アルール歴2182年 8月26日(-12分)
"In the time of your life, live—so that in that good time there shall be no ugliness or death for yourself or for any life your life touches."(サローヤン)
1000:〈ボニサグスの図書館〉
――パウル1級審問官の場合――
10時を知らせる鐘が、帝都のあちこちで鳴り響いた。〈図書館〉にも小さいながら鐘はあり、カラン、カランとなかなか奥ゆかしい音を立てている。
この時間、〈図書館〉務めの聖職者たちはみな、〈図書館〉付きの教会に集まって神への祈りを捧げている。もちろんこれには例外があって、僕のように臨時で〈図書館〉の守りを増強するために派遣された兵士たちは胸壁を巡回し、あるいは檣楼から油断なく周囲を警戒している――と言いたいが、兵士たちの士気は全体に低く、緊張感も今ひとつだ。
いやまあ、常識的に考えればこの〈図書館〉に攻撃してくる馬鹿などいるはずがないし、万が一攻め手が姿を見せたなら籠城していればじきに援軍が来てすべてカタがつく。任務に対して彼らがそこまで真剣になれないのも、わからなくはない。
やれやれ。カナリスが来る前提で考えていたから審問会派の特別行動班を大聖堂に回すようにしたけれど、数名でいいからこっちにも配備しとくんだった。
そんなことを思いながら、僕は正門に通じる大通りを睨みつける。
と、僕の隣に完全武装の男が立った。賢人会議のイェシカ議員が手配した、スヴェンツ傭兵団のリーダーだ。
「これはこれはパウル1級審問官殿。
なんともご熱心なお仕事ぶりですな」
口調にはおどけた雰囲気があるが、彼は間違いなくプロ中のプロだ。今のところ、彼のチーム(つまり合計で10人)と僕だけが、この砦における「戦力」としてカウントできる。
僕は軽く肩をすくめて、彼に問いを発してみた。
「もし君がこの砦を攻めるとしたら、どう攻める?」
彼は「そうですなあ」と呟くと、即座に答えを返してきた。
「時間と費用が青天井という条件でしたら、穴を掘ります。そうすれば確実にこの砦は落ちるでしょう。
でも今回の仮想敵では時間的にも費用的にも無理でしょうし、そもそも毎夜毎夜トンネル工事の音が響いて、大量の土砂を運び出す人夫たちの姿が目撃されたとなれば、衛兵どころか帝国軍の正規兵が押し寄せてきまさあね。
となると、残った合理的な攻撃ルートはこの大通りです。
この時間、帝都市民がこのあたりを歩いていることは滅多にないですし、道幅から言っても大型の攻城兵器を持ち込めます。しかもこの大通りは砦の正門に向かってやや下り坂になっていますから、車輪のついた破城槌のようなものを転がしてくるにはもってこいです。
ただこの場合でも、大型の攻城兵器をどうやって持ち込むのか、という問題は残りますが」
お見事。さすがはスヴェンツ傭兵を率いる指揮官だけのことはあって、非の打ち所がない解答だ。実際、僕もあいつらが来るのは正面の大通り以外にあり得ないと考えている。
だから正門の外には逆茂木を設置してはみたが、さてこれもどの程度有効かと言われると、実に怪しい。
僕の表情が冴えないことに、彼はすぐに気づいたのだろう。逆に彼のほうから僕に対して鋭い問いが飛んできた。
「1級審問官殿は敵がこの砦を落としうると考えているようですが、そんなことが本当に可能なのですか?
