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お前が神を殺したいなら、とあなたは言った  作者: ふじやま
他人の気持ちが分かる人間になろう。
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アルール歴2182年 9月10日(+1日)

——カナリス2級審問官の場合——

 意識が戻ったときには、何もかもが終わっていた。

 何もかもが。


 主治医を務めてくれた、カリーナというクリアモン修道士(年齢的には老マルタと同世代といったところか)の献身的な働きの結果、2週間にも渡って昏睡していたという私の体は、自分でも驚くほど最高の状態へと回復していた。筋力の衰えなどもほとんど感じることはなく、神の御業の偉大さに改めて感服する。


 だが、それだけだった。


 目覚めた私は、なんやかんやと理由をつけられて、病室に留め置かれた。最初こそ「命を救ってくれた医師が安静を命じる以上、おとなしく従うしかあるまい」などと呑気なことを考えていたが、状況が把握できてくるにつれて、これが安静(・・)ではなく拘束(・・)なのだということが理解できた。

 私の病室を訪れる審問会派のお偉方は、繰り返し繰り返し、何度も私に向かってこう聞いてきた——「大変だったな。まだ体調に問題があると聞いているが、動けそうか?」。

 私の答えは言うまでもなく、そしてそう(・・)答えると、彼らは渋い顔をして引き上げていった。


 この無意味な問答が3時間で3回繰り返されたところで、ようやく私にも彼らが何を望んでいるのかが理解できた。

 連中は私から「体調が優れず、現場に戻れそうにない」という言葉を引き出したがっているのだ。


 翌日もまた、同じ質問が繰り返された。

 私は意固地になって「体調は万全であり、いますぐ任務に復帰できる」と答え続けた。


 そうやって意地を張っていると、連中(・・)は次第に手札を切ってきた。


 パウルが殉教したこと。


 ユーリーン司祭もまた殉教し、列聖されたこと。


 ライザンドラ見習いが審問会派から除名され、オルセン家の断絶も決定していること。


 老マルタ(師匠)の完全な引退が決まったこと。


 そして、ハルナが死んだこと。


 それでも——

 いや、それだからこそ私は、断固として「自分はいますぐ任務に復帰できる」と訴え続けた。私は何がなんでもナオキを追って、彼を裁きの庭に引きずり出さねばならないのだから。


 私がナオキに固執するのには、理由がある。

 むしろ、ナオキを捕らえねばならないという確信は、かつてなく深まった。


 ナオキが我々の追跡網から逃れてからこのかた、彼を追うべきだと主張していたのは、極論言えば、私とパウルの2人だけだった。

 ユーリーン司祭とライザンドラ見習いは「その方針に賛成」というラインだったし、そういう意味では老マルタもそこまで立場に違いはない——が、そういった賛同者すら、この3人以外にはいなかった。

 つまり、ナオキなる謎の容疑者を地の果てまででも追い詰めるべきだと口にしていたのは、この巨大な教会組織において、たった5人だけだったのだ。


 そしてこの5人は、どうなったか?


 パウルとユーリーン司祭は死に、ライザンドラ見習いは再び社会から追放され、老マルタは引退を強いられ、私は前線から退くことが求められている。

 それだけではない。かつて最も強くナオキに執着していたハルナは、人としてのあらゆる尊厳を踏みにじられた挙句、報われぬ死を迎えた。ハルナに止めを刺したのがライザンドラ見習いだったということだけが、このどこにも行き場のない物語における、微かな救いだ。


 この2週間ほどの間に起きた帝都における一連の騒擾は、成功した教皇暗殺が2件、〈ボニサグスの図書館〉に対する組織的な襲撃と図書館の炎上、これらに伴う政治的な地殻変動が多数と、いずれも禍々しい事件の連続だ。

 だがその派手な事件の背後で、ナオキを追うことに賛同、ないし実際に追っていた人物は、その全員(・・)が脱落を余儀なくされた。手品師が右手を大きく掲げたときには、その左手は次の仕込み(・・・)を終えているように、ナオキは帝都を震撼させる大事件を連続して引き起こすその裏で、我々を排除することに成功した——そう考えるべきではないのか?

