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引っ越し(1)

 今、茉莉香(まりか)は、引越し荷物の整理をしていた。


 来週の末から、学校は長期休暇に入る。茉莉花たちは区切りのいいこのタイミングでの引っ越しを考えていた。

 学校へは既に知らせてあるが、同級生達は未だ知らなかった。皆に知られて奇異に思われる期間を、できるだけ短くしたかったからだ。当然、隣の健人にも話してないが、彼はここ数日の茉莉花達母娘の動向で、なんとはなく気付いているようであった。



「おはよう、茉莉香」

 同級生から声がかかる。

「あ、おはよう」

 茉莉香も応える。

「茉莉香、最近休みがちだけど、『ジャンプ酔い』の後遺症?」

 クラスの友人は、少し心配そうな顔をしながら、茉莉香に尋ねた。

「え、えーと、そういう訳じゃ無いんだけど。ちょっとお母さんの仕事の都合で、ゴタゴタしちゃってね」

 茉莉香は、本当のことが言えないので、適当に話を誤魔化した。

「ふ~ん、そうなんだ。茉莉香ん家、母子家庭だもんなぁ。変な噂が立つときもあるよねぇ」

「や、そんなんじゃないんだ。ありがとう、心配してくれて」

「なんのなんの。茉莉香が暗い顔してると、こっちまで暗くなっちゃうじゃない。元気出して」

「ありがとう……」

 彼女は、友人たちにそう答えた。

 もうすぐパイロットになる。それで、もう級友たちとは会えなくなる。それをどんなタイミングでどこまで公表するか、彼女は悩んでいた。


 学校に着いた時、健人はもう席についていた。

「よう、茉莉香。今日はゆっくりじゃないか。休みも多いし、どっか具合が悪いのか」

 健人も、似たような事を訊いてきた。毎度、同じことを訊かれると、面倒臭くなる。

「なんでもないわ。ちょっと朝寝坊しただけよ」

 と、つい敵対的な物言いをしてしまう。あと少しでお別れなんだから、それまでは楽しい時間を過ごそうと思っていたのに、いつも逆になってしまう。

 茉莉香は、自分の席に座りながら、「ああ、またやっちゃった」と、自らの行為を嘆いていた。


 そして、結局は、今日も引っ越しの事は言い出せずに放課後が来ていた。


(あ〜あ、今日も話せなかったなぁ)


