束の間の休息?(5)
──乗組員の皆さんにお知らせします。船の安全は確保されました。只今現在をもって、非常事態宣言は解除されました。シェルターに退避されている皆様は、一旦ご自宅にお戻り下さい。繰り返します。非常事態宣言は解除されました。シェルターに退避されている皆様は、一旦ご自宅にお戻り下さい。尚、移動に際しては、保安部の誘導に従い、落ち着いて混乱のなきようにお願いします……
「はぁ。やっと解除になったのね。茉莉香はどうしたのかしら。困った事になっていないと良いのだけれど」
茉莉香の母──由梨香はシェルターの中で、娘の身を案じていた。
<シェルターに避難していた方々は、こちらから移動して下さい。並んで、並んで。急がなくても大丈夫ですから>
簡易プロテクトスーツを纏った保安部員達が、拡声器を持って誘導を行っていた。
由梨香は、今すぐにでも茉莉香のいる操船室へ飛んで行きたい気分であったが、運行スタッフは未だ集中作業中だと聞いた。一般乗組員の由梨香が行っても、邪魔になるだけだ。
彼女は、後ろ髪を引かれながらも、自宅への通路を、他の避難者と共に歩いていた。
通路を歩きながら周りを見渡してみると、何らかの被害があったようには見えなかった。いつもと変わらず、明るい照明が船内を照らしている。電力などのインフラも、正常に供給されているようだ。
由梨香は、通路の端に寄ると、ポケットから多機能端末を取り出した。馴染みのホーム画面が表示されている。
シェルター内では遮断されていたネットワーク通信も、外では生きているようだ。彼女は、端末の画面に指を滑らすと、ニュースタイトルを表示してみた。この画面には、一般メディアのニュースのほか、広報部を通じて中央運行管制室からのメッセージや緊急通報も表示される。
*謎の宇宙海賊、移民船を襲う。
*外洋宇宙を駆け回る宇宙海賊は、『ESPエンジン』を持っているのか!?
初めに表示されたのは、ずいぶん前のものだ。茉莉香のパイロット就任や引っ越しの後始末で、彼女はニュースもろくに見てはいなかったのだ。
画面に指を走らせると、溜まっていたニュースの見出しが、次から次へと流れる。
*パイロット急逝! 次代のパイロットは十六歳の少女!
このタイトルを見て、由梨香は顔を顰めた。
そもそも由梨香達母娘が巻き込まれたのは、死期を迎えた前パイロットが、茉莉香を新パイロットに選んだからである。
特殊な能力を持ったパイロットが居なければ、『ESPエンジン』は操作できない。そして、『ESPエンジン』が動かなければ、ギャラクシー77は宇宙の孤児として虚空を彷徨った挙句、死を迎えるだろう。
そんな事は、由梨香にだって分かっている。だが、何故それが茉莉香でなければならないのだ。茉莉香は、まだ十六歳の少女だ。これから、人生の様々な出来事──友情や恋をしたり、失恋や失敗、成功を経験して、自分がそうだったように、何れは結婚して子供を産み、育て、そして生涯を送った後、次世代に希望を託して静かに死んでゆく。そんな、ごく平凡な生き様は、もう茉莉香には許されないのだ。それが、由梨香には悔しかった。
初めは人間を超えた異能──超能力を恐れていた由梨香だったが、今では、超能力どころか何の力も持っていない自分を恨んだ。娘を超能力者として産んでしまったくせに、この母には、彼女をあの操船室から開放してやれる何の術も持ち合わせていないのだ。
*緊急寄港。第四十八太陽系は、どんな所?
*第四十八太陽系特産品即売会を実施。宝石から貴金属まで掘り出し物あり。
*異例の抜擢!? 新パイロットは十六歳の少女! その素顔に接近。
*太陽系連合大統領、宇宙海賊を全銀河広域指名手配。
*移民街区で暴動。反乱分子の密航か?