 そしてこんなこと(・・・・・)が可能なナオキに完全なフリーハンドを与えてしまったが最後、教皇暗殺ですら些事と思えるような地獄の釜の蓋が開くのではないのか?


 だから私は不退転の決意をもって、「自分はいますぐ任務に復帰できる」と断言し続けた。



 ——それ以外にもう、私が私でありつづけることは、できなかったから。



 そう。実を言えばそのときにもう、私は心のどこかで気づいていた。


 私が断固として前線への復帰を主張し続けているのは、ナオキが次に引き起こすことを未然に防ぎたいのでもなければ、審問官という職務に対する情熱ゆえでもないということに。

 ただ、認めたくない事実から逃げたくて、その最大の逃避先としての任務を求めているのだということに。

 そして何より、このあってはならない惑いを直視する勇気を、自分は持っていないということに。


 だから私は特に作戦も目標もないままグズグズと意地を張り続け、そうやってさらに数日が経過した。


 カリーナ修道士が、私に「率直な話がしたい」と訴えてきたのは、そんなある夜のことだった。

 彼女の主張は、実に簡潔だった。


「このままあなたが審問会派上層部の意向に背き続ければ、私はおそらく、あなたを殺す毒を処方することになります。さもなくば、本当に(・・・)あなたの体調が二度と回復しないような、そんな薬を。

 私はあなたに生きてほしくて、昼夜を分かたずあなたの容態を管理してきました。その私に、あなたを殺させないでほしいのです」


 なるほど、実に付け入る余地のない推測だ。連中なら、そう遠くないうちに私を毒殺なり何なりするだろう。

 だがそういうことであるならば私はいっそ自害しよう、あなたに手を汚させるわけにはいかない——そう語ろうとした私の言葉を、カリーナ修道士は鋭く遮った。


「それが間違いだと言っているのです!

 今回の件、経緯は詳しく調べさせてもらいました。あなたが飲まされた毒の正体が掴めないことには、対処のしようもありませんでしたから。だから私は、すべてとは言いませんが、ほぼすべてのことを知っています。

 だからこそ、あなたはここで死んではならない。

 それがわかりませんか?

 それとも、そこから逃げておいでなのですか?」


 彼女の言葉は、研ぎ澄まされた焼きごてのように私の心を抉った。


「あなたはハルナさんを救うことができた。あの生き地獄からハルナさんを力づくで救出することができたし、そうするだけの理由もあった。

 もしあなたがハルナさんを救っていれば——いえ、救おうという姿勢をはっきりと示していれば。

 彼女を愛していると、はっきりと伝えていれば。

 彼女が絶望のどん底で教皇を暗殺することもなかったはずです。

 あなたは、どんな形であれ、この過ちの償いをしなくてはならない。

 そしてその償いは、こんなところで死んで果たせるものではありません!」


 カリーナ修道士に言われるまでもなく、私はそのすべてを理解していた。


 この数日、私は師匠の訓話を何度も思い返していた。

 実際、師匠はまったくもって正しかった。あの状況にあるハルナを救うことと、審問官としての任務をまっとうすることは、絶対に両立できない。それこそパウルが大好きだった「トロッコの仮定」と同じだ。だから師匠は「どちらかにしろ」と具体的な策を授けてくださった。


 だが実際に自分がやったことは、「どちらもを中途半端に選ぶ」という、最悪の行為だった。

 自分でも信じがたいが、私はあのとき、「異端思想を帝都の子供たちに広めつつ教皇の暗殺を企む凶悪な異端者と対峙する」ことを選びつつ、「最後のお茶会でハルナと茶を飲む」ことも選んだ。

 もしあのとき、私の目の前にいたのが、異端思想を抱いたどこぞの貴族の娘であったなら。「最後のお茶会」など絶対にさせないし、ましてや出された茶を飲むなど断じてあり得ない。その茶会で供される茶が自決のための毒でしかないのは、誰の目にも明らかなのだから。


