2077年9月7日(+882,786日)
――ライザンドラの場合――
(クラウドファンディングのサイトより抜粋)
古アルール王朝は、極めて古い歴史を持つとともに、文化や技術の面においても顕著な業績を残した王朝だ。一般的には高度な土木建築技術で知られるが、王朝が完成させた統治システムもまた、その時代にあって抜きん出たものだった。
古アルール王朝の統治システムは、祭政の支配者が異なるという、古代においてはとても珍しいものだ。古アルール王朝においては原イェマル教が強く信仰されていたが、王朝の支配者は世俗世界の支配者、原イェマル教の最高指導者は宗教世界の支配者として君臨し、原則的には相互にその権限を脅かさないという形での協調体制が作られていた。
もちろん古アルール王朝の統治体制は「強度の神権政治」に分類されるものであり、政治と宗教の支配者が別々に立っていたからといって、政治と宗教が分離していたわけではない。また同時代の他の地域においても、宗教世界のプロフェッショナルと、世俗世界のプロフェッショナルが分かたれていたという事例は見て取れる。だが古アルール王朝ほどこの分業体制をシステマティックに(かつ成文法に則って)行っていた地域は、現状では観測できない。
他の多くの地域においては「世俗の支配者は宗教世界における最高位のシャーマンから神権を預託される」という形式が採用されており、古アルール王朝のように「教会の敷地内には王朝の公権力が及ばない」「王朝の人事に対して教会が介入してはならない」といった法律が文字ベースで維持・管理されていたのは、極めてレアケースと言える。
このように、ある意味で先進的な――あるいは奇形的とすら言える「成文法による支配」を成立させていた古アルール王朝だが、残念ながらその法制度の全貌に迫る研究は、遅々として進んでいない。そしてこれにはやむを得ない理由が3つある。
1つ目の理由は、古アルール王朝末期に発生した内戦だ。
古アルール王朝はその末期において突発的とも言える大規模な内乱の時代を迎えており、いくつかの記録はこの戦いが原イェマル教内部における一種の宗教戦争でもあったことを伝えている。
古アルール王朝研究者の間では「古代北方戦争」と呼ばれるこの内戦が発生した背景に、大規模かつ長期にわたる飢饉があったことは疑いようがない。同時期には古アルール王朝南部植民地に対する外征も行われているが、こういった侵略戦争によっても国内の食料問題を収拾することはできず、古アルール王家に仕えた有力者たちは己の生存を賭けて骨肉相食む戦いを展開した。
古代において、このような大規模な天変地異は、必然的に宗教上の対立も引き起こす。そして「飢饉が続くのは宗教世界の支配者が神意を読み解けないからだ」といった形で既存の宗教権力に疑問が突きつけられたとき、政治と宗教の責任者が分かたれていた古アルール王朝においては「政治と宗教が互いに互いを大義名分として利用して、己の利益と生存を確保するための戦争を始める」関係が成立してしまったと思われる。
結果、古代北方戦争においては「我こそは正しき神の下僕」を名乗る複数の野心家と、「我こそは古アルール王朝を復興させる忠臣」を名乗る複数の野心家が、寄り添ったり袂を分かったりを繰り返した。無数の新たな「教団」が誕生し、そのうちいくつかは一時的な成功を収めたが、彼らの栄華はけして長く続かなかった。
いずれにしてもこの古代北方戦争において、古アルール王朝が育んできた多くの文字資料が散逸し、焼け落ち、失われた。現代においても古アルール王朝の遺跡から古文書が発見されることは多いが、これは逆に言うと「それほどまでに大量の書類が動いていた社会だった」ことを示している――そして古代北方戦争は、その社会の構造そのものを破壊してしまったのだ。
2つ目の理由は、古代北方戦争末期に発生した「レグジード王の遠征」の影響だ。
世界史に残る軍事的天才であるレグジード王は、古アルール王朝の南方、現代で言うヴラーディー地方を若くして軍事的に統一。その戦争への情熱を北に向けると、内戦が続く古アルール王朝へと侵略を開始した。
苛烈な内戦と飢饉で疲弊しきっていた古アルール王朝はこの攻撃に対しまったくの無力であり、王朝の首都アルール・ノヴァはあっという間に陥落。おそらくはその時期における最大勢力を指導していた「皇帝デリク」が率いる軍勢と決戦が行われるも、「皇帝デリク」を名乗った勢力はレグジード王が率いる軍勢に一蹴された。
古アルール王朝の記録を辿ると、「皇帝デリク」はおそらく、同時期に王朝に仕えていた有力者「デリク」であろうと推測される。いわばただの地方領主でしかなかった彼が「皇帝」を名乗るに至った経緯は不明だが、彼にとってみればあまりにも理不尽な最期と言えよう。