自分もスヴェンツ傭兵として、綺麗な手から汚い手までいろいろ考えはしましたが、合理的な範囲内でこの砦をなんとかする手段は思いつかなかったですがね」
僕は小さく首を振って、彼の予断を否定する。
「なんとかする方法は、ある。
なにせこの砦はとても特殊だ――ここは砦ではなく、図書館なんだよ。それを忘れちゃあいけない。
つまりこの砦は、あり得ないくらいに、火に弱い」
僕の指摘に対し、スヴェンツの男はハッとしたような表情になった。
「例えば攻撃側がこの砦の周辺に広がっている民家に火を放ったら? それだけで防衛計画は大幅に変更せざるを得ない。
少なくともこの〈図書館〉の職員たちは総出になって、周辺で発生した火災を消火するために動く義務と権利がある」
スヴェンツの男はしばらく沈黙した後、苦々しい表情になって「確かに」と頷いた。襲撃が想定される敵は仮にも司祭資格を持つ者がリーダーなのだから、図書館を炎の危機に晒すようなことはしないだろう――と言い出すほど、彼は甘ちゃんではないというわけだ。
「つまりこの砦は、その規範として、自ら城門を開かねばならない可能性を有した砦なんだよ。
実際に開門するのは小さな通用門だけであったにしても、それが攻城戦においてどれほど致命的になり得るかは、君のようなプロには説明するまでもないだろう?」
1004:〈ボニサグスの図書館〉
――ユーリーン司祭の場合――
〈図書館〉付きの教会で祈りを捧げていると、突然、激しく鐘が鳴り響いた。
その音を聞いて、私は大慌てで立ち上がる。
このように乱打される鐘の音が意味するのは、近隣住宅地での火災の発生――〈図書館〉で司書としての仕事を習うにあたって、最初に覚えさせられた基本だ。
祈りを半端なところで終えることを内心で神に謝罪しつつ、私は真っ先に檣楼へと向かう。どこで火災が発生していて、どれくらいの規模の火災なのかを、自分の目でも確認するというのは、司書にとっての義務だ。
ところが全速力で急な階段を駆け上がると、そこには先客がいた。パウル1級審問官と、司書長のアウグスト大司祭だ。彼らは何やら激しく口論していた。
「ですから、これは敵の陽動です!
今この段階で、こちらから消火活動に出てはならない!
それではみすみす、この〈図書館〉をより大きな危機に晒します!」
「話にならん! 炎以上の危機など、〈図書館〉にあるものか!
それに、既に近隣住民の有志たちが消火活動を始めたという半鐘が鳴っているだろう! 我らが消火の指揮を取らねば、最悪、勇敢なる有志たちが無為に命を散らすことになるのだぞ!」
……なるほど。どちらの主張も、もっともだ。
確かに、こんなタイミングでの火事など、敵の陽動としか思えない。それが分かっていながら門を(一部なりとも)開けるなど、あり得ない――それはそれで、筋の通った主張だ。
一方で、火災は初期消火がその後の被害の大きさを分ける。1秒でも早く飛び出して、近隣住人と協力して(この周辺には〈図書館〉務めのOBが多く住んでいる)消火しなくてはならない――これもまた、筋の通った主張だ。
「でしたら何卒、正門を開けるのはご容赦頂きたい!
これから斥候を出しますから、安全が確保された段階で、通用門を開ける。その手順ではまかり成りませんか!?」
「くどい! いまは一刻を争うのだ!
……とはいえ貴殿がそこまで言うのであれば、正門は開けぬ。
通用門から、初期消火班を出す。だが斥候を出している暇はない。まことに、これは一秒を争う状況なのだ!」
結局、このやりとりを最後に、パウル1級審問官は折れた。
アウグスト大司祭は私をちらりと見てから、驚くほど敏捷に急階段を駆け下りていく。
私はそんな大司祭の背中を見て、それからパウル1級審問官の顔を見た。彼の表情は、これまでに見たことがないほど、渋いものだった。
数瞬の間をおいて、パウル1級審問官は表情を緩めると、私に向かって告げた。
「移動しましょう、ユーリーン司祭。
たぶん、かなりの大事になります。ここではまるで逃げ場がない。
少しでも撤退の時間が稼げる場所に、避難しましょう」
1006:〈ボニサグスの図書館〉近辺
――ガルドリス司祭の場合――
〈図書館〉周辺の数カ所から、黒煙が上がっている。
してみると、同志ローランドは上手くやったのだろう。さすがは〈同盟〉が誇る俊英にして、我が最愛の友だ。
ならば私も、彼の働きに報いねばならぬ。
「状況は!?」
物見役に問うと、彼は素早く答えを返してきた。
「正門に動きなし! 初期消火班は通用門から出るものと推定されます!」
やはりか。アウグストしかいなければ馬鹿正直に正門を開けただろうが、審問会派が噛んでいるとなると、そう簡単には話は進まない。
だがそれは、最良の展開ではなくなったというだけのことだ。
悪いが私は、最良ではないことには慣れている。
「では計画Bで行く。
先陣を出せ!」
私の命令一下、同志たちが動き始める。
さあ――勝負だ、審問会派のエリート諸君!
