アルール歴2189年 11月12日(+62日)
――翠爪団隊員・ブルーノの場合――
いつものように遠路はるばるボスのもとに報告書を届けに来ると、いつものようにボスは古びた羊皮紙を前になにやら考え込んでいた。紙にはいろいろと文字が書き込まれているようだが、俺には何が書いてあるのやらサッパリ。少なくともあれは帝国公用語じゃあないし、古語でもない――というかあんな文字を見たことがない。どうせボスが作った凝りに凝った暗号の類だろう。俺たちのボスはこのあたり、異様なくらいに慎重だから。
俺が部屋に入ってきたのにも気づいてないようなので、俺は改めて扉をコンコンと叩いてボスの注意を引こうとする。誰かが私室に入ってきたことに気付かないくらい集中してるってのは凄い話だが、不用心じゃねえのかとも思う。
もっともこの部屋に入るまでのチェックの回数を思えば、ボス的には「ここまで暗殺者が入ってこれるなら何をやっても無駄」ってことなんだろう。このあたりもまた、俺たちのボスは合理的なんだかズレてるんだか分からないところがある。
3度めのノックで俺の存在に気づいたボスは、ちょっと驚いたような顔になってから、バツが悪そうに「すまん」と謝った。このあたりも毎度のことで、ボスの「すまん」は実に安い。何があろうとテコでも謝罪しないっていう馬鹿殿よりはずっといいんだが、こうも謝罪を安売りされると「ボスが頭を下げる」ことの価値が下がるってことくらい、ちったあわきまえてほしいと思わなくもない。
ともあれ俺は肩をすくめてボスの謝罪を受け入れると、定例の報告に入ることにした。
「急いで報告すべきことが2つほど。あとはお届けものが2つってところです。
何からやります?」
俺の気持ちおちゃらけた問い(これをシーニー隊長に向かってやると大変なことが起きる)に、ナオキはいたって真面目に「報告から頼む」と返してきたので、俺はそこらにあった適当な椅子に腰を下ろすと、報告を始めることにした。諸般の事情があって今回は若い部下を数人連れてきたのだが、俺が許可も得ずに座ったことに連中はいたく驚いていた。まあ、それはそれで放っておこう。
「最初の報告ですが、デリク卿に新たな動きがあります。
以前も和平交渉のフリをしてライザンドラ司祭と面会したデリク卿ですが、雪が降ったにも関わらずまた面会に向かいました。面会後、前回は心ここにあらずといった風情でしたが、今回はなにやら決意を固めた様子ですね。どんな覚悟を決めたのかは不明ですが、ダーヴの街に戻ってからは部下に対して命令を発する頻度が3倍ほどに増え、一方でハーマン司祭との面会時間は半分以下に減っています。
もう1つの報告ですが、ダーヴの街でデリク卿の評判が急激に悪化しています。
もともとダーヴの街ではライザンドラ司祭が大人気でしたから、ニリアン領を包囲しているデリク卿の評判は最低ランクだったんですが、ここにきて更に悪化したというところですね。デリク卿がダーヴの街における指揮所にしている宿舎の壁には卿を誹謗中傷する落書きが絶えません。
ダーヴ世論の大筋としては、『ニリアン領の村民もライザンドラ司祭も異端ではないとハーマン司祭は認めている』『にも関わらずデリク卿はニリアン領を焼き、ライザンドラ司祭を殺そうとしている』『ゆえにデリク卿は神の意志に背く最低最悪のクソ野郎である』といったラインです。
デリク卿の評判が地の底をぶち抜いて落ち続ける一方で、ライザンドラ司祭人気は空前の盛り上がりをみせています。ホフマン司祭を先頭に、ライザンドラ親衛隊みたいなのが街を練り歩いてるくらいですからね。
ライザンドラ司祭が帝都では審問会派のエースとして、カナリス審問官やハルナ審問官と一緒に仕事をしてたっていうこともあって、例の白黒の狼デザインなお守りなんかもバカ売れしてます。
と、ここまでが報告ですね。詳しい数字とかは報告書にまとめてありますんで、そっちを読んでください」
ひとしきり報告を終えたところで、俺は懐から伝書筒を取り出し、ボスに手渡す。ボスは何やら考え込みながらも伝書筒を受け取り、机の上に投げ出した。あれはそのままずっと放置されても不思議じゃあない感じだ。
「――ひとつ聞きたい。ダーヴの街での、ハーマン司祭の人気はどうだ?
