アルール歴2188年 11月24日(+33日)
――神城ナオキの場合――
「すまんな、遅くなった。報告を聞こう」
俺は間に合わせの椅子に腰掛けると、ブルーノにも椅子を勧めた。ブルーノはもともとザリナ直属の部下で、類まれなナイフ使いだった。カナリスを殺したあの戦いで左肩を潰された彼は、今ではシーニーの直下で伝令部隊を仕切っている。
ザリナと並んで戦うくらいに技を鍛え上げた人間が伝令部隊のボスってのは不本意じゃないかと思って、それを本人に直接聞いたこともあるが、彼としては「給料が上がったから不満はない」という。
なんでも彼は神代の英雄譚なんかが書かれた本が大好きだそうで、給金を溜め込んでは年に1冊、狙いを定めておいた新刊を手に入れているそうだ。本は基本的に超高額商品だから、給料がどれくらい貰えるかってのは、彼にとっては生きがいに関わる一大事ということになる。
つまり、アレだ。ファンタジーオタクってやつ。
な、もんだから、ブルーノは俺ともやけに相性がいい。たとえ異世界でも、オタクはオタクと通じ合うってことだろう。
ブルーノはひとつ頷いてから椅子に腰を下ろすと、報告を始めた。
「ニリアン領での神前討議は、全会一致でライザンドラ女史の勝利に終わりました。潜り込ませておいた部下曰く、ホフマン司祭が可愛そうになるくらい、まるで格が違ったとか。
今じゃあニリアン領の村人たちは、ライザンドラ女史を崇拝する勢いだそうです」
当然だろう。いまのライザンドラが、量産型の審問会派エリート司祭なんぞに遅れをとる可能性は皆無だ。
おそらく彼女は、自分が語るのではなく、村人に語らせるように誘導したに違いない。そして今まで村人たちが腹の奥に圧し殺してきた、煮こごりみたいになってた感情を、外に吐き出させた。
その叫びを真正面からきっちり聞いたライザンドラのことを、村人たちは崇拝するしかない。
「それからレイナっていう当代のニリアン卿、あの女も相当ですね。
彼女、ライザンドラ女史が教会で勝負に出たのと同じタイミングで、ダーヴの街へと移動を始めてます。慌てて多少の護衛を遠巻きに追わせましたけど、本質的には女のひとり旅です。無謀と言うしかない。
でも結局、レイナ嬢は7日の行程を5日半で踏破して、その足でダーヴの教会に向かいました。で、ダーヴのハーマン司祭に告げた第一声が『ニリアン領では正式な神前討議が行われ、ライザンドラ審問会派修道士助手が、ホフマン2級審問官を退けた』だったそうです」
なるほど、それは相当だ。彼女は神前討議にはライザンドラが絶対に勝つと確信するだけでなく、それを既成事実としてホフマン司祭の上役にねじ込んだのだ。
よほどの強心臓と、この局面において最も重要なのは速度だという理解がなくては、そんな博打には出られない。
「兎にも角にも正式な神前討議ですから、ハーマン司祭としては起こったことを真面目に検討するほかない。実際、このタイミングで奇跡を使って神前討議の結果を確認すると、『ライザンドラが勝った』という結果が示されるわけですしね。
とはいえ、たとえ神前討議だと言っても、たかが弁論大会1つで司祭位が動くほど教会は甘くない。生真面目を絵に描いたようなハーマン司祭は、慣例に則って、まずは負けたホフマン司祭をダーヴの街へと召還するという判断を下しました」
ハーマン司祭は、確かボニサグス派の司祭だったか。本人は教会政治にまるで興味を持たないものの、審問会派と関係が深い。その義理もあって「サンサ教区の統括を任せたいという、審問会派からのオファー」を受けた……というところだろう。実に政治的な人事だ。
ともあれ、こうなると「何が起こったか」は明白だ。俺は机の上にあった酒瓶を手にとって、軽く口を湿らせる。それから酒瓶をブルーノに放ると、俺の推測を口にした。
「だが教会を出たレイナ嬢は、その足でダーヴの街に噂を広めまくったんだろう?
『旅の賢者ライザンドラが、感動的な説法をもって村人たちの真の信仰心に火をつけた』――とかなんとか、ニリアン領ではそんな感じの奇跡が起こったことになっているはずだ。
ライザンドラは、ダーヴの街でも人気がある。俺の商会で働いていたヤツだとか、商会と取引があったヤツなら、あいつに恩の一つや二つは感じているはずだ。
その人気者が地元に帰ってきて、英雄になった。そりゃあ市民どもは大喜びだろう」
ブルーノもまた酒瓶を軽く煽ると、破顔した。
「その通りです。その日のうちに、ニリアン領に行って賢者ライザンドラと対話したいっていう信者を乗せた馬車隊が、3つも立ち上がりましたよ。
このあたり、あの街の商人たちはしたたかです。いつ雪が降るかもしれないってのに、勝負に出やがりました。
でも1番の見ものは、その後でしたね」
ちょっとした稚気を見せたブルーノを――要するに彼は、「1番の見ものが何だったかを当ててみろ」と言っている――軽く鼻で笑うと、俺はこうなるしかないことを語る。
「早くてその日の夕方、遅くても翌々日の夕方。ニリアン領から陳情団が到着した。違うか?