 茉莉香はそう思いながら、帰りの道を歩いていた。

 すると、後ろから声がかかった。

「おい、茉莉香。今日も帰り、早いんだな」

 声をかけてきたのは、健人だった。

「うん。ちょっと家でやらないといけないことがあるのよ」

 茉莉香はお茶を濁すように、そう応えた。

「おばさんの都合?」

 茉莉香の返事では納得しないのか、健人は更に質問してきた。

「取り敢えず、そうなんだけど」

「もしかして、おばさん、再婚するとか」

「えっ? あ、あと……そ、そういう訳じゃないんだけど」

 茉莉香がそう答えると、健人は頭をひねった。

「違ったかぁ。てっきりそうだと思ってたんだけどな。だってさ、お前、荷物まとめてるだろ。するんだろ、引っ越し」

 茉莉香はそう言う健人から目をそらすと、しばらくしてこう言った。

「バレちゃってたか。うん、あたし達、引っ越しするんだ」

 そう言われた健人の方は、思ったより冷静だった。

「驚かないんだね。ちょっと意外だな」

 茉莉香は、健人の目を見ながら、そう言った。

「いや、驚いてはいるんだけどね。なんかこう、現実感がないんだよね。ずっと一緒だったのに、別れるのはやけにあっさりしてるのな。不思議な気分だ」

 健人は、見えないはずの空を仰ぐように、上を向いていた。

「そうだね~」

 少女は、敢えてお気軽そうに答えた。

 すると、健人は急に心配そうな顔になった。

「茉莉香、やっぱり、あの『ジャンプ酔い』が絡んでるのか?」

 茉莉香は、

「えーと、まぁ、そうなんだけれどね」

 健人は、茉莉香を真剣な目で見つめると、

「お前、何の病気なんだ。重いのか。ちゃんと治るんだろうな」

 と、言ったのである。

 健人は、茉莉香の検査結果が芳しくなくて、彼女が不治の病にかかっているのだと、勝手に思っているのであった。

「あのね、えーと、心配してくれるのはありがたいんだけれど。あたし、そんなんじゃないから」

「本当だな」

「うん、本当。まぁ、あたしの都合で引っ越しするのには違いないんだけれど。特に、病気とかそんなんじゃないから」

「本当に本当だな。信じて良いんだな」

「だ、大丈夫だよ。外出の制限とかはあるけど、病気じゃないから」

 彼女は、健人の斜め上に向いた考え方に戸惑っていた。まぁ、部屋に押し込まれて監視されるのには代わりはないのだけれど。


(男の子って、皆こうなのかな? 少なくとも、コーンは絶対違うと思うけど。う~~~、なんか面倒くさい)


 茉莉香が心の中でそんな事を思っているとも知らず、健人は真剣に彼女を心配していた。

 茉莉香には、そんな健人の様子が、可笑しくてたまらなかった。



 健人と別れて帰宅した茉莉香は、まず衣類を引っ張りだしては、段ボール箱に入れ始めた。

 しかし、しばらく作業しているうちに、もう殆どの服が小さくなって着れないことに気がついた。

「あー、こんなのずっと持ってても、仕様がないや。ちょうどいいから、捨てちゃおうかな」

 そう思って、今度は捨てるものと、持っていくものの箱を作って、服を分類し始めた。

 そうやって、しばらくクローゼットの中をゴソゴソしていると、思いもよらぬものが見つかった。

「これって、お父さんの制服じゃない。何であたしのところにあるのよ。でも懐かしいなぁ」

 茉莉香は一時感慨にふけっていたが、思い立ったことがあって、更にクローゼットの奥の奥まで入り込んだ。そこに見つかったのは、亡き父の遺品であった。

「わぁ、こんなに残してたんだ。お母さん、全部捨てちゃったって言ってたけど、やっぱり捨てきれなかったんだね。……お陰で、コーンを裸のままにすることも無かったんだけど。そうだ、コーンにあげようかな。でも、こんな古い服は嫌がるかもしれない。キチンと収納されていたから、生地は傷んでないんだけどなぁ。なんか、勿体無いんだよね」

 ここまで来ると、何も捨てられなくなるのが女性の性である。結局、あれもいる、これもいる、ということで、すっかり荷物が肥大化してしまった。

「あれ、やだやだ。これじゃ全然整理になってないよ。やっぱり、古い服なんて捨てちゃおうかな。でも、何だか勿体ないし」

 ギャラクシー77では、要らなくなった服はリサイクル施設へ送られ、繊維やボタンなどを再生して布地に戻すルールになっている。着れない物をいつまでも持っていても、しょうが無いのだ。

 これは、何も無い宇宙空間を、限られた資源で半年を生存しなければならない恒星間航行用宇宙船では、しかたのないことなのである。それは、茉莉香にも分かっていた。しかし、感情は、それに着いては行けないのだ。だから、こうしてタンスの肥やしになってしまう。

 茉莉香は、部屋の惨状をしばらく眺めた後、ベッドにひっくり返った。

 こういう作業は、彼女にとって、特に苦手であった。

「だから、いっつも片付かないのよねぇ」

 茉莉香はそう独り言をつぶやくと、抱き枕を抱えて横になった。


「あーあ。やだなぁ。憂鬱」


 茉莉香は、引越し荷物一つさえ纒められない自分が、本当にパイロットなんかになれるのか、疑問に思っていた。




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