ともあれ、レグジード王の遠征に伴い、アルール・ノヴァにあったと言われる「大図書館」は炎上し、多くの貴重な文献が失われた――と記録されている。筆者の私見として言えば、古代北方戦争が激化するに伴って、レグジード王がアルール・ノヴァに進駐するずっと前の段階で「大図書館」は喪失していたのではないか(そして問題の記録を残した人物は、その責任を侵略者であるレグジード王に押し付けたのではないか)と推測するが、その証拠は見つかっていない。
いずれにしても、通説を採用するのであればレグジード王が「大図書館」を燃やしたことによって、古アルール王朝の政治・宗教を体系的に記録した文書はほぼすべて喪失したということになる。
3つ目の理由は、古代から文明が栄えてきた土地ならではのものだ。
古アルール王朝は、我々の目から見れば実に2500年以上前に栄えた「古代文明」である。しかしながら古アルール王朝やその周辺国家が残した記録を調査すると、彼らは彼らで「神代」と呼ぶ「古代文明」の歴史を有していたことがわかる。
この「神代」という概念は、ながらく宗教的なエピソード、ないし完全な民間伝承(つまりは創作)であると考えられてきた。だが考古学者レーヴァティが行った無謀なる発掘調査の結果、古アルール王朝遺跡の下から新たな(そして極めて古い)遺跡が発見され、調査の結果これは6500〜7000年前の遺跡であることが明らかになった。
それ以降、「神代」は「アルール神代期」として学術的調査が進められるようになり、今では古アルール王朝が始まる更に2000〜3000年近く前の段階において、この地域にはなんらかの文明が栄えていたことが明らかになっている。
この大発見と、それに伴う研究の躍進は、しかしながら新たな問題を引き起こした。我々がそれまで「古アルール王朝の記録」として分類・整理してきた記録に対し、けして少なくない規模で「古アルール王朝の人々が残した、アルール神代期の歴史」が混在している(あるいはその逆が起こっている)可能性が浮上したのだ。
この代表例としては、古アルール王朝期に書かれた「神代叙事詩」の傑作にして、正義を実践する意味と困難さを見事に描いたものとして長らく教養人の間で親しまれてきた「美姫ライザンドラの遍歴」に対し、「この作品は古アルール王朝の歴史書であり得る」という疑義が突きつけられたという案件が挙げられる。
この疑義は当初「とりあう価値のない珍説」として無視されたが、アルール神代期の研究が進むにつれ、「美姫ライザンドラの遍歴」はただの物語ではない可能性がどんどん強まっていった。
それまで、古アルール王朝期に書かれた戯曲「この人を見よ」(神智者アーカッシィが奔放かつ荒唐無稽な大冒険を繰り広げる、娯楽色の強い悲劇)は、「美姫ライザンドラの遍歴」を下敷きにして書かれた一種のパロディ作品であると考えられてきた。だがアルール神代期を「本当に存在した時代」と考えた場合、いくつもの史料が「『この人を見よ』は非常に古い時代から存在し、『美姫ライザンドラの遍歴』は『この人を見よ』の現代的なパロディとして書かれた」ことを指し示したのだ。
最新の研究においては、「美姫ライザンドラの遍歴」の主人公であるライザンドラは、古代北方戦争時になんらかの大きな働きをした人物である可能性が高い、と考えられている。これに伴い、「この人を見よ」と「美姫ライザンドラの遍歴」のストーリー上の差分を調査することによって、「美姫ライザンドラの遍歴」から古代北方戦争の一幕を読み取れることが期待されている。
……といった形で、大量の資源を消費して文書記録を残すことに高い情熱を傾けた古アルール王朝の人々は、その熱意がほとばしるままに膨大な史料を残し、そしてその大半は無作為に焼け落ち、長い時を経て世界中に散逸した。そしていまや我々は「どの史料が古アルール王朝の記録(ないし物語)で、どの史料が古アルール王朝の人々が伝えてきたアルール神代期の記録(ないし物語)なのかの区別をつける」というとびきり困難な作業なしには、古アルール王朝を史料から分析することが不可能となったのである。
そしていま、古アルール王朝研究は、4つ目の困難に直面している。
4年前に始まったヴラード共和国内戦は、いまなお終わりの見えない泥沼の内戦として戦い続けられている。たくさんの民間人が飢えと寒さに苦しみ、たくさんの難民が庇護もなく荒野を彷徨い、いまこの瞬間にも罪のない子供たちが死んでいる。