連中が言い出すことなんて決まってる。『ライザンドラという謎の人物に、村人が扇動されている』『ホフマン司祭はライザンドラが率いる村人たちによって拘束されてしまった』『これはニリアン領の危機だ』。
それくらいの保険は、審問会派なら当然掛けているだろうからな」
ブルーノが酒瓶を片手に、ニヤリと笑う。
「もちろんダーヴのハーマン司祭は、その申し立てにも真面目に対応しただろう。
だがダーヴ市民にしてみれば、連中は負け犬でしかない。ニリアン領でいま起きていることについて、誰が正義の味方で、誰が悪役なのか、市民の間ではもう結論が出てるからだ。
誰かが『村人がライザンドラに惑わされてる』なんて言おうものなら、市民たちは『なるほどコイツらはホフマン司祭の下で甘い汁を吸っていたんだろう』とでも、直感的に理解するさ。
誰もがついそう考えてしまうように、レイナ嬢がしっかりと仕込みもしただろうしな」
俺の推理を聞いたブルーノは、酒瓶を床に置くと、右手で小さく自分の膝を叩いた。左手が不自由な彼にとっての、拍手だ。
「相変わらず、お見事ですなあ。
で、これはシーニー隊長からの命令なんですが、『そちらは動き始める予定なのか』を問いただしてこい、と言われまして。見通しなり予測なり、何か立っていたりしますか?」
完璧主義者であり、極度の心配性でもあるシーニーらしい質問だ。というか俺だってシーニーの立場で動いていれば、ボスに向かってこの点を問いただしたくなるだろう。一般論で言えば、ライザンドラが派手に動いた以上は、連携して動くのが筋というものだ。
だがこれは、けして簡単な話ではない。
「……この冬が、最後の準備期間になる。
ダーヴからは帝都に向けて緊急の連絡が飛んだだろうが、帝都側が何か具体的な対応をしようにも、最低でも海路が開くまでは動きが取れんだろう。
帝都がニリアン領に対して攻撃的に出るとしても書面で訓戒するのが精一杯、融和的に出るなら即時の反応はないという可能性すらある」
ライザンドラがどこまで計算して仕掛けたかは分からないが、今まさに雪が降り始めようとしていたサンサ教区を反乱の発起点にしたというのは(しかも形式としては「正式な手続き」に則ったのは)、極めてクレバーなやり方だ。
事態はサンサ教区を統括する司祭の独断で進められる範囲を越えているが、帝都と報告連絡相談して状況を進めようにも、ダーヴの街とサンサ教区を書簡が行き来するには時間がひどくかかる。普通なら片道50日、尋常じゃない手段を用いても片道20日は必要だろう。雪が降ると、この速度はさらに遅くなる。
超緊急の警報であれば帝国と教会が共有する狼煙のネットワークを使うという手もあるが、それで送信できるのは「反乱発生」とか「大規模な災害発生」とかいった定形の警報だけだ。理屈の上では狼煙を使ってある程度まで複雑な文書も送信できるはずなんだが、この世界ではあまりそっち方向に技術が発達することはなかったっぽい。まったく、これまで地球の現代だの未来だのから大量に人間が送り込まれてきていたんだから、体制側についた奴は腕木通信網を整備するよう提言すればよかったろうに。
それはさておき、実際に人間(それも意味のある軍事行動を起こせる規模)が動くとなれば必要となる日数は更に伸びて、ベストコンディションでも帝都からダーヴまで2ヶ月はかかってしまう――そしてこちらに至っては、しっかりと雪が降ったら移動はほぼ自殺行為だ。海路を使うのも、冬場はダーヴにほど近いエロナ港が凍結するので無理。
つまり、サンサ教区と帝都を結ぶ通信・輸送インフラの脆弱さに比較して、ライザンドラがしでかしたことは、規模が大きすぎるのだ。
教会が地方における即応部隊を作れていない以上、このミスマッチはほぼ必ず問題を深刻化させる。そのことはケイラスの一件からも明らかだ。
しかもこの問題にはレイナ嬢――つまりニリアン領という、独自の自治権を持った、極めて小さいながらも国家的な存在――もまた首謀者として絡んでいるため、教会レイヤーだけで議論が終わらない。
「ライザンドラがニリアン領でやんちゃしたけれど、現ニリアン卿たるレイナ嬢は我関せずである」という状況であれば、ニリアン領に隣接する他領(いずれも宗教面は審問会派が管理している)から司祭がすっ飛んできて腕っ節でケリをつけることも可能だろう。