*第四十八太陽系出港は三日後。特集記事はこちらから。
*マッケネン司令、宇宙海賊討伐に自信。
*大特集! オルテガ参謀vs宇宙海賊シャーロット。
*──
*──
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*非常事態宣言発令。一般乗組員は、対核シェルターへ避難して下さい。
*本船は活性プラズマ宙域に突入。突発的な振動に注意。
*活性プラズマに注意。振動は今後も続く可能性があります。
*プラズマフレアによる強電磁震動発生。余震に注意を。
*活性プラズマに注意。振動は今後も続く可能性があります。
*活性プラズマに注意。振動は今後も続く可能性があります。
*活性プラズマに注意。振動は今後も続く可能性があります。
*活性プラズマからの脱出に成功。安全確認まで待機願います。
*安全確認中のため待機をお願いします。
*安全確認中のため待機をお願いします。
*安全確認中のため待機をお願いします。
*安全確認中のため待機をお願いします。
*船内インフラが復旧しました。
*船内インフラが復旧しました。
*緊急事態宣言が解除されました。
*帰宅経路について。
*シェルターからの帰宅に際して。
非常事態宣言以降のニュースタイトルは同じものばかりで、その内容も由梨香には察せられた。
(情報管制がしかれているわ。でも、『ESPエンジン』は生きている。だったら、茉莉香も無事な筈ね)
自身の娘がパイロットと言う事もあって、由梨香は、ある程度、事の内幕を知っていた。
襲ってきた宇宙海賊は、超能力者の集団である事。
彼等は『ESPエンジン』を狙っている事。
『ESPエンジン』奪取のために、再度宇宙海賊の襲来が予測される事。
対E装備を武装した特殊部隊が、ギャラクシー77に乗り込んでいる事。
宇宙海賊との戦いは、人智を超えたモノになるだろう事……。
一般乗組員には伏せられているが、今回の非常事態宣言は、再度襲来した宇宙海賊との戦闘に入ったからだろう。
しかし、由梨香には、それ以上の事は想像の範囲外であった。
巨大なギャラクシー77の船体を揺らす程の震動は、シェルターに入っていた時にも感じられた。それだけで、宇宙規模のエネルギーが作用した事が、彼女のような素人にも察せられた。そんな巨大な超能力がぶつかり合っていたとしたら……。
娘の無事を信じつつも、一抹の不安を禁じ得ない由梨香であった。
そんな由梨香に、突然背後から声をかける者があった。
「あら、橘の奥さん。こんなところでどうしたの。気分でも悪くなった?」
その言葉に我に返った由梨香は、声の主の方へ振り向いた。そこに居たのは、
「あ、お隣の犬山さん。……どうも、お世話様です」
由梨香は、柔和で人懐っこい隣人の顔を見て、日常モードに復帰しつつあった。
「大丈夫? 顔色が悪いようだけれど。シェルターの中って、空気が悪かったですものね」
隣の部屋に若夫婦と同居している初老の彼女は世話好きらしく、最近引っ越してきた由梨香達が『この辺には慣れていないに違いない』という理由で、差し入れやら何やらと、甲斐甲斐しく声をかけてくれていたのだ。
「はぁ。やっと非常事態宣言が解除されたものだから、ホッとしちゃって……」
海賊が襲ってきたなどと、迂闊に一般乗組員には喋れない。由梨香は、慎重に言葉を選びながら返事をしていた。
「でしょうねぇ。アタシもシェルターなんかに放り込まれたのは、五十年ぶりくらいだわよ。そんでねぇ、聞いてよ奥さん。アタシの隣に座ったオジさんの息が、臭くて臭くて。ニンニクとトウガラシの匂いがプンプンと。早く酸素ボンベが配られないかと、ムズムズしてたんですよ」
井戸端会議の乗りで話し出す犬山夫人に、由梨香は、何か日常というものを感じて、安堵していた。
「奥さんも苦労したでしょう。娘さんは大丈夫? 心配でしょうに」
由梨香は、その言葉を聞いて、ビクリとした。今正に、その事で考えを巡らせていたのだ。
「そ、それが……。今のところ、何の連絡もなくって……」
彼女は端末を両手で胸に抱いて、そうたどたどしく応えた。