根拠はお前の感覚で構わんから、教えてくれ」
ふむ。ハーマン司祭ねえ。なかなか微妙なところではある、が……。
「そうですね――まぁ微妙な感じです。
一番の問題は、デリク卿がハーマン司祭のことを公然とアドバイザーであると語ってることですね。なので一般的な市民感情としては、ハーマン司祭はあちら側の人間扱いです。
とはいえ、ハーマン司祭が全面否定されてるかっていうとそうでもなくて、あえて言えば『司祭様も帝都のクソ貴族相手に大変なことだねえ』『とはいえもうちょっと頑張ってくれないものかねえ』っていうのが、だいたいのところじゃないですかね。
要するに、あれです。間違いなく良い人だし、信頼もされてるんだけど、無能なのが問題っていう、そういう枠ですね。しかも無能といっても相手は帝都きっての悪徳大貴族様ですから、『仕方ない』って考えられてる向きは、間違いなくあります。
ライザンドラ親衛隊の取りまとめ役をしてるホフマン司祭が、『ハーマン司祭は誠実に役目を果たしている』って断言してるのも、大きいかもしれないですね。ハーマン司祭を一番嫌うであろうライザンドラ親衛隊員が、それで抑えられてるところは明らかに見て取れます」
そこまで報告してから、ちらりと背後を振り返る。俺が連れてきた若い衆は突然のことに驚いたようだが、すぐに気を取り直すと「自分も同感です」と口にした。
部下2人の感想を聞いたボスは、またしても少し考え込んでから、「ありがとう」と頷く。ずる賢さを煮詰めて煮詰めて煮詰めまくって真っ黒焦げになった釜の中身をぎゅうぎゅう詰めにしたようなボスの頭の中では、今の短い時間でなんらかの結論が出たのだろう。
「さてと。そういえば届け物が2つと言ったな?
1つは例のブツとして、もう1つは――いや、順番に片付けよう。
まずは例のブツを、見せてくれ」
ボスに請われるがままに、俺は背後の部下に命じて、荷物を準備させる。若い部下はおっそろしく頑丈な重たいカバンを慎重に持ち上げ、部屋の中央に置かれた長テーブルの上に置いた。
力仕事が終わったところで、俺は懐から鍵束を出して、カバンに仕掛けられた鍵を開けていく。鍵は全部で3つ。大げさなくらいに厳重だ。
そうやってカバンの鍵を開け終わって、カバンの蓋を開くと、中にはこれまたしっかりした木箱が収まっていた。この木箱にも鍵がかかっている。いやこれ意味あるのかと思わなくもないが、中身のことを思うと「こんな程度でいいんですかボス」と詰め寄りたくなってしまうのもまた事実だ。
慎重に慎重を重ねて、木箱の鍵を開ける。
それから人生でこれ以上慎重に行動したことはないと断言できるくらいに慎重に、箱の蓋を開けた。
箱の中には、どっしりとした本が収まっていた。
磨き上げられた金属を思わせる、美しい黒革の装丁。
完成して間もない本ならではの、ほのかなインクの匂い。
よくある高額書籍のように金銀宝石で飾り立てられたりはしていないが、俺はこの装丁こそが完璧だと思うし、これこそが本だと世界に向かって訴えたい気持ちで一杯になる。
そりゃあ俺だって、きらびやかな装飾で超デコられた本が嫌いなわけじゃあない。というか好きだ。大好きだ。
だが金箔だの銀細工だの宝石だので飾って美しくするっていうなら、何もそれが本である必要だってないように思えてしまう。
ほら、あれだ。
ナイフの柄に綺麗な彫刻を入れて、護拳に宝石をあしらい、鞘を金銀で飾り立てるっていうのは、アリかナシかで言えば当然アリなんだけど、それって本当にナイフでやらなきゃいけないことなのか? ってやつだ。
俺的に言えば、柄は握りやすさと滑らなさが一番大事だし、護拳は頑強さが命だし、鞘は刀身ともどもなるべく光を反射しないのがいい。そしてそういう条件を満たしたナイフは、キンキラキンに着飾ったナイフより、ずっと美しいと思う。