けれどライザンドラの(合法的な)活動に対して、世俗の支配者がこれを承認あるいは推進しているとなると、そうはいかない。「ニリアン領の領民(=ライザンドラ)を拘束するのであれば、正当な理由を示してくれ」と言われてしまうと、教会側としては大いに困ったことになる。
無論、果敢な審問官であれば、「俺が駄目だと言うから駄目なんだ」でゴリ押しするだろう。だがその手の武闘派は、今の審問会派では弱小勢力だ。俺がどうしてもカナリスを殺し、老マルタを筆頭とした審問会派内部の武闘派を弱体化させねばならなかった理由のひとつは、ここにある。
そしてサンサ教区全体を支配する世俗の支配者であるエイダ伯としては、レイナ嬢の独断専行を苦々しく思う部分もあるだろうが、かといって「今すぐ止めろ」と命令する権利を有するわけでもない。
ニリアン家はデリク家の陪臣であり、法的に言えばニリアン領はデリク家の飛び地なのだ。ここでエイダ伯がニリアン卿に対して命令を強制するとなれば、デリク家としては「うちの舎弟にインネンつけるとは、いかなる筋があってのことですかな?」という形で、ニリアン卿を守らねばならない。
結果、エイダ伯としても(仮にアクションを起こすとして)、まずは帝都のデリク卿に「あんたのところの三下はどうなってる! こっちのメンツを潰す気か!」的なお手紙を送って、状況を整理しなくてはならない。伯爵位を持つお貴族様といえど、ホウレンソウの悪夢からは逃れられないのだ。
教会の権威と世俗の権力、その両方が「遙かなる帝都とのホウレンソウ」を必要とするなか、サンサ教区は雪に閉ざされる。
ニリアン領では冬の間も改革が続く(「賢者ライザンドラ」に教えを請いに行ったダーヴ市民が少なからずいる以上、おそらくはダーヴの街にもこの運動は波及する)が、帝都側の時間は止まる。
雪が溶けて、帝都が事態を把握し、具体的な行動に出る頃には、サンサ教区における運動は、もはや誰にも取り返しのつかないところまで先に進んでいることになる。
この冬の段階ではまだ、非合法ないし異端を疑われても仕方ないことをライザンドラが提案することはないだろうから、現地のハーマン司祭らにもこれは止めようがない――むしろライザンドラはハーマン司祭と協力して運動を進めていく可能性のほうが高い。
まあ、ライザンドラを狙った暗殺者がチマチマと送り込まれる、といったことはあるだろう。武闘派じゃなくても、それくらいはやるのが今の教会だ。
その手の問題は、シーニーが立てた迎撃プランに任せておけばいい。
つまり。
あれこれ計算すると、最速で来年の初夏には、本気になった帝都の連中が、サンサ教区に遠征してくる。
それまでの半年ちょいが、最後の準備期間というわけだ。
「人間、どんなに崇高な理想を語ったところで、初手でいきなり飢えればそこまでだ。
ニリアン領が今年の冬を越すぶんには、審問会派がつぎ込んだ支援金があるだろうから、問題ないだろう。だから逆に言えば、俺が今のニリアン領を崩すなら、ライザンドラやレイナの暗殺を狙うより、ニリアン領の倉庫に火をつける。
あとは重要な村人の悲惨な事故死狙いかな。それこそ『天罰としか思えないような』死に方をするやつだ。
そのあたりはシーニーも分かっているだろうが、念のため警戒のレベルを上げるように伝えてくれ。
まだまだ前哨戦とはいえ、最初から黒星が重なるのは気分が悪い」
ブルーノは何度も頷くと、「つまり来年の夏が勝負ですかね」と呟いた。さすがに頭の回転が早い。
「そういうことになるだろう。
だが俺たちはあくまで助演であり、保険だ。
主役はライザンドラだよ。
あいつがしくじれば何もかも終わりだが、上手くやれれば初手で勝負は決まる。
だからまあ、俺はせいぜい、保険を積み立てるとするさ――その酒は駄賃だ、持っていけ」
俺の話が終わったことを察して席を立ったブルーノに、酒瓶を持っていくように言う。彼は小さく笑って酒瓶を振ってから、ほとんど残っていない中身を一気に飲み干すと、瓶を床に置いた。
「なんにせよ、本番が夏だって聞けて、良かったですよ。
来年4月のエロナ港が開く日に合わせて、ダーヴの本職人が『この人を見よ』の復刻版を市場に出そうとしてるんです。普通なら絶対売れない本だから片手間でゆっくり作業を進めて、5年かかって完成させたっていう、曰く付きの逸品ですよ。
そいつをこの手に取るまでは、死にたくなかったんで」