「えっと、娘さんって、確かパイロットに選ばれたんですよねぇ。あんな可愛らしい女の子なのに、もう船のメインスタッフの一員なんて、鼻高々よね。それに比べて、家の婿と言ったら、恒星観測オペレーターから全然出世できなくって。あんな頼りない男のどこが良いのかしら? 我が娘ながら、何考えてるのかさっぱりで」
非常事態宣言が解除されたばかりだというのに、犬山夫人は相変わらず饒舌だった。
由梨香の引っ越した街区は、船の中枢に近いスタッフやその家族が暮らしている。犬山氏も、それなりに重要な役割に就いている筈である。
しかし、さすがにパイロットと比べられては、彼も敵わないだろう。
「何をおっしゃいます。この大事な時に犬山さん達も頑張ってくれたから、私達が無事で居られるんですよ」
由梨香は、あまり茉莉香の事を詮索されたくなくて、話題を逸らそうと犬山氏を持ち上げていた。
「そうかしら……。あ、それはそうと、奥さん、家の陽子の事、見なかった? あの娘、途中ではぐれちゃって。もう、何歳になってもトロいんだから。ねぇ、困ったもんでしょ」
相変わらず愚痴っぽく話を続ける犬山夫人に、由梨香は、
「大丈夫ですよ。今は自宅待機ですし。陽子さんも、お部屋に戻っていると思いますわ」
と声をかけると、帰宅させようと試みた。
「危なくないように、保安部の皆さんが誘導してくれていますから、きっと無事に自宅に向かっていますわ。私達も帰宅しましょう」
今は、余計な事故や事件を起こしてはいけない。それは、茉莉香達の仕事を増やす事になる。それは、娘に何もしてやれない由梨香の、精一杯の気遣いだった。
「さ、お部屋まで手をつないで行きましょう。そうすれば、迷子になりませんわ」
彼女はそう言って、左手を差し出した。
犬山夫人は、その手をそっと握ると、
「あらら、手をつないで帰るなんて、女子校以来だわ。何だか照れちゃうわね」
と言ってはにかんだ。
「さぁ、犬山さん。さっさと帰って、ご飯の用意をしなけりゃ。お仕事大変だったから、きっとお腹を空かせて帰って来ますわ。私達のお仕事は、美味しいご飯と快適なベッドを用意しておくことですよ」
由梨香のその言葉に、犬山夫人も、
「そうね……、なら急いで帰らなきゃ。お風呂の用意もしなきゃね」
と言って、微笑んだ。彼女も、伊達に何十年もこの地区で暮らしていた訳ではないのだ。
船の安全な運行に、どれ程の労力が必要か。緊急事態に乗組員を護るために、スタッフがどれだけの汗を流すか、肌で知っているのである。
由梨香と犬山夫人は、まるで実の母娘のように手をつないで、自宅への帰路についた。
その頃、ギャラクシー77の大会議室には、船のメインスタッフと、軍の主だった士官が集まっていた。
(船の安全確認が終わったと思ったら、いきなりブリーフィングなんて……。記録とか反省とか、係の人に任せちゃダメなのかなぁ)
テーブルの端っこで、茉莉香は小さくなっていた。
ただでさえ色々な事があったのだ。操船室は、ゴツイ兵士達が詰めていて、トイレに行くことさえ恥ずかしかった。『ESPエンジン』や電子知性体群のお陰で上手くやれた筈だが、軍が完全に撤収するまで気を抜く事は出来ない。これ以上気を使うような何かが起こる事は、茉莉香にはまっぴらだった。
「……と言う事で、今回の『作戦』は『成功裏に終結した』とメディアに発表します。なお、作戦の中枢に関しては、記者会見、取材、その他全てについて、緘口令をしきます。違反すれば、重罪となりますので、ご注意下さい」
薄暗い室内で、正面の大パネルに表示された資料の脇で、ハウゼン少尉がノートパッド型端末を片手に説明を行っていた。
「作戦成功って……。今度の作戦って、実質的に失敗だったんじゃないですか?」
未だ幼い茉莉香には、軍上層部のオトナの事情が解らなくて、隣に座っていた機関長に小声で質問した。
彼は、面倒臭そうにジロっと茉莉香の方を見ると、
「軍としては、海賊如きに作戦失敗なんて、口が裂けても言えないんだろう。それに、作戦の本来の目的を言っちまったら、『ESPエンジン』が『超能力エンジン』だと世間にバレちまう。胸糞悪いオトナの事情だよ」
声こそ小さかったが、機関長の言葉は辛辣だった。
「そっかぁー」
茉莉香には、まだ納得がいかなかったが、全銀河的にシャーロット達が全滅したと認知させる事は必要であった。
