らの言葉で言う『全能』を行使できるんだけど、そのためには『僕』らのことを崇拝する魂がたっぷりと必要になる。これまた雑な説明をすれば、『強い信仰』っていう光回線が通ってないと、『僕』らのパワーをエルマルにダウンロードできないってわけ。
だからエルマルにおける信仰体系をぶっ壊して、エルマルをさまよう魂が神のことなんて信じないと思うようになれば、エルマルにおける神は死ぬ。
具体的に言えば、君にはエルマルで、現世と同じようなことをしてほしい。君という、エルマルにとって完璧な異分子が考えた『信仰』をエルマルの人々が信じるようになれば、光回線どころかモールス信号が時代の最先端だった頃のレベルにまで通信速度は落ち込む」
……はあ。
いや待ってくれ、だがそれってのはつまり――
「その通り。
君は現世で作ったようなちゃちな教団なんかじゃなく、もっともっと大きな教団を作らなきゃいけない。
今のエルマルに存在する強力な教団の目を盗みながら君の教団を強くして、やがてはエルマルにいまある教団をぶっ倒さなくちゃいけない。そうすればエルマルは他の螟夐㍾蛹匁凾髢鍋キ夐?」邯壻スと騾」諠ウ蝙矩?」邨――ああもう面倒くさいな、とにかくそれであの世界の神はおしまいだ」
いや……その、それは、無理だ。どう考えたって、無理だ。
つうかなんで俺にそんなことができると踏むんだよ? あんた神のくせに、それくらい見てわからんか?
「そうだね、ほぼ不可能だ。可能性はゼロと言ってもいい。
でもね、本当に絶対に無理かどうかは、『僕』らにも断言できない。君たちが芸術作品を作ろうとするとき、99%まではコントロールできたとしても、『これで絶対に傑作ができる』と断言はできないだろう? それと同じような話だ」
それってのはつまり、二次嫁をどんなに愛しても、二次嫁に自分の子供を産ませることはできない、的な理解でいいか?
「全然違う。でも君がそれで納得できるなら、それでいい。
大事なのは、君には勝算があるってことだ。『僕』がどんな関与をしようが、あるいはしまいが、『絶対』は、ない。ひどく荒っぽい方向で『絶対』を達成することもできるけど、それはまた別の話なんでね」
……なら、ひとつ聞かせろ。
あんたはこれを取引だ、と言った。じゃあ、そのエルマルとやらで俺が神殺しに成功したら、俺は何がもらえるんだ? それを俺が理解できないなら、取引は成り立ちようがない。
「そうだね――例えば、君の記憶を完全に消去して、もう一度地球で赤子として生まれ直す……なんてのはどうかな?
それとも『魂の座を高める』的なやつがいい?」
お断りだ。俺には永遠の地獄がお似合いだよ。
「ずいぶんと殊勝だね! 実に君らしくない」
アホか。そもそも、あんたの言う神殺しなんざ、まず間違いなく成功しない。でも俺の性格からして、「神殺しをするぞ」と決めたら、わりと真面目にやっちまうだろう。
我ながらどうかと思うが、ここで「やりますよ、やりますとも」と引き受けておいて、エルマルとやらで人生の第二ラウンドを堪能してから地獄に行く、みたいなズル休みが、俺はとてつもなく苦手だ。
「さすがは日本人だね。無駄に勤勉だ」
そうかもな。ともあれ俺はきっと、俺にできる全力を尽くすだろう。この手の計画ってものは、一度始めちまったが最後、降りれば死ぬだけだし。
ってことは、だ。
エルマルでの第二の人生は、俺にとってみれば、生き地獄の限りを舐め尽くす人生にしかなりようがない。目的のために手段を選んでなんざいられないし、敵に情けをかけるなんてもってのほか。味方すら騙して使い捨て、善男善女が無意味に死んでいくことを前提にして計画を進める必要があるだろう。
そうやって一歩お先に地獄めぐりをすることになって、その挙げ句に神殺しにしくじってホンモノの地獄に堕ちるってのが、一番あり得るシナリオだ。そんなリスクを踏むくらいなら、初手からガチ地獄に堕ちたほうがなんぼかマシだろうが。
つまり俺はね、平凡極まりない人間なんだよ。だからリスクが視界に入ったらリスク回避に力を注ぐし、自分が失うものは大きく見積もりがちだ。オーケー?
「さすがは神城ナオキだね。『僕』が見込んだ通りだ。
じゃあ、こっちの切り札を切るとしよう。
もし君がエルマルでの神殺しに成功したら、君は地球において君が心の底から望み続けたものを得るだろう。それを手にするためにあんな教団まで作ってしまった、その望みが叶うだろう。
仮に君が今から地球に戻れば、君は自分の身体機能が停止する残り数秒の人生を、苦痛とともに味わうことになる。そんな状況においてもなお君が渇望してやまず、そして君にはけして手に入れられないもの――それこそが、『僕』の切り札だ」
まるで、悪魔と取引してるみたいだな。
もったいぶらずに、言えよ。俺が一番欲しがってるものってのを、あんたは何だと思ってるんだ?
「祈りさ。
君が神殺しを成し遂げたら、君はただ純粋に、君の魂の平穏だけを願う、小さな祈りを得る。しかるにその後、君の魂は地獄に一直線だ。
さあ、どうかな、神城ナオキ君?」
なるほど。
……なるほど。
あんたが神なのか悪魔なのかは知らないが、どっちにしてもあんたが人でなしなのは、よくわかった。
いいだろう。
やってやろうじゃないか、神殺しってやつを――
【お前が神を殺したいなら、とあなたは言った・了】