いま目の前にある本も、そういう作品だ。
限界まで無駄を省き、実用性を追い詰めた結果として、「本」としての本質だけが詰め込まれた――そんな究極の一冊だ。
「持ってみてもいいぞ、ブルーノ」
不意打ちのように、ボスが俺に声をかけてきた。思わず頷きかけるが、こっちも伊達に本マニアってわけじゃあない。
こんな芸術品、手袋なしに触れるもんか。
ましてや手に持って、中を開いてみるなど、考えられない。
その思いはボスにも伝わったのか、ナオキは俺の顔を見て苦笑いすると、木箱の蓋を閉じる。俺は木箱の上に鍵束を起き、ボスはそれを手にとった。
「ま、これから何度でも、この本を目にする機会はあるはずだ。
場合によってはこの本を守ってもらう必要が出ることもあり得る。その時は万事、お前に任せる」
木箱とカバンに手際よく鍵をかけ終えると、鍵束を懐に押し込みながらボスはそんなことを口にした。いやいや、常識的に言ってこんな超絶高級品をまた見ることなどあるはずが――と思ったが、この常識を度外視したボスが言うことだけに、おそらくそういうことになるのだろう。
「で、だ。
もう1つ、届け物があると言ったな?
そっちは何だ?」
おっと、そうだった。
俺は気持ちを切り替えると、簡単な封がされた手紙を取り出して、ボスに手渡す。
ボスは怪訝な顔で手紙を受け取ったが、差出人の名前を見て軽く息を呑んだ。そりゃそうだろう。
「デリク卿から、その手紙をナオキに渡すようにと言われましてね。
どう考えても任務外の案件ですが、シーニー隊長の許可も取りましたんで、お持ちしました」
手紙の差出人には「ライザンドラ」とあるから、つまりこのお手紙はデリク卿がライザンドラ司祭と会ったときに、手づから託されたということになるだろう。大胆不敵と言うか無茶苦茶と言うか、実に今のライザンドラ司祭らしい振る舞いだとも思うが、それを俺たち翠爪団の事務所に持ってくるデリク卿もデリク卿だ。そうやって中継された手紙を宛先まで配達することを認めたシーニー隊長もクレイジーなら、言われて真面目に運ぶ俺もまた頭がおかしいとしか言いようがない。常識的に言ってこんな超絶胡散臭い手紙、誰かが途中で封蝋を割って検閲してから燃やすだろ?
奇跡の手紙を受け取ったナオキ司令は封を開けると、中身をざっと流し読みした。
それから二度、三度と文面を読み直し、四度目を読み終えたところで低く笑いはじめた。
予想通りだ。どうせこれは、そういう益体もない手紙なのだ。
「……ライザンドラめ、無茶を言いやがる。
来月12月の初旬に、ダーヴの街の例の場所で俺に会いたいとよ。
まったく、こんな曖昧なアポイントで、人に会おうとするとはな」
確かに。12月初旬と言ってもざっくり10日間はあるし、「例の場所」なんて指定の仕方はもっとアレだ。つまりこの指定で会おうとするなら、ボスは「例の場所」とやらに10日間ほど連続して滞在する必要がある。
非常識人が、非常識人に向けて、非常識なルートで届けようとした手紙の中身らしい、おっそろしく非常識な内容だ。
だが、それでも。この非常識人は、きっと――
「ブルーノ。お前らの帰り道に、俺も同行する。
さすがに準備が必要だから、今日はここに滞在してくれ。
明日の昼には、お前らと一緒にダーヴに向かう。
今夜のお前らの酒代と宿代は俺が持つ。ハメを外しすぎん程度に、息抜きでもしてくれ」
こういうことを言い出すのが俺たちのボスだってのは、よく知ってる。
それはともあれ、一晩好きに遊んでいいってのは、嬉しいか嬉しくないかで言えば、嬉しいに決まってる。シケた土地ではあるが、今夜はボスのご厚情に甘えさせてもらうとしよう。