何にしろ、偉い人達の言いたい事は、『余計な事は言わずに黙っていろ』と云うことであるとは、何とか解ったし、その方が茉莉香にも都合が良かった。
「尚、作戦に貢献した者達には、階級の特進、及び勲章または功労褒章金が授与されます。作戦参謀のオルテガ中佐は、大佐に特進、『銀河十字勲章』が授与されます」
ハウゼン少尉の言葉に、会場から拍手が起こった。正面の代表者席に座っていたオルテガ参謀が、軽く会釈をした。
「へぇー、参謀閣下は、くんしょーがもらえるんだとよ。いいご身分だな」
小声ではあったが、機関長が嘲るように呟いていた。
「また、宇宙海賊討伐にあたって多大な貢献をしていただいたギャラクシー77のスタッフの方々にも、勲章、及び功労報奨金が授与されます。ギャラクシー77船長、権田利勝殿へは、『熱き太陽章』及び感謝状と金一封が授与されます」
またしても、大会議室内に拍手が巻き起こった。参謀の二つ隣に座っていた船長が、軽く頭を下げた。
「ほう。船長にも勲章とボーナスだとよ。体の良い口止め料だな」
機関長の嫌味が、茉莉香にも聞こえた。
「ちょ、機関長さん。口が過ぎますよ」
見かねて茉莉香が注意したが、彼にはどこ吹く風であった。
「おえらいさんは、人の生命よりも軍の威信や財団の利益の方が大事だとよ」
そんな機関長は、不貞腐れたようにそう呟いていた。
「また、若干十六歳にもかかわらず、宇宙海賊捕縛を見事に成し遂げたパイロット=橘茉莉香殿へは、『彗星章』と金一封、及び太陽系連合大統領からの感謝状が授与されます。更には北銀河方面守備艦隊提督から、最新型防宙機動艇と装備一式が贈呈されます」
その言葉に、茉莉香の思考は一瞬停止した。
「へっ……」
脇で固まっている茉莉香に、さすがにこれには驚きを隠せない機関長が声をかけた。
「すげぇな、お嬢。勲章とボーナス以外に、宇宙艇だとよ。装備一式ってことは、専用の小隊のおまけ付……ってかぁ」
その声で、茉莉香にも事の重大性が徐々に解り始めた。
「ええええええーーーー。あ、あたしに、勲章とか、宇宙艇とか、勿体無いです! そんなの受け取れませんっ」
あまりの事に、彼女は椅子から立ち上がると、思わずそう叫んでいた。大会議室の中にざわめきが起こる。
「静粛に。……ミス・タチバナ。これは、ミス・タチバナの貢献に比べれば少な過ぎる褒賞でしょうが、今の軍や太陽系連合からの精一杯の誠意なのです。そして、貰ってもらわなければならないのです。よろしいですか」
少尉の刺すような視線に、茉莉香の身体は硬直した。
「で、でも、……そんなの、あたしには分不相応です。やっぱり、受け取れません」
それでも彼女は、気を振り絞って、そう応えた。
「もう一度言うわよ、マリカ。これは、『貰ってもらわなければ困る』ものなの。お解り?」
今度は、ベスはフレンドリーに喋っていたが、その意味するところに茉莉香は恐れを感じた。
(要は、黙って神輿に担がれろって事ね。宇宙艇は、運用人員と云う名目で『監視役』を送り込むためなんだ。これが、オトナのやる事なんだ……)
茉莉香は、両の拳を握り締めたまま、何も言えなくなってしまった。そして、ベスの視線から逃げるように、椅子に座った。
「オーケイ。良い娘ね。なお、ミス・タチバナほか、ギャラクシー77の主だったメンバーは、軍の代表者と共に、授与式を兼ねた記者会見に出席していただきます。グリニッジ標準時0930時に開始しますので、会場には0900時までに集まるように」
「えっ?」
茉莉香は、ベスのその言葉を反芻していた。
(記者会見? 記者会見って、……記者会見よね。……って、ええええ、きしゃかいけんーーー)
「ええええ! 記者会見って、あの記者会見ですかっ」
彼女は、再度立ち上がると、そう叫んでいた。
「そうよ。太陽系連合の全太陽系に、銀河超空間ネットワークで生中継されるわ。いっぱいオシャレしてきてね」
ニッコリと笑いながら平然とそう言うベスに対し、茉莉香は、酸欠の金魚のように口をパクパクさせていた。
(銀河中にネットで生放送で記者会見!? そんなの、ぜったいムリだよー。……タスケテ、お母さーん)
由梨香の心配通りに、茉莉香は困った事態に陥っていた。