 おそらく私は、あの段階に至ってなお、思いあがっていたのだ。

 どちらかを選ぶと決めさえすれば、その決断を貫くなど簡単なことだ、と。


 そしてまた、「どちらかにする」にあたってハルナを選ぶべきだったというのも、あまりにも明らかだった。

 「まず世界や人類を愛するのではなく、まず汝の眼前にいる者を愛せよ」という聖書の言葉を、私は見失っていた。私は世界や人類に対する愛を見ようとするばかりで、ハルナが私をどれほど深く信頼し、愛してくれていたかを、顧みようとしなかった。

 一回り以上歳が離れた少女に恋した私は、彼女が全幅の信頼を私に寄せてくれることの喜びを、「部下たる審問官として当然」という言葉で最後まで押し隠し続けた——あたかも照れ隠しをするかのように。そして内心では彼女が私に向けてくれる愛に歓びつつ、「世界や人類への愛」が「汝の眼前にいる者への愛」より優っているかのように振る舞い続けた。


 客観的に言えば私は、師匠の尽力を裏切り、ハルナの愛を裏切った。そしてそれら取り返しのつかぬ大失態を演じた私は、手前勝手な恥辱に悶えるがまま、死に逃げ込もうとしている。


 燃える鉛を飲み込んだような痛みに呻く私に向かって、カリーナ修道士は淡々と語った。


「私事で恐縮ですが、私は今のこの立場で仕事をするようになるまでの間、クリアモン派内部の政治(・・)で6回連続で負け組について、そのたびに死を思いました。『お前がいる派閥は負ける』とまで罵られもしました。

 だからこそ、断言できます。人間は生きてこそ(・・・・・)であり、死と敗北はまったく別のものなのです。私も生きていればこそ、こうやってあなたの命を助けることができた。

 おそらくは教会で最も負けに慣れた私の言葉を、どうか信用してください」


 彼女の言葉に、私はまるで反論の言葉を見つけられなかった。


 要するに私は、世間知らずのガキのままだったのだ。

 「どうやって勝つか」にばかり意識を向け、なまじそれで上手くやれてきてしまったがゆえに、それ以外のことを知ろうとしなかった。

 恋も、愛も、敗北も、私にとってはすべて他人事(・・・)でしかなく、いざそれらが我が身のこととなってみれば、青臭い子供のように右往左往することしかできなかった。挙句、こうやって最も大事なものを永遠に失ってみれば、今度は「あのときこうしていれば」というどうにもならない思いを転がすだけ。


 そうやって一晩、カリーナ修道士と問答を繰り返した私は、翌朝病室を尋ねてきた審問会派のお偉方に向かって、自分から「最前線に出るのは体調的に厳しい」と切り出した。連中は大いに驚いたが、そこから先は瞬く間に各種事務処理が進み、私は「特別行動班武術顧問」という新たな肩書を得た。教官(・・)ではなく顧問(・・)というあたり、実際に指導はするな、という意図がありありと見て取れる。

 だが、それはむしろ願ったり叶ったりだ。今の私には、他人に何かを教える資格もなければ、自信もない。むしろこれは己自身を磨き直す時間を、神が与えて下さったということなのだろう。


 かくして特別行動班武術顧問として現場に復帰した私は、ただひとり、黙々と体を動かし続けた。久しぶりに戦鎚(メイス)を握って基礎的な動きを見直し、すっかり荒れていた技の精度を元のレベルまで戻すべく、地道な鍛錬を繰り返す。

 今の審問会派上層部が、私をまた前線に出すことなどあり得ないのは、理解している。それは仕方ないことだ——それが敗北した、ということなのだから。

 だがカリーナ修道士が示してくれたように、敗北は永遠に続くとは限らない。

 それに、敗北した直後であればこそ、思いもがけぬ形でその人ならではの力(・・・・・・・・・)が求められることもある……らしい。それゆえ敗北や喪失に溺れるのではなく、むしろ今こそが新たな勝負のスタート地点なのだという覚悟を持って気息を整えよ、と。


 そして事実、その思いがけない求め(・・・・・・・・)は、さほど遠からずして私のもとへと届くことになった。

 「緊急」と書かれた、老マルタからの書状が届いたのだ。


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