1007:〈ボニサグスの図書館〉
――パウル1級審問官の場合――
〈図書館〉の中庭に初期消火班が整列し、通用門から出撃しようと準備を整えている。僕としては通用門なんていう狭いスペースから人を出すこと自体、自殺行為も甚だしいと思うのだが、これ以上は僕では踏み込めない領域だ。まったく、この期に及んで指揮系統が一本化されない現場を切り盛りしなくてはならないとは! ああ神よ、僕は何かこれほどの罪を犯しましたでしょうか?
――あーいやその、そういえばわりと女性関係は奔放でした。
ですので御身が与えてくださった試練と真正面から向き合うことに致します。
とかいう馬鹿な冗談を口の中で転がしていると、スヴェンツ傭兵の指揮官が僕のところに走ってきた。
「パウル1級審問官! 装甲馬車が2両、大通りをこちらに暴走してきます!」
そう、来たか。
僕の読みが正しければ、これはフェイクだ。
〈図書館〉の正門上には、バリスタが2門設置されている。
その数にあわせた装甲馬車。
こんなもの、明らかに陽動でしかない。
だが。
「あっ――クソが! 正門上のバリスタ2門、それぞれ装甲馬車に射撃!
装甲馬車は大破、馬は一部を除き逃げ散っています!」
バリスタの射手は、〈図書館〉側の指揮下にある。
アウグスト大司祭が中庭から「不審な馬車を撃て」と命令すれば、その命令を素直に実行するしかない。
ああ、せめて。
せめて、カナリスがいれば。さもなくば、ライザンドラ君がいれば。
彼らならバリスタの射手に睨みをきかせ、こんな陽動に乗らないように指揮できただろう。
だが、そうはならなかった。
ここにカナリスはおらず、愚かにも僕はライザンドラ君を自ら手放した。
いや――そうか。
僕は彼女を、
この修羅場から逃したかったのかもしれないな。
もしかしたらそれは、彼女をより悲惨な修羅場に送り込んだだけかもしれないけれど。
ならば、覚悟を決めよう。
僕は傍らに立っているスヴェンツ傭兵の指揮官に、命令する。
「君の部下に命じて、通用門を守らせろ。
そこが最初の防衛ラインだ。そこから先は、君の指揮に任せる。
敵は、凡将に率いられた、凡兵の群れだ。
だがかの凡将は、凡人であることがいかなることかを完璧に理解している。
ゆえにここから先は、死体の数が生者の数を上回るぞ」
彼は一瞬で状況を把握し、私に敬礼した。
その姿を見て、私は言うべきことを言う。
「――ところで、君の名前をまだ聞いていなかったな。
僕の仕事上、君の名前は知っておきたい」
彼は一瞬真顔になってから、大笑いした。
「これは失礼。自分はエルジェントと申します」
僕はため息をつきながら、エルジェント君たちに祝福を与える。
「ならばエルジェント君とその部下に、司祭パウルの名をもって祝福を与える。
貴君ら神の戦士は、たとえ命を果たせずして倒れるとも、その魂までもが屈することはない。
神の国の門は、不屈の戦士たる貴君らを、喜んで受け入れるであろう。
天に栄光を、地に繁栄を。人の魂に平穏あれ」
エルジェント君は僕に向かって恭しく一礼すると、中庭へと向かって階段を降りていった。
1007:〈ボニサグスの図書館〉前
――ガルドリス司祭の場合――
「正門のバリスタ、射撃!