そしてこの内戦は、古アルール王朝期の遺跡も次々に破壊している。またヴラード共和国の首都バーロンにあった由緒あるバーロン大学は破壊と略奪の洗礼を浴び、古アルール王朝関係の一次史料を収めた大学図書館はロケット弾の攻撃によって灰燼に帰した。収蔵されていた貴重な史料が、目端の利く略奪者の手によってブラックマーケットに流れたことを神に祈らねばならないというのは、「歴史的惨事」以外に言葉がない。
だが、まったく希望がないわけでもない。
バーロン大学に対する攻撃が始まる24時間前、私はバーロン大学に勤務する友人から「攻撃の予兆があるので避難する」というメッセージを受け取っている。残念なことにその友人は一週間前に死亡が確認されたが、彼に対して軍事機密をリークした勇敢な人物は確かに存在し、それに従って緊急の避難活動が始まっていたのは間違いないのだ。
この一縷の希望は、つい先日、確かな情報として全世界に発信された。ヴラード共和国の古都クローニアに、バーロン大学を脱出したトラックが到着したという知らせだ。クローニアにも戦火は迫っているが、現地にいるジャーナリストからは「今日明日じゅうに戦闘になる、という機運はない」という報告が入っている。
だから私はいま、世界に訴える。
多くの人々が命を賭して運んだこの史料を、安全な土地まで運ぶ手助けをしてほしい。
「何千年も前の歴史を調べることになんて、意味はない」と思う人はいるだろう。私だって「あなたの研究はどの程度の経済価値を発生させていますか?」と問われれば、「頑張ってプラマイゼロにはしたいと思っています」以上のことは約束できない。我々の仕事は「観光資源の発掘」という形でわりと俗っぽく即金に変えることも可能だが、肝心の古アルール王朝が現代的な内戦の真っ只中で燃えているとあっては望み薄だ。
けれどその「何千年も前の歴史」は、我々と無関係ではない。
例えば私の名前は「ライザンドラ」で、子供の頃は(そして今でも)あからさまに容姿が名前負けしていたこともあって、鏡を見るたびに名付け親を恨んだものだ。今ではさすがに恨みまではしないものの、自分に女の子が生まれても「ライザンドラ」とだけは名付けないと、鏡を前に毎朝決意を新たにしている。
こうやって、こんなにもつまらない日常のなかに「何千年も前の歴史」は息づいていて、我々はそれを日々呼吸して生きている。
一方で、もっと重大な関係性もある。
古アルール王朝の時代、人々は神とともに生きていた。
神は日々そこにあり、人々を守り、歩むべき道を照らし出していた。
もしあの時代にタイムスリップした私が、彼らに向かって「あんたらはマジで神がいるとでも思ってんの?」と聞こうものなら、宗教関係者が飛んでくる以前に、あまりに愚かで罰当たりな問いを立てた私を市民たちがリンチして殺すだろう。
そんな日々は、現代に生きる我々にとってみれば、想像することすら難しい。
でもかつて人間は、間違いなくそうやって生きていたのだ。
かつて人間は、神と己の間で必然的に生まれるギャップに苦しみ、神への愛と人への愛との相克に惑い、ときに神の慈愛をその素肌で感じ、ときには人間が持つちっぽけな限界を神の助けによって乗り越えた。神の名の下に妬み、祈るがごとく恨み、それでも神が人を愛するがごとく、人を愛しようとした。
人間はそうやって生きることも、可能なのだ。
もちろん、私見を述べれば「現代的な医療とコンピューターとクーラーと冷たいビールを捨てて古アルール王朝で暮らしますか?」と聞かれたら即答でNOと答える。でもそれがあくまで私見に過ぎないように、そうやって生きることを選ぶというのもまた、一つの私見としてあり得る。
そういった選択が社会との間に齟齬を発生させる可能性はあるし、その齟齬は具体的かつ重篤な問題として噴出もし得る。けれどそうやって深刻な問題が起こるのが自明であるからこそ、「そんな生き方をする奴は人間ではない」というところから議論をスタートさせてしまったら、残る選択肢は殺し合いしかなくなってしまう。
このように、「何千年も前の歴史」――あるいはたった88万日ほど前の昨日――と我々は、ひどく個人的かつ卑近なところから大きな社会的課題に至るまで、そこかしこでつながっている。何千年も前の歴史を模倣するために歴史を学ぶ意味はなくとも、何千年もの前の歴史を知ることで「解決はしないが、少しだけ改善できる」現代的な課題は、あちこちに散らばっている。
だから私はいまいちど、世界に訴える。
多くの人々が命を賭して運んだバーロン大学図書館の史料を、安全な土地まで運ぶ手助けをしてほしい。
そうやって救出された史料は、いつか、どこかで、我々の生活にのしかかる漠然とした息苦しさを、ほんの少しだけ軽くしてくれるはずだから。
(2077年9月7日更新)