装甲馬車は2両とも大破、擱座しました!」
ふむ。さすがに審問会派と言えども、ボニサグス派の要衝とも言える〈ボニサグスの図書館〉の指揮権を完全に掌握することはできなかったと見える。
ならばこれで、詰みだ。
私はこの状況にあって、もっと自分が高揚するかと思っていた。
凡庸極まりない我が身であれば、万に一つの勝機を掴んだそのときには、もっと興奮するであろう、と。
だが想像よりずっと、ここは、静かだった。
ずっと、ずっと、静かだった。
私は鏡面のように穏やかな心のままに、同志たちに命ずる。
「征くぞ。大異端ユーリーンに、天誅を!」
同志たちも、穏やかに唱和した。
「大異端ユーリーンに、天誅を!」
私たちは、特別仕立ての装甲車に乗り込む。
あちこちを分厚い鉄板で補強したこの装甲車は、胸壁からクロスボウを撃たれた程度では、致命的な損傷を受けたりはしない。
私は御者台に登り、手綱を強く打った。
途端に、ギリギリで興奮を抑えていた獣たちが、怒りの咆哮をあげる。
そしてその怒れる獣に引きずられるように、はじめはゆっくりと、やがて猛然とした速度で、装甲車は走り始めた。
1008:〈ボニサグスの図書館〉
――パウル1級審問官の場合――
来た、か。なるほど、あれが本命か。
正門上のバリスタ兵は必死でバリスタを巻き上げているが、再装填までは最速で5分。絶対に間に合わない。
窓の外を眺めつつ、僕は彼らの用意周到さに内心で舌を巻いていた。
隣で窓を覗いているユーリーン司祭が、不思議そうな顔でそれを見ている。
なので僕は僭越ながら、おそらくは僕らを殺すであろう兵器について、説明をすることにした。
「いわゆる牛車ですね。
12頭立ての牛車を、牛車と言っていいかどうかは悩みますが。
ユーリーン司祭。申し訳ないですが、多分、僕らは詰みました。
無論、最大の努力はします。
ですが貴女が最期になさりたいことを、いまのうちに始めてください」
1008:〈ボニサグスの図書館〉前の大通り
――ガルドリス司祭の場合――
あまり適切でない飼葉を与えた牛たちは、私の手綱に過敏なまでに反応し、暴走し始めた。疑いなく、この暴走を停める術はない。
だが、それでいい。
私は〈ボニサグスの図書館〉の正門横にある、通用門をめがけて、手綱を捌く。まともにコントロールできるものではないが、それでもやらないよりはマシだ。
そのときなんとも馬鹿げたことに、私の目の前で通用門が開き、消火道具を持った屈強な男たちが外に飛び出し始めた。
あいつらは阿呆か? 暴走する装甲馬車が押し寄せてきたというのに、なぜ今、外に出ようとしている?
とはいえ、それも仕方ないことかもしれない。
アウグストはもとより、融通の効かない男だ。
装甲馬車が撃退されたのを好機とみて、初期消火班を出撃させた――どうせそんなところだろう。
アウグストを批判する気持ちには、なれなかった。
かつて学院首位を争った学友であればこそ――そして私は様々な過ちを犯したが、彼はその手の過ちを見事に回避しきった、その結果として今があればこそ――我らの立場は、一定の確率で入れ替わっていた。
つまるところ、彼は、私でしかないのだ。
続々と通用門から出てくる男たちを哀れみの目で見ていると、胸壁の上から弓矢が届き始めた。
だがそのほとんどは、装甲牛車に貼られた分厚い鉄板に弾き返される。
20mmの鉄板を貫通するためには、機械式のバリスタが必要なのだ。
……まあ、この愚かな人類のことだ。
いつの日か、20mmの装甲板ごとき紙のように貫通する兵器を作るだろう。
そして我ら装甲牛車側がそれに対抗して装甲板を200mmに増やし、かつそんな鉄塊を易易と運べるくらいの動力を得たならば、次は相対的に装甲が薄くなる天井を射抜くような兵器を作るだろう。
私なら、今日のこの日の物語を聞いたなら、そんな兵器をかくあれかしと夢想する。
だがそんな狂気じみた兵器が我らを迎え撃つのは、今日この日ではない。
私は御者台に据え付けられた装甲板に開けられた細いスリットから、前方を確認する。奇跡のごとく、装甲牛車は通用門に向かって全速前進している。
ああ。
やはり神は我らに、大異端ユーリーンに天誅を下せとお命じなのだ。
装甲牛車に同乗した同志たちが
手に持ったクロスボウで初期消火班を打ち抜き
胸壁からの弓矢に撃ち抜かれる
そんな地獄のような景色を見ながら
私はより一層強く、手綱を当てた。
牛たちが勇ましく吠えたけり、牛車は一層速度を増す。
「 天 誅 !」
牛車がまさに通用門に激突するその寸前、私は人生最大の大音声でそう叫んでいた。
そして次の瞬間、私の視界は真っ白に染まる